知られてはいけない
報い
蛇の言うようにこころを殺してみたら、何を言われても、何をされても、どう扱われても、まるで幽体離脱をして身体の外から自分を眺めているように他人事のように感じて、つらいとか、悔しいとか、そういうこともあまり感じなくなった。
あんなに荒れていた気分は静かな海のように穏やかになって、感情なんてない方がいいんじゃないかとすら思える。
ずいぶんと長く俺のこころは身体から離れたままの気がする。
番になった、ところで所詮強引に結ばされたものだから、身体はカカシを求めてもこころは何とも思わなかった。蛇からも生理現象だと思えと言われて、身体が反応してしまうのは膀胱に尿が溜まったらしょんべんしたくなるようなもんなのかと納得した。
カカシの家に住むよう命じられてから、カカシはよく喋った。何を言ってるのかは聞いちゃいないけど、カカシはもう無理矢理俺とヤろうとしなくなって、どうやら俺がこうなった原因が自分にあることはわかっているらしい。
だからってもう二度と、カカシになんかこころを開いてやらねえ。そうやって無駄な時間を費やし続けていればいい。手折った花は枯れるだけだと思い知ればいい。どんなに言葉をかけたって、もう俺には届かないのだと思い知って絶望すればいい。
そうして何日か経った。時間の感覚もなんだかどうでもよくなったから何日経ったのかよくわからない。その日任務が終わって解散した瞬間、両脇をナルトとサクラにがっしり掴まれた。
「何の真似だ」
「話があるんだってば」
「お願いだから一緒に来て!」
両脇を抱え込まれたままズルズルと引っ張られていく。森の中まで連れて行かれて、ようやく解放されたと思ったら、ナルトに胸ぐらを掴まれた。
「サスケお前、何腑抜けた顔してんだってば! 最近おかしいぞ!」
胸ぐらを掴む手をサクラが引っ張り離す。
「ちょっとやめてよナルト! ……サスケ君、何かあったのなら私達にも教えてくれない……?」
何があった……言えない。ナルトやサクラだけじゃなく、誰にも言えない。かといって、このふたりはそんな回答では納得しないだろう。
表情ひとつ変えない俺にナルトが再び胸ぐらを掴む。
「一発殴んねぇと目ぇ覚めねーのかよ、おい!」
「ナルトやめてってば! ……ねぇサスケ君、……カカシ先生と、何かあったのよね……?」
「サクラちゃん、なんでそんなことわかるんだってば」
「先生は泊まっただけって、言ってたけどサスケ君の先生を見る目がいつもと違うと思って……次の日からはサスケ君の様子も変わって……カカシ先生以外、考えられないの。それに首のそのガーゼ、……そんなところに傷ができるなんて、ひとつしか考えられない。」
……よかった、番だと気づかれたわけじゃなかった。しかしこの噛み跡は……見られたら、誤魔化しが効かない。
「……これは修行中にカカシの忍犬に噛まれた傷だ。雑菌が入ったから膿んでいてしばらくは外せない。」
「その、修行で! 何があったんだってば! 先生の家に泊まったって話だよな? 何かあったんだろそん時に!」
ずい、と俺に近づくナルト、サクラも胸の前で手を握りながら一歩俺に歩み寄る。
この二人が納得するような理由……もしくはこの二人の前でだけは以前と変わらない風を装う? いや、カカシだけに対応を変えるのはカカシと何かありましたと言っているようなものだ。……であれば、うまく言いくるめるしかない。
「俺たちめっちゃくちゃ心配してんだぞ!? なのになんでそんな平然として……!」
「お願いサスケ君、ひとりで抱えないで! ……元の、サスケ君に……戻って……」
とうとうサクラは涙をこぼし始めた。
こういうときは、どうしたらいい。今は蛇に聞くことができない。あれ、俺いつの間に蛇にこんなに頼ってた。でも蛇の言う通りにしていたら……いや、待て。よかった、のだろうか。娼館に行ったら結局カカシに捕まって、満たされないまま薬で無理矢理大人しくさせられた。あの娼館を知らなければ、カカシに反発してまた足を向けることもなかった。カカシの家に行くこともなかった。つまり、番にならずに済んだ。感情とこころを殺して楽になった……けれど目の前で今、サクラは泣いているし二人とも俺を心配している。仲間にそんな思いをさせてまで俺は自分のこころを守りたい、のだろうか。でも辛い思いをしたのは事実で、酷い扱いを受けたのも事実で……けれどその報いはカカシ一人が受けるべきであって、ナルトとサクラにこんな顔をさせるのは……間違ってる。
