折れたこころ

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全年齢,長編,原作軸,完結済み,カカサス小説シリアス,平和IF

サプライズ

 目覚まし時計のアラームで目が覚めたサスケの顔はぼうっとしていた。まだ眠いのか、それとも調子が良くないのか。
「おはよ。気分はどう?」
 カカシが腕を伸ばして目覚まし時計のアラームを切っていると、サスケはぼうっとした顔のまま口を開く。
「動くのが……億劫だ……。気分は……わからない。」
 ……どうやら良くはなさそうだった。またサスケをぎゅっと抱きしめる。
「今日は、ベッドでゆっくり過ごそう。そういう日だ。」
 カカシの腕の中で、サスケはまた目を閉じた。呼吸は落ち着いている。精神的には悪いわけではなさそうだ。ただ倦怠感が強いだけだろう。朝食は次に目が開いたときにとればいい。
 キッチンにいた影分身がアラームの音を聞いて寝室を覗きに来た。
 カカシはゆっくり首を振って、サスケの調子が良くないことを伝えると、影分身は静かにキッチンに戻っていく。
 
 サスケが調子を崩す度に、いつまでこれが続くんだろうと思ってしまう。ずっと調子が良いまま少しずつ出来ることが増えていくわけではないと頭では理解していても、終わりが見えない回復までの道程に思わずため息が出そうになる。
 本音を言うと、早く元気になって欲しい。……でもこれは、サスケには言ってはいけない。言ってしまうと早く治さなければというプレッシャーになる。そうすると、調子を崩したときに余計に落ち込んでしまう。
 もしかしたら昨日、調子がいいからとサスケが自分のことを自分で色々したことで、今日の倦怠感に繋がっているのかもしれない。元気な日でも、動きすぎないようにした方が良いのだろうか。でもせっかくサスケがやる気になっているのを制するのも良くない気がする。
 終わりも見えないし、正解も見えない。本にもそこまで詳しいことは書かれていなかった。
 わかっているのはひとつだけ。今日は、休養に専念する日だということ。
 
 寝室の扉が静かに開いて、キッチンの影分身がお盆におにぎりと野菜ジュース、ストローのささったコップをサイドテーブルに置き、元あったコップを手に取ってまた静かに出ていった。
 その頃にはサスケはまた眠りに落ちていた。サスケがいつ起きても良いように、起きた時に気分が落ち込んでいても対応できるように、カカシは無言でサスケを抱きしめ続けた。
 次にサスケがしっかりと覚醒したのは、夕方だった。
 もぞ、と身じろいだのを見て安心する。動けないほどの倦怠感は落ち着いたようだ。
「……サスケ、おはよう。気分、どう?」
「今……何時だ……? 気分は……悪くは、ないと思う。」
「今はね、夕方の五時。今日はずっと眠ってたよ。」
 カカシは抱きしめていた腕を緩めて、サスケの顔を見る。目はしっかり開いているし、何よりちゃんと目が合う。大丈夫そうだ。
「俺一日中寝てたのか? ……薬、朝の薬は?」
「今すぐ朝の分を飲もう。で、四時間空けて夜の薬。それで大丈夫だよ。ちゃんとお医者さんに確認してある。」
 カカシがにこ、と笑いかけると、サスケは少し安心した様子だった。が、すぐに目を伏せる。
「……まだ、こういう日もあるんだと分かってるのに……、やっぱり少し、落ち込む。まだ駄目なんだって。」
「ノート、書ける? 今の認知の歪みは?」
「……マイナス思考。書いてみる。」
 サスケにノートと鉛筆を渡すと、サスケはうつぶせになってゆっくりとノートに文字を書いていく。
『いつになったら治るんだろう。本当に治るんだろうか。ずっと続くんじゃないだろうかと不安に思う。むなしい気持ちがどんどん大きくなる。落ち込む。もう嫌だ。つらい』
 最後の三文字を、サスケは二十秒以上かけて書いた。サスケのこころの叫びが伝わってくるようだった。
 カカシはサスケの頭を撫でる。その三文字を書いている様子を見るだけで、カカシもまた苦しくなった。
『マイナス思考。そういう日もある。たまたま今日がそうだっただけだ。死にたい時と比べたらずいぶんマシだ。それに調子が落ちても、また必ず上がる。つらい気持ちはずっとは続かない。』
 じっくり時間をかけて書いたノートを、サスケはカカシに見せる。カカシもうつぶせになってサスケの肩を手で抱きながらそれを読んだ。
「つらいよな、サスケ。いずれ良くなるとは思っても、今はつらいよな。」
 サスケの口がぎゅっと結ばれる。
「どんどん、膨らんでいく。マイナス思考が。気分、悪くないって言ったけど……しんどくなってきた……。」
「しんどくなるのも当たり前だ、落ち込むのも。とりあえず朝の薬を飲もう。な。」
 目覚まし時計の隣に置いてあった朝の薬をサスケに渡して、ストローのささったコップを手に取る。サスケが薬を手のひらに出して口に入れたのを確認すると、コップを口元に寄せた。ごく、ごく、と飲み込むのを見守ってから、またコップを時計の隣に置く。サスケはうつぶせのまま枕を抱きしめて、その枕に頭を突っ伏した。
「カカシ、俺、治るんだよな? 良くなって、きてるんだよな?」
 そう言うサスケの声は小さく震えている。調子が悪い方にどんどん傾いている。
「良くなってきてるよ。ちゃんと治る。大丈夫だ。今のままつらい状態がずっと続くわけじゃない。大丈夫だよ、サスケ。」
 カカシはそう言いながら、あと何回こんなやりとりを繰り返せば良いんだろうと思ってしまう。
 ……俺がそんなんで、どうするんだ。しっかりしろ。弱気になるな。サスケは必ず治る。……いや、治す。俺が支える。俺が。
「つらかったら、我慢するな。自分だけで何とかしようと思うな。俺を頼れ。……約束したろ、一緒に治すって。」
 カカシがサスケに寄り添うと、サスケはゆっくりと枕から顔を上げてカカシの胸にうずめる。
「……不安が頭から離れない。つらい、つらい。……苦しい。」
 カカシはそのままサスケを抱きしめて仰向けになり、背中をとん、とん、とゆっくり撫でた。こわばっていたサスケの身体から少しずつ力が抜けていき、サスケもカカシを抱きしめる。
「カカシ……」
 サスケはそれ以上、何も言わなかった。
 ただそのままカカシに身体を預けて、呼吸はゆっくりと落ち着いていった。
 そうして四時間経ったころには、不安も、つらさも、苦しさもだいぶ良くなったようだった。
 
