折れたこころ

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全年齢,長編,原作軸,完結済み,カカサス小説シリアス,平和IF

きっかけ

 家事と買い物と昼食の準備を終わらせた影分身を消して、微動だにせず眠り続けるサスケの肩を揺らす。
「サスケ、一旦起きてお昼ごはん食べよう。」
 うっすらと開いた瞼がまた閉じていく。
「サスケ?」
 もう一度肩を揺らすと、徐々に瞼が開いていった。
「お昼ごはん。」
 何度かまばたきした後、気だるそうに上半身を起こす。
「……昼?」
「うん、ずっと眠ってたよ。」
 顔はぼんやりとしていてまだ眠そうにしている。
 できたらこのまま寝かせてあげたかったが、一日三食はしっかり食べてほしい。
「お昼ごはんだけ食べたら、また寝よう。」
 サスケがぼんやりとした顔のままカカシの口元を見る。
 カカシが手を差し出すと、数秒置いてからゆっくりとその手に自分の手を載せる。
 薬が、効いてきたか。
「動ける?」
 カカシの問いかけに、しばらく経ってからサスケが答える。
「……身体が重くて……だるい……」
 起き上がるのはしんどいようだった。
「なら、この部屋にお昼ごはん持ってくるから、ベッドに腰掛けて待つのはできる?」
 こくりと頷くサスケを見て、サイドテーブルを動かしてベッドの横につけた。
「少しだけ待ってて」
 準備してある昼食を取りに寝室を出る。
 キッチンでお盆の上にオムライスとコンソメスープ、スプーンを載せてもう一度寝室に入ると、サスケはさっき見た体勢のまま動いていなかった。サイドテーブルにお盆を載せると、「こっちに来れる?」と声をかけるが返事がない。
 
 頭の中にもやがかかっているみたいだ。
 今考えている俺は本当に俺なのか?
 身体がひどく重い。
 横になりたい。
 でも食事は取らないと治らない。
 ……治らない? 何が治らない?
 ああ、病気か……。
 何もかもおぼろげだ。
 たださっきからずっと同じ言葉が頭の中に響いている
 早く死ね
 お前なんか生きる価値はない
 もう死ぬべきだ
 さっさと死ねばいいのに
 ……俺はやっぱり、死ぬべきなんだ。
 復讐なんて愚かなことを考えず、あの時死ぬべきだったんだ。
 そうだ、死のう。
 そう思っても、身体がだるくて動けない。
 死ぬことすら、まともにできないのか。
 俺はクズだな。
 何もできない、何の価値もない。
 もう終わらせたい。
 何もかも捨てて消えてなくなりたい。
 
