伸ばした手
手遅れ
自分が男にやられて、しかもそれが快感で、気持ちいいと懇願するような人間だったなんて誰にも言えない。
あの強烈な気持ちよさを一度経験してしまうともう元の生活に戻れない。悔しいと思っていたのに、また明日もされるのだろうかと期待してしまう自分がいる。一人暮らしの小さな部屋に帰ってきて背広を脱ぐとベッドに倒れ込んだ。洗濯しなきゃ、とかごはん食べてないな、とかぼうっと思いながら頭の中はお尻に男のちんこを入れられたあの快感をもう一度感じたいことばかり考えている。まさか自分がそんな浅ましい人間だったなんて思ってもみなかった。行為が終わってしばらくその現実を突きつけられてひたすら泣いた。今までの価値観倫理観全部ぐちゃっと潰れて、どんなに努力してこようが俺は所詮男のちんこで喜ぶ人間なんだと思うとそんな自分に吐き気がして、泣いて、泣いて、そして俺は「現にそうなのだから」受け入れるしかないと涙を拭った。
あのたった10秒の動画を何回も再生して、俺は自分で扱きながらあのお尻の感覚を思い出そうとする。頭の中で何回も中をガンガン突かれていた時を思い起こして、奥に射精された瞬間に果てていた。
情けない気持ちが湧き上がってきてまた泣きそうになる。何やってんだ俺、なんでこんなことしてんだよ、なんで、なんで、なんで。
やるせない思いを抱えながら俺はスマホのショッピングアプリで検索していた。アナル用の大人の玩具。色々あったけどちんこと似た形のデカそうなやつを選んだ。こちらもいかがですかとご親切にローションを勧められてそれも一緒にショッピングカートに入れて決済する。明日には届くらしい。これで……。
スマホを電源に繋いで枕の隣に置いた。
もっと、もっと……感じたい、あの快感を……。
次の日も名刺のノルマを達成して賞賛の声が上がった。違う、俺が欲しいのはそんなのじゃない。ポケットの中のスマホを気にしていると振動した。落ち着いて取り出してメッセージアプリを開くと昨日の動画のようだった。胸が高鳴るのがわかる。ワイヤレスイヤホンを取り出して再生する。大声で喘ぎながら気持ちいいと言う俺。メッセージには「わかるよな?」としか書かれていない、けれど十分だった。
明日の準備をしてからカカシの席に立ち寄り「お先に失礼します」と頭を下げて部署を出る人並みに混ざる。
この流れの中で一人5階に向かうのは不自然だろう、一旦エレベーターで1階まで降りて、忘れ物でもした体でもう一度エレベーターに乗り4階で降りてから階段で5階に上がる。誰もいないトイレでしばらく待っていたら、どこかで見たような男が入ってきた。多分営業部の人間なんだろう。
「先に来てたんだドスケベで淫乱な期待の新人のサスケくん? 何するかはわかるよな?」
毎日、毎日、5階のトイレだけじゃなく、2階の会議室の奥の部屋、営業車の中、色んな場所で俺はかいかんをむさぼった。
「青いクリアファイル」といというのが合言葉らしい、会議室の机で仰向けで声を殺しながらやられている時に、ノックの音と共に「青いクリアファイル知らないか?」と聞かれて「もうすぐ使い終わるよ」と男が答えると、ノックの主が中に入ってきてちんこを出して俺の口に押し付ける。会議室ではそんな風に入れ替わり立ち替わり何人もの男にやられ続けて頭がどんどん麻痺していった。
営業車の中ではチンコをしゃぶってから自分でまたがれと言われて自分でそれを中に入れて腰を振った。気持ちいい場所に当たる動かし方がわかると喘ぎながら夢中で腰を動かした。
自分の中から何か大事なものが欠けていくような感覚とそれに勝る快感への誘惑、一週間経つ頃には仕事が終わってから数人とセックスをして、家に帰ったら買った玩具でオナニーする、そんな猿みたいな生活が日常になっていた。
そんなことを繰り返していたある日、通勤電車の中でお尻に硬いものが押し付けられた。覚えのある感覚、心臓がドキドキする。
「〝マルユウ〟君だよね……動画見てるよ……誰とでもするって本当……?」
最近俺をやるとき先輩は「マルユウ」とか「ユウ君」と言う。まさか、動画って、その時の動画がどこかにアップロードされている、ってことなのか。
押し付けられているものの硬さに唾を飲み込む。欲しい、ぐちゃぐちゃに犯されたい、誰でもいい。
俺は頷いた。後ろに立つそいつはそれをぐりぐりと押し付けながら「次の駅で降りて」と囁いた。
腕を引っ張られて多目的トイレに入り鍵が閉められる。そいつは小太りのおっさんで、今からこんな奴にやられるのかと思うと興奮した。自らズボンを脱いで臀部を露出し手すりを掴んでそいつに尻を向ける。