「カカシ、もう大丈夫だからっ」
「だーめ。今日は無理しちゃダメな日。大人しく甘えてなさい。」
「おにぎりくらいひとりで食べれる」
「丸一日寝てて、こころの調子も悪くなってたんだから、今日は動いちゃダメ。ほら口開けて。」
「自分で持てるって」
「はい、あーん」
「……」
 口元に寄せられたおにぎりに、仕方なく口を開く。少しだけかじると、口の中におかかの味が広がる。……味、ちゃんと感じる。やっぱりもう大丈夫だ。
 カカシが持つおにぎりに手を伸ばすが、すっと避けられる。
「自分で食べる方がおいしいからこっちによこせ。自分で食べる。」
 カカシが訝しげな眼でサスケを見る。
「本当に大丈夫だって。」
「ほんとう~に?」
「本当に。」
「……おにぎりだけだよ? 他は駄目だからね?」
「わかったよ、おにぎりだけだ。」
「落とさないようにね?」
 カカシがサスケの手に食べかけのおにぎりを載せる。
「だから大丈夫だって。」
 サスケは一口サイズのおにぎりを丸ごと口に放り込んで見せた。それを見て、カカシはクスっと笑う。よく噛んで飲み込んでから、まだ笑っているカカシにサスケが言う。
「……何笑ってんだよ。」
「いや、元気になって良かったと思って。今日ずっと身動きひとつしなかったんだもん。」
「仕方ねえだろ、そういう病気なんだから。……心配かけたのは、悪かった。」
「心配はしたけど謝ることじゃないよ、そういう病気なんだから。もうひとつ、食べる?」
「食べる。」
 カカシは手に取ったおにぎりをサスケの手の上にぽんと載せる。サスケはおにぎりを包むラップをはがして、また丸ごと口に放り込んだ。
 
 全部で四つのおにぎりを食べて、薬を飲んでからカカシに抱えられてトイレに行き、ベッドに戻って清拭とドライシャンプーを終えると、カカシはベッドに仰向けになってサスケを腹の上にうつぶせに乗せて布団を被った。
 サスケはカカシの胸に腕を突っ張る。
「カカシもう大丈夫だ、ベッドで寝られる。」
「いや、今日よく分かった。サスケはまだまだ不安定だ。しばらく夜寝るときはこうする。」
「大丈夫じゃない時はちゃんとカカシに言うから。」
「今日急に悪くなったでしょ。寝てるときもいつそうなるかわからないじゃない。」
「ちゃんとカカシを頼るって。」
「こうしてると俺が安心するの。お願い。」
「……その言い方は、ずるいだろ……。」
「ずるくない。俺を安心させてよ。ね?」
「……わかったよ。」
 突っ張っていた腕の力を緩めて、カカシの胸に頭を預ける。
「ん、ありがとうね。」
 カカシはサスケをぎゅっと抱きしめた。
 
