金曜の約束
埋まったピース
全ての授業を終えてカカシは足早に職員室へ向かっていた。今日は個人面談もない。すぐに明日の授業の準備に取り掛かって終わらせたい。なぜなら、今日は金曜日だからだ。
あれから一度も連絡がないサスケからLINEが来るとしたら、恐らく今日だ。
職員室の自分のデスクに座ると、スマホを机の傍に置いてパソコンを立ち上げ、明日の小テストを作りにかかる。過去の難関大学の入試テストや、全国共通試験からめぼしい問題を見つけて抜粋していく作業だ。
そこに、ピロンと通知を示す音が鳴った。……サスケか?
スマホを手に取りロック画面を見るが、同僚からの飲みの誘いだった。……こんな大事な日に、誰が行くか。
俺は同僚グループLINEを開くと、「今日は遠慮しときます」と入力して、送信ボタンを押す。
その後もピロンと音が鳴るたびにスマホを見るが、全てグループラインのやり取りだ。くそ、鬱陶しい……。
なんとか小テストを作り終えてデータを上書き保存し、明日担当するクラスの人数分印刷する。Aクラスは三十八人分、Eクラスは四十人分………その間もスマホはしきりに通知を知らせる音を鳴らしているが、どうせグループLINEだろう。印刷し終えたプリントの束をまとめてデスクに置き、スマホを見ると……グループLINEのやり取りで溢れている中、一通だけサスケからのメッセージが来ているのを見つけた。
急いでトーク画面を開くと、「十九時、噴水前」としか書かれていない。でも、それで十分だった。「必ず行く」とメッセージを送り、時計を見る。十七時十五分。まだ余裕はある。
数学教師、兼生徒指導兼一年学年主任という鬼のような辞令を受け取った時はいよいよ過労死するかもしれないと思ったが、部活動顧問を断った分、やってみればどうにかこなせる仕事量だった。
カカシは締切が一週間後の学年だよりに取り掛かる。毎回書く内容はだいたい決まっている。季節の挨拶、生徒の様子、来月の予定……。それらを埋めていくと、概ねプリント一枚分の文字量になる。あとは適当なイラストで隙間を埋めれば完成だ。テキストに三十分、イラストに十分、見直しに五分。四十五分あれば作れる。完成するのは十八時くらいだろう。うん、間に合う。
その頃サスケはいつものイートインスペースに向かっていた。なんだかんだ、いつもの場所で勉強するのが一番効率がいい。コーヒーを片手にいつもの窓辺の椅子に座ると、筆記用具とノート、参考書を取り出した。
……スマホをチラと見る。カカシのトークルームