魅入られた者
繋がり
カカシは笑い始めた、クツクツと静かに笑いながら額に手を当てて天井を仰ぎ見る。
俺は今見たものが信じられなくて、そんなカカシを見ながら「嘘だ……」と呟いた。
「眠らないように可愛い抵抗していたのかと思ったら……俺たちも文明に追いついていかないといけないって訳だ。」
ひとりごとのように呟いてからカカシは、またいつもの優しい笑顔に戻る。
俺は後退りながら、カカシが言った言葉の意味を考えたくなくて、そのまま壁に背をついた。
「さて……こんなに早くバレちゃうとはねぇ。どうしたものかなぁ……。ま、建設的に話をしよう、サスケ。座りな?」
もう閉じられている左目。いつもの笑顔。いつもの声。でもその言葉は、自分が俺を神隠しに遭わせ、その後毎日俺の夢に現れているそいつ本人であることを認めている。……そんなの、信じたくない。信じられない。カカシが人間じゃない別の何かだなんて。
「……別に今は取って食おうなんてしないよ、ここにいるのはただのはたけ先生。だからとりあえず座ろっか。」
動揺を隠しきれないでいる俺は、カカシの言う通りに元の椅子に腰を下ろした。机の上に置いたままだったスマホを手に取り握りしめる。
「警戒しないでよ……って言っても無理かな。ともかく話そう、ね? 俺とお前はもう繋がっちゃってるから、俺を追い払う事はできないよ、てのがまずひとつ。」
「……なんで、繋がったんだ。神隠しのとき、か。」
「あー、と、そうだね、前提条件としてサスケは俺たちのことを全然知らないわけだ。知りたいのであれば何かと交換する必要がある。俺たちのことを知る代わりにサスケは何を俺に差し出してくれる?」
何を、って……、こんな意味のわからない存在に何を差し出したらいいのかなんてわからない。知りたい気持ちと、そんな交換条件がつくなら知らないままでいい気持ちの間で揺れる。
「ふむ、それもわからない、か。ならまずは自己紹介くらいはしておこう。俺は普段は普通の人間と変わらない、ように装ってる夢魔に分類されるうちの淫魔。カタカナで言うところのインキュバス、の方がわかりやすい?」
いんま……インキュバス……淫魔? それってつまり、性的な夢を見せる悪魔、だったか。……そんなこと全然詳しくないからよくわからない、けどその通りであれば、俺がカカシのことを知る交換条件はつまり、性的なこと……。
「と、いうわけだから、交換条件が何なのか、賢いサスケなら察しがつくよね。どうする? 知りたいか、知りたくないか。大丈夫、対等に話をするつもりだ、陽が高い内は力も使えない。」
知りたい、けど変なことをされるくらいなら知らないままでいい。対等に話って言ったって、俺は今まで餌食になってきてるわけで、俄かには信じられない。
「一応、聞いておくけどその情報料には、……どの程度のことが、必要なんだ。」
カカシは右手の人差し指を立てる。
「射精1回分、でいいよ。」
「……こんな状況で勃つわけねえだろ。」
カカシはそれを、交渉に前向きだと捉えたようだった。
「淫魔を舐めないで欲しいなぁ」
立ち上がり、俺が座る椅子の方まで来てその手を伸ばす。俺は立ち上がってその手から逃げるように身を引いた。
「怖くないから逃げないでよ、ちゃんと気持ちよくさせてあげるのに。」
心外そうに手を引いて腰に置く。無理矢理、するつもりはないみたいだった。
「その交渉は断る、元の場所に戻れ。建設的な話とやらを聞いてやる。」
肩をすくめて、カカシはまた向かいの椅子に腰掛ける。机の上で手を組んで、いつもの笑顔を見せるカカシは、俺が好きだったカカシそのもの。だけどもう、そんな思いは抱けない。こいつはカカシだけど、人間じゃない。
「……建設的に、ね。さっきも言ったけど、俺とお前はもう繋がっちゃってるから、お前は俺から逃げる事はできない。ここ、重要なところね。」
「何で繋がったんだ、あんたと俺が何か特別な事でもしたって言うのか。」
カカシは少し視線を逸らして何かを考えてから、また俺に視線を戻す。
「本来俺たちと人間……含む現世の者は交わることがない。簡単に言ば別の次元で生きてる。けど唯一重なり合うタイミングがある。そのタイミングに、人間であるサスケと、人間でない俺が鉢合わせた。そこで俺たちに繋がりができた。それがあの神隠しの日にあたる。」