「……すまない、サクラ、ナルト。心配かけた。俺は……少しやり方を間違えていたみたいだ。」
サクラが目を見開く。ナルトは一歩後ずさった。
「じゃあ、なんでそう……」
「それは悪いが、言えない。でも、もうふたりに心配かけるようなことはしない。悪かった。」
ふたりの肩に手を置いて、元来た道を戻る。
「ちょっ……!」
「サスケ君!」
立ち止まって、少しだけ振り向いた。
「……悪い、ちょっと用事ができた。また明日な。」
森の中から道に出て、里の中心に向かって歩く。誰からの助言でなく、自分の意思で。中央よりもやや北にある建物。ぐるりとカーブした階段を上がって廊下を歩き、扉の上のプレートを確認してノックする。
「入りなさい」
中から聞こえてきた声、ひと呼吸おいて扉を開けて中に入った。
デスクの上で手を組み、真剣な眼差しを向けるその人――三代目火影を前にして、俺は「人払いを」とだけ告げた。
三代目火影はパイプの持ち手を机にコン、と置き、2秒開けてもう一度コン、と置いた。
「話があるようじゃの。」
「人払い、というのは二人きりで話をしたいという意味です。カカシもどこかにやってください。」
表情も変えないまま、三代目火影はパイプを口で咥えて、ふー……と紫煙をゆっくり吐き出した。
「望み通りにした、話を聞こう。」
俺は入り口から部屋の真ん中まで歩を進めて、軽く深呼吸をする。恥ずかしい、などと言っていられない。事実を、淡々と伝える。それだけをすればいい。
「発情期の最後の日、カカシの家で、俺はカカシの抑制剤を全て壊しました。その後、カカシとセックスをして、うなじを噛まれ、無理矢理番にさせられました。」
すでに知っているのか、それともその程度のことでは驚きはしないのか、三代目火影は顔色を変えることも身動きもしない。
「それで」
「その後カカシは毎日のように無理矢理俺を襲ってくるようになりました。俺のことを“性欲処理係”だと言って。」
やはり表情ひとつ動かさないまま、続きを促す。
「……それで。」
「第七班からカカシを外してください。発情期以外は俺に近づかないようにしてください。あんな奴が上司だとは、俺は認めません。」
話を聞き終えると、またパイプを咥えて、そして紫煙を吐き出す。
「一度組んだ班編成を変えるのは前例がほとんどなく、理由が理由である事から人員を交代するための大義名分も作れぬ。すなわち第七班からカカシを外すことは難しい。しかし看過出来る状況でもない。」
「では……」
「カカシを二週間の禁固及び矯正プログラムの対象とする。その二週間は別の上忍を代わりに用意する。……どうじゃ、これで納得できるか。」
「……もうひとつ。カカシがオメガの少年をレイプした、という噂を流してください。」
沈黙が流れる。迷いなのだろうか。それとも考えているフリだろうか。火影ともあろう方が判断に悩むとは考え難い。この噂が流れれば、カカシの名声は地に落ちるだろう。でもそれだけのことをしたのだから、甘んじて受け入れるべきだ。
たっぷり時間を置いてから、三代目火影はパイプを机に置き、俺に目線を向ける。
「……よかろう。他にはないな?」
「はい。」
「うむ、下がってよい。」
頭を下げて、火影の執務室から出ると、俺はすっとした気分だった。
二週間は顔を合わせることもない。
そして出てきたら不名誉な噂が流れていて軽蔑の眼差しを向けられる。
ざまぁみろ。
軽い足取りでカカシの家の鍵を開ける。この家に住むのも今日までだ。
ソファに座っていたカカシは「おかえり」と、力無く笑う。無視して洗面所に行き手を洗ってからタオルで水分を拭き取る。
リビングに戻ると、カカシは虚空を見上げていた。
「……わかるよ、何となく、何しに火影室に行ったのか。……そうだな、俺は……罰を受けるべきだ。……こんなにも愛おしく想ってるサスケに、俺はやっちゃいけないことをしたし……言ってはいけないことを言った。好きで、大好きで、愛おしくてたまらないのに……支配しようとした……報いは受ける、べきだ……。」
独り言なのか、俺に向けて話しているのかわからない。わからないけど今……カカシは何て言った?
