繰り返さない
交わることのない線
俺は普通の学区内の中学校に進学して、その先の進路も考えながらしっかり勉強も部活も頑張っていこうと入学式の同級生の中に並んで立っていた。
実家は小学生の頃に放火に遭って父母を亡くし、祖父母も既にこの世におらず、ふたりきりの兄弟で協力しながら何とか頑張っていこう、という中で歳の離れた兄さんはかねてから希望していた自衛隊の学校に進学して寮生活を送る事になり、仕送りはしてくれるものの俺はひとりで生活しなければいけなくなった。
出来ることなら兄さんと同じように自衛隊になるための学校に行きたいと思い続けて、陸上部で体力作りをしたり勉強にも励んできて、ようやく次の一歩である中学校に進学した。
それも全て、俺にはある記憶があったからだった。
前世、とでも言うのだろうか。その記憶の中では俺は忍で、そして兄さんはその忍の里のために俺だけを残して同胞を殺し、俺は兄さんを仇として力を磨き、そのために里を抜けて、そして兄さんをこの手で殺めてから真実を知り、兄さんが愛した里を憎んだ。
青年時代までを復讐に費やして、そんな俺を引き止めたのはかつての仲間で唯一の友だった。
その記憶の中の友が、今こうして同じ制服を着てこれから始まる新しい生活に胸を躍らせているのを見て複雑な気持ちになる。
兄さんが自衛隊を志したのは里……国を愛した記憶の中の兄さんのようだった。
放火によって両親を失った事も、俺たち兄弟だけが残された事も、記憶の中の俺とよく似ていた。
まるで「歴史は繰り返す」という言葉のように、記憶の中の人生をなぞろうとした、放火犯を憎む俺に対して、兄さんは記憶の中とは違って俺に優しく諭した。
「前を向こう、サスケ。つらいし憎いのはわかる。でも後ろばかり見ていたら壁にぶつかる。だから前を向こう。」
今でも捕まっていない放火犯の事は憎いし許せない。だけどその感情は一旦置いておく事にした。前を向くために。兄さんと同じように俺も国を、人を護る存在になりたい。
記憶の中の自分とは違う道を歩むんだ。
だから、重なる事はないはずだった。
入学式が行われている体育館の端に並ぶ先生達の中に、記憶の中にある顔が混じっていたのを見なかった事にした。
一年生の担任では無さそうだった。記憶の中とは違って。そう、今俺はただの自衛官を志す中学生で、憎しみ復讐しようとしている記憶の中の自分ではない。
兄さんに諭されてから、俺の人生は記憶とはどんどんかけ離れていった。だから、交わる事はないはずだった。体験入部した部活動の顧問だと知るまでは。
俺はその人の顔を正面から見ることができなかった。
記憶の中にいるその人は師であり、上司であり、先生であり、……そして恋人でもあった。
記憶をなぞってはいけない、この部活には入らないでおこう。2時間の体験入部が終わって、先生と先輩に頭を下げて帰ったら終わるはずだった。
でもその帰り際に、その人は俺の右手を掴んでいた。
「……何か、用事ですか?」
「あ、……いや、ちょっと話がしたいんだけど、時間いいかな。」
繰り返したらいけない、この人とは関わらない方がいい。俺はつとめて冷静に断った。
「すみません、生憎帰らなければいけないもので。」
その人は俺の手を離して、でも俺の顔から視線を逸さなかった。
「……ごめんね、引き止めて。帰り気をつけて。」
胸がドキドキしていた。何で俺だけを引き止めたのか、何の話をしようとしていたのか。
でももう、この部活に入らない限り、この人と俺は交わる事はない。
頭を下げて部室から出る。
同じく体験入部した唯一の友人は、入部を考えているようだった。
「俺は他の部活も見て決める。」
「あんなに陸上頑張ってたのに他の部活行くのかよー。」
「小学校よりも選択肢が多いからな、一応見ておきたい。」
「俺は多分陸上部で決まりかなー! なんかあの先生、ちょっと懐かしい感じがして気になるからさ!」
この友人、ナルトも産まれたと同時に母を亡くして、そして父も後を追って亡くなり孤児として育ってきた。今は里親のもとで暮らしているようだから、まあ普通の家庭に近くはある。
けど施設で過ごした時間も長かった分、同じようにひとり取り残された俺に対して親身になってくれる。俺とは真逆の性格だけど、ナルトとタイムを競ったりするのは部活の中でも楽しい時間だった。
