折れたこころ

306 View

全年齢,長編,原作軸,完結済み,カカサス小説シリアス,平和IF

体温

 ピピピピッピピピピッとうるさい時計のアラームを止めると、サスケがその様子を見ているのに気がついた。
「おはよう、起きてたの?」
「寝たり……起きたりしてる。」
 夜、ぐっすりは眠れていないらしい。
 ぼんやりとした表情のまま答える。
「朝ごはんどうする?」
 サスケは指一本動かすのさえだるかった。起き上がるなんてもってのほかだ。
「横になってても……食べられるやつ。」
「起き上がるの、つらいか。」
 サスケの頭を撫でる。
「しんどい……もう、死にたい……。」
「……自動思考だよ、……覚えてる?」
「……自動……」
「何でもかんでも死ぬことに結びつけちゃうの。サスケの病気の症状のひとつ。」
「……でも今、つらいんだ、死にたいんだ……この気持ちは、どうしたらいい……? 我慢しなきゃ、いけないのか……?」
 ぼんやりとした表情のまま、サスケの目からポロッと涙がこぼれる。
「我慢しなくていい、つらい時は俺に教えて。死にたい気持ちも教えて。我慢してこらえ続けるとその気持ちがどんどん大きくなる。だからサスケの気持ちを俺に教えて。」
 ポロポロ、と涙がこぼれ落ちる。
「……ッカシ、つらい、つらい。動けない、寝てるだけでもだるい……つらい……。」
「うん……それはつらいよね。」
「頭の中で、死んだ方がいい、死ねばいいってずっと……ずっと声がこびりついてて……ああ、死ななきゃって……。でも動けなくて、死ぬこともできなくて、やっぱり俺はダメな奴なんだって……」
 カカシの手がサスケの背中に回る。トン、トン、とゆっくり撫でる。
「そんなにも死にたい気持ちが強いんだね……。動けないのも、しんどいよな。」
「こんなにつらい思いするくらいなら……感情のないマネキンになりたい……もういやだ……もう、たくさんだ……」
 涙がポロポロとあふれ出る。カカシはサスケに近づいてぎゅっと腕に力を込めた。
「つらいな、サスケ。もういやだって、なるよな。」
「つらい……つらい、助けて、くれ、カカシ……」
 カカシはサスケの肩を支えて、仰向けになり自分の上にサスケを乗せて抱きしめた。
 カカシの胸元がサスケの涙で濡れる。
 抱きしめれば――ある程度はこころを穏やかにする効果はある。でも今のサスケの気持ちが、それだけでどうにかなるとも思えなかった。
「……つらいな、サスケ……」
 カカシにできるのは、ひたすらサスケの想いを聞くことと、抱きしめることだけだ。今の状態のままだと、食事もままならないだろう。少しでもサスケのこころが軽くなるよう、ただただ抱きしめて、上から布団をかぶった。
 
