きっと夢だったんだろう
その日、サスケはこたつに入りに来なかった。日めくりカレンダーを破って納得する。大晦日だ。きっと正月に向けた準備でもしているんだろう。……何をしているんだろう?
それはちょっとした興味だった。カカシはサスケのアパートを訪れるが、不在だった。しばらく外階段で待ってみたが1時間経っても帰ってこない、という事はどこかで何かをしているんだろう。
……どこで、何を?
これ以上踏み込まない方がいいのではという気持ちと、好奇心や純粋にサスケのことをもっと知りたいという思いが頭の中を錯綜する。
大晦日にサスケが行きそうな場所を考えてみたが、一箇所しか思い浮かばない。その場所に特に用事があるわけでもない自分が足を踏み入れて良いのかどうか、随分と悩む場所だった。
入り口に行ってみるくらいなら大丈夫だろう。サスケの気配が感じられなければ大人しく帰るつもりだった。その場所は――うちは一族の集落跡地。
事件後誰の手も入っていない、所々に惨劇の跡が残る場所だ。
その集落の入り口に立ったとき、カカシは見てしまった。川の近くにひとつだけぽつりとある神社に火が灯っている。うちは一族の氏神が祀られているそこは、南賀ノ神社。あそこにサスケがいるのか、と思うと、自然と足が動いた。
しかし、集落の跡地に足を踏み入れた瞬間、カカシは経験したことのない空気を感じる。重い。身に纏っている空気が重たい。得体の知れないプレッシャーを感じる。何者かに見られている? 気配が感じられるような気がするが、その元を辿って確かめてみても誰もいない。どうなっているんだ、ここは。大戦の戦場跡でもこんなにも重たい空気を感じたことがなかった。周囲を警戒しながらゆっくりと歩を進めるが誰がいるはずもない。それなのに、そう、例えば写輪眼で四方八方から見られているような、そんなヒリヒリとしたプレッシャーを感じるのだ。
思わずカカシは額当てを上げて左眼を開いたが、その眼も何も写しはしない。訳のわからないプレッシャーの中を歩いていると、廃墟が立ち並ぶ中に一軒だけあかりの灯る家があるのを見つけた。中に人の気配も感じる。
カカシは気配を消してその家に忍び寄ると、庭に身を潜めた。家の中から感じる気配とチャクラは、確かにサスケのものだった。慌ただしく動き回っている。……掃除? ……いや、食事……を、終えたところ、か。少しして、食器を洗う音が聞こえてくる。
こんな所で……ひとりで、食事を? うちに来る時以外はいつもそうなのか? それとも、今日……大晦日だけ?
深まる好奇心。サスケの上司で先生である立場として、サスケのことはもっと知りたい。しかしやっぱり踏み込むべきではない気もする。
悩んでいると、サスケが何か喋ったのが聞こえた。
「………してきます。」
その声色は、聞いたことのない重みを感じるものだった。
サスケの気配は玄関を出て、あの神社に向かっていく。そのサスケの気配のすぐ後ろに、まるで魑魅魍魎が一緒に歩いているかのような禍々しい気配が連なっている。
何なんだ、これは。幻術にでもかかっているのか? それとも本当に……一族の怨念を、サスケはあの小さな背中に背負っているのだろうか。
サスケが家から離れたのを確認して、その中に入ってみると、台所には年越しそばを食べた形跡が残っていて……しかしその鍋の大きさは、一人用のものではなかった。気配が行き来していた部屋の襖を開けると、線香の匂いを感じる。奥には大きな……立派な仏壇があった。そこには位牌ではなく遺骨が2つ置かれている。あれはサスケの……ご両親、なのか。
室内はとても放置された家屋とは思えない、普通に住民の気配がしそうなほどあたたかな家庭の雰囲気を感じられる家だった。この家の中だけ、明らかに他と空気が違う。サスケが定期的に訪れてはここで過ごしているのだろうと伺えた。……両親の供養のため、なんだろうか。一族の墓は火影が合祀して作ったものがあるが、サスケにとってそれは何の意味もないただの石なんだろう。ご両親の遺骨は今もここにいるのだから。
……もしかしたら、サスケはご両親の遺骨と一緒に、食事をとっていた、のだろうか。
サスケはそのご両親に何をしに行くと言ったのだろうか。
家から出ると相変わらず重たい空気が身体にのしかかる。サスケが歩いて行った痕跡を辿ると、更に空気が重くなっていく。水の中でも歩いているのか、という錯覚すら覚えてしまう。そのプレッシャーは、神社の鳥居の前まで辿り着くと最高潮になっていた。だが、どうやら神社の敷地の中には入ってこないらしい。
一礼して鳥居をくぐると、嘘のように身体が軽くなって清く神聖な空気に変わった。階段を見上げると先に灯りが見える。しかし、階段を上ろうとする足が動かない。まるで余所者は来るなと言われているようだった。右眼を閉じて左眼の写輪眼だけ開くが状況は変わらない。やはりこの神社から拒絶されているかのような、先ほどまでとはまた違うプレッシャーを感じる。うちはの血が流れていない俺が足を踏み込むべきではない場所、ということなのだろうか。
