折れたこころ

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全年齢,長編,原作軸,完結済み,カカサス小説シリアス,平和IF

大丈夫

 サスケは夕食の時間まで眠り続けた。
 正確には、ずっと眠ったままではなく時折うっすらと目を開けて横になったままぼうっとしてしばらくすると目を閉じるのを繰り返していて、目を閉じていても眠ってはいないのかもしれないが、とにかく微動だにせず横になり続けた。
 カカシがおにぎりふたつと卵焼きを皿に載せて寝室に運びサスケに声をかけると、サスケはもぞ…と動き手を支えにして何とか起き上がる。
「おにぎり、少なかったらもうひとつ握るよ。食べれるだけ食べて。」
 布団の上に置いた皿から、サスケが海苔の巻かれた少々不恰好なおにぎりを手に取り少しずつ食べ始めた。
 カカシも自分の分は炒飯を作って持ってきていたのでサイドテーブルに置いてベッドに腰掛けながら食べ始める。
 サスケは生気が抜けたようなぼんやりとした顔でどこを見るでもなくただおにぎりを口に運んでいた。
 食べられるだけ、まだいい。上半身を起こせるだけでいい。うつ病の急性期の状態の部下を見舞いに行ったことがあったが、彼もやはりベッドから微動だにせず目線も合わさず、ただただそこに存在しているだけ、かろうじて生きてはいるだけの状態だった。ご家族に話を聞いたら一週間くらいその状態でろくに食べられず点滴を打とうかどうか、という状況にまでなったらしい。
 それを考えたら今のサスケはまだ良い方だ。とはいえ、これからどんどん悪化して見舞った部下と同じ状態になる可能性もある。それを考えると、食べられる内に食べられるだけしっかり食べて欲しかった。
 ひとつ目のおにぎりを食べきったサスケが爪楊枝の刺さった卵焼きに手を伸ばして口に運ぶのを、炒飯を食べつつ見守る。口に入れて何回か噛んだところでぼうっとした顔のままポロポロと涙がこぼれ出た。
「サスケ?大丈夫か?」
 カカシがベッドに上がりサスケの肩に手を置く。
「同じ、味……」
「おいしくなかった?」
「母さんの、卵焼きと……同じ、味」
「味、感じるのか?」
 サスケが頷く。
「もう、食べられないと、思ってた……」
「良かった……味、感じるんだね?キッチンにまだあるから、もう少し持ってこようか?」
 また、頷く。
 カカシはベッドから降りてキッチンに向かった。
 小皿に3個卵焼きを載せて、また寝室に向かう。
 サスケは寝室に入ってくるカカシに顔を向けて目で追っていた。カカシはベッドのサスケの隣に座ると、持ってきた小皿をサスケに渡す。
 サスケはその上の卵焼きに爪楊枝を刺して、また口に運んだ。
「……卵焼き、好きなの?」
「母さんが弁当に……おにぎりと一緒に、いつも、入れてくれてた。」
「……そっか。」
「でもその母さんは……イタチに……なのに俺は、母さんの仇を、とれない。俺は弱い、から。復讐なんて、」
「……ストップ。それ以上は、考えるな。今のサスケに必要なのは休むことだ。たっぷり休んだら、それで病気が治ったら、弱いままでなんていられなくなるよ。俺がお前を強くするから。」
「強く……」
「そうだ、強くなれる。保証する。でも、今のままじゃだめだ。ちゃんと食べて、しっかり休んで、飽きるまで横になって過ごして、少しずつリハビリして……。早く、強くなりたいだろ?この病気を治すのに近道はないんだ。だから今はとにかく食べて、薬飲んで、休む。無理はしない。わかるか?」
「俺は強くなんかなれない、仇も撃てない、復讐なんて、できない……。だから俺はもう……」
「サスケ、……もうちょっと俺を信じてよ。俺がサスケを強くするって言ってるだろ。ちゃんと休んで病気を治せたら、な?今は治すことだけ考えなさい。今サスケに必要なのは何?」
「食べて……薬飲んで……休む……」
「そう。だから無理のない範囲で良いから、食べられるものを食べて、薬飲んで、身体綺麗に拭いて、それからまた寝よう、な。」
 サスケの持つ爪楊枝が次の卵焼きを刺す。
 カカシはサスケの頭をくしゃっと撫でた。
 