 トクン、トクン、と規則正しく拍動するカカシの胸に顔を押し付ける。全身をカカシにまかせて、抱きしめられて、温かくて、ああ、俺はひとりじゃないんだと思えた。
 こころの中にぐるぐると渦巻く感情を、否定することもなく、我慢しろというでもなく、カカシはそのまま受け止めてくれている。
 大丈夫、大丈夫、カカシは受けとめてくれる。こんな情けない俺でも、弱い俺でも、病気の俺でも。だから、大丈夫。つらくても、しんどくても、カカシはこうしてそばにいてくれる。そんなこと思っちゃだめだよなんて言わずに、俺の気持ちを否定しないで聞いてくれる、受け止めてくれる。……それだけでも、こころが少し軽くなった。
 ……死にたい、気持ちは相変わらず渦巻いている。けれどそんな俺でもここにいていいんだと思える。カカシがいてくれるから。温かい腕で抱きしめてくれるから。想いを聴いてくれるから。
 いつの間にかその胸の上で眠っていた。どれくらいの時間そうしていたのかわからない。二~三分なのか、何時間もなのか。目が覚めた時、身体は相変わらず重くて、だるくて動けない。だからいつまでもこうしていたかった。いつの間にか涙も止まっていて、あんなにつらかった気持ちは少し楽になった。……ずっとこのままでいたい。
 サイドテーブルにはラップに包まれたサンドウィッチが三つ皿の上に置いてあって、きっとカカシが影分身して作ったんだろうな、とぼんやり考える。
 身体はピクリとも動いていないのにカカシはサスケが起きたのに気づいたらしい。
「気分、どう?」
 サスケの顔を伺いながら訊いてくる。
「さっきよりは……よくなった。……ありがとう。」
「うん、良かった。朝ごはん、食べられそう?」
「食べてみる……。」
 サスケを乗せたままカカシの上半身が動いて皿を取ると、ラップを剥がしてサンドウィッチをひとつ手に取る。
 ……手を、動かすのもだるい、けど。
 サスケはゆっくりとサンドウィッチを受け取って、口に運ぶ。……味がしない。ハムと、チーズが挟まっているのはわかる。けど、チーズってこんな味だったっけ……?
 食べる、薬飲む、寝る。
 こころの中でつぶやいて、無理矢理咀嚼して飲み込む。食べないと、薬も飲めない。
 でもひとつ食べるので精一杯だった。
「もう、いい……」
「食欲ない? いいよ、食べられるだけで。」
 カカシがサスケの髪をサラッと撫でる。リビングから影分身のカカシが来て、薬とストロー付きのコップを持ってきた。便利な技だな……影分身って。
 薬の袋を破って薬を出すと、本体のカカシにバトンタッチ。
「口、開けて」
 言われるまま口を開けると、薬が口の中に入ってきて、次いでコップに刺さったストローが口元にくる。カカシの指がストローをサスケの口に入れると、サスケはゆっくりと水を口に含んで、二回に分けて薬を飲み込んだ。
「トイレは大丈夫?」
 コップをサイドテーブルに置くと、カカシはまたサスケの背中に手を回す。
「大丈夫……もう少しこのまま……」
 カカシに身体を預けたまま、目を閉じる。
 頭の靄は相変わらず濃くて、自分が見えない。ただ死んだ方がいい、死んだ方がマシだ、役立たずは早く死ねばいい、そんな言葉ばかり頭に響いている。
 自動思考。
 病気の症状。
 食べて、薬飲んで、飽きるまで寝たらこの声はきっと消える。……それまでずっとカカシに甘え続けるのか? それでいいのか? 迷惑ばかりかけて申し訳ないと思わないのか? やっぱり俺は死んだ方がカカシの負担にならずに済むんじゃないのか?
 勝手に結論を出そうとする俺がいて、それを俯瞰して見ている俺がいて、もう死にたいと思う俺がいて、でも本当の俺は靄がかかった頭の中にいると思っている俺がいて、頭の中がごちゃごちゃしていてうんざりする。
 やっぱり俺は死ぬべきなんだ。そうだ、死のう。そう思っても、重くて動かせない身体。
「……死にたい、のに、死ねない……」
「そっか……死にたいと思うくらい、つらいか。」
 死にたいくらい、つらい?
 そうなのかもしれない。
 死にたいと思う気持ちばかりが膨らんでるけど、つらい……確かにつらいのかもしれない。何がそんなにつらいんだっけ……思い出せない。とにかく死にたい、そればっかりだ。
「……自分が、わかんねぇ……死にたいばっかりで、理由とか、……わかんねぇ。」
 カカシは黙ってサスケの頭を撫でた。
 サスケはまた目を瞑る。
 撫でる手が心地良い。またまどろんできた。
 カカシは身じろぐこともなく、サスケの頭を撫でながら、そのままサスケを乗せたままで抱きしめていてくれる。
 ……温かい。
 カカシの胸の鼓動を感じながら、サスケはまた眠りに落ちていった。
 
 理由もなく死にたい、か。……。
 カカシはサスケの残したサンドウィッチを食べながら、いつまでこの状態が続くのだろうとかと考える。
 薬は増えたものの状態は悪化するばかり。……いや、抗うつ剤は効き始めるまで時間がかかるものばかりだ。治るまで、早くて数週間。今はまだ三日目だ。焦っちゃいけない。俺がドンと構えてないと不安になるのはサスケだ。治るまで、責任を持ってケアしていかないと。
 サスケを身体に乗せたのはハグの効果に加えてカカシの体温でサスケのお腹を温めることで安心して眠れる効果を期待してのことだった。デメリットとして、カカシ自身の身動きが取れない点があるが、長時間トイレに行けない程度のことは任務で慣れている。あとの雑事は影分身にやらせればいい。
 サスケの夜の眠りの状況もあまり芳しくないようだった。昼にたっぷり寝たせいもあるかもしれないが、出来れば寝たり起きたりを繰り返すよりは長時間しっかり睡眠をとった方がいい……頓服の睡眠剤も使った方が良さそうだ。
 サスケが眠っているのを確認してから、カカシはふぅ、と息を吐く。
 俺が、しっかりしないと。俺の判断ミスのせいでサスケは病気になってしまったんだから。
 昼食の時間になっても起こさずに、自然に目を覚ましたタイミングで昼食にしよう。今のうちに影分身で昼食の仕込みをしておかないと。ベッドの傍らに立ったままの影分身にアイコンタクトをとり、こくりと頷く。影分身のカカシはそっと寝室を出てキッチンに向かった。ベッドで横になったまま食べられるものは限られている。食事が難しそうなら最悪ゼリーとかプリンとかでも良い。食べようと思う気持ちがある内は何かしら食べさせないと。
 サスケが眠っている間に買ってきた本を読む。基本的なケア者の対応方法は受容と共感。本人の気持ちを否定せず受けとめて傾聴する。本に書いてあるだけのことはあって、ある程度効果があるようだった。実際、希死念慮に対して「そんなこと思っちゃだめだよ」なんて言おうものなら、サスケは本音を隠してしまうだろう。死にたい気持ちを打ち明けられないまま身体を動かせるようになったときにどんな行動を取るか考えたら、それだけは決してやってはいけないことはわかる。
 サスケを起こさないように静かにページをめくる。
 メンタルケアの基本的なことはあらかじめ頭に入っているが、うつ病の看病に関する本を読むことでより具体的な対応方法がわかるようになった。あとは実践だ。
 