 カカシはぼんやりとした表情のまま、ポロポロと涙をこぼし始めたサスケを抱きしめた。
「サスケ、今は何も考えるな。自動思考、覚えてるか。」
「自動……」
「何度でも言うよ。俺にとってサスケはここにいてくれるだけで価値がある。サスケのことが大切だ。サスケが死んだら俺は悲しい。……すごく悲しい。だから俺のために生きていてほしい。死にたいと思う気持ちは全て病気の症状だ。ご飯を食べて、たっぷり寝て、休んで、薬を飲んでいたらそんなことは思わなくなる。」
「病気……」
「ベッドの端に移動するのもつらいなら、ここでこのまま食べよう。食欲はないだろうけど、少しでもいいから食べて。そしたらまた横になって寝よう。な?」
 サスケの身体から離れて、スープの入った器をサスケの口の前に持ってくる。
「ひとりで飲めるか?」
 サスケはそれを両手で受け取って、少しずつスープを口に入れた。五口飲んだところでカカシに渡す。
 カカシは次いでオムライスとスプーンをお盆ごと布団の上に置いてサスケの様子を伺った。
 スプーンを手に取り、端からゆっくり食べ始める。
「おいしい?」
「味……よくわかんねぇ。」
「そっか」
 ゆっくりと食べ進める手は、残り半分のところで止まった。
「……もう、いい」
 カカシはサスケの頭を撫でる。
「ごめんね、無理させちゃったね。もう寝ても大丈夫だよ。」
 お盆をサイドテーブルに戻すと、サスケはそのまま布団をかぶり直す。
 今度は手を握るまでもなくすぐに目を閉じて眠りに入っていった。
 ……きっとしばらく起きないだろう。
 カカシはそっと寝室を出て、お盆をキッチンに置くと、自分用に作っておいたオムライスを食べ始めた。
 サスケの件の報告書を書かなきゃな……。
 報告書……そういえば先週も波の国での一件で書いていたっけ。俺は再不斬との戦闘できちんと見ておく余裕がなかったから、サスケ達三人がどうだったのかは完全にナルトとサクラからの伝聞だった。サスケは何も語らなかったが二人から聞いた話ではサスケはナルトを庇って倒れたと言っていた。サクラはその直後サスケの様子を確認して、体温が冷たくなっていって、一時は完全に死んでしまったと思ったと。
 …………待て、サスケがナルトを庇って倒れ、冷たくなっていった?
 もしかして、それがきっかけか?
 敵の情けがなければサスケは確実にそのまま命を落としていただろう。
 死んだらそこで終わりだ。復讐も何もない。
 結果無事だったことに安堵して、見過ごしていた。
 ナルトを庇ったからとはいえ、力が及ばず殺されたことは、きっとサスケにとっては大きな出来事だったはずだ。生き残ったのもあくまで敵の情けのおかげだ。
 それがきっかけで自信を失った可能性は大いにある。
 ……それが今のサスケの状態に繋がっているのだとしたら、最初に再不斬と交戦した時点で任務継続は困難だと判断できなかった、俺の責任じゃないのか。再不斬が生き残っている可能性が浮上した時点で任務継続を断念するべきだったのに、仮面の子の実力も見誤り、サスケ達なら大丈夫だろうと判断した俺の責任じゃないのか。
 ……もしかして、いや全部、俺の判断が甘かったせい、なのか。
「っくそ、」
 後悔しても遅いし、取り返しのつかない事だって多いのは今まで散々経験してきたはずなのに、俺はまだ同じことを繰り返すのか。
 俺の判断の甘さのせいで今サスケが苦しんでいるのだとしたら、罰を受けるべきなのは俺の方だ。
 俺にできる贖罪はサスケが元の自分を取り戻すまでそばについてやる事だけだ。
 ……情けない。俺になら任せられると三代目直々に預かった三人なのに、何て体たらくだ。
 オムライスを全て平らげて空になった皿をシンクに置く。サスケの食べ残しを捨てて皿を洗い水切りかごに入れると、デスクに向かって報告書を書き始めた。
 サスケの異変を感じ始めた日、呼び止めて希死念慮を打ち明けられたこと、病院での診察結果、処方された薬、多量服薬を図ったこと、自傷跡の発見、自傷しようとしたのを止めたこと、朝食後から眠り続けていること、起き上がるのも困難な倦怠感、そしてそれら一連の出来事のきっかけの可能性が高い波の国での一件。
 時系列に沿って事実だけを淡々と書いていく。
 最後に、現状通院が困難なため往診を依頼したいと書いて、報告書を影分身に持たせて火影室に向かわせる。
 寝室を覗くとサスケはやはり微動だにせず眠り続けていた。
 そのベッドの傍で最初に三代目から渡されたサスケの資料を改めて読んでいく。
 アカデミーに入学してから卒業までの様子、成績、定期面談の報告書。受け持つ前にも全て読んである、目新しい情報は何もない。交友関係こそないものの、情緒は安定しており成績も優秀で、アカデミー時代は何の問題もない優等生だった。
 卒業後もそうだった。交友関係がないという資料を読んで協調性に問題があるかと思っていたら、鈴取りの試験で罰を受けたナルトに真っ先に弁当を差し出したのはサスケだった。
 実力も既に中忍クラスで、日に日に他の二人とも打ち解けていって、そんな二人の仲間を大切にしていて、どんな任務でも真剣に取り組んで……何の問題もないように見えたし、報告書にも問題点は見当たらないと書いてきた。きっと誰が見てもそう評価しただろう。サスケはその内面を漏らさず優等生であり続けた。
 三代目がわざわざ俺に託したのに、特別な配慮が必要だと判断したからこそ俺に託したんだろうに、その俺がこんな様か。
 乾いた笑いすら出てこない。
 眠り続けるサスケの髪に触れた。今日は……いやいつまで続くかわからないが、シャワーを浴びるのもきっと負担が大きいだろう。代わりにベッドで清拭とドライシャンプーをしよう。食事もさっきのようにベッド上でいい。今はとにかく休ませなければいけない。
 ぼんやりしていたのは薬の効果だろうが、それでもマイナス思考……おそらく希死念慮は消えていない。
 身体が怠くて動けない内はまだいいが、回復してきて動けるようになったときが一番自殺の可能性が高い危険な時期だ。
「……ごめんな、サスケ。俺のせいで……」
 本人は俺のせいだなんて露ほども思っていないだろう。
 それに眠っている相手に何を言ったって何も伝わらない。
 それでも謝らざるをえなかった。
 全ての原因は俺の判断ミスだ。
 俺がサスケの内面に興味を向けなかったからだ。
 悪いのは俺だ、サスケじゃない。
 そう言ったところで今は通じはしないだろうけれど。
 