 ……懐かしい、味。あたたかい想い出に重なる、血塗れで父さんと重なるように倒れている姿。
 ……母さん、母さん、……俺、強くなれなかった。強くなるどころか、病気なんかになって、少し動くだけでも億劫で、横になってることしかできない。俺には何もできない。何も成せない……こんな俺でも、生きていていいのか……?一緒に俺も殺されてれば、こんなに苦しい思いもせずに済んだのに、醜く生き延びて、俺だけが生き延びて、なのに俺は何もできない。復讐も、出来ない。こんな俺に、生きてる価値はあるのか……?
「サスケ」
 カカシの、声。
「俺を、信じて……サスケの病気はちゃんと良くなる、強くもなる。サスケ、病気に負けないで。」
 カカシは全部病気のせいだって言う。けど、俺は敵の情けで生き延びてきただけだ。イタチのときも、波の国のときも。俺が、弱いから。俺が、弱いせいで。弱い俺は、いらない。消えてなくなればいい。死んでしまえばいい。なのにカカシは、それは全部病気のせいだって言う。俺が死んだら悲しいから死なないでって言う。カカシのために生きろって。復讐だけが俺の生きる理由だった。だけど、カカシには俺が必要だって。
 生きていても、許されるのか?そんな理由で、俺は生きていてもいいのか?カカシの言葉をそのまま信じて、いいのか?病気に勝てれば、俺は本当に強くなれるのか?
 誰も、その答えを教えてくれない。そんなの嘘だと囁く声が聞こえる。俺なんか死ぬべきだって考えが頭の中にこびりついてる。
 もう、何を信じたらいいかわからない。何が本当なのかわからない。本当の自分が何を考えてるのかもわからない。頭の中の靄は濃くなるばっかりで、その中にいるはずの自分が見えない。
 卵焼きが刺さった爪楊枝を持ったまま、それをどうしたらいいのかわからない。
 隣に座ってるカカシが俺の手を握った。
「サスケ、余計なことは何も考えるな。何回でも言うよ。俺の言葉だけ信じて。今は何をするべきだった?」
「食べる……」
「そう。今出来ることをするんだ。今すべきことをするんだ。サスケも苦しいままは嫌だろ。でも死んで終わらせようなんて考えないで。俺の言う通りにしていれば、もう死にたいだなんて思わなくなる時がくる。必ずだ。だから今は、病気を治すことだけ考えて。何をするべきかだけを考えて。俺には、お前が必要なんだ。病気なんかに負けないでほしいんだ。辛いとか苦しいとか……死にたいとか、思うのは当たり前だ。そういう病気なんだから。」
 爪楊枝に刺さった卵焼きを口に入れる。
 食べる、薬飲む、休む……。
 俺がするべきことは、それだけ、他は、考えない……。
 口いっぱいに懐かしい味が広がっていく。優しい母さんの顔が浮かんでくる。今日は何の勉強をしたのって、料理をしながら俺に話しかける母さんの声を思い出す。
 でもそんな母さんは、もういない。この卵焼きを作ってくれたのはカカシだ。カカシは俺のそばにいてくれる。俺を必要としてくれる。俺を強くしてくれる。カカシがいてくれたら、カカシの声をちゃんと聞いていれば、……つらいことも、苦しいことも、悲しいことも、悔しいことも、死にたい気持ちも、いつか全部消えてなくなる。そう、信じたい。
 最後の卵焼きに爪楊枝を刺して、もうひとつのおにぎりに手を伸ばす。
 食べる、薬、休む。
 カカシの言う通りにしていれば、この病気は治る。
 全部病気のせい。病気のせいで、俺は考えなくていいことばかり考えてしまう。死にたい気持ちが波のように押し寄せては引いていく。
 信じてと言ったカカシを信じたい。信じたいのに気持ちがざわついてコントロールできない。
 今出来ることをする。すべきことをする。考えない、考えない、考えない。
 頭の中で唱えると、信じたところでどうせ裏切られるだけだと声が聞こえる。
「…食べる、薬、寝る、食べる、薬、寝る……」
 頭に響く声を打ち消すように言葉にする。けどだめだ、頭の中がざわついて止まらない。切りたい。手元に切れるものが何もない。切ったときのあの安堵感が欲しい。落ち着きたい。
 右手首に巻かれた包帯を見る。このままじゃ切れない。……切りたくなったときは、カカシに、言うんだ。そうしたら、大丈夫だってカカシは言ってくれた。
 おにぎりを手に持ったまま、少し俯く。本当に、大丈夫なのか?こんなにも気持ちがざわついて落ち着かないのに、本当にカカシは何度かしてくれるのか?
『俺を、信じて』
 本当に?何とかしてくれる?大丈夫になれる?
 一回だけ、信じてみよう。
 切らないと約束した。大丈夫と言ってくれた。
「……カカシ、」
 手を握りながらカカシが俺の顔を覗きこむ。
「どうした?」
「切りたい、落ち着きたい。どうしたら、いい」
「……おにぎり、一旦置こうか。」
