折れたこころ

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全年齢,長編,原作軸,完結済み,カカサス小説シリアス,平和IF

もっと早く気づいていれば

 サスケはどんな任務でも真面目に取り組み、演習にも力を入れていて、なにより仲間思いだ。この第七班に欠かせない存在だった。
 でも、そんなサスケが最近変だ。
 元気がないというか、覇気がないというか、心ここに在らず。
 だからその日の任務後、サスケを呼び止めた。
「今日はこれで解散……だけど、サスケは居残りね。」
 サスケは一瞬カカシに目を向けて、また俯いて小さく「わかった」とその場にとどまった。
 
「……で、何で居残りか心当たりある?」
「……ないな。任務も演習も、ちゃんとこなしてるだろ。」
「ああ、サスケはよくやってるよ。でも最近元気ないでしょ?」
「……元気、って?」
「そのままだよ。元気も覇気もない。ちょっと投げやりな感じもする。……何かあったの?」
「……言って、あんたにどうにかできるのかよ」
「一応俺、お前の先生だからさ。聞かせてよ。もしかしたら何か俺に出来ることがあるかもしれない。」
 サスケは俯いたまま口を開きかけて、また閉じる。
「あんたに出来ることなんか何もねえよ。帰る。」
 背中を向けたサスケの肩にカカシが手を乗せる。
「駄目だ。これ、命令ね。何かあるのなら話を聞かせなさい。でないと帰らせない。」
 サスケは振り返らない。振り返らないまま、呟いた。
「………死にたい。」
「……え?」
「手、離せ。帰る。」
 カカシの手をどけると、歩き出そうとする。カカシはその腕を掴んだ。
「待って。……なんで、なんでそんな事思うの。」
 動揺していた。身体中から血の気が引いて手が震える。
 サスケはやっぱり振り向かない。
「……俺には、復讐はできない。今まで復讐だけを糧に生きてきた。……だけど、もう復讐なんてどうでもいい。その時点で俺は、もう生きる意味を失っている。」
 ……驚きを、隠せなかった。第七班結成前までサスケがしてきた努力は、磨いてきた腕は、全て復讐のためだったはずだ。なのに今はそれがどうでもいい? 一体何があった?
「なんで……諦めたの。野望だって、言ってたじゃない。」
「本来あのとき俺も殺されているはずだった。
 醜く生き抜いて今ここにいるが、今のままじゃ俺はイタチに遠く及ばない。
 俺も馬鹿じゃない、身の程は弁えてる。
 あいつがどれだけ強いのか俺もよく知ってる。
 どんなにひとりで頑張ってもイタチには追いつけない。
 だから俺の存在意義はもう、……何もない。」
「……ひとりで、頑張っても追いつけないなら、人を頼ればいいじゃない。俺がその役割を担う。お前を、復讐が遂げられるくらいに強く引っ張り上げる。それじゃ、だめか。サスケ。」
「確かに、あんたは強いかもしれない。でもあのイタチより強いとは思えない。夜とはいえ、写輪眼を持つ者も多くいるうちは一族全員を殺せる程の力があんたにはあるのか?」
 サスケの問いに、カカシは答えられなかった。
 雷切は一対一では強力な技だが、一対多の戦闘では役に立たない。どうシミュレーションしても、写輪眼持ちを相手に、うちは一族を大人から子どもまで全員殺すのは不可能なように思えた。その不可能を、うちはイタチはやってのけたのだ。
 