愛おしい? 大好き?
確かにそう聞こえた。聞き間違いなんかじゃない。怒りの感情が湧き上がってくる。胸が熱くて手が震えそうになる。
何なんだ。
……何なんだよそれ。
「……おい、あんた、まさかわざと俺のうなじを……」
カカシが目を見開いて俺の方を向く。返事が返ってくるなんて思ってもみなかったという顔で。
「……やっと、返事してくれたね。……うん、そうわざと。サスケを独り占めしたかった。サスケにとって特別な存在になりたかった。……最低でしょ、……ごめんね。……謝って済むことじゃないのは、 カカシの家のリビングで、呆然と立ち尽くしていた。混乱している。あいつさっきなんて言った。この数日間、あいつは俺に何を話しかけていた。
さっきまでカカシが座っていたソファに腰を下ろす。昨日までカカシは隣に座ってひたすら俺に話しかけ続けていた。それが何だったのか、確かめなければいけない気がした。……でも、もう確かめようがない。
ソファに身を預けて天井を眺める。その視界の中にカカシの忍犬がひょこっと顔を出す。あのパックンとかいうチビじゃなくて……なんかデカいやつ。
「……何か用かよ。」
「……別に、あのカカシが惚れた奴の顔を拝んでみようと思っただけだ。」
そいつはしげしげと俺の顔を眺めて、すっとどこかに行ってしまった。
“あのカカシ”……?
そういえば結局俺たちはカカシのことをほとんど何も知らないままだ。ずっとそばにいた忍犬達はカカシのことを知っているのだろうか。
「なあ、カカシはどういう奴なんだ。今までも……こういうこと、してきたのか。」
犬達が静かになって、様子を伺ってみたら何やら意見が割れているようだった。首を横に振ってる奴、前脚を上げてる奴、その脚を踏んで睨みつける奴……。
その中で小さいの……パックンがため息をついて一匹その輪から離れていく。他の忍犬がガウだのバウだのとパックンに向けて威嚇の声を上げるがお構いなしに部屋の端にあるテーブルに向かって行った。
ついていくと、ずらりと忍術書なのか指南書なのか本が綺麗に整頓されて並んでいる。そのテーブルに乗って引き出しにちょんちょんと前脚を伸ばす。開けろってことか?
他人の家の物を勝手に漁るのは気が進まないが、カカシがここに住めと言ったからには俺も住人なんだから、まあいいだろうと自分を納得させる。
中にあったのは分厚い……手帳、のようだ。手に取ってパラパラとめくると1日1ページのタイプらしい。でもそこに書いてあるのはスケジュールではなく……殴り書きのページも多いが、日記、と呼ぶのが一番近いのだろうか。毎日何かしら書いているみたいだった。
「カカシが本音を晒してるのはその手帳の中だけだ。知りたいのなら読んでみろ。」
手帳の中にしかない本音……そんな物を読んで許されるのだろうか。
しばらく考えてから、手帳を戻して引き出しを閉めた。カカシの生々しい頭の中を覗くのが気持ち悪い。知ったところで俺にした事が最低なのは変わらない。
「……必要ない。」
自分の家に帰ろう。替えの服や薬をバックパックに詰め込んで、鍵をかけたら忍犬に渡せばいい。
しかし、俺のバックパックはどこにあるんだ。
リビング、寝室のクローゼット、洗面所、探したけれど見つからない。忍犬に聞いてみても目を逸らされるだけ。仕方なく蛇を口寄せして匂いで探させることにした。
服やバンテージはすぐに見つかった。けれど一組は洗濯機の中で、汚いままバックパックに入れるのも嫌だったから洗濯機を回す。
肝心のバックパックは家中探させたけど見つからなかった。まさか、捨てられたんだろうか?
