出会いのお話
プロローグ
うちはの集落で呆然と座り込んでいたサスケを保護したのは暗部の一人だった。
その後、大人が何人か集まる部屋で何が起きたのか、何を見て聞いたのか聴取が行われたのちに、連れていかれたのは孤児施設だ。
ここにいるのはほとんどが戦災孤児なのよ、と後に付き添いの女性は言った。
うちはの事件はショッキングでセンセーショナルだったらしく、元上忍で現報道カメラマンのなんとかいう男が厳重な警戒化の集落に忍び込み、その凄惨さを写真に収めてゴシップ紙に寄稿したことで里中の者が事件について知ることになった。
当然のように、ここ、孤児施設でもその情報は大人から子どもへと静かに広がっていった。
サスケが食事をとりに食堂に行くと、ヒソヒソと声が聞こえてくる。
「ほら、あの子が例の……」
「独りだけ生き残った……」
「実のお兄さんなんですって……」
漏れ聞こえてくるたびに、泣いて叫んで暴れまわりたいくらいにこころが爆発しそうだった。
けれど、歯を食いしばって、何でもない風を装った。
アカデミーに行く道中でも、サスケを見ると大人たちがさっといなくなり、かと思えばやっぱりヒソヒソと何かを話している。
そのうち、そんな光景に慣れてしまってからは、サスケは力を磨くことに専念するようになった。
アカデミーの休み時間もチャクラを練る練習をした。基礎体力を上げるために縄跳び、腕立て伏せ、腹筋なんかのフィジカルトレーニングをした。
本当はアカデミーが終わった後も修行したかったけれど、行き帰りは暗部が一人張り付いていて目的地に向けて歩くことしかさせてもらえなかった。
誰かが漏らしたのをたまたま聞いたところによると、「唯一の貴重なうちはの生き残りに何かあってはいけない」ということらしかった。
急に突き落とされたこの孤独感を、サスケ自身どう扱ったらいいのかわからず、家族を亡くしたのに泣く暇すらなかった。
周りの視線やひそひそ声にだいぶ慣れてきた頃に気づいたことがある。
サスケと同じように、部屋に入ってきた瞬間さっと人が引いていく奴がいるのを見かけた。
金髪碧眼のそいつは確かアカデミーで同じ学年で、才能のないドベだった。
気にしたことがなかったが、アカデミーでもそいつは子どもたちはもとよりほとんどの先生たちからも腫れ物扱いされていて、アカデミーが終わった後ひとりでブランコを漕いでる姿が印象的だった。
……自分だけつらいみたいな顔しやがって。
ふと目が合うと、ふたりともそっぽを向いてその場を立ち去った。
復讐のために俺はもっと強くならなければいけない。
なのに施設ではお遊びみたいなことばかりして、修行をする時間も取れない。
それがもどかしくて、サスケはある日のアカデミー帰りの日、分身の術で作った自分を施設に向かわせ、自分はうちはの集落に向かった。
……が、道がわからない。太陽の方向で大まかな方向はわかるものの、アカデミー以外ほとんど集落から出たことのなかったサスケは孤児施設からの道中すっかり迷子になっていた。
暗くなってくると、徐々に周囲のお店の提灯が明るくなり、サスケのことなんか見えていないかのように大人たちが行き来する。
誰にも見られない。
誰にも意識されない。
それがなんだか妙に心地よかった。
喧騒の中をフラフラと歩いていると、「なが乃」と書かれた看板を表に出していた女性がサスケに声をかける。
「ちょっと……まって、まって、もしかして、サスケくん……?」
見覚えのある顔だった。
「お母さん! ちょっときて!」
女性が上半身だけ店に身を乗り出して誰かを呼ぶ。
「あらあら、なぁに、どうしたの?」とパタパタとサンダルを鳴らしてやってきたのは、父さんと母さんが時々連れてきてくれた、小料理屋の女将さんだった。
「まあまあ、こんな時間に、お腹すいてるでしょ? 中にいらっしゃい」
サスケの事情を知ってか知らずか、事件の前と同じようにサスケに接してくれたことが嬉しかった。
いつもの個室ではなく、裏口の従業員スペースで、女将さんが作ってくれたおにぎりを食べると、ポロ、と涙がこぼれ落ちる。
サスケは誰にも見られないように慌てて涙を拭った。
泣くなんて弱い奴がすることだ。俺は強くならなきゃいけない。泣いてなんていられない。
ぎゅっと、歯を食いしばる。
店が閉まり後支度をしている中、女将さんはサスケの隣に座り、優しく話しかけた。
「それで、どうしてここまで来たの?」
「……」
サスケはどう言ったらいいのかわからなかった。ただ、施設にはもう戻りたくなかった。
長い沈黙の間、女将さんはサスケの背中をトン、トン、と優しくたたく。
「……そうね、そうだわ、ちょうど今、お店を手伝ってくれる人を探していたの。サスケくんさえ良ければ、手伝ってくれないかしら? まかないで夕食も食べさせてあげられるし、どうかしら。」
サスケが顔を上げる。
「住むところもお世話してあげる。帰りたくない……のよね? だから、サスケくんさえ良ければ、だけど……」
「おれっ」
女将さんの膝に手をつく。
「何でもやります! だからっ、店においてください!」
女将さんはうん、うん、と頷きながら暖簾を店の中に入れている大将に目を向ける。
「ちょっと、あなた」
「どうした」
「……こういうわけでね、まずはサスケくんの住むところを用意してあげたいの」
大将はふむ、と顎に手を置き、少し考えた後、「わかった」とサスケに目を向けた。
「知り合いに詳しいのがいる。そいつと相談しながら決めていこう。」