 当時の木の葉隠れの里で最強とも言える強さを持っていたのは確かだろう。
「……七班は、お前の新しい生きる糧にはならないのか。お前の居場所にはなれないのか。サスケ。」
「……大事な仲間だよ、あいつらは。でも、もうどうでもいい。復讐もどうでもいい、そう思い始めた俺はその時点でもう生きている意味がない。」
 ……見覚えが、あった。
 大戦後に、こうして無気力になって、何もかもどうでもいいと投げ出した奴らを。
「サスケ、今から木の葉病院に行くぞ。」
「……は?」
 掴んだ腕をそのままに、カカシが歩き始める。引っ張られるようにして、サスケもついていく。
 ……いつものサスケなら、「何しやがる」と腕を振り解こうとするはずだ。なのに、しない。
 これは、この状態は、きっと間違いない。
 眼鏡をかけた医師の前で、サスケは「抑うつ状態ですね」と告げられた。
 カカシの勘は当たっていた。
 サスケはそれを興味なさそうに聞いている。
「まだ診断名は……はっきりとは言えませんが、適応障害か、気分障害か、別の病気か……。ともかく、薬を出しておきます。一週間後、また来てください。なるべく一人きりにならないように。……カカシ先生、出来たらあなたの家に一週間泊めるようにした方がいい。薬の管理もあなたがしてください。朝と、夕と、寝る前に薬を飲ませること。」
「わかりました。サスケ、いいな?」
 サスケは俯いたまま答えない。
 診察が終わって待合室に腰を落ち着かせると、サスケは小さい声で呟いた。
「……死にたい、もう終わらせたい。復讐なんて、俺には叶わない野望だった。だからもう、いいんだ。」
 カカシはサスケの手を握る。
「いいかサスケ、それはお前の脳が勘違いしてるだけだ。サスケは強くなれる。それにひとりじゃない。今は何でもマイナスに感じてしまっているだけだ。薬をきちんと飲んでしっかり眠れば、サスケはちゃんと自分を取り戻せる。俺もついてる。」
 握られた手をチラッと見て、サスケはまた俯く。
「薬を、飲めばいいんだな」
「そうだ。薬と休養、な。」
 受付から「うちはサスケさん」と呼ばれる。サスケが動く気配がなかったため、カカシが受付に向かう。
 会計を済ませて薬を貰うと、サスケのところに戻ってきてまた手を握った。
「とりあえず、今日はもう家に帰るよ。」
 立ちあがろうとしないサスケの手を引っ張って立ち上がらせた。それからは、カカシに手を引かれるままカカシの住むマンションまで歩いていく。
 
「サスケの着替えとか持ってくるから、鍵貸して。」
 サスケは素直にポケットから鍵を出すと、カカシに渡した。
 影分身を作って鍵を手にサスケの家に向かわせる。
「晩飯作るから、ここに座ってて。」
 ダイニングテーブルの椅子を引いて、サスケを誘導した。サスケは座ろうとしない。
「飯なんて、いらねえ。」
「こういう時こそ、ちゃんと食べなきゃダメなの。」
 サスケの肩を押して、椅子に腰掛けさせる。
 カカシはサスケの様子を伺いながら、簡単で早く作れる肉野菜炒めを作り始めた。野菜を適当に切って肉と合わせて炒めるだけだ。味付けは塩胡椒とオイスターソース。
 保温したままのご飯をよそってサスケの前に箸と一緒に差し出す。自分のご飯と肉野菜炒めを手に、カカシもダイニングテーブルについた。
「いただきます」
 手を合わせたのはカカシだけだった。サスケは箸に手をつけようともせずダイニングテーブルの上を見つめている。その視線の先にあるのは貰ってきた薬だ。
「ちゃんと食べないと、薬も飲めないよ。」
 サスケは渋々箸を手に持った。
 ゆっくりと食事をとる。カカシもサスケのペースに合わせてご飯を口に運ぶ。
「おいしい?」
「……わかんね」
「そう、か。最近食欲ないの?」
「昼は……食べてる。おにぎり二つ。」
「朝と夜は?」
「食べる気がしねえ。」
「今日からはちゃんと毎食食べること。」
「……わかったよ。」
 