「……ちょっと待て、それなら今俺の目の前にいるあんたは何なんだ。俺たちと交わらないならカカシという存在がそもそもこうして目の前にいないはずじゃないのか。」
「そこはちょっとワケアリ。簡単に言えば淫魔が繋がった人間に惚れて子供作っちゃった、それが俺。」
あっけらかんと話すがまた信じられないような話だった。そんなハーフありなのか。そもそも淫魔って妊娠するのか。
「だから俺は陽が水平線に沈んでその光を完全に失うまでの間は人間として現世にいられる。黄昏時からは半分半分、闇が支配する時間になると完全に隠世の者になるから人間の目には映らなくなる。」
「かくりよ……? でも夜あんた俺の目の前に、いたはず、だよな。なんで人間の俺の目に映ってんだよ、辻褄が合わない。」
「それは俺とサスケが繋がってるからだ。」
何なんだ……繋がりって、しかも追い払うことができないって。
「どうやったらその繋がりを断てるんだ。」
「……俺のこと嫌がってる? ……ちょっと寂しいね、それ。でも繋がりを断つ方法はごめんけど、俺も知らない。」
カカシは少しだけ眉を垂らして、それでも笑顔を崩さない。一縷の望みが絶たれた。俺はこの先ずっと夜あんな目に遭い続けなければいけないのか。繋がってしまったから。……何で繋がってしまったんだ、あの日何があったんだ……。
「そういう訳だから、毎晩俺は自然とサスケのもとへ向かってしまう。繋がることでサスケだけでなく俺も縛られちゃってるわけよ。繋がり自体はもう諦めるしかない。そこで、ここからが本題ね。」
もうこんな話なんか続けたくもない。まだ何かあるのか。意味わかんねえ事ばっかりベラベラと話されて俺の気持ちにもなれよ、いつものカカシならわかってくれるはずなのにまだ話が続くのかよ。勘弁してくれ……。
「……まあ、そんな気落ちしないでよ。ともかく俺は毎晩サスケのもとに行く。淫魔として。今までは暗示をかけて夢の中に誘い込んできた。でも今サスケは俺のことを認知している。俺が毎晩サスケのところに行くことも知った。俺とサスケは毎晩一緒に過ごさなければならない。繋がってるからね。でだ、サスケはどっちがいい。今までのように暗示をかけられるのと、正気の状態で俺と向き合うの。」
正気の方がいいに決まって……待て、淫魔としてということは、正気の状態でつまりカカシとセックスするって話なのか今のは。そんなの無理だ。それなら暗示とやらをかけられてる方がマシだ、意識を保ったままあんな行為を受け入れるなんて絶対に嫌だ。たとえ夢の中だとしても、現実じゃないとしても、カカシとそんなことをするなんて、受け入れられない。
「……前者、だ。来るのを拒めない事は納得したくないが理解はした。その代わり約束しろ。あんたが来たことを絶対に俺に悟らせるな。あんたが来た形跡を何ひとつ残さずに朝になったら立ち去れ。」
カカシは意外そうに目を丸めた。そして寂しそうに笑う。
「……サスケは夜の俺とは会いたくないって事ね、……わかった。努力する。」
主張が通ってホッとする。俺は変な夢を見た気がすると思うだけで済む。夢の中で何が起こっていようが所詮夢だ、現実に支障はない。ただカカシの正体がわかった以上、もうこうしてカカシの授業で手を挙げてこの部屋で教わる事はないだろう。変化があるとすれば、そのくらいだ。
「もう論点はないな?」
「うんまあ、夢の中でサスケの精力を貰うけど、そこは勘弁してね、ってくらい。」
俺は鞄にスマホを入れて椅子から立ち上がった。まだ信じられない気持ちと、カカシの左目が赤かった事実、語られた事、どんなに意味がわからなくても受け入れざるを得ない、けど被害は最小限で済む。
カカシのことは好きだった。けどもうそんな事を思うこともないだろう。
「失礼します、〝はたけ先生〟。」
生徒指導室の扉を閉めて、ため息をついてから昇降場に向かった。
約束通りに、その日からはよく思い出せないけど妙な夢だった気がする、と思う程度で、少しだるい朝を迎える以外は何の変哲もない日常に戻った。