 規則正しかったサスケの呼吸が不規則になる。
「サスケ、起きた? お昼ごはん、食べられそう?」
 カカシが声をかけると、サスケはぼんやりとしたまま答える。
「……もう、昼……?」
「うん、しっかり眠れてたよ。その調子でしっかり休もうな。食べられそうなら、ごはん食べよう。小さいおにぎり、作ったから。」
 サイドテーブルには、ひとつずつラップで包んだ丸い一口サイズのおにぎりが五個、皿の上に置いてある。
「小さいのなら……食べれると思う。」
「ん、じゃあ食べよっか。」
 カカシがテーブルに手を伸ばして皿をベッドの上に持ってくる。
「おかかと、ツナマヨ、どっちがいい?」
「おかか……」
「わかった。」
 カカシがおにぎりを手に取ってラップを剥がし、サスケの口の前まで持ってくる。サスケはその一口サイズのおにぎりを、二回に分けて食べた。……まだ食べられる。まだ大丈夫だ。
 ふたつめのおにぎりのラップを剥がして、同じように食べさせる。
「ふたつで、いい……」
「わかった。あとは俺が食べるよ。」
 皿をサイドテーブルに戻す。
「一回、トイレ行っておくか?」
「……でも、動けない……身体が、重くて、だるい……」
「大丈夫、俺が連れてくから。」
 カカシはお腹にサスケを乗せたままベッドの端に行き、そのまま抱き上げて寝室の扉を開けてトイレに向かう。便座に座らせると、サスケは太ももに肘をついて俯く。座るだけでも負担が大きいようだが、トイレだけはやむを得ない。
「大丈夫、何かあっても俺が近くにいるから。」
 ぎゅっと手を握るが、サスケは、はぁ、はぁ、とつらそうに息をしている。替わってやれるなら替わってやりたいが、だるさだけはカカシにはどうにもできない。
 トイレが終わると、また抱き上げてベッドまで連れて行き、横たえる。サスケは深く息を吐いて呼吸を整えた。
「……迷惑だろ、俺……、面倒だろ……いない方が、いいんだろ……死んだ方が……。」
「昨日も言ったろ、俺はサスケに死なれたら悲しい。どんなサスケでも、ここにいてくれるだけで俺にとっては価値があるんだ。……だから気にするな。気になるかもしれないけど、俺は迷惑だとも面倒だとも思ってない。今はゆっくり休むのがサスケの仕事だ。……できるか?」
 サスケはカカシの胸元に目線を落とす。
「迷惑じゃ、ないなら……、さっきまでと、……同じように、して欲しい。カカシの上で寝ると、……安心、する。」
「わかった、その前に俺もトイレ行ってくる。」
 カカシが印を組み、影分身を出す。
「本体がトイレ行ってる間は、俺がついてるから。」
 サスケにニコ、と微笑む影分身を寝室に残してカカシもトイレに向かう。
 ひとときたりともサスケをひとりにしたくなかった。きっとそれだけで心細くなってまたマイナス思考が強くなってしまう。影分身のカカシは「大丈夫、お前をひとりにはしないよ。」とサスケの手を握った。
 トイレから戻ると影分身を消してベッドに上がり、サスケを抱き上げて身体の上に乗せる。
「これで、いい?」
 ぎゅっと抱きしめながらサスケの体温を感じる。
 サスケは目を瞑り、カカシの鼓動を感じながらすぅっと眠りに落ちていった。

1