 盛り付けたご飯を食べ終えて、サスケが箸を置いた。
 カカシは食器を重ねると、シンクに運んでいく。
 蛇口を捻って水を出すと、それをコップに入れて、サスケに差し出した。
「ちょっと待ってて、洗うから。」
 サスケはコップに手を添えていた。どこを見ているのかは伺えない。さっと洗って水切りかごに食器を重ねダイニングテーブルに戻ると、そこには、貰った薬を全部口に入れようとしているサスケがいた。
「待てっ! 待て待て待て! ダメだサスケ!」
 薬の山が乗っている手のひらを掴んでサスケから離す。
「薬、飲めばいいんだろ。」
「全部一気に飲んで、良いわけがないでしょ……!! 何考えてるの……!」
 サスケはカカシと視線を合わせず黙り込む。
 だめだ、思っていたよりサスケの状態は悪い。
 引き寄せた手から薬を残らずテーブルに落とし、貰った薬の説明書を読んでから二錠手に取り、改めてサスケに渡す。
「これが夕食後の一日分の量、わかる?」
 サスケは黙って薬を口の中に放り込み、水を一口飲んだ。
「……今日はもう、お風呂入って寝なさい。俺も一緒に入るけど、いいね?」
「別に……」
 サスケの手を引いて洗面所まで連れて行くと、サスケは自分で服を脱ぎ始めた。カカシも上着を脱ぎながらサスケから目を離さないようにしていると、アームウォーマーを外したときにあらわになったその腕を見て絶句する。
 その右手首には、赤い線が、無数にあった。線はどれも真新しい。最近切ったものばかりのようだった。
 思わず、脱いでいた服を床に捨ててサスケを抱きしめる。
「早く気づいてやれなくて、ごめん……」
「……離せよ」
 カカシが腕を緩めると、サスケは腕の中から出てズボンも脱いでいく。
 その太ももの前側に広がる、大きな赤紫色の痣……。
「……それ、……自分で、殴ったの?」
「……痛みが、罰が必要なんだ。俺みたいな奴には。」
「そんなわけ……サスケは十分苦しんだろ、つらい中でも頑張ってきただろ。罰なんて……そんなもの必要ない。」
 足首のバンテージを外しながら、サスケは答えない。
 俺は、……先生失格だ。上司失格だ。
 サスケがこんなに苦しんでるのに気がつかなかったなんて。……最低だ。
 
 シャワーを出す。サスケの傷が痛まないように、ぬるめの温度にして、水圧も弱めにして。石鹸を泡立てて丁寧にサスケの身体を洗っていく。手首と太もも以外は外傷はなさそうでほっとした。太ももは腫れているのか、熱を持っていて少し硬い。
 目頭が熱くなる。
 俺が、泣いてどうする。しっかりしろ。
 シャワーで誤魔化しながら、サスケの身体の泡を落としていく。
 右手首の傷はやっぱり痛むらしい。お湯がかかるとサスケの顔が僅かに歪んだ
「ごめんね、痛いよな。」
「何であんたが謝るんだよ。」
「サスケのこと、もっとちゃんと見ているべきだった。優等生で仲間思いで、どんな内容にしろ目標を持っていて。俺は安心してた。サスケは大丈夫だって。だから、気づくのがこんなにも遅くなった。俺の、責任だ。サスケのこころは、この傷なんかよりずっと痛いままなんだろ。」
「あんたには、関係ねぇよ。俺の問題だ。俺が弱いせいだ。俺が駄目なせいだ。俺が、」
 サスケの頭を抱き寄せる。
「言わなくいい、考えなくていい、今はただ、三食しっかり食べて、夜しっかり眠って、薬を飲んで、休養する。それだけでいい。他は何も、考えるな。」
「なん……だよ……任務はどうするんだ。」
「そんなこと言ってる場合じゃないの。サスケが回復するまでは任務は中断だ。」
「ナルトとサクラは」
「影分身つけて演習させる。サスケは自分のことだけ考えれば……いや、何も考えなくていい。とにかく今は休め。」
 シャワーから上がったところに、ちょうどサスケの家に向かわせた影分身が戻ってきた。鍵をサスケに返すと、持ってきた衣類を洗面所のカラーボックスの上に載せる。
「パジャマ……と、パンツ、これで合ってる?」
 カカシがその中から着替えを出すと、サスケは黙ってそれを受け取り、着込み始めた。カカシも寝間着に着替える。
「寝る前に、ちょっとおいで。」
 ダイニングテーブルに再び腰を下ろすと、カカシは救急セットを取り出してサスケの右腕の傷にワセリンを塗り広げた。本当は切り傷用の薬がいいが、家にストックがない。
 ワセリンを塗ったあとにガーゼを重ねて、さらにその上から包帯を巻く。
「なあ、ひとつだけ約束してくれるか、サスケ」
「……んだよ」
「もう、手首を切るのはやめてくれ」
 