鳥居の外に出ることも、階段を上り歩を進めることも出来ないままその場に立ち尽くしていると、階段の頂上から人影がカカシを見下ろした。
影は階段をゆっくりと降りてくる。暗くてよく見えないが、サスケだ。
サスケは階段の中腹まで下りてきて来訪者の姿を確認すると、「……カカシか」と腰に手を置いた。
「……ごめん、来ちゃダメだった?」
「いや……氏子以外が来てはいけないという決まりがあるわけじゃない。参拝したいのか?」
「まあ、その……、ちょっと気になって。」
純白の衣装に身を包んだサスケが、懐から何かを取り出してカカシに歩み寄り、胸元に押し付ける。人の形をした紙だった。
「その形代を持って入ってこい。今から始める。」
どうやら、この紙……形代を持っていることで参拝者として行事に参加する権利が貰えるらしい。動かなかった足がふっと軽くなる。サスケに続いて階段を登っていくと、境内には大きな火が焚かれていて、サスケはその更に奥にある本殿に入っていくと、正座して祝詞を上げ始めた。鳥居の外の禍々しい気配が揺らぐのを感じる。十分以上かけて祝詞を読み上げると、サスケはカカシを振り返り形代を指さす。
「それを手で擦った後、息を吹きかけてからこの火にくべるといい。穢れを払える。」
そして自らの懐から一枚ずつ形代を出して、手でさすった後、息を吹きかけては火に投じていく。一体いくつあるんだ、と思うくらいサスケは次々に形代を取り出しては火に投じる。……まさか、犠牲になった一族、全員分あるのだろうか? カカシは自分のそれを火にくべた後、サスケの儀式が終わるまで見守った。
全てが終わった後、鳥居の外のあの禍々しい気配は少し弱くなっていた。サスケが再び本殿に入り祝詞を上げ始めると、外の気配がすっと消えていくだけでなく、カカシ自身もなんだか頭がすっきりして身体が軽くなっていくような気がする。穢れ、が、消えていっているのか? そんな非現実的な事が実際にあるのか? 信仰心が全くない無神論者のカカシにとって、その一連の現象は不可解で仕方がなかった。
しかし、実際に経験してしまっている。集落に入ってから感じた身体の重さを、鳥居の前の息苦しい程の空気の重みを。鳥居をまたいだ瞬間に軽くなった身体を。足を踏み出すことが出来なかった不思議な重圧を。そして今、サスケが行っている儀式で変わっていく感覚を、空気を。ここには確かに超常的な何かがある。
再び祝詞を読み終えると、周辺一帯はしんと静まり返っていた。パチパチと燃える薪の音だけが響いている。
「俺は色々なものを一族から受け継いだ。今、この南賀ノ神社の神主であり、総代であり、氏子でもある。……うちは一族はこの神社を深く信仰していた。だから死した後もこうして年に二回、穢れを払ってやらねえと魂に穢れが積もってしまう。俺たちの魂はまだ納得していないんだ。何故理不尽に殺されなければならなかったのか。何故、突然日常が絶たれてしまったのか。幼子ほどその想いが強い。……ほっとけねえだろ。」
ごく当たり前のように魂だとか想いだとかを話すサスケはいつものサスケではなかった。その顔に表情はないが厳かな神々しささえ感じる。神の子、と言われても納得してしまいそうだった。
「サスケには……あれが何なのか、見えてたの?」
「……さぁな。俺はただ俺のやるべき務めを果たすだけだ。」
サスケは天に向けて上っていく炎の更にその先に目線を向ける。
……慈悲? 違う。……哀れみ? 違う。……愛、が、一番近いかもしれない。
ひとり残されてもなお、サスケはうちは一族として、一族を誇りにして、一族を愛していて、そしてだからこそ、イタチを憎んでいるんだ。単なる復讐と言うにはあまりに深い想いがそこにあった。単に大切な人を殺されて憎い、というだけでは片付けられないその想いがあったから……俺なんかの言葉は、サスケには響かなかったわけだ。
「あの中には……サスケの両親も?」
「……いや、俺の両親を感じたことは一度もない。二人とも死を受け入れて、行くべきところに行ってしまったらしい。」
それはサスケにとって救いなんだろうか。炎の行く先に眼を向けるサスケの顔からは伺えなかった。今ここにいるのは、神主としてのサスケであって、フガクとミコトの子としてではない。
遠くから除夜の鐘の音が響き始めた。もうすぐ年が明けるようだ。
鐘の音が鳴り終わるのを待つと、サスケは立ち上がって、また本殿に入っていく。年明けの儀礼をするのだろう。新しき年の、新しき月の、新しき日の一族の弥榮と繁栄を祈りながら。
