魅入られた者
好きなように
カカシが立ち去ってから、夜更かしした分の睡眠時間を取り戻すためにまたベッドに潜った。日中だからカカシが来るはずがないのに、夢に出てくるのはカカシばかり。抱きしめられる夢、キスをする夢、そして、セックスをする夢。目が覚めたときに最低な気分……になっているかと思ったら、意外にもそんなことはなくただ普通の夢を見た時と同じで、身体がだるいということもなく久しぶりに普通に目が覚めた、という感じがした。
夢は夢だ、カカシが関わってないんだから、別にどうってことない。あんなことの直後だったら、そんな夢も見るだろう。
昼過ぎに起きて来た俺に兄さんが「今日はお寝坊さんだな」と笑う。
「ちょっと勉強に精を出し過ぎた。」
食パンをトースターに入れて二分半にセットしてから、冷蔵庫の牛乳を取り出してコップに注いだ。
「ゆっくり休めたなら何よりだ。」
テーブルの向かいにコーヒーを置いて兄さんが座る。
誰よりも、何よりも俺を大切にしてくれる兄さんを、これ以上心配はさせられない。
普通に大学に行って、就職して、結婚して、子供を作って、兄さんに俺の子どもを抱かせてやりたい。
そんなささやかな夢も、カカシと繋がっているうちは叶わない。毎晩淫夢にうなされる俺と結婚したいなんて女性はいないだろう。……繋がりを断たないと。
そういうもの専門の寺のうち、公共交通機関で行けそうなところをピックアップした。小遣い一ヶ月分で交通費は賄える。お祓い代にいくらかかるのかわからないから三ヶ月分小遣いを貯めたら行くと決めた。
その三ヶ月間をしのげば、もしかしたら何とかして貰えるかもしれない。今頼れるのはそれぐらいしかなかった。
思い出せない夢の余韻を感じながら迎える気だるい朝。いつものように学校に行ってつまらない授業を受けながら問題集を開く。カカシの授業がない月曜日と木曜日は顔を合わせる事もないからどうってことはない。
問題はそれ以外の曜日、いつもの笑顔で授業を始めるカカシの顔を見て、あの夜に見せた顔と同一人物と思えなかった。つまりカカシが「先生」でいる限りは、俺はあの事を想起させるような事は多分起きない。それにまず安心した。
大丈夫だ、このまま記憶を薄れさせていけたら、俺は普通に戻れる。そう思ったのに放課後、教室に残って勉強をしていたら、ガラッと扉が開く。そこにいたのはカカシだった。今日の当番、カカシかよ……! ハッとして窓の外を見ると陽が落ちかかっていてその光は赤みを帯びている。つまり今のカカシは、「半分半分」……早く帰らないと何をされるかわからない。
鞄に問題集を雑に放り込んでガタンと立ち上がり、カカシが開いた扉とは反対側の扉から教室を出る。早足で廊下を歩いて階段を駆け降り昇降場に急いだ。
季節、空気の澄み具合、天候、様々な条件が重なった時に黄昏時は……そんな事がしょっちゅう起こるとは思えなかったけど、この時間帯に誰かに出くわす事はなるべく避けたい。なるべくというよりも、絶対に。
「……嫌われてるみたいで、ちょっと傷つくね。」
急いで来たはずなのに、すぐ後ろから声がする。こいつ、「先生」の方じゃない。
「実際嫌ってんだよ、夢以外で俺に関わるな。」
靴を履いて立ち去ろうとする肩に置かれた手が、『行くな』と身体に命じているかのように足が止まる。
「……悪いことしたとは思ってるけど、悪いようにしたつもりはないんだけど。約束を守れなかった、それ以外で俺そんなに嫌われるようなことした?」
「……全部だ、手を離せ。」
「あんなに『もっと』ってせがんでたのに、そんな態度取られると俺だって嫌な気持ちになるよ。」
「あんたの話を聞くつもりはない、手を離せ。」
「そう、話し合いも拒否? だったらもう約束は反故にして好きなようにやらせてもらうけど。」
「なんでそんな話になるんだ!」
振り向いたその先にあったカカシの顔は左目が開かれていた。あの赤い目が。
「だいぶ譲歩してたんだよ、俺たちは本来自由なのに敢えて約束で行動を縛った。それはサスケのことを生徒として好きだったからだし、俺たちがそれなりに親しい関係だったから。だけどその関係性がなくなった今、俺が約束を守ってやる義理はないんだよね。」
……カカシの顔は見えてる、だから逢魔刻ではない。ただの黄昏時だ。
しかしこのカカシの言葉になんて答えるのが正答なんだ。また先生と生徒として仲良くしようとでも言わせたいのか?
