恋人未満
もう、終わり
次第にカカシの家に行く頻度が高くなっていった。退勤間際でなくても、メッセージのやり取りで気軽に誘われて、俺は気軽にカカシの部屋の戸を叩きに行く。毎日のように訪れては遊んで帰って、その都度違う体位が続いて、変な知識ばかり増えていくなぁ、と思う。
誘われるのは嬉しいと思う。カカシと一緒にいるのは落ち着くし気が楽だ。セックスだけじゃなくて他愛のない話をずっと続けることもある。
だけど毎日のように訪れるたびに、カカシはそれでいいんだろうかとも思う。多分会社帰りで、帰宅後の貴重なプライベートな時間を俺に使って、カカシはそれでいいんだろうか?
俺と遊んでばかりいたら、恋人とか作れねえだろ。
そう言ったことがある。
カカシは「恋人は今はいらないかな」と何も気にしていない風だった。俺は素直にその言葉を聞いて、そうかカカシは今は恋人はいらないのかと納得した。それなら、カカシの気が変わるまではこうして遊びを続けることが出来るんだろう。
そう考えて、ほっとしている自分と少しもやっとしている自分がいた。あまり深くは考えないことにして、大学に通って、バイトに通って、そしてカカシの家に通いながら、いつからだろう、何故だか少しむなしさを感じるようになった。勉強は順調だし、バイトもだいぶ慣れてきて他のスタッフともそれなりに話すようになったし、カカシといる時間も嫌いじゃない。
充実した毎日を送っている、んじゃないのか? 何が、どの要素がこのむなしさを覚えさせるのだろうか。
そんなちょっとしたもやもやを、話のネタにカカシに話したら、カカシはいつになく真剣な顔で一緒に考えてくれた。そう、カカシはいつも一緒に俺と何かをしてくれる。遊びはもちろん、勉強も、ちょっとした人間関係の悩みも、就職先の迷いも、一緒に自分ごとのように考えてくれて、そして俺にはない知見を教えてくれたり、俺が欲しかった答えを教えてくれたりする。俺たちは赤の他人なのに、まるで血の繋がった兄さんみたいに。
ただこのむなしさに関しては、要因がわからないことにはなんともできないね、力になれなくてごめんねと謝られた。
俺としてはちょっとした話のネタのつもりだったから、謝るほどのことじゃない、そう言おうとしたときには、もうカカシは遊びモードに入っていて、俺は抱き寄せられるままキスに応える。
今日もまた一緒に気持ちよくなれると思うと胸が高鳴ったし、今日はどんな新しいことをするのか楽しみに思う。これから始まるのはいいことで、楽しい遊び、のはずなのに、俺の中のむなしさが大きくなるのを感じて戸惑いを隠しきれなかった。
カカシがそれを察知して唇を離す。
「あれ、今日は気分じゃない?」
「いや……そういうわけじゃない。ただちょっと変な感じがしただけだ。」
「……変な感じ?」
眠たげな目を細めながら、カカシは俺の胸に唇を移す。
「っぁ、」
「そんなの全部忘れるくらい、気持ちよくなればいいよ。」
痺れるような甘い快感が胸から背筋に走って俺は震える。そうだ、いつものように……夢中になって遊んでいるうちにこんなものはどうだってよくなる。
「……は、あっ、ぁ、っあ、」
カカシは俺を開発するのが楽しいといつか語った。胸でこんなに感じるようになったのも、「開発された」ということなんだろう。びく、びく、と震えながらこの感覚を逃すまいと集中する。はぁっと息を吐きながら俺は目の端から温かいものがこぼれ落ちたことに気がついた。
え、これって、涙……?
