折れたこころ

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全年齢,長編,原作軸,完結済み,カカサス小説シリアス,平和IF

病気だから

 サスケが身じろぐ気配がして、カカシは目を覚ます。
 サスケは上半身を起こすとカカシの様子を伺い、反対側のベッドサイドに足を下ろした。
 そのまましばらく座ったまま……かと思ったら、左腕を振り上げる。勢いよく振り下ろされる拳を、カカシがキャッチした。
「なーにやってんの……」
 サスケの顔を伺うと、今にも泣きそうな顔で苦しそうに歪んでいる。
 カカシはベッドから降りてサスケの前に回ると、その頭を抱きしめた。
「罰なんて必要ないよ。サスケは何も悪くない。……痛みなんて、必要ない。」
「俺なんか、俺なんかが、のうのうと生きてて、良いわけがないっ……!」
「なんで、そう思うの……」
「弱いからだ、強く、ならなきゃいけないのにっ……、俺は、強くなれない……っ」
「サスケは強いよ、そこらの下忍とはレベルが違う。お前はちゃんと強くなってる。お前の先生である俺が言うんだから、間違いない。サスケは、強い。」
「違う……違う、俺は、弱い……」
 抱きしめる腕を解いて目の前にしゃがみ、サスケと目線を合わせる。その目から涙がポロポロと溢れていた。
「そう、思っちゃうのは脳が疲れてるからだよ。だから勘違いしてしまう、過小評価してしまう、全てのことがマイナスに感じてしまう。」
「勘違い……」
「そう、勘違い。」
「勘違いじゃ、ない……」
「いいや、それはただの思い込みだ。勘違いだ。俺の言うことが信じられない? サスケはちゃんと強いよ。だから罰なんて必要ない。殴らなくていい。痛みなんて感じなくていい。」
 サスケが顔を上げてカカシの顔を見る。久しぶりに目が合った気がする。
「どう、したら、いい? この苦しさは、殴る以外にどう発散したらいい? 頭の中で、ずっと響いてるんだ。お前は生きてる価値がないって、弱いくせに何でまだ生きてるんだって、身の程知らずは死ぬべきだって、」
「医者の先生が言ってたろ、抑うつ状態だって。抑うつ状態になると、頭がそうなっちゃうんだよ。いいか、サスケ。お前は病気だ。脳の病気だ。病気だからそう思えてくる。自分で自分を苦しめるようなことをしてしまう。でも大丈夫、薬をちゃんと飲んで、ちゃんと食べて、しっかり眠れば病気は治る。今の苦しみは消える。」
「薬……」
「だからって、薬を一気に飲んじゃだめだ。どんな薬でも飲みすぎれば毒になる。ちゃんと決められた量を、毎日飲むこと。」
「それで、俺のこの苦しさが、なくなるのか? 終わるのか?」
「うん、なくなるよ。大丈夫。だから朝ごはんを一緒に食べて、それから朝の分の薬を飲もう?」
 サスケは袖で目を拭って、カカシの目を見つめる。
「いつか、なくなるんだとしても……今つらいのは、どうしたらいいんだ。殴る以外に、どうしたら、いいんだ。この気持ちは、どうしたらいいんだ。……苦しい。死にたい。俺なんか、死んだ方が、」
「……ストップ。……苦しい気持ちを俺に教えてくれて、ありがとうね。そうだよね、今、苦しいんだよね。」
 カカシはサスケを抱きしめる。
「お前は、俺にとって大切な存在だ。サスケが死んだら俺は悲しい。だから死んで欲しくない。俺のために、生きていてくれないか、サスケ。サスケがここにいてくれるだけで、俺は嬉しいんだ。何もしなくていい、サスケがいてくれるだけでいい。それだけでお前は、俺を安心させてくれるんだ。……わかるか? 俺にとっては、お前がここにいてくれるだけで、それだけで価値があるんだ。」
 ……ハグには、安心させる効果がある。リラックスする効果がある。ストレスを軽減させる効果がある。痛みを和らげる効果がある。
 少しでも、サスケの苦しみを分かち合いたい。ここにいてもいいんだと感じて欲しい。
 ぎゅっと抱きしめる腕に力を込める。
 全部が伝わらなくてもいい。サスケが少しでも生きようと思ってくれるならそれでいい。依存状態になってもいい。それで苦しさが少しでも和らぐのなら。
「俺は……、弱くても、……いいのか。カカシはこんな俺でも、カカシのそばにいるだけで、本当に……っ、いいのか……?」
「うん、いい。どんなサスケでもいい。弱いとか強いとか関係ない。サスケがいてくれるだけでいい。俺にとっては、それだけが重要なんだ。大事なんだ。」
 肩を震わせて声を殺しながらサスケは泣いていた。
 そんなサスケを抱きしめながら、背中をポン、ポン、と撫でる。
 あの日から抱え続けてきたサスケの孤独が、重圧が、溢れ出ているかのようだった。
 誰にも打ち明けられなかった胸の内が、きっと今一気にサスケに覆い被さっているんだろう。六年間積み重ねてきたそれが。
 何がきっかけでそれが起こったのかはわからない。
 もしかしたら、それがいつ溢れ出るかわからない危うい線の上をずっと歩いてきたのかもしれない。
 いずれにしても、今じゃなくても、遅かれ早かれサスケはこうなるリスクを孕み続けていたんだろう。
 数十分そのまま抱きしめ続けていたが、サスケが落ち着いてきたのか腕の中で身じろいだためカカシは腕を緩めてサスケから身体を離す。
 サスケは目線を揺らした後、カカシの胸の辺りに落ち着かせた。
「……朝ごはん、食べようか?」
 話しかけると、こくりと頷く。
 手を握って立ち上がると、サスケも一緒に立ち上がった。
 そのまま手を引いて寝室を出て、ダイニングテーブルに連れて行き昨日と同じ椅子に座るよう誘導する。
「朝ごはん……って言っても今トーストくらいしか作れないけど、いい?」
 サスケが頷いたのを確認して食パンを取り出すと、オーブントースターに入れて二分半にセットした。
「甘いのはだめだったね。マーガリンでいい?」
 またサスケが頷く。
 冷蔵庫からマーガリンを出して、食器棚から皿を二枚トースターの横に並べた。パンを焼いている内に影分身を二人作ってナルトとサクラの家に向かわせる。
 サスケは玄関から出ていく影分身のカカシを見送っていた。
「朝ごはん食べて、朝の薬飲んで、顔洗って歯磨いたら、もう一度ベッドに横になりな。飽きるほど寝て、寝るのに飽きてきたら少しずつリハビリしよう。」
「……リハビリ?」
「そう、リハビリ。元気になるためのね。」
 オーブントースターがチン、と音を立て、カカシはその中の食パンにマーガリンを塗ってから皿に載せる。冷蔵庫から牛乳を出してコップに入れ、マグカップにインスタントコーヒーの粉をスプーン一杯入れて電気ポットからお湯を注いだ。
 サスケの前に牛乳の入ったコップとトーストを並べて、向かい側にコーヒーと自分のトーストを置いて腰を落ち着かせる。
「いただきます」
 サスケは何も言わなかったが、牛乳に手を伸ばして一口飲んだ後、トーストを手に取り食べ始めた。
 