でもあの人が顧問なら、俺は陸上部には入らない。
記憶を繰り返さないために。
残業が嫌いな俺は部活動の顧問からのらりくらりと逃げ続けてきたが、前任者が異動となって学生時代に陸上をやっていた俺に白羽の矢が当たってしまった。
全然知識のない人がやるよりか、経験者の方がいいって理屈もわかるし、顧問をやっている同僚からするとずっと顧問を受け持っていない俺は狡いと思われていたんだろう。俺の意見なんてなーんにも聞いちゃくれないまま陸上部の顧問をやる事になってしまった。
そんな事よりも進路指導の担当として生徒を志望校に行かせる仕事の方がよっぽどやりがいがあったし、何より部活動はほぼボランティアで給料なんてほとんど出ない、要はタダ働きだ。
気が進まないなぁと思いつつ、前任者から軽く引き継ぎを受けて新2年生と新3年生に挨拶をしてから、小学校から上がってきている情報にあるうちはサスケとうずまきナルトは可能な限り陸上部に入れるように指示までされて、確かに名指しのふたりはなかなか良い記録を残しているようだから頑張ってみるかと体験入部に来た2人を含む新1年生は結構手厚く見たつもりだった。
うずまきナルトの方は入部してくれそうな感触だったけど、うちはサスケの方はどうも俺と目を合わそうとしないし積極性もない。情報では真面目で勤勉、そして優秀と聞かされていたから何だかギャップというか違和感があるなぁと感じた。
というのも、何だか俺だけが避けられているような気がしたからだ。
俺なんかしたっけ? 手厚くもてなしたつもりだったんだけどそれがいけなかったんだろうか。
もやもやするのは嫌だから話をしよう、と帰り際に声をかけてみたけれど、結論としては振られてしまった。
多分あの様子だと他の部活に行ってしまいそうだ。小学校の陸上部ではエースだったという話なのに陸上をやめてしまうなんて何故だろう? と考えたところで、思い当たるのは何故か俺を避けている、という点だけだった。
気がつかないうちに何かやらかしてしまったんだろうか? それであれば尚のこと話を聞いて俺に悪いところがあったのなら謝りたいところだけど、俺は3年の学年主任で陸上部の顧問だ。新1年生であるうちはサスケとは陸上部に入らない限り接点を持つのは難しい。
どうしたものかな、と思いながら職員室に戻ってギシ、と背もたれに背を預けた。
後日、彼は結局柔道部に入ったらしいと聞いて、もやもやと気になるところではあったけど、縁がなかったということだろうと割り切って、入部した新1年生を含む9人の部員をしっかり育てることにした。
そう、思った側から意外な場所で彼と再び相見えた。そこは学校の近くにある小さなスーパー。買い物をして帰ろうと立ち寄ったその狭い店の中で、うちはサスケとばったり鉢合わせたのだった。そのカゴの中には豆腐やトマト、玉ねぎ、卵……おつかい、なんだろうか? でもメモとかを持っている風ではない。いつもの買い物、という感じで。そして俺の存在に気がついた途端に、手に取ろうとしていた小松菜から手を引っ込めて背中を向けた。
え、え? これって俺、やっぱり避けられてる? なんで?
ここまで露骨に避けられると理由が気になって仕方がない。買い物をしているからには1つしかないレジを通って出てくるだろう、と俺は出口で待ち伏せる事にした。
少しして、レジにカゴを置き会計を始めた彼の視界に入らないような場所で出てくるのを待つ。
袋詰めが終わらないまま逃げる事はないはずだ。
カゴを持って店の外側のサッカー台にそれを置いたのを確認して、俺は背後から肩に手を置いた。ビクッと肩が揺れてその顔が恐る恐る後ろに立つ俺を覗き見る。
そんなに驚かれるとは思っていなくて少しドキッとしてしまった。
「ごめん、そんなに驚くと思わなくて。」
「……何の用ですか。」
「何で俺、避けられてるのかなって、聞きたいんだけど……お店の中でも逃げるように行っちゃったでしょ。」
「学校の敷地外で先生に会ったら驚くのは当然のことです。」
「だからって逃げることないじゃない? ……もし俺が君に何か悪いことしちゃって、それで避けられてるのなら、理由聞いて謝りたいと思ってるんだけど……。」
「……カカシ先生は謝る必要はありません。」
……え? 今、なんて言った?
