あの頃のぼくら
新しい日常
この部屋に出汁の良い香りが漂うなんて、契約したときに誰が想像できただろう。
カカシは今まで特定の誰かと付き合ったことはなかった。ゆきずりの女なら両手で数えるくらいの人数は覚えがあるが、決まった人を作ることで自分の弱みを作るような気がして、抱いた女と深い付き合いにはならないようにしてきたのだ。
だから今のサスケとの関係は想定外で、そして凄く新鮮で、ついでにものすごく幸せに思っている。
お互いに忍の身であるわけだから、いつ何があるかわからない。
おまけにサスケは、復讐と一族の復興が目標だ。
男の俺との関係はいつか思い出になってしまうだろうし、うちはイタチの消息がわかれば里を抜けてでも追いかけるかもしれない。そのときは、俺は切り捨てられるだろう。だけど全てが終わったときに、一度だけでいいから俺のところに立ち寄ってくれたら、そう淡い想いを抱いている。……俺が勝手に抱いているだけで、サスケには何も言っていない。
ただ正直なところ、サスケが俺たちの関係についてどう思っているのかは知りたかった。
俺はお前にとっての何者かになれているんだろうか。
俺と同じように、かけがえのない存在だと思ってくれているだろうか。
そんなことを考えながら、俺は割烹着を着たサスケがキッチンで悪戦苦闘しているのを眺めている。
どうやら「見て覚えた」ものの「実際に作る」となるとだいぶ勝手が違うようだった。
写輪眼で板長の動きをコピーしたら、と言おうと思ったけれど、何だかそれはズルのような気もして、サスケの好きなようにやらせてみている。
キッチンに立つサスケは、限界まで緊張していた。失敗したらせっかくの食材が無駄になってしまう。
卵料理がいい例だ。簡単だと思わせておいて、細かい火加減や返すタイミングを間違えると、悲惨な結果になってしまう。
家庭用のキッチンは火力が弱いのもあって、単に同じことをすればいいわけでもない、というのも実践してはじめてわかったことだ。失敗は成功の元、と肝に銘じながらそこそこの失敗作はタッパーに入れて明日の自分の弁当にすることにして、見栄えの良い料理を皿に盛り付けていく。
だし巻き卵も、二回目のチャレンジで何とか形にはなった。そこに、炊飯器が炊けたことを知らせる電子音を出す。
うまく炊けただろうか。
蓋を開けた途端の蒸気に驚きつつ、しゃもじでふかふかとごはんをまぜると、どうやらいい感じに炊けているようだった。ようやくほっと一息つく。
作っておいた味噌汁を温めているうちに、ローテーブルに出来上がった料理を持っていく。
カカシが「何か手伝うことある?」とテレビのリモコンを片手に聞いてくる。が、慣れない状況に他人が入ると余計にややこしくなるので、気持ちだけ受け取った。
温まった味噌汁とごはんをよそい、ローテーブルに運ぶと、食卓には、煮魚にだし巻き卵、きんぴらごぼう、お味噌汁とご飯が並んだ。
最後に、箸を置く。
「サスケ君、良いお嫁さんになれるよ~」
カカシがニコニコしながら言う。自分の家だからか、今はマスクも額当ても外していて、完全に素顔を晒し出している。今まで、そんなカカシを見るのはセックスの時だけだったから、何とも新鮮だ。
緩みきったカカシの顔を見ながら、ローテーブルの向かいに正座して箸を取る。
「「いただきます」」
はじめての手料理。何度も味見をした。きっと大丈夫だ。
やや緊張しながら、味噌汁を一口飲む。なが乃と同じとまではいかないが、家庭料理としては合格ラインではないだろうか。
カカシの顔をチラリと見ると、間抜けな顔で「はぁ~おいし」と感想を口にしていた。
「本当に? うまいか?」
「うん、あったまるし、美味しいよ。」
顆粒出汁の存在を知らないサスケは、なが乃で教わった通りに鰹節と昆布でいちから出汁をとっていた。不味いわけがない。カカシは料理に関しては門外漢だが、シンプルながら手間のかかった料理に感動していた。
(幸せすぎないか、この状況)
味噌汁とは別に出汁をとって作っただし巻き卵も、優しい味で心がほっこりする。
「いいお嫁さんもらっちゃったなぁ、俺。」
「それって俺のことか?」
「他に誰がいるのよ」
「嫁……嫁なのか? 結婚してないし、俺男だぞ」