ため息をついて、またソファにどかっと腰を下ろした。どうするかな、と天井を見上げていると記憶の奥底からあの声がかすかに呼び起こされていることに気づいて、思わず意識を集中させる。
『……がえてばかりだよね、こんなに大切に想ってたはずなのに……』
これは、……カカシの……あいつはもっと何かたくさん話してたはずだ。
思い出せ、記憶を、掘り起こせ。
嫌われてるってわかってた。
だから正攻法じゃきっと意味がないって思ったんだ。
繋がる回数を増やせば、番だから、絆が深まるんじゃないかって……。
サスケが俺に……全てに心を閉ざしてから、俺の言葉を何も聞いてくれなくなって。
でも最中には応えてくれるから、この声は届いてるんじゃないかと勘違いしていた。
……実際にはその度にサスケに苦痛を強いていただけだったし、何も届いてなんかなかった。
もっともっと早くそれに気がつくべきだった。
ごめんって謝らなきゃいけなかった。
……間違ってばかりだよね、こんな大切に想ってたはずなのに、こんなひどいことをしてさ……。
サスケがオメガだと知った日から、この子は俺が守らなきゃいけないんだって、ずっとサスケを見てきたんだ。
優秀なアルファのうちはであり続けるための、血の滲むような努力もずっと見守ってきて……想いは強くなって。
ヒートにする薬を飲ませた日……サスケのフェロモンに未だかつてない感情というのか……情動……とにかくこころが揺らいだ。
運命の番、ってもしかして、って。
でも俺は上司だから、上司として対応しなければと思ってた。
だから娼館でも、セックスだけはしなかった……結果サスケに嫌われたきっかけになったけど、仕方ないって。
適度に距離を置いて上司と部下の立場を守らなきゃって思って。
だから火影様からサスケの相手をしろって命令が降ったときは、どうしたらいいのか分からなかった。
セックスをしてしまったら、上司として保っていた体面が崩れてしまうと思って。
実際にボロボロに崩れたんだけどね、サスケは覚えてないみたいだったけど……まあ、この話はいいや。
……サスケ?
……聞いてない、か……そう、だよね。
いいんだ、これは俺のエゴだから……許してもらおうなんて思ってない。ただサスケに伝えたい、っていうただのエゴ。
情けないんだけどさ、どうしたらいいかわからないんだ。
今までこうなった部下は戦線を離脱してきたから、どうケアしたらいいかなんて教わってもないし学ぶ機会もなくって。
俺にできることがあるなら何だってやりたいよ……俺が原因なのに、おこがましいとは思ってる。
だけど俺がサスケの番だから……いや、サスケのことが大切だから……なんて、どの口か言うんだって話だよね。
……聞かれてないってわかってるのに、なんで今更話したくなるんだAろうね。聞かれてないからこそ言葉が出てくるのかなぁ……。
そろそろ……寝ようか。おやすみ、サスケ。
……愛してる。
わかってるけど。謝らせて欲しい。申し訳ないことをした。ごめん。……ちゃんと罰、受けてくる。」
また力なく笑ったかと思ったら、玄関から荒めのノック音、カカシが立ち上がり、扉の鍵を開けると暗部が二人……いや、三人。そしてカカシは、そのまま玄関の外に出て、扉を閉めた。
カカシの家に、俺とカカシの忍犬達が残された。