 カカシが俺の手を皿の上に誘導した。皿の上におにぎりを戻すと、それと卵焼きの皿をサイドテーブルの上に置く。
「抱きしめてもいい?」
 カカシの言葉に頷いた。
 カカシは俺の脇の下に手を通して身体を持ち上げると、足の上に俺を乗せて後ろからギュッと抱きしめる。
 ……カカシの心臓の鼓動を感じる。それを感じて、俺の心臓の鼓動が早かったことを知る。抱きしめる腕の強さに、俺を大切に想ってくれている気持ちを感じる。浅く苦しかった呼吸が、深くゆっくりになっていく。
 ……あたたかい。カカシの体温を感じながら目を閉じる。その腕に抱き締められたまま、魔法にかかったかのように身体が弛緩していく。もう、大丈夫……不思議とそう思う。信じて、よかった。このままこの腕の中でカカシだけを感じて眠りたかった。
 どのくらいそうして過ごしただろう。頭の上から声が降ってくる。
「……少しは落ち着けた?」
「もう少し、このまま……」
 カカシがくれるものに甘えて、依存して。俺はいつの間にこんなに我儘になったんだろう。心地良いこの腕の中にいつまでもいたかった。切りたい衝動は、いつの間にかなくなっていた。
「もう、大丈夫だ」
 ずっとこのままでいたかった。でもずっとというわけにはいかない。食べて、薬を飲んで、寝る。まだ食べている途中だ。
「寝るときも……こうして欲しい。」
「わかった、大丈夫だよ。」
 カカシの腕が緩んで、自分で動いてカカシの隣に座る。
「…おにぎり、もうひとつの、食べる。」
 カカシの口元を見る。
 ほっとしたよう微笑んでいる。
 俺はそれを見て、ああ、カカシがいてくれて良かったと思った。独りのままだとどうなっていたかわからなかった。きっと衝動に任せて、手首を切り続けていただろう。足を殴り続けていただろう。何もできずにひたすら死ぬことばかり考えていただろう。もしかしたら、実行に移そうとしていたかもしれない。そのくらい、死にたい気持ちは強かった。でももう、独りじゃない、カカシがいてくれる。
 おにぎりを手渡されて、それに齧り付く。目の前に卵焼きが載った皿を差し出された。おにぎりを食べながら、卵焼きに刺さった爪楊枝に手を伸ばす。
 カカシはその大きな手を俺の背中に置いて、とん、とんと優しく撫で続けた。
 おにぎりと卵焼きを全て食べ終わると、カカシはベッドから降りて空になった食器を片付けに寝室を出る。
 ずっと一緒にいて欲しい。我儘なのはわかってる。でも俺は、カカシのいない寝室が急に寒くなったように思えて、布団をかぶった。
 まもなく、薬と水、それにタオルと洗面器を持ったカカシがまた寝室に入ってくる。薬の袋を破って、俺の手のひらに中身を出した。
 3錠、昨日よりも多い。
 その薬を見つめていると、「サスケが寝てる間に、お医者さんが来てくれたんだよ」と優しい声でカカシが話す。
 水の入ったコップを受け取って、薬を飲み下す。
 カカシは洗面器に入ったお湯にタオルを漬けてギュッと絞った。
「シャワーの代わりに、身体拭かせてね。」
 そう言いながらパジャマのボタンを外していく。最初は顔、そして上半身。熱いタオルで清拭されると気持ちよかった。布団を退けて下半身も同じように拭かれていく。最後に髪をドライシャンプーで洗うと、トイレに行きたくなってきた。よくよく考えてみたら、ずっと寝ていたから朝行ったきりだ。
「トイレ、行ってくる。」
 ベッドから降りようとするが、ふらついた。カカシが小脇を支えてくれてようやく立ち上がる。壁伝いにトイレまで行くと、立ったままではだるくて難しそうだったから便座に腰を下ろした。カカシはそれを見届けると、「洗面器とタオル、片付けるね」と扉を閉めて去っていく。便座に座っているだけでもだるかった。太ももに肘を置いてカカシが戻ってくるのを待つ。
 …カカシがいないと、本当に何もできないんだな。
 自分が情けなくなって、でもカカシがいてくれるから大丈夫だと励まして、深く息を吐いた。
 カカシはすぐに戻ってきてくれて、また小脇を抱えて立たせてくれた。
「このまま、ベッドに行ったら眠れそう?」
「寝られると思う、けど……カカシと、一緒に寝たい。」
 カカシは優しく笑って、
「じゃあ、俺も寝る準備するね」
 とベッドまで一緒に来てくれた後、シャワーを浴びに行った。
 ベッドに横になって、だるい身体を空いたスペース…カカシが寝る方に向ける。
 一日中寝ていたのに睡魔はすぐにやってきて、カカシが戻ってくる前に俺は眠りに落ちていった。
 夜中ふっと目が覚めたとき、目の前にカカシの顔があって、その腕が俺の背中に回されていて、安心する。
 ウトウトしながら眠っては目が覚めてを繰り返していると、いつの間にか朝になっていた。
 
 
 
 

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