ささやかながらカカシも祈った。サスケの想いが、祈りが、悲願が実る日が来ることを。
神主としての役目を終えたサスケは、いつもの服に着替えて、ポケットに手を入れながら階段を下りていく。
鳥居の外はすっかり静まり返っていてただの廃墟が立ち並ぶだけの場所になっていた。笑いながら駆けて行く子どもの声が聞こえたような気がして振り返るが、そこには誰もいない。穢れが祓われた魂だったのだろうか。サスケにも今の声は聞こえていたのだろうか。その背中は何も語らないまま、生家に帰っていく。
玄関の戸を少し開けて、サスケは後ろをついて歩いていたカカシを振り返った。
「あんたを、父さんと母さんに紹介してもいいか。」
「え、でもサスケの両親はもう、いないんじゃ……」
「魂はいなくても、そこにいるんだ。まだ……二人とも、家で待っている。上がってくれ。」
招き入れられて、改めて靴を脱いで家に入っていく。廊下の横にある居間の先の、あの部屋の襖を開けると、サスケは膝をついて正座し「母さん」と話し始めた。
「この人がカカシだ。はたけカカシ。俺の先生で、上司の。」
カカシはどうしたらいいのかわからず、とりあえずサスケの斜め後ろに正座して仏壇に向けて頭を下げる。
「色んな事を教わってる。千鳥を教えてくれたのもカカシだ。」
そのサスケの声色は、まるで普通の子どものようで。
「父さん、カカシの元で修業して、必ず父さんみたいな立派な忍になってみせます。」
頭を下げながら、堪らない気持ちがこみ上げてくる。
「だから父さん、母さん、安心して見守っていてください。」
サスケの家のあたたかな空気は、まるで本当に両親のいる普通の家庭のようだった。ここには、本当に、サスケの両親がいて、会話をしたり、一緒に食事をとったり、している。サスケにとってそれはただの骨じゃなくて、本当の。
それを目の当たりにして、言葉に出さずにはいられなかった。
「……息子さんは、俺が……責任をもって、導きます。」
ここに確かにいるのだ、サスケの両親が。その二人が。サスケに、とっては。
「……今日はもう、行くけど、次帰ったときはまたいっぱい美味いもん作るから。楽しみに待っててくれ。じゃあ、また……。」
サスケが静かに襖を閉じる。
サスケの料理が美味いのは、こうしてずっと作ってきたからだったんだ。
両親と食卓を囲むために、作り続けてきたからだったんだ。
サスケは立ち上がると、少し照れた顔でカカシの方を見た。
「……ありがとう、一度は顔見せたかったんだ。」
「あんなんで、良かったのかな、俺。」
「十分だ。……さて、次はあんたんちにでも行くか。」
荷物を持ったサスケが、廊下を歩きながら言う。
「……なんで俺の家?」
「あんたも俺の家に来たじゃねえか。だから俺もあんたの家に行く。正月なんだから朝から晩までこたつに入っててもいいだろ?」
玄関の扉を閉めて鍵をかけると、そこにいるのはいつものこたつ好きなサスケだ。
「なに、居座るつもり?」
「いつ来てもいいって言ったのはあんただろ? 安心しろ、飯はちゃんと三食美味いの作ってやる。」
急にいつものサスケに戻られると、感情が追い付かない。
さっき見たあのサスケは? あの表情は? あの声は? 幻術でも見せられていたんだろうか?
狐につままれたような気分だった。
でも、こたつに入りたいと訴える目を見ると、いっそ夢でも見たことにしてしまおう、という気持ちになってくる。
「まあ、いいけど。あ、そうそう、言い忘れてた。サスケ。」
「何だ?」
「あけましておめでとう。今年もよろしくね。」
「ああ、よろしく頼んだ、こたつ。」
「……どんだけこたつ好きなの……。」
「いいじゃねえか。こたつ。ほら寒いから早く行くぞ。」
早足で先導するサスケについて歩く。うちはの集落を出たところで、少しだけ振り返ってみた。そこは廃墟が立ち並んでいるだけだ。何者の気配も感じない。……それが当たり前、なんだけど。サスケの目には、この風景はどう映っているんだろうかと考えかけて、やっぱり考えるのはやめた。幸せそうにこたつに入るサスケの顔を思い浮かべる方が有意義だ。
「急いでもこたつは逃げないよ。」
カカシは笑いながらサスケに追いついて隣を歩き、手を差し出す。サスケがその手を取ると、手を握ってそのままカカシのズボンのポケットに突っ込んだ。
「あ……温けぇ……」
「こたつに入るまではこれで我慢しな。」
「わかったよ……」
サスケの歩みが遅くなる。
そのまま二人でゆっくり歩きながら、元旦の空の下、カカシの家に向かった。
こたつにありついたサスケは、疲れていたのか、すぐにそのまま眠りに入っていった。
幸せそうなサスケの寝顔を見ながら、カカシは肩にブランケットをかける。
「お疲れ様、サスケ。今年もいい年にしようね。」
サスケの寝顔を肴に飲む酎ハイは、いつになく美味しかった。