「細かいことはいーいの。大好きな人と美味しい手料理が最高ってコト。」
大好き、という言葉にサスケは口ごもる。
俺も、と言える勇気がないので、無言できんぴらごぼうに箸を伸ばした。
今日は結局、カカシの買い物は早々に終わって、ほとんどがサスケの買い物になっていた。
調理器具を買いに行った後は、炊飯器や調味料、野菜や魚を買いに回って、気がつけば夕方だった。
ベッドの配送があるため急いで帰り、部屋を整理してから新しいベッドとタンスを運び入れ、いよいよこの部屋で二人の生活が始まるんだ、と実感した。
カカシが軽い模様替えをしている間にサスケはキッチンに立って、酎ハイの段ボールを脇に避けてから下ごしらえをしていたから、料理が終わって改めて部屋を見ると新しい家具が部屋に馴染んでいて、自分が迎え入れられたんだ、ということがわかって嬉しさが込み上げた。
「明日は任務だから、しっかり食べて休まないとな。」
暗に、昨日みたいなセックス三昧はやめてくれ、と伝えたものの、「ダブルベッドで寝るの、楽しみだね~」とカカシは言う。なんだか噛み合っていない。
「あー美味しかった、ご馳走様でした。」
「ごちそうさまでした。俺、後片付けするから、先にシャワー浴びてこいよ。」
「え、えっ、ええーっ、お風呂一緒に入ろうよ。お湯張るし。サスケと一緒に入りたいよ。ね、準備しておくから。」
シンクに食器を運びながら、サスケは露骨に嫌な顔をする。
「あれ、お風呂、嫌い? おまえんち、シャワーしかなかったもんな~。でもお風呂もいいよ、ね、入ろう?」
別に風呂は嫌いではない。が、昨日シャワー浴びた後、なし崩し的にセックスにもつれ込んだために、サスケは警戒しているのだった。絶対にタダで済むわけがない。
「じゃあ、あんたの後で入る。先入ってろよ。」
「ひどいっ冷たいっ。ひとりでお風呂なんてつまんないよ。俺は一緒がいいでーす。ほら、後片付けも手伝うし。」
カカシは食べ終えた食器を重ねて、「ね?」と言いながらキッチンへ向かう。
「おい……」
サスケが後を追うと、シンクに食器を置いて、洗剤を手にとり、タワシで食器を洗い始めた。
「おい、おいちょっと待て、それじゃない、タワシじゃ皿が傷つく。こっちだ。」
見かねてサスケがスポンジを持ち、カカシをシンクから追いやる。
「こっちの方がしっかり洗えそうじゃない?」
「わかんねぇなら、手出すな。ウスラトンカチが。タワシは鍋とかにこびついたのを取るんだよ。」
「なるほど」
なが乃で培った皿洗い技術で次々にサスケは皿を片付けていくのを横目に、カカシはコンロの上に置かれた汚れているフライパンを見つける。
「こういうのに、使うのね?」
サスケはフライパンをタワシでこすろうとするカカシを見て、ギョッとする。
「だめだ、やめろ! やめろ!!」
思いの外大声で制止されたため、さすがのカカシも動きを止めた。
「フライパンは、育てるもんなんだよ! 泡のついたタワシなんて最悪だ! だから触るなって言ってんだろ!」
そしてタワシを没収される。サスケを怒らせてしまったようだ。
「ごめんごめん、知らなくてさ。……なんか手伝いたいんだけど、なんかないかな?」
「風呂の掃除でもしてろ!」
「……はぁい」
とうとう、キッチンからも追い出された。
うかつに触らない方が良さそうだと判断したカカシは言われた通り、風呂場を掃除することにした。
ひととおりきれいに片付けたところで、サスケはようやくカカシの様子を伺う。
あんなに怒ることはなかったかもしれない。いや、でもダメだろ。しかし、知らなかったのなら仕方がないのでは。いやいや……。
気持ちがスッキリしないまま、バツの悪い顔をしてカカシに声をかける。
「風呂の準備、終わってるのか。」
カカシは、気にしていない様子で「バッチリよ~」と親指を立てる。
「じゃあ、……入るか。」
「!! えっいいの? 一緒に? ほんと? 怒ってないの?」
「別に……気が変わっただけだ。」
一緒に風呂に入るとしても、その後ベッドに雪崩れ込まなければいいだけ。
カカシの方をチラリと見ると、心底嬉しそうに、口元なんかにやけきりながら、バスタオルの準備をしていた。そんなに嬉しいのか……?