 ピンポン
 玄関のチャイムが鳴った。
 静かに寝室を出て玄関に向かうと、火影室に向かわせた影分身と白衣の男性が立っていた。
「昨日とはまた状態が違うようなので……薬の調整にきました。」
 そうだ、昨日診てもらった時点では自傷や多量服薬のことはわからなかったし、今のような強い倦怠感もなかった。
 部屋に上がってもらい、改めてサスケの様子を白衣の医者に伝える。少しだけ寝室にも入ってもらい、直接顔を見てもらった。
 ダイニングテーブルで向かい合って話を聞く。
「……どうも、うつ病の急性期の症状のように見えますね。」
「うつ病……どうしてやるのが一番いいですか。」
「原因があるのならそれを取り除くのが良いですが、話の通りだとすると本人のこころの問題ですから難しいでしょう。今はともかく休養。できたら食事だけはとらせて、それ以外は動けるようになるまでひたすら横にさせておいた方が良いですね。薬も少し調整します。昨日処方したものは?」
 カカシは机の引き出しの鍵を開けて、もらった薬をテーブルに出す。
「多量服薬未遂の件があるので、一包化にしましょう。抗うつ剤と精神安定剤を足します。寝る前の睡眠導入剤は必要ないかもしれませんが、念のため頓服として少し残しておきます。それと傷薬の軟膏。一日一回は清潔にしてから薬を塗って、今のようにガーゼで覆ってから包帯等で固定をしてください。」
 薬を袋ごと鞄に入れて、その場で処方箋を書く。
「うつ病の可能性が高いとなると、回復するまで……早くて数週間、長いと何ヶ月とかかる可能性もあります。その間、しっかり見ていてあげられますか。」
「責任を持って預かります。」
「ご存知かもしれませんが、倦怠感が弱くなって動けるようになったときに一番自殺リスクが高まります。刃物類を目につくところに置かない、長い紐上のものを置かない、窓やベランダに近付けさせない、ふらっと外に出られないように靴を隠しておく、など対策をしておいてください。忍具も全て目につかないところに。」
「わかりました。」
「では、一包化の準備が終わりましたら薬剤師に薬を届けさせますので、説明をよく聞いて、決まった時間に服用するようにお願いします。」
「……ありがとうございます。」
 医者が立ち上がり、玄関に向かう。その後を着いていく。
「では、お大事に。」
 靴を履いて玄関から出ていく医者に深く頭を下げた。
 ……長くて、数ヶ月。
 そんなにも長い間サスケは苦しまなければいけないのか。
 取り急ぎ、サスケの忍具と自分の忍具を押入れの高い位置にしまう。
 紐状のものは電化製品のコンセントケーブルくらいだが、これも念の為全て短くまとめてゴムで縛った。
 あと刃物は……キッチンの包丁くらいだ。五つあるうちの万能包丁だけ残して、新聞紙で巻いた後キッチンの上の棚にしまう。
 玄関にあるサスケの靴もビニル袋に入れて押し入れの奥に押し込んだ。
 窓はどう対策をすれば良いかわからなかったが、俺が注意しておけば大丈夫……だろう。最悪、たとえ飛び降りたとしてもここは二階だ、よほどのことがなければ死ぬことはない……と思いたい。
 寝室に戻ってサスケの様子を伺う。
 やはり死んだように微動だにせず眠っている。
 確かめようと頬に触れると温かく、ほっとした。
 上忍として部下のメンタルケアに関してはひと通りの知識を持っていたが、つきっきりで看病するのははじめてだった。
 昔読んだ本の知識だけでは心細い。
 火影室に向かわせた影分身に、書店でうつ病やメンタル疾患に関する本と、食料の買い出しに行かせる。
 ベッド上でもサスケの食べやすいもの……いつもサスケは昼におにぎりを食べていたから、おにぎりが良さそうだ。それにちょっとしたおかずを添えよう。
 おにぎりを作ったことはないが、多少不恰好でも役割さえ果たせれば良い。
 カカシは炊飯器を洗って米を研ぎ入れると、炊飯器のスイッチを押した。

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