「何で俺の下の名前知ってるの? っていうかなんでその呼び方……?」
うちはサスケはしまった、と目を泳がせた。……カカシ先生、なんて、呼ばれたのははじめてのはずなのに、何だか聞き馴染みがあるような気もする。何だろう、この感じ。
「……失礼しました、はたけ先生。名前は部活動説明会の資料で見ました。」
「……知ってるからって先生のことをそんな風に呼ばないよね、普通は。なんでその呼び方をしたの?」
気まずそうにカゴに視線を落として数秒後、小さな声で呟いた。
「学童の先生を、下の名前で呼んでいたときの癖が出ただけです。」
ああ、学童ね、なるほど。
……なんで納得するとでも思っているのだろうか。もっともらしい事を言っているけど全く納得はできない。
テキパキとマイバッグに買ったものを入れてカゴを戻し立ち去ろうとするその肩をまた掴んで引き寄せた。
「ちょっと待てってサスケ。」
思わず出たその言葉に、肩を引かれて俺の方を向いたサスケの目が見開いて信じられない、というような顔をする。
そして俺自身も受け持ちでもなんでもない入学したばかりの生徒に対して下の名前で呼び捨てにしたことに対して驚いていた。
「あ、ごめん、サ……うちは君」
さっきと同じだ。サスケ、と呼ぶのが当たり前で、自然なことのように思える。そんな事あり得ないのに。
もしかして、この変な感覚のせいなのか、俺が避けられてるのって。サスケは知っているんだろうか、なんでこんなに名前で呼び合うことが自然に感じられるのか、もっと名前を呼びたくなるのか。
「……その名前で呼ばないでください」
また立ち去ろうとするサスケを引き止める。
「待って……待ってくれ、サスケは何か知ってるのか? 名前で呼び合った時の変な感覚の理由がわかるか?」
「その名前で呼ばないで下さいって……!」
言われて、また自分が「サスケ」と呼びかけてしまった事に気がついて戸惑う。なんでだろう。訳がわからなくなってきた。目の前にいる生徒が、何か、特別な存在のように感じてしまうなんて、何かがおかしい。
考えているうちにサスケは走り去っていた。
……サスケじゃない、うちは君だろ。
どうしたら良いのかわからないまま、スーパーで買い物を知るのはやめて家に帰った。
名前を呼ばれたときの、名前を呼んだ時の不思議な感覚は何だったんだろうと考えながら。
記憶は記憶で、今は今だ。あの人と関わってはいけない、記憶と同じ事になってはいけない。だって俺は中学生として学校に通うのはたったの3年間で、卒業したら市外の高校に入るからもう会う事はなくなる。記憶と同じように、俺はあの人から離れる事になる。
変に思い入れを持ってしまったら、3年後に訪れる離別が苦しくなるだけだ。記憶の中の自分がそうだったように。
唯一の友だったナルトが今、俺の唯一の友人であるのと同様に、今の俺の人生はまるでその記憶をなぞっているかのようだった。だけど復讐に縛られてはいない、兄さんとも良い仲でやってきた。
記憶をなぞっているようではあるけど完全に同じというわけではない。だからカカシのことも、記憶のような事は繰り返さない。絶対に。
でもスーパーでのカカシの様子は違和感があった。俺がつい名前で呼んでしまったからなのか、カカシにももしかしたら同じように記憶があるのか。
俺がカカシを避けているのを気にしていたようだった。だからもう避けるのではなく適当な受け答えをしてどうにか納得させて俺にこれ以上近づかないようにしなければいけない。
カカシが今の俺と交わることがないように。
同じ想いを繰り返さないために。
そう思うのに、カカシのことを考えると胸が苦しくなる。いくら自分に言い聞かせても、頭は記憶と同じようにカカシと交わることを考えてしまう。顔を見るたびに想いが溢れそうになってしまう。
記憶と今は、全然違うはずなのに。