なんだか、怒っていたのがバカバカしく思えてきたので、サスケも寝間着と下着をタンスから取り出す。
「本当に一緒に入ってくれる?」
「何度も言わせんな」
脱衣所に着替えを置いて、服を脱ぎ、洗濯機に放り込む。
カカシも慌てて脱衣所に入ってきた。
風呂場の扉を開けると、湯気がふわっと脱衣所にただよってくる。
「サスケって先に入る派? 洗う派?」
「え、身体は洗ってから入るだろ?」
「よかったー、一緒だ。俺も洗う派!」
楽しそうにカカシが服を脱いでいる。
「なんかさ、俺の同僚の中に先に湯船に入るって奴がいて。そいついわく、先に湯船に入ることで皮膚がふやけて垢が落ちやすくなるんだってさ」
「ふーん」
なるほど、理にかなっている。が、湯船が汚れるような気がして嫌な感じもする。
サスケは先に風呂場に入り、シャワーを出した。まずは全身にシャワーをかけ流し、髪の毛を濡らす。
ちょっと熱めで、気持ちいい。
髪が十分濡れたところで、カカシが「俺にもシャワーちょーだい」と入ってくる。
手に持っていたシャワーヘッドをそのままパスして、サスケはシャンプーでガシガシと頭を洗った。
液体シャンプーはワンプッシュで十分泡が立つことを昨日学んでいたので、今日はスムーズだ。
カカシから勧められた「こんでぃしょなー」も使ってみたら、今日の朝身支度をしている時に櫛の通りが良くて驚いた。
世の中にはお金を出せば色々な便利なものがあるものだ。泡だてネットもそのひとつで、洗顔の時に使うとふわふわの泡になって気持ちよかった。キッチンはほったらかしな割にカカシの風呂場はやけに充実している。
決して顔がカッコイイ部類ではないカカシだが、何かと気をつかっているらしい。
ひととおり洗い終わって、シャワーで泡を流し終えたサスケがカカシに目配せする。
「先に入ってていいか」
「いいよー俺もすぐ入るから」
では遠慮なく、と一番風呂をいただく。
サスケの小さい頃、一番風呂は決まって父さんだったな、と思い出す。湯船に浸かるなんて何年ぶりだろうか。
首まで浸かって、思わず「ふぅ、」と声が出た。
「湯加減どーお?」
「ちょうどいい」
「よかった。お湯はるの久しぶりだからさ。」
そういえば、サスケの部屋に通い詰めていたから、カカシも最近はシャワーばかりだった。
キュッと蛇口を閉め、シャワーを止めたカカシが湯船に入ってくる。
目を閉じてお風呂を満喫していたサスケは、カカシのスペースを作ろうと、足を引いた、が、カカシの股間に目が釘づけになった。
(……めっちゃ勃ってるじゃねーか! )
腹に付かんばかりにギンギンだ。カカシがのんびりと「入るよ~」
と言うセリフも、変な風に聞こえてしまう。
「……なんでそこ、そうなってんだよ……」
顔が熱いのは、多分お風呂のせいだ。
「いや……サスケとお風呂と思うと興奮しちゃって……」
ハハ、と頼りなさげに笑う。
本能的に、サスケはカカシと最大限距離を取る。
「念のため、はっきり言っておくが、しないからな、今日は」
せっかくのお風呂なのにゆったりとできない。
「ええ、ええー、一緒にお風呂に入って、一緒の布団で寝るのに、しないなんてアリなの。」
カカシがしょんぼりと肩を落とす、が、下の硬さは保ったままだ。なんだか気の毒なようにも思う。
「でも、お風呂はやっぱ良いよね~」
カカシは、サスケと向かい合わせに湯船に腰を下ろした。
「まぁ、悪くはないな」
カカシの下半身に意識が向いていたサスケも、カカシの言葉には同意する。
「サスケは銭湯とかも行かなそうだし、久しぶりなんじゃない?」
「ああ、何年かぶりだな。」
里の孤児施設に入れられた時は、決められた時間になると一斉に大浴場で入った。
あの頃は戦争孤児がそれなりにいて、親がいない子どもたちばかりだった。ただ、施設を出た後すぐにお金を稼がなければならないからアカデミーに入 「」る、という子どもが多かった。
だが、施設にいた奴らはもう顔も覚えていない。
施設に入って間もなく、サスケは一人暮らしを始めたからだ。
「こんなにゆっくり入るのは……」