 ……手首を、切るときは気持ちが落ち着かないときだった。スッと切先でなぞるときジワリと滲む血液、鋭い痛みを感じると、荒れていた気分が落ち着いていった。
 切るな、と言うのなら、気分が落ち着かないときにどうしたらいいんだ。
 この気持ちをどこに向けて、どう発散したらいい。
 
「あんたにできるのか、これの代わりが。」
 自傷の、代わり。
 一般的に、自傷行為には心を落ち着ける作用があると言われている。刃物を手首に当てている時のスリルと緊張感で早まった心拍が、切ることで急降下する。心拍が急降下することで安らぎや安心感が得られ、こころが落ち着く。
 自傷をし始めたばかりのサスケなら、まだ切ることには依存していないはずだ。まだ間に合う。代わりに俺が落ち着かせてやればいい。
「大丈夫、そのときになったら俺に教えて。」
「……わかった。」
「ん、じゃ寝る前の薬飲むよ。」
 テーブルの薬の山から一錠選び取ってサスケに渡す。
 サスケはそれをテーブルの上に残っていた水で喉に流し込んだ。
 後でこの薬の山もどうにかしないと。
「じゃ、もう寝るよ。寝室はこっち。」
 カカシが寝室の扉を開ける。サスケの目に入ってくるのはセミダブルのベッドに枕が三つ。そして、写真立て。
「一緒に、寝るのか。」
「うん、心配だし、布団敷くスペースもないし。」
「……」
 カカシが照明のリモコンを操作すると、シーリングライトの明かりが消えてベッドサイドの間接照明だけになる。
 カカシに促されてサスケはそのベッドに乗り、奥に横になった。次いでカカシもベッドに上がると、サスケに布団をかけて自分も布団を被る。
 薬が効き始めているのか、サスケはもうウトウトしていた。
「なあ、サスケ。……もうひとりで頑張ろうとしなくていい。……頼りないかもしれないけど、もっと俺を頼ってよ。」
「……俺なんかに、そんな資格はない……。本当は迷惑だって思ってるんだろ。……めんどくさいって思ってるんだろ。」
「サスケは俺にとって大切な仲間だ、迷惑でも面倒でもない。本当に心配してるの。また元気になってほしいの。」
「……俺には、そんなに大切にされる価値なんかない……。」
「今は、何も考えるな。価値がないなんて考えるな。本当に価値がなかったら、俺はお前を呼び止めたりなんかしなかった。」
「俺、なん、か………」
 サスケはそのまま眠っていったらしい。すうすうと規則的な呼吸が聞こえ始める。
 カカシはまた影分身を作って、薬の仕分けを始めた。
 サスケに見つからない、見つかっても手に届かない場所に隠しておかなければ、また薬を一気に飲みかねない。
 翌日の分だけテーブルに残すと、残りは処方された時の紙袋に入れて、鍵付きの引き出しに入れる。
 薬は、取り敢えず大丈夫だ。
 あとはサスケが……一日でも早く元気になって戻ってきてくれるのを、待つだけだ。
 待つだけ、とはいえ……いつまで、待てば良いんだろう。
「死にたい」と、最初に聞いたあの言葉が頭から離れなかった。

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