折れたこころ

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全年齢,長編,原作軸,完結済み,カカサス小説シリアス,平和IF

リハビリ

「というわけで、サスケ。今日から回復に向けてリハビリをしていこう。」
 医師の先生の話をサスケに話し、まずは概日リズムを取り戻していこうと語りかける。ベッドに座っているサスケも頷き、前向きに捉えているようだ。
「併せて、認知の歪みのトレーニングも始めようか。自動思考の話は最初にしたね?」
「何でも死ぬことに結びつけてしまうっていう……。」
「そう、それ。認知の歪み、つまり自動思考には実は色々種類がある。何でも死ぬことに結びつけてしまうのは『結論の飛躍』という自動思考だ。」
「結論の飛躍……。」
「名前の通りだ、何となくわかるだろ。」
 確かに、何でもかんでも死ぬしかないと考えてしまうのは『結論の飛躍』だ。それをしないためにはどうしたらいいんだ? 頭の中に響いてくる声にどう対処したらいい?
「理屈は分かるが、具体的にはどうしたらいいんだ?」
「結論の飛躍には二つのタイプがある。『こころの読みすぎ』と『先読みの誤り』だ。サスケの場合は後者。」
「先読みの誤り?」
「そう。だから死にたい、死ななきゃ、死ぬしかない、そう思ったときにはこう考えてみろ。『その結論が必ずしも正しいと言えない事実はあるか?』」
「……なんか、言い回しが難しいな。」
「死にたいときの場合はこうだ。死にたいというのが必ずしも正しいと言えない、つまり生きたいと思える事実はあるか?」
「カカシが……生きていて欲しいって言ったから。俺はいつもそれを支えにしてる。」
「うん、それでいい。きちんと対処できてる。他には生きたいと思える事は何かないか?」
 サスケは少し考える。
「……ナルトとサクラが、病気に負けるな、待ってるって……手紙に書いてくれてたこと。」
「良いじゃない。次に死ぬべきだって声が聞こえてきたら、ナルトの手紙を思い出してみろ。『負けんな』って。実際に手紙を見ても良い。きっと力をもらえる。」
「なるほど……。」
「で、だ。サスケにノートと鉛筆を渡しておく。」
 カカシから渡されたノートと鉛筆をまじまじと見つめる。ノートを開くと上から下まで二本の線が引いてあり、三つに区切られていて、左には「自動思考」、中央には「認知の歪み」、右には「合理的思考」と書かれている。
「これはダブルカラムノートというものだ。認知の歪みを正すのに使う。」
「ええっと、認知の歪みと自動思考は同じで、自動思考の中に結論の飛躍があって、結論の飛躍の中に先読みの誤りがある。合ってるか?」
「大丈夫、合ってるよ。認知の歪みにも色々種類がある。まずはその勉強をしよう。」
 勉強、と聞いてサスケの背筋が伸びる。ノートを広げて鉛筆を握った。
「まず認知の歪みについて。『白黒思考』『過度な一般化』『マイナス思考』『結論の飛躍』『こころのフィルター』『感情的決めつけ』『レッテル貼り』『自己関連付け』『べき思考』『誇大視と過小評価』、この十種類。」
「待ってくれ、一気に言われても覚えれられない。」
「大丈夫だ、ひとつずつ説明していく。まずは白黒思考。これは0か100か、白か黒か、何事も二種類しかないと思ってしまう。けど実際には白と黒の間にはグレーがあるだろ。例えばおにぎり。一個まるごとは食べれない。なら食べない。じゃなくて、半分だけ食べるっていう選択肢もある。白か黒か、じゃなくてその中間に何かないか探すんだ。これが白黒思考への対処法。で、このノートをどう使うかと言うと、まずは左の自動思考に『おにぎり一つは食べれないから食べない』と書く。中央の認知の歪みに『白黒思考』と書く。右の合理的思考に『半分だけ食べる』と書く。書いてみて。」
 サスケはまっさらなノートにカカシに言われた通りに書いていく。なるほど、書いてみると思考のトレーニングになるのがよくわかる。今の考えが認知の歪みではないのか検討して、認知の歪みに当てはまる場合に正しくはどう考えるのが合理的なのかを考える訓練だ。
「書けたね? 次は過度な一般化。何かひとつでもうまくいかないと全てが駄目だと思ってしまう。心当たりは?」
「……昨日できたことができないと、この病気はもう治らないんだって思ってしまう……。」
「うん、書いてみよう。」
 サスケは今言ったとおりに左の欄に書いていき、中央に「過度な一般化」、右には「病気は良くなったり悪くなったりしながら治っていく。昨日できたことができなくなることもある。」と書いた。
 それを見て、カカシが頷く。
「書けてるじゃない、いい感じ。じゃあ、次ね。マイナス思考。これはそのまんま。うまくいっても『ただのまぐれだ』と思ってしまったり、悪いことが起きると『やっぱり自分はダメだ』と思ってしまう。何か思い浮かぶことはある?」
「いつもカカシが正してくれるから……自分ではあまり考えたことはないな。」
「じゃあ、これからは自分で考えてみよう。逆に考えるんだ。悪いことが起きたら『たまたまだ』と思って、良いことが起きたら『やっぱり回復してる、自分は大丈夫だ』と思う。いいね?」
「わかった。」
 サスケはノートにメモしていく。良いことがあったとき、悪いことがあったとき。
 