胸の突起にキスをしているカカシはそれに気がつかないまま刺激を続ける。俺は自分の身に何が起きているのかわからなくて、でもこれはカカシに悟られちゃいけないものだと本能的に感じて、目の上に手を置くついでにその跡を拭き取った。
……対面だと、もしかしたらまたこぼれ落ちたときに気づかれるかもしれない。
「カカシ、……っ、今日は、っぁ、後ろ、からがっ……いいっ」
カカシは顔を上げて俺の目を見た。
「珍しいね、サスケからリクエスト来るなんて。寝バックそんなに良かった?」
目を見られて、何かがバレるんじゃないかと心配になった、けれどカカシは何も気にしない様子で行為を続けた。
俺は夢中になって遊びに没頭すれば何もかも忘れられると思っていた。けれどカカシの指が触れて、舌が触れて、そして何度もイカされて、それでも消えるこのないむなしさの正体が何なのか、……わかってしまった。
いつものように抱き潰されて呆然とした頭のまま、俺はもう、カカシと「遊ぶ」ことは出来ないと……改めて感じて。いつものように先に浴室に入っていくカカシを見送ってから、また涙がこぼれた。
ごめん、カカシ。
俺約束、守れなかったみたいだ。
浴室の扉が開く音がして、俺は目を拭ってその跡を消してから、入れ替わって浴室に入る。浴室に入って、シャワーを出しながら、しゃがみ込んでまた泣いた。
……あんなに、念押されたのにバカだな、俺。
これがもう最後かもしれないカカシの家のシャワーの水圧を感じながら、いつものように笑って帰ろうとこころの準備をする。
カカシの優しい顔を見たら、またこの気持ちが溢れてくるかもしれない。だから、いつものように、さっさと着替えて、また今度って笑って、そして扉を閉めたら俺たちの遊びはもう終わり。
気持ちを固めて、浴室から出るとそこにはカカシが待ち構えていて、予想外のことに動揺した俺の異変をカカシは見逃さなかった。
「ああ、ごめんねびっくりさせちゃった? なんか今日、ちょっと様子がいつもと違ったからどうしたのかなって、思ったんだけど……どうかした、みたいだね。どうも。」
俺は努めて平穏に答えた。
「そんな事ねえよ、考えすぎだ。でもまあ、いつもよりちょっと疲れてたかもな。今日は一日中講義があったから。」
渡されたバスタオルを頭にかけて髪を拭く。拭きながら、問い詰められたら、これ以上カカシと話をしたら、……きっとよくない。そう思っていつもの自分を演じる。
「心配してくれてるのは嬉しいけど、一応俺だって大人の歳なんだから、そんな親みたいに心配しないでくれ。」
身体を拭きながら、カカシの方を見ないようにしながら、俺はそれ以上追求しないでくれと願った。
「今日は早めに寝るようにする、大丈夫だ。」
笑って、タオルを洗濯機に入れて、服を着て、カバンを背負って。その一部始終を見ながらカカシは、まだ心配そうな目で俺を見ていた。
いつも通りに玄関で靴を履いて、扉を開けて、少しだけ振り返る。
「じゃ、また今度」
カカシはいつものように俺を送り出しに玄関まで来ていた。
「……また明日、じゃなくて?」
「……はは、そうかもな。」
しまっていく扉、カチャリと音がしたら俺は、もう。
帰り道、スマホでカカシに送るメッセージを打っていた。
今まで楽しかった、ありがとう
俺はもう、あんたとは遊べなくなった
一方的で悪いとは思ってる
けどメッセージのやり取りも、これで最後にしようと思う
あんたなら、遊び相手には困ってないだろうし
俺のことは忘れてくれ
スマホの画面をタップしながら、胸がチクチクと痛む。
『間違っても本気にならないでね?』
カカシごめん、俺間違ったみたいだ。
『今は恋人はいらないかな』
そうだよな、だってあんたは本気の関係は望んでないんだから。
顔を見るたびにこの気持ちが胸を刺すくらいなら、と俺はコンビニのバイトを辞めた。
カカシの家とは駅を挟んで反対側の、大型チェーン店の居酒屋のバイトの面接を受けて、合格して、カカシのいない生活が始まろうとしていた。
あのメッセージを送信してから、カカシは何も送ってくることはなかった。
きっと察してくれたんだろう、と思った。
コンビニよりも慌ただしい居酒屋のバイトは、時間を忘れさせてくれて俺には都合がよかった。
けれど帰り道、ふとしたときに繋いだ手の感触を思い出す。落ち着いたあの声を思い出す。優しい笑顔を思い出す。
それだけの間、カカシがすぐ近くいたのだから、思い出してしまうのは仕方がない。けれどその度に胸にチクチクと棘が刺さるような痛みを覚えて、カカシを忘れよう、この気持ちは終わらせようといくら思っても、忘れさせてはくれない。