家族がまだいた頃だ、普通に暮らしていた、あの頃。
手をギュッと握りしめる。その手を、カカシの大きい手が包み込んだ
「これからは、ちょくちょく一緒に入ろうね。」
顔を見上げると、カカシがニコッと笑う。
「そう、だな。」
今はひとりじゃない。カカシがいる。でも俺は、イタチに復讐しなければならない。この生活はずっとは続けられない。もっと力をつけて。もっと強くなって。握ったこぶしに力が入ると、カカシもその手をぎゅっと握りしめた。
「俺はね、今幸せだよ。サスケと一緒に暮らせることになって、一緒にご飯食べたり、こうしてお風呂に一緒に入って、寝るときも一緒だし。今のこの瞬間がずっと続けばいいなってさ。」
「なんだよ、急に。」
「サスケも、今のこの瞬間にもうちょっと目を向けても良いんじゃないかなぁ。」
帰る家がある。帰りを待つ人がいる。それだけで今はいいんじゃないか。
「この先どうなるかはわかんないけどさ。とりあえず俺は今、幸せだなって思ってるよ。サスケは?」
カカシは手を握ったまま、まっすぐにサスケを見る。
心配、してくれているのか。俺、変な顔してたのかな。
カカシの顔が近づいてきて、サスケのおでこにキスをする。サスケの胸が高鳴る。カカシのキスに、サスケは弱い。
「……俺も、そう思う……。」
「うん、うん。」
顔が熱い。
「なんか、のぼせてきたかも。もう上がる。」
「えー、大丈夫?」
サスケは真っ赤な顔のまま、湯船から上がった。
カカシはその背中を見送る。
(まずいなー、かわいい……)
未だ隆起する自分の息子を見て、カカシは肩を落とした。
カカシが風呂から上がると、サスケはもう寝る前の薬を飲んだ後のようだった。
本当に今日はしないつもりらしい。
「のぼせた? 大丈夫?」
「ああ、そんなにのぼせてなかった。」
ということは、あの顔がのぼせた感じは何だったのか。気にしないことにしてシンクにコップを置く。
サスケは一緒に寝るために新調されたダブルベッドに目を向けた。それに気づいたカカシが、すかさず声をかける。
「俺、手前が良いなー、サスケ、奥で寝ない?」
ここはカカシの部屋だ。家主の言うことには従う。
「俺はどこでもいい。奥でいいよ。」
サスケが奥なら、無理やりもつれこんでセックスに持ち込みやすいぞ、というカカシのたくらみに気付く様子もなくサスケは承諾した。
しかし、すぐにでもベッドに向かうのかと思いきや、サスケは赤い顔をしてもじもじしている。
やっぱりのぼせてるのか? それとも先に新しいベッドに入るのは気が引けるのだろうか?
「んー、いっしょに、寝よっか?」
「あ、ああ、そう、だな。」
やはり何だかもじもじしているサスケ。どうしたんだろうか。カカシは心配になる。
「サスケ、大丈夫? なんか変だよ。」
「あ、あんたこそ、その、大丈夫なのかよ……その……」
目線がカカシの股間に移る。え、これ、もしや、まさかの、お誘い……!?
顔がにやけるのを我慢しながら、大人の男としてクールに対応せねばと思い。
「サスケが寝た後オカズにして抜くから大丈夫だよ?」
下手な事を言ってしまった。
「オカズ??」
「あ、いや、えーと。」
うろたえるカカシは完全にクールでもなんでもない。だが、サスケはそんな様子に気が付いていないようだった。
「あのさ、もし、もしの話な。そこがきついんなら、ヤるのは今日はダメだが、口でだったら、その……。い、いいんだぜ?」
(えっええっえええーっ! なになになに!? どゆこと!?)
「い、いいいいの?」
「ああああんたが嫌なら、いいんだ、聞かなかったことにしてくれ!」
「聞いた! 聞いたよ! 確かに聞いたから! し、してくれるなら、してほしいし!!」
カカシはサスケに駆け寄り抱きしめた。なんてこった。
「俺、うまくできないかもしれないけど、いいか?」
「その気持ちだけでも、いっちゃいそうなくらい嬉しいよ?」
「じゃあ……」
ベッドを見る。
「行こっか、ベッド。」
サスケはこくりと頷く。
真っ赤なおでこに軽くキスをして、手をつなぎ、二人はベッドへ向かった。