(食べる、薬飲む、顔洗う、歯磨く、寝る)
 トーストを口に運びながら、頭の中で唱える。
 そうしていても、どこからか自分の声が響いてくる。
 良いご身分だな?
 生きる価値のないクソ雑魚のくせに
 情けをかけてもらえて嬉しいか?
 さっさと死ねよ
 お前には復讐も復興も出来やしねえよ
(俺が死んだらカカシが悲しむ。俺なんかのために悲しんでくれる人がいる。悲しませたくない。俺は病気。病気だから薬を飲んで休む。病気だからカカシの言う通りにしていれば治る。だから食べる、薬飲む、顔洗う、歯磨く、寝る。するべきなのはこれだけ。他のことは何も考えない。考えない。考えない。食べる、薬飲む、顔洗う、歯磨く、寝る。)
 味がしないトーストを口に押し込んで、牛乳で流し込む。
 空になったコップをテーブルに置くと、カカシの胸に固定していた視線を少し上げる。
 カカシはもう食べ終わっていて、サスケをじっと見ていた。サスケのその視線の動きに気がついて、優しく笑いながら「薬飲むか?」と尋ねてくる。
「飲む。」
「わかった。」
 カカシは皿とコップを引き揚げるとシンクに置いて別のコップに水を入れてサスケの元に戻ってきた。
 テーブルの隅にある薬を二錠手に取って、コップと一緒にサスケに差し出す。
 サスケはそれを受け取ると、手のひらの薬を目で確かめてから口に入れてコップの水を飲んだ。
「薬が飲めたら、顔洗いに行こう。ゆっくりでいいから。」
 カカシの声は優しい。その優しい声に甘えてもいいんだろうか。本当にカカシにとって俺は価値のある人間なんだろうか。立場上死なれたら困るから言っているだけなんじゃないのか。俺はやっぱり死ぬべきじゃないのか。
「また、変なこと考えてるでしょ。」
 カカシがしゃがんでサスケの目線に合わせる。
 サスケはカカシの胸に視線を落とす。
「自動思考って言ってね、何でもかんでも極端にマイナスに考えてしまう事がある。これもサスケの病気の症状のひとつ。例えば……何でも死ぬことに考えを結びつかせたりする。……心当たり、あるんじゃない?」
 サスケの思考を読んだかのように言われて、動揺した。なんでわかったんだ? ……俺が病気だから?
 自動思考、病気の症状。
「薬、飲んだら、これもなくなるのか……?」
「大丈夫、なくなるよ。」
 カカシがサスケに手を差し出す。
 その大きな手に自分のそれを重ねると、カカシは両手で包み込んでぎゅっと握った。
「大丈夫だよ、深呼吸して落ち着いてから洗面所に行こう。」
 気がついたら、心臓がバクバクしている自分がいる。呼吸も浅い。いつの間に? いつから?
 カカシに言われた通り深呼吸しようとするが、喉に何かがつっかえているような感じがして、深く吸えない。
「焦らなくていいよ、ゆっくりでいい。」
 カカシがサスケを抱き寄せて、背中にその大きな手を当てる。
 すると何故か喉のつっかえた感じが小さくなって、すうっと呼吸が出来るようになった。
 カカシの胸に頭を預けながら、目を閉じて深呼吸をする。
 ……波立っていたこころが落ち着いていく。背中に置かれた手の温かさに、安心する。……大丈夫。何の根拠もないのに、そう感じる。
 サスケの呼吸が落ち着いてきたところで、カカシはサスケの頭を撫でた。
「……もう、大丈夫だ。洗面所行く。」
 カカシがサスケから離れると、サスケはカカシの口元まで視線を上げた。
 カカシが立ち上がり、また手を差し出す。
 その手を取って立ち上がると、一緒に洗面所まで歩いていく。
 大丈夫だ、カカシの言う通りにすれば、苦しいのはなくなる。大丈夫、大丈夫、大丈夫。
 こころの中で繰り返す。
 頭の中をカカシの言葉でいっぱいに満たせたらいいのに。自動思考が入り込む隙間がないくらいに。
 