「遅刻したくないから、早く……」
おっさんもベルトを緩めて勃起したそれを出し、鞄からローションを取り出して手に垂らすと尻の穴に挿入する。上を擦られるたびに声が出そうになって我慢した。駅のトイレ、大きな声を出せば通行人に聞かれる。
たっぷりのローションで中を広げたおっさんはその硬いものを一気に奥まで貫いた。
「っあ゛!!」
「しー……声抑えてよ、できるでしょ? 会議室でできたんだから。」
そう言いながらおっさんはガンガン腰を振る。声を必死にこらえて中で感じる気持ちよさにうっとりして今俺は見ず知らずの小汚いおっさんとセックスをしているのだと思うと興奮がどんどん高まっていく。
おっさんの腰の動きに合わせて自分も腰を振ると気をよくしたのか更に腰の動きが早まった。
「あー……すご、気持ちいい……本当に淫乱なんだ」
淫乱、そうか、俺淫乱なんだ。先輩だけじゃなく、誰にでも足開いて尻出すんだから、そりゃ淫乱だよな。
おっさんの動きが止まってずるっとそれが抜かれる、少しして尻から生温かいものがこぽ、と溢れ出した。
ああ、もう終わってしまった、と思うと共に腕時計を確認する。まだ始業に十分間に合う。
尻から垂れてくる白い液体をトイレットペーパーで拭き取ってズボンを履いた。
一体どんな動画がアップされているんだろう。何人の人に見られているんだろう。それを確かめたかった。
「ねえ、気持ちよかった?」
ちんこをしまったおっさんが話しかけてくる。まだ息が整っていない俺は黙って頷いた。おっさんは満足気にスマホの画面を俺に見せる。つい今、ここでしていた動画。やりながらおっさんはスマホで撮っていたらしい。
「これもアップしていいでしょ? ド淫乱のマルユウ君は誰でもいいから掘られたいんだもんね?」
嫌だ、と言うのは簡単だった。でも俺は悩んでしまった。考えてしまった。この動画がアップロードされることで「こういう人」がきっと増えるだろう。セックスをする機会が、誰かもわからない人と、今のような快感を、興奮を。
「は……い……」
もう後には戻れないところまで来てしまっていた。このまま俺は色んな人に犯されて快楽を得てそれを期待しながらいつ誰から肩を叩かれるのかわからない状況に興奮しながら生活をしていくんだと思うと期待でドキドキする。
おっさんは「よかったよマルユウ君」と言い残してトイレから去っていった。俺も服を整えてもう一度ホームに向かう。ワイヤレスイヤホンをつけて誰にも見られないように電車の角でスマホに検索ワードを入れる。「マルユウ」「動画」では出てこない。少し考えて「ホモ」の単語を追加する。スクロールしていくとそれが見つかった。トイレで何人も次々にやられた時の動画。『社内の公衆便所マルユウ君、輪姦されて喘ぎまくり』というタイトル、先輩たちの上半身が映らないような場所からの映像。いきなりハメられて喘いでいるところから始まった。しばらくして中出しされた後、お尻から白濁液が漏れ出ている中次の男が現れてまたハメ始めて俺が喘ぐ。1時間半にわたるその動画の再生回数は428回。投稿者名をタップすると5つの動画が表示される。最初はあの歓迎会のときの動画、2本目からは先輩が俺のことを「マルユウ」と呼び出してからの動画。『優秀な新人君、略してマルユウ』、俺をそう呼び始めたのはこういう動画をネットに投稿するためだったんだ。ばら撒かれたくなければ来いと最初に言っていたはずなのに、いつの間にか社内どころか全世界にばら撒かれていた。そしてさっき、俺は自らやられている動画をアップロードしてもいいと見知らぬおっさんに答えた。
犯されて喘ぐ自分に前が反応する。もう何も知らなかった自分には戻れない。俺はこれからいつどこで誰とこんな事をするのかわからない。それを兄さんが知ったらどう思うだろうか、……カカシが知ったら。
知られたらもう、全部打ち明けよう。俺はそういう人間ですと。軽蔑して構いませんと。
サスケは名刺のノルマをクリアし続けた。俺に対してあまり頼る事がなくなった。あの日のサスケの様子を見て、俺はまだどうするべきか悩んでいた。サスケの身に良くない事が起きていたのは間違いないし犯人もわかっている、けれどサスケの意に反してそれを人事に告発したところでサスケ自身が被害に遭っている事を否定したらそれで終わりだ。
サスケが俺に助けを求めてこない限り、俺は身動きが取れない。もしかしたら今も、もしかしたら毎日、誰かに虐げられているかもしれないのに。このままでいいのか。……いいわけがない。