 翌朝、カカシの腕の中で目が覚めたサスケは頭の中に変なことが浮かんでいないか確かめた後、手をグー、パー、と動かし、今日は大丈夫そうだと確認する。
「おはよう、サスケ。調子はどう?」
 頭の上から降ってくるカカシの声。
「おはよう。大丈夫だ。……トイレ、行きたい。」
 もぞ、と動いてカカシの上から降りると、ベッドから足を下ろす。
「……だいぶ、いい感じ?」
 カカシもサスケの隣に座った。
「今日は身体が軽く感じる。昨日はすごく重かったのに。」
「んじゃ、歩いて行ってみようか。」
 立ち上がって差し出されたカカシの手を掴み、サスケは足に力を入れて立ち上がった。
 ふらつきもあまりない。歩ける。……歩ける。
「カカシ、朝日……」
「うん、トイレ行けたら一緒に行こう。」
 にこ、と笑いながらカカシは寝室の扉を開けた。
 
 普通の生活、とまではまだ言えないものの、朝日を見た後ダイニングテーブルで食事をとって、久しぶりにパジャマから普段着に着替えた。カカシも忍服に着替えて影分身を二人作って外に向かわせる。ナルトとサクラのところだろう。
 少しでも疲れてきたら無理はしない、と約束して、今日は起きていられるときはなるべく椅子に座ったり少し歩いたりして身体を起こして過ごすことになった。身体のリハビリだ。
 軽く柔軟をしてみると、身体が思っていた以上に固くなっていることに驚く。それもそうだ、三週間ほとんどベッドの上で過ごしていたんだから。
 元の調子を取り戻すまで、だいぶ時間がかかりそうだなと考えながらテーブルでノートを読み返していると、玄関のチャイムが鳴る。
 お医者さんの往診って今日だっけ?
 玄関前の影分身が扉を開けると、そこにはナルトとサクラの姿があった。
「サスケェ!」
「サスケ君っ!」
「え? お前ら……」
 ノートを閉じて玄関に向かうと、サクラが背中に隠し持っていた花束をサスケにポンと渡す。
「イノのところでお花選んできたの! サスケ君、体調どう?」
「なんだよ、元気そうじゃねーか心配させやがって! んで? いつ復帰するんだってばよ!」
 突然のことに驚きながら、サスケは茫然と花束を見る。
 ……綺麗、だな。……綺麗? 花を見て綺麗だと感じたのはいつぶりだろう。
「……なんだよは、こっちのセリフだ、ウスラトンカチ。突然すぎるだろ。」
「俺の判断だよ、今日なら大丈夫かなと思って呼んだの。」
 背後から声がかかる。振り向くと、ニコッと笑っているカカシがいる。
「それならそうと言えよ。」
「サプライズってやつ。ほら、嬉しそうな顔してるじゃない。」
「……え?」
 言われて初めて、頬が緩んでいることに気がつく。
「よかったぁ、サスケ君が喜んでくれて!」
「やっぱさ! 久しぶりに顔見るとお互い嬉しいもんだな!」
 満面の笑顔を咲かせている二人の顔に嬉しさがこみあげてきて、サスケもこころから笑った。
「……ありがとな、ナルト、サクラ。」
 そのサスケの顔を見て、今度は二人が茫然とする。
「サスケお前、そんな風に笑えるんだな……」
「サスケ君のそんな顔、はじめて……」
 え? そんな変な顔したか? と思ったところに、カカシの大きい手がサスケの頭をくしゃっと撫でる。
「サスケも嬉しいときはちゃんと笑うのよ。な?」
「……ああ、二人の元気そうな顔見れて、嬉しかった。ただ復帰は……すまないがまだもう少しかかりそうだ。」
「ええっ! そうなの? カカシ先生!」
「何だよまだかかんのかー!」
「ま、今はリハビリ中、ってとこだ。さ、今日は顔見るだけって言ったろ。そろそろ帰んなさい。」
 言いながら、カカシが二人を玄関の外に押していく。
「サスケ君、リハビリ頑張ってね! 待ってるから!」
「俺ってばサスケが休んでる間に強くなってっから楽しみにしとけよ! またな!」
 大きく手を振る二人にサスケも左手を上げた。
 パタン、とカカシが扉を閉めて鍵をかける。
「……元気、貰えたでしょ?」
「そうだな、早く……戻りたい。」
 サスケは受け取った花束を見つめる。
「ガーベラ、だね。花瓶に移そう」
 カカシはテーブルの隣の戸棚の中をあさり始めた。
 
 ……嬉しい。
 二人に会えたことが、こんなに嬉しいなんて。
 カカシが戸棚から花瓶を見つけ出すまで、サスケは玄関前に立ったまま、ガーベラの花束を見つめていた。

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