 洗面所で顔を洗って歯磨きも終わらせると、サスケはまた寝室に連れられてきた。
「ずっと眠っていてもいいし、横になってるだけでもいい。飽きるまでそうして過ごしな。俺も近くにいるから。」
 ベッドに上がるよう促されて、サスケは横になり布団をかぶる。
 今までいつもひとりだったのに、今はひとりで寝るのがひどく心細く思えた。
 カカシに、一緒に、隣にいて欲しい。
 布団に潜りながら、カカシの口元を見つめる。
 
 不安気にカカシを見つめるその目は、まるで母親を求める幼子のようだった。
 カカシは影分身をもうひとり作るとそれをキッチンに向かわせて、サスケの手を握る。
 サスケは安心したように目を閉じて、そのまま眠りに入っていった。
 深い眠りについたのを確認すると、そっと手を離してその顔を見つめる。
『死にたい』
 サスケが口にした言葉が頭から離れない。
 父親を自殺で亡くしているカカシにとって、その言葉はずんと重く、考えるだけで胸が苦しくなる。
 復讐という糧がなければ、家族も一族も一晩で失ったサスケも、きっとこころを保てなかったんだろう。
 イタチは今のサスケの歳にはすでに暗部の部隊長にまでなっている。復讐にこころを燃やし続けたサスケがようやく下忍になり、ふと足を止めてそんな兄と比べたら、自信を失うのも無理はない。
 規則正しい呼吸で眠るサスケの顔はまだ幼さが残っている。こんな小さな子どもが一族の復讐という重圧をたったひとりで背負ってきたのだと思うといたたまれなかった。
 アカデミー時代も優秀で、成績も首席で卒業していた事、三人の中で一番仲間を大切にしている事、努力家で冷静な判断ができる事、そんなうわべのサスケしか見ていなかった自分に、そんなサスケなら特別なケアは必要ないだろうと思っていた自分に腹が立つ。
 サスケが自分の足を殴っていた気持ちが今なら少しだけわかる。目の前に影分身を立たせて思いっきりぶん殴ってやりたい。でもそれだと自分は殴る拳の痛みしか感じない。自分をぶん殴りたい俺がいて、自分自身がぶん殴られるべきと思う俺がいて、結果として行き着くのが自分で自分を殴ること……朝起きた時に、サスケがしようとしていたことだ。
 こんな俺に、あの拳を止める権利があったのだろうか。
 ……いや、俺は俺、サスケはサスケだ。
 俺まで変なことを考え始めてどうする。今はサスケのケアが最優先だ。
 
 サスケは昼食のためにカカシが起こすまで、そのまま眠り続けた。

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