「……うん、そうだな、もう約束に関しては守らないことにする。サスケと良い関係を築けたら、俺もそれなりに配慮しようと思ってたけど、なんか嫌われてるみたいだし。」
嫌ってない、とでも言えば良いのか。嫌ってるって言った直後に? どんな言葉を俺に求めてるんだこいつは。話し合いとやらに応じれば満足するのか。
「……あんたの言う〝良い関係〟ってのは何なんだよ。」
「サスケは俺の食事の邪魔をしない、俺はサスケの生活の邪魔をしない……でもお互いに嫌な感情持っちゃってる今このフェーズはもう終わったよね、っていう話を今してるの。」
「それで好きにさせてもらうと宣言しているのか、俺に。」
「俺も約束は破ったけど、元々はサスケが、……抵抗のつもりか知らないけど、眠らなかった事が原因だからね? そこは今はイーブンだと思ってる。」
「結局何が言いたいんだよ、仲良くしようって話ではなさそうだな。」
「さて、どうかな。サスケがどう出るかで俺も今後の行動については改めて考えようかな、ってところ。」
「俺がどう出るか? あんたに協力的になれと言いたいのか。」
「……いや、違う。そろそろ十分かな、話を長引かせるのは。」
どういう意味……。
「ねえサスケ。何にも疑問に思わなかった? 俺が左目を開けてる事。」
疑問に……思わなかった、そういえば。この目、は。
「残念だったね、もう手遅れ。サスケに暗示をかけてたんだよ、ずっとね。……どんな暗示かは身をもって知るだろうから、お楽しみに。」
カカシの顔から目をそらす事ができない。足も動かない。これはカカシの暗示の力なのか。目を、閉じることすらできない。
「ああ、でもサスケと良い関係を築きたいってのは本当。長い付き合いになるわけだし、その方がお互い楽でしょ?」
「もう暗示は十分なんだろ、身体を解放しろよ……!」
カカシは「先生」の笑顔に戻って、そして空気に溶け込むように姿を消した。
〝じゃあ、また夜に〟
頭の中に直接響いた声。その瞬間、身体から力が抜けた。……動ける、ようになった。でも、何かよくわからない暗示をかけられてしまっている。得体の知れないおぞましい感覚。あいつ一体、俺に何をしたんだ。
ともかく今は家に帰らないと。トワイライトに照らされた学校は気味が悪かった。
自転車置き場の横を通って人一人分開いている東門を通ろうとした時、以前にも同じようなことがあったような気がして立ち止まる。この東門は通っても大丈夫なのか。じわじわと陽が傾いてその色が変わっていく。
今は、だめだ。またあそこに戻ってしまうかもしれない。……あそこ? あそこって、どこだ。
……思い出せない、けど今はだめだ。陽がもっと落ちてから、でないと何が起こるかわからない。そうだ、あの時生徒指導室で思い出した色はこの傾いた陽の光に照らされた校舎によく似ていた。つまりは、あの神隠しの日、カカシは「タイミング」としか言わなかったけど、俺はきっと逢魔刻の中でカカシと鉢合わせた。そして繋がってしまった。……それなら、繋がりを断つのも同じ逢魔刻になら出来るんじゃないか? 具体的に何をすれば良いのかはわからない。けど何か繋がりを断つ方法がきっとあるはずだ。
陽が沈んで闇が色を濃くしていく。……多分もう、大丈夫だ。東門をくぐったら、何の変哲もない、普通の校門の外に出る。それに安心して、家路を急いだ。帰りが遅くなると兄さんが心配する。
夜パジャマに着替えて、今日もカカシは来るんだろうと思うと、なぜか胸が高鳴るのを感じた。気のせいだろうと割り切って、でも今日からは今までとは違う、約束はもう守らないと宣言したあいつが何をしてくるのか想像もつかなかった。
電気を消して布団に潜り込みながら、カカシがもうすぐ来る、と思うとやっぱり胸がドキドキする。これは何をされるのかわからない緊張なのか、それとも暗示、のせいなのだろうか。
気持ちを落ち着かせるようにゆっくりと息を吐きながら、目を閉じた。
「普通に眠れると思ってる?」
直ぐ耳の横で突然聞こえた声に、深呼吸が止まる。目を開けたら俺の顔の横に手をついたカカシが目の前にいる。その瞬間、顔がカッと熱くなった。ドキドキする胸がその鼓動を一層早くする。
待ち侘びていたような、来てほしくなかったような複雑な心境だった。そうしている間に身体が〝発情〟したときのように熱くなってくる。呼吸が乱れ始めた俺の様子を見てカカシはふっと笑った。そのまま寄せられる唇を拒めずに俺は受け入れる。嫌だと思っても身体がおかしい、カカシを拒むことができない。まさか今日かけられた暗示の影響なのか。
冷静な頭とは裏腹に身体は過敏に反応する。肌を撫でるその手から伝わる体温に、中心はどんどん血流を集めていく。
「このままここでしたらお兄さんに聞かれちゃうね。」
こいつ……、いちいち腹が立つことを……!