学校に行けばカカシは普通に先生をしてるし、他の先生と何ら変わらない。読破してある教科書をなぞるつまらない授業を受けながら、大学入試の過去問に目を通すつまらない毎日。
そのつまらない毎日の中で、カカシに教えを乞うあの生徒指導室の時間だけは特別だった。
それもなくなった今、志望校に合格するための勉強に励む以外にすることはなくなった。
教科書を脇に置いて問題集を広げる俺を指す先生もいなくなった。ことごとく正当な解を出してきたから野放しにすることにしたんだろう。
家から近いのと、歴史が浅いながらも難関大への進学率の高さで選んだ高校だけど、蓋を開けてみれば特別な事をするわけでもない、多分最初から優秀な奴が入ってきてそういう結果を残したってだけなんだろう。
授業はつまらないが、図書室の本のラインナップは悪くないし、自習に集中できる環境は用意されている。今まで教室に残るのが俺しかいなかったからその図書室の自習スペースは使ったことがないけど、いずれ世話になるかもしれない。
つまらない生活を続けながら、朝だけ少しの違和感を覚えては、あいつもよくもまあ毎日足繁く通うよな、とは思う。妙な夢を見た気がすると思うのは、カカシが来た証拠。次第に朝のその違和感を覚えるたびにカカシのことが頭に浮かぶようになっていった。
あいつは夢の中で、俺にカカシが好きだと暗示をかけて一晩中ゼックスに明け暮れているんだろうか。暗示をかけた俺とヤッてつまらないとは思わないもんなのだろうか。
まあ多分、本来の淫魔とかいうのはそういうものなんだろうから、カカシにとっても「いつも通り」なんだろう。対象が俺に絞られただけで。
そこでふと思った。「繋がり」とかいうやつ、ネットに何か情報はないだろうか。カカシの両親も「繋がって」いたという事は、俺が知る限りサンプルが2件。他にも経験している人がいるかもしれない。
カカシが口にした単語を思い出す。現世と隠世。陽が水平線に沈んでその光を完全に失った後は隠世。「俺たち」としか表現しなかったけど、多分総称が何かある。モノノケ? 妖怪? 思いついた単語を検索していくと、なんだかオカルトっぽいサイトが引っ掛かった。そこには「隠世の住民」という表現で説明が加えられていた。
『陽の光が届く現世(うつしよ)が現実世界の住民の世界だとしたら、陽の光が落ちた後の闇に包まれた時間は隠世(かくりよ)の住民の世界だ。通常交わることのないこの二つの世界を結ぶ黄昏時に、稀に私たちは彼らの姿を認めることがある。黄昏時の中でも、季節や空気の澄み具合、天候など様々な条件が重なった時、黄昏時は逢魔刻と化す。
私はその条件を満たせそうなタイミングを狙って隠世の住民と相見えることが出来ないか何度も検証したが、残念ながらまだ確証を持ってこれは隠世の住民だと思える者とは出会えたことがない。
ただ当サイトに寄せられた体験談を見るに、確かに隠世の住民は存在する。共通する特徴として、人間と変わらぬ姿をしていること。顔がよく見えないこと。そして人間を惑わせ、何らかの接触行動をとることがわかっている。』
……体験談があるという事は、その人達は記憶を保ったまま元の世界に戻ってきている。俺とは少し違う。いや、多分それはカカシが俺に暗示をかけたからだ。ということは、この体験談の中にカカシと同類の奴はいない。
体験談のページを開く。目次をざっと見て「繋がり」がないか探したが無さそうだった。このサイトの体験談自体が9件しかないから母数が少なすぎる。それに恐らく「無事に帰って来れた」人達だろう。「無事では済まなかった」人の話がどこかにないだろうか。
唯一ヒットしたそのサイト以外に情報は無さそうだった。
それなら……。
アングラサイトとして悪名高い巨大掲示板群を開く。カテゴリーの中にあった「オカルト」掲示板を開いて、新しくスレッドを立てる。
『淫魔と「繋がり」を持ってしまったがどうするべきか教えてくれ』
1にざっと経緯を書くと、すぐにレスがつく。
『kwsk』
『裏山けしからんと思ったら男同士か、ドンマイ』
『繋がりって何だ誰か詳しい人』
取り立てて役立ちそうなレスはつかない。むしろ好奇心でもっと詳しく話せと言う奴ばかりだ。
一旦、スマホを置いてこの日はもう寝ることにした。