次の日、会いに行ったのはいかにもお役所勤務といった風貌の男性だった。
いわく、孤児には全員「孤児給付金」というものが支給されているが、施設に入っている子は施設内の滞在費でほとんど給付金がなくなってしまいお小遣い程度しか手元に残らないこと、施設を出れば全額手元に入るので二万円程度の安アパートで夕食もまかないで出るのであれば十分生活できるだけの金額であること、希望であれば施設退去の手続きは全部やってくれること、などを教えてくれた。
その人に退去と給付金の手続きをお願いして、次はアパート探しだ。
大将の知り合いに何棟かアパートを経営している人がいるというのでその人に会いに行った。
なるべく「なが乃」から近い場所で、アカデミーにも通いやすく、家賃も安いところ。サスケの出した条件はこれだけだったが、大将がさらに付け加える。風呂トイレ付き、1Rか1K、洗濯機置き場があるところ。
老眼鏡をかけた初老の男性が腕を組み、なるほどね、とつぶやく。
そしてザッと地図を広げ、赤い印のある一点を指した。
アカデミーとなが乃のちょうど中間だ。
続いて紙のファイルを取り出してパラパラとめくり、目当てのページが見つかるとサスケたちの前に出す。
「1Rで風呂トイレ別、室内に洗濯機置き場あり、窓は西向き、二階の真ん中の部屋が空いてる。築年数はだいぶいってるがその分家賃は安い。本来二万二千円だが、いづきさんの紹介なら二万円にしよう。どうだ、坊主。」
サスケはよくわからなかったが、大将が頷いているのを見て、「お願いします」と頭を下げた。
続いて男性はそろばんをはじきはじめる。
「敷金と……紹介だから礼金はいいか、前家賃に火災保険料、と……保証人はいづきさんでいいんです?」
またもやサスケはよくわからなかったが、大将が頷いたので再び男性を見る。
「初期費用としてひとまず六万円な。次の月の家賃を前月までに払ってもらうから遅れのないように。火災保険は二年契約で二万円、これは二年ごとにかかるお金だから計画的に貯めなさい。」
六万円、という金額に頭をガン、とぶつけたような気分だった。急にそんなに払えない。
「坊主、初期費用だけでそんな顔してたらまともな新生活出来ねえぞ。住むとなったら布団とか洗濯機とか冷蔵庫とかいるだろ? 安くてもあと十万くらいはかかるぞ?」
知らなかった、一人暮らしするのにそんなにお金がかかるなんて。
見かねた大将が、サスケの背中をバン、とたたく。
「心配するな。最初にかかるお金は俺が立て替えてやる。働きながら返してくれればいい。その代わり、うちはの坊ちゃんとしてじゃなくきちんとうちの従業員として働いてもらうからな。覚悟はしとけよ。」
サスケは大将の笑顔を見て、ほっとしたと同時に、施設を出たことでこれからは全部ひとりでなんとかして生きていかなければいけないことを覚悟した。
アカデミーの食堂で、いつものようにひとりで食事を取っていると、同じテーブルに例の金髪碧眼がやってきた。
怪訝な目で見ると、「お、お前と一緒に食いたいわけじゃねーからな!」と喧嘩腰だ。
周りを見てみると、他のテーブルは皆金髪碧眼に嫌な目を向けている。なんとも言えない嫌悪に満ちた眼差しだった。つまり、他に行くテーブルがなかったのだ。
「……お前、施設出たんだってな。引き取ってくれる親戚でもいたんだろ。……よかったな。」
金髪碧眼はそれだけ言うと、ふいと顔を背けた。
こいつの事情は知らないが、周りの大人も子どもも関わろうとしないからうちはの事件についても何も知らないんだろう。
サスケは少し考えて、ポケットに入っていたくちゃくちゃの名刺を出した。あのお役所感のある人のものだ。
「お前も施設出たいんだろ。」
名刺を投げて寄越す。
「この人が力になってくれる。俺も世話になった。出ちまえばいいじゃねえか、あんなところ。」
それだけ言うと、サスケは食べ終わった食事プレートを下げに行った。
なが乃での仕事は皿洗いから始まった。跡取り娘のしおりさんがあれこれ教えてくれるので、食器ごとの洗い方や注意するところを教えてくれたし、慣れるまでは可能な限り一緒に洗い場に立ってくれた。
アパートやアカデミーとの行き帰りは相変わらず暗部が張り付いていたが、アカデミー後の修行には口出しをしなくなった。
恐らく施設だと門限があったから厳しかったんだろう。
どうせ張り付いてるのなら修行の相手になってくれればいいのに、と思い奇襲をかけてみたこともあったが、さすがにそこは暗部、華麗にかわして何もなかったように一定の距離を置いて見張っているだけだった。
サスケはなが乃での仕事を終えて自宅に戻り、薄っぺらいせんべい布団に身体を沈ませる。
女将さんにも、大将にも、しおりさんにも、頭が上がらない。なが乃の方に足を向けて眠れない。そのくらい感謝している。お給料なんていらないくらいだ。
財布の中身を確認する。今月分の家賃はもう振り込んだから、あとは自由にできるお金だ。その中から手裏剣なんかの消耗品を買ったり、食費でなくなる分を差し引くと一万円ほど残る。
サスケとしてはこのお金を大将が立て替えてくれたお金の返済にと思っていたけれど、大将からそれは貯金しておきなさい、と言われたのでその通りにしている。
しんとした室内にいると、否が応でも家族で過ごしていた頃を思い出す。そして一番好きで信頼していた兄の手によってその家族が殺されたことも、同時に思い出す。
「……必ず、殺す」
サスケは毎日己に誓う。
そんな生活が、アカデミー卒業まで続いた。