 休憩をはさみながら、一日かけてノートの一ページ目が埋まった。典型的な例、十種類の認知の歪み、合理的な考え方。このノートを見るだけで、これから調子が悪くなってもやっていけるような気がした。……いや、今調子がいいからそう思うだけかもしれない。死にたい気持ちに襲われている時に、合理的な考え方を書けたとしても、それだけで死にたい気持ちが治まるかというと、自信がなかった。
 と、そこで二人からの手紙のことを思い出す。目覚まし時計の隣に置いてあるそれを、ノートの最初のページに挟んだ。大丈夫だ、カカシもいるし、二人からの言葉もある。俺は病気に負けない。負けそうになっても、絶対に最後には生き残る。そしてまた元の生活に戻るんだ。そうしたら、カカシは俺を強くしてくれると約束した。だから今は弱くても良いんだ。
 ベッドに横になりながら、何回も何回もノートを読み返して暗記した。暗記したことを暗唱して脳に刻み込んだ。少しでも「これは認知の歪みではないか」と思ったらどんな些細なことでもすぐにノートを開いて書いていった。
 ごちゃごちゃしていた頭がすっきりしていく。わけのわからなかった感情が整理されていく。頭の中にひとり冷静な自分が増えたような感覚だった。このノートのおかげで、少し調子が悪い程度であれば自分で対処できるようになっていった。それでも難しいときは、今までのようにカカシが手を握って抱きしめてくれた。
 