充実していた、日々は一気に色を失ったかのように、……何かを感じる、ということが減った。
アパートに着いて、階段を上がって、鍵を出そうとポケットに手を入れたとき、目の端に映った銀色に俺は身体の動きを止めた。止めた、じゃない、止まった、だ。
いるはずがない、だって俺の家、知らないはずだ。じゃあ、あれはいったい。目の錯覚、なんかじゃない。確かに見た、あの特徴的な、髪の色。
俺が固まっていたら、足音が近づいてきた。だめ、だ。だめだ。今、会ったらだめだ。まだ何のこころの整理もついてないのに。もう会わないと決めたのに。
踵を返して階段を駆け降りて走っていた。どこか、どこか落ち着ける場所、公園。公園に。
中央にぽつんとひとつだけ灯りが灯る公園の奥のベンチまで走って、膝をついた。上がった息を落ち着かせる。けど落ち着かない。動悸がおさまらない。なんで、なんでカカシが家に。……カカシの声を今は、聞きたくない、顔を見たくない、なのに、なんで、足音が近づいてきてるんだよ。メッセージで送ったのに、忘れてくれって言ったのに。
「……ごめんね、追いかけてきちゃった。」
「あんたの声なんて、聞きたくない。それ以上喋るな。」
「最後のメッセージさ、最初よくわかんなくて。」
「……頼むから、……帰ってくれ。」
「俺なんか悪いことしちゃったのかなって考えたんだけど。」
「人の話、聞けよ……っ!」
「……ごめん、じゃあ手短に話すけど……サスケにそんな思いを持たせたのは俺が悪い、俺の責任だ。悪いと思ってる。」
「……そんな言葉もいらない、……早く帰ってくれ。」
目がうるんでいた。いつ涙がこぼれ落ちるかわからなかった。カカシが何を言おうとしているかなんてわからない、けどそれはきっと、確実に俺の胸を突き刺す。トゲなんてものじゃない、杭のようにでかいものが。そんな思いは、絶対に嫌だ。……もう俺に、関わらないでくれ。近づかないでくれ。話しかけないでくれ。わかんねぇのかよ。わかるだろ。俺はあんたを拒絶しているんだ。いつものように察して俺の気持ちを考えてくれ。なんでそれがわからないんだ。
「……わかった、ブロックされてないってことは、メッセージ送ったら読んでくれると思って良い?」
「帰れって、言ってる。」
「……ごめんね、わかった。」
足音が遠ざかっていって、聞こえなくなったときには、ぽたぽたと涙が溢れていた。
失恋なんてしたくなかったから、カカシから離れたのに、何を言いにきたんだ、何をしにきたんだ、何のつもりなんだ。
なんにしたって、結論何を言われるかなんてわかってる。メッセージがきたとしてもそんなもの読まない。俺の片思いで終わり、それだけでよかったのに何でとどめを刺すような真似をしてくるんだ。
カカシの声を聞けたのは嬉しかった。でも今は聞きたくなかった。会いたくなんかなかった。
袖で涙を拭って背後を確認した。中央にある灯りが静かに公園を照らしているだけで誰もいなかった。俺は立ち上がって、重い足を家の方へ向ける。
家に帰りながら、カカシのあの優しくて落ち着いた声が耳に残っていた。
……なんでカカシが謝るんだよ。
……なんで忘れてくれなかったんだよ。
スマホでカカシのトークルームを開いて、ブロックしようと思ってもそのボタンをタップすることが出来なかった。……未練なんだろうか、毎日やりとりをしていたトークルームは俺からのメッセージで時が止まったままだった。どうしてもブロックをすることが出来なくて、ミュートにする。
カカシとの思い出が、蘇ってきて俺はスマホをポケットにしまった。
むなしさの代わりに芽を出した喪失感は日増しに大きくなっていた。カカシが来なければ、追いかけてこなければ、声を聞かなければ、時間薬がその内忘れさせてくられるだろうと思っていたのに。……なんで、今になって。
家に着いて、カバンを適当に置いて、そのまま倒れこむようにベッドに横になる。スマホをもう一度見たら、アイコンに『1』と未読表示されていた。……通知は鳴らなかったからきっとこれはカカシからの。
しばらくその画面を見て、俺はスマホを伏せて置いた。もう考えたくない。頭の中のカカシの存在から逃げるように目を閉じて、そのまま眠った。
アラームの音で朝、目が覚めたときにスマホを見たら、未読件数は『3』になっていた。……やっぱり、ブロックするべきだった、しなければいけなかった。
メッセージを開かないまま、朝の支度をして俺は学校へ行く準備を始めた。