「夢の中に連れて行け、早く!」
「どぉしようかなぁ」
言いながらズボンを下ろされて露出したそれを握られる。握るだけで何もしない。もどかしさに身体が身じろいで、その些細な皮膚への刺激に俺は目を細めて耐える。
「……兄さんに声を聞かれたら異常に気がついて俺の部屋に来るぞ、そうしたら俺に取り憑いてるあんたを祓う為にあらゆる手段を使うだろうな。」
「……それで?」
カカシはまるで動じない……祓うことなんて出来ないとでも言いたいのか。
「兄さんは俺を心配して一緒に寝るようになるだろう。その隣であんた、俺を食うつもりか?」
「……ああ、それも良いね。大切な弟が淫魔の遊び道具にされてるところを見せつけてやるの。」
だめだ、脅しにも何もならない。どうしたら良いんだ。身体はどんどん熱を帯びてくるし、握られているだけでも刺激を拾ってしまう。
「可愛い抵抗だね。じゃあヒント……いや、正答をあげようか。俺に上手におねだりが出来たら夢に連れて行ってあげる。」
おねだり? 夢に連れて行ってくれと懇願しろと?
それを握る手が強くなる。
「この手をどうして欲しい? 身体は何を求めてる? ほら、言ってみな。」
むかつく……! けどこの身体は、カカシを求めて疼いている。暗示のせい、とはいえ、だからこそ、この疼きからも逃げられない。自分でいくら処理しようとしても無駄だった。この身体を落ち着かせるには、カカシの思惑通りにしてやる以外に方法はない。
「……あんたに、食われたい。あんたが欲しい。……お願いだから、夢に……連れていって、くれ。」
握っていた手が動いた、緩急をつけながら絞るように先端まで扱かれてあっという間に俺は射精していた。でもそんなのじゃ全然足りない、カカシのを入れられて突かれたい、あの強烈な快感がまた欲しい。
……何を、考えてるんだ俺は……!
「おねだりは出来たからご褒美。でもおねだり下手くそだから夢には連れてってやんない。」
「っやめてくれ、お願いだから夢の中でしてくれ、声を我慢しながらなんて嫌だ、あんたに俺が感じてる声を聞かせたいんだ、あんたにぐちゃぐちゃにされたいんだ、お願いだからっ……!」
自分の口から出た言葉に驚いて、そして悔しい思いが込み上げる。カカシはそれを聞いて満足気に口角を上げてその額を俺のそれに合わせた。
「……合格、夢の中においで。」
暗転、そして気がついたらもう中に指を入れられている。待っていたとばかりに喉が震えてそこから脳に駆け上がる快感にどうにかなりそうになる。その一方で冷静な自分も残っていた。もういっそ暗示をかけて忘れさせてくれ。そう思ってもカカシがそうする気配はない。
こいつまた、覚えさせておくつもりだ……! 身体だけ発情させて、完全にはセックスに夢中にさせずに、悔しがる俺を見て楽しむ魂胆が見える。『好きにさせてもらう』って、そういうことかよ。俺は抵抗も何も出来ずにただ受け入れて身体が反応するのを感じることしか許されない。頭は正気を保ったままで。
「あっ、あ、あっ! きもちい、いっ! あ、あっ!」
「無駄なこと考えずに一緒に楽しめば良いんだよ、そのこころの抵抗も全部ひっぺがして俺に夢中になれば良い。そう思わない?」
「っあ、や、いくっ、あっ! またい、く、っ! っああ!」
二回目の迸りが腹を汚す。まだ、まだ足りない。もっと……。
そう感じてしまう自分、そしてカカシの言葉に、確かにカカシの言う通りにしてしまった方が楽な気がしてきた。でも完全に自分の全てをカカシに委ねるのはやっぱり抵抗があった。こんな奴にいいようにされて、こんな奴の思い通りになってしまうことに対して、どうしても……俺はそれを許すことが出来なかった。