 そうして過ごした三日目の朝、目覚まし時計の音で目が覚めると、カカシはサスケに「少し歩こうか」とベッドサイドに誘った。カカシがついていればトイレには行けるようになっていたし、少しなら大丈夫だろう。ベッドサイドのカカシの手を取ると、カカシが立ち上がってサスケも一緒に立ち上がる。寝室を出て向かったのは玄関の扉だった。鍵を開けて扉を開くと、もう朝日が昇っていて眩い光を放っている。
「概日リズムを取り戻すにはね、朝日を浴びるのも効果的なんだよ。」
 一緒に玄関の外を見ながらカカシが言う。
「詳しい説明は省くけど、朝日を浴びることで身体の中の時計がリセットされて覚醒し、夜また眠くなるリズムが生まれる。だから歩けそうな日は毎日こうして朝日を見に来よう。」
 にこ、と笑いかけるカカシに、サスケは頷く。
「どう、ついでにテーブルで朝ごはん、食べてみる?」
 カカシがすぐそこのダイニングテーブルを指さすと、サスケは「そうしてみる」とテーブルに向かった。
 キッチンにはすでに影分身のカカシがいて、フライパンでウィンナーを炒めている。
「トーストもあるけど、おにぎりの方が良い?」
「いや、バタートースト、食べたい。」
「りょーかい。そういうわけで、よろしく!」
 カカシが影分身に手を上げる。
 影分身は親指をグッと出して食パンをトースターに入れた。
「体調はどう?」
「だるさはだいぶ良くなってると思う。」
「じゃあ、今日はシャワーに挑戦してみる?」
「夜までこの調子だったら、やってみる。」
「うん、順調だね。よく頑張ってるよ、サスケ。」
 ダブルカラムノートはカカシが思っていた以上にサスケに効果があった。勉強だと言って教えたのが良かったのかもしれない。何と言ってもアカデミーを首席で卒業しているくらいだ。勉強は得意な方なんだろうし、カカシが何か教えるときも飲み込みは早い。その持ち前の頭の良さで、ダブルカラムノートを効果的に活用して多少のことには対応できるようになっていた。
 効果が現れるまで二週間かかる、という抗うつ薬も、ここにきて効果を発揮しているようだ。倦怠感や易疲労感は日増しに改善していっているように見える。その分自殺リスクが気にかかったが、二十四時間の見守りの甲斐があって、酷く調子を崩して泣きながら死にたいと訴えて来た時にはしっかりケアすることができていた。調子を崩したときのサスケは完全に俺に依存している。ずっとその状態が続くのは良くないが、今はこれでいい。
 チン、と音がして、影分身がトースターを開ける。パンの焼けるおいしそうな匂いが広がった。その上にバターを塗り広げると皿の上に乗せる。
 卵焼き、ウィンナー、コーンスープ、そしてトースト、次々にテーブルの上に並べられて、カカシとサスケは手を合わせた。
「いただきます」
 コーンスープの器を手に取って一口含み、飲み下す。
「……あったかい」
「ベッドだとスープ系は難しかったもんね」
「久しぶりの食事って感じがする。」
 サスケはウィンナーにフォークを刺す。
「うん、少しずつ普通の生活が出来るようにしていこうね。でも……」
「わかってる。無理はしない。」
 サスケの口元でウィンナーがパリッとはじける。
「……うまい。ウィンナーってこんなにうまかったっけ。」
「味を感じられるのは良いことだよね。良いことがあったら?」
「……喜ぶ。」
「ハイ、スマーイル」
「……言われて笑えるもんでもないだろ……」
 そう言いながら、ウィンナーを頬張る口元が緩んでいる。思わずカカシの頬も緩んだ。
「……何笑ってんだよ。」
「嬉しいから。」
「何が?」
「サスケがこんなに元気になれたから。」
「そんなの、今日たまたま……じゃなかった。……カカシのおかげで、順調に回復してるからだ。」
「うんうん、その調子。」
 カカシがにこっと笑うと、つられてサスケも嬉しくなってくる。
 今日たまたま、なのかもしれない。明日もこうなのかもしれない。でも着実に良い方向に進んでいる。それはカカシも、サスケも実感していた。元の生活に戻れるまで、そんなにかからないんじゃないか。この調子でいけば、カカシの見守りの中でなら普通に過ごせるようになるんじゃないか。
 でもそんな期待ばかりしてはいけないことも重々承知していた。
 良くなったり、悪くなったりを繰り返しながら少しずつ回復していく。今は良くても、また悪くなる。どのくらい落ちるのかもわからない。自分だけでは対処できないかもしれない。……でも、カカシがいてくれたら、きっと何とかなる。何とかしてくれる。今までだってそうだったんだ。どん底にいたときもずっと抱きしめていてくれた。手を握っていてくれた。それでもだめなら、あの薬もある。
 卵焼きにフォークを刺しているときに、カカシがいる側のテーブルの脇に、薬袋が置いてあるのに気がついた。サスケはさして気にも留めず卵焼きを口に入れる。……やさしい、懐かしい味。
 食べている間に、影分身がポケットから鍵を取り出して引き出しの中から一日分の薬を取り出す。その鍵を別の引き出しにしまうと、テーブルの上に一包化された朝食後の薬を差し出した。毎日飲む薬はあの引き出しの中……ということは、テーブルのこれは、あの薬?
 
 カカシは油断していた。
 ダイニングテーブルに頓服薬を置いたままにしていたこと。
 そのままサスケをテーブルで食事につかせたこと。
 サスケがその存在に気付いていたこと。
 それに気がつかなかったこと。
 その後薬をしまっておかなかったこと。
 サスケの状態はまだ不安定であること。
 
 二日後、サスケは病院で胃洗浄の処置を受けた後、人工呼吸器と心電図が繋がれた状態で、死んだように横たわっていた。
 項垂れるカカシの肩に、医師が手を乗せる。
「カカシ先生も、少し休んでください。サスケ君はしばらく起きませんから。」
「でも……俺の、せいで……」
「誰のせいでもありません。……それを言うなら、一シート処方した私にも責任がある。どうか自分を責めないで。」
 
 サスケはその日、取り乱してカカシの静止を振り切り、テーブルの上の薬を全て飲み込んで、そのまま意識を失った。

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