……一度、面談の機会を作ってきちんと話を聞こう。話してくれるかどうかはわからない、けどこのまま何もせず何もできないままでいるよりはきっとマシだ。
その日の就業時間、いつものように俺に挨拶をしにくるサスケに告げた。
「入社してしばらく経って、不明点とか疑問点も出てくる頃だと思うから、明日朝10時から1時間面談の時間を作るよ。外回りはその後ね。よろしく。」
サスケは表情を変えずに「わかりました」とだけ答えて部署から出ていった。……久しぶりに会話をした気がする。会話と言えるのかわからないけど。あの反応の薄さは何だろう。……明日になれば、わかるだろうか。
朝礼が終わって、俺はバインダーを持って席を立ちサスケの方を見る。サスケも俺が立ち上がったのを見て席を立った。面談なのになんで鞄を持ってくるんだろうか、と思いつつ予約してあった会議室に連れ立って入っていく。
向かい合って座ると、バインダーを開いてまずはノルマをクリアし続けていることについて誉めたが、サスケは契約を取ったときのような柔らかい顔は見せない。ただ淡々と「ありがとうございます」と答えただけだった。
バインダーを横に置いて本題に入る。
「悩みとか、不安なこととか、……なんでもいいよ、話したい事があったら聞かせれくれないかな。」
サスケの顔を覗き込むと、ふっと口角を上げた。
「悩み……不安……ですか。何が聞きたいんですか。」
俺を見るその眼差しの暗さに、とてつもない不安を感じた。俺の想定よりももしかしたら、サスケは悪い状況にあるのか、そう思わせる暗い視線。
「出来ることならすべて、聞きたい……俺が何か力になれるのなら、力になりたいと思ってる。」
「……力になる、ですか……。」
サスケはカバンからスマホを取り出して操作を始めた。そこに何があるのか、固唾を飲んで見守っていると小さい音声が流れ始める。……これは……AVの音?
画面を上に向けて、俺の方に差し出されたスマホの画面を見ると、男……と男のセックス? ゲイビデオ……違うこれ、この挿れられている方のこの髪型、横顔は……!
「どういうこと……なの、サスケ、説明を……」
「悩みならある……今すぐあんたにやられたい。あんたも男なんだろ。力になるって言ったな、やれよ、俺を。」
サスケが立ち上がって俺の方に来る。しゃがんで椅子をくるっと回して股間に手を伸ばした手を俺は掴んだ。
「だめだ、サスケッ……それはだめだ、どうしちゃったんだ、どうしてそんなふうに!」
サスケは掴まれた腕を振りほどいて、俺に軽蔑の眼差しを向ける。
「所詮そっち側の人間なんだよ、あんた。俺のことが知りたい? 理解できるわけがない。俺はもう、」
「そっちとかこっちとか、そういう問題じゃなくて!」
軽蔑の眼差しのまま立ち上がり、俺を見下ろす。
「俺はもう、堕ちるところまで堕ちる。」
「……だったら……!」
俺も立ち上がって、サスケの両肩を掴んだ。
「俺がサスケを引っぱり上げる……!! もうこんなことは、やめてくれ、頼む……サスケ」
サスケの眼差しは変わらない。そう簡単に変わるもんじゃない、それは理解した。今俺にできることは何だ。どうしたらサスケをそこから引っ張り上げられるんだ。
「死ねって言ってるようなもんだぜ、それ。俺から生き甲斐を奪ってつまんねえサラリーマンに戻れって? それぐらいなら、俺は死んだほうがマシだ。ノンケのあんたには想像できねえだろ、やられてるときどれだけ気持ちいいか……頭が真っ白になるくらい夢中になる快感を……。」
「だからって、こんな……ネットにまで、アップされて、サスケを見知った人間ならお前だってわかる、このままでいいわけがない……!」
「そんなこと別にどうだっていい……。軽蔑して、敬遠して、距離を置いて、見下せよ。なぁ、あんたも俺のことを軽蔑しただろ、底辺の人間だと思っただろ、力になりたいとか言いながら俺の望む事をしなかった、それがいい証拠だ。あんたと俺は違う。見えてる世界が違うんだよ。」
机の上のスマホを鞄に入れて、会議室から出ようとするサスケを追いかける。かろうじて掴めたジャケットの裾を握りしめた。
「俺は、諦めないサスケ、絶対に引っ張り上げる、この俺の言葉を、忘れないでくれ……!」
俺をあの瞳で一瞥して、サスケは部屋から出ていった。どうすればいいんだ、どうすればよかったんだ、なんて言えば届いたんだ。無力さを突きつけられて、杭を打ち付けられたように胸が痛む。
……堕ちるところまで堕ちる、と言うのなら俺も一緒に、そこまで行く。そこまで行ってサスケを連れ戻す。そうする以外に、サスケに言葉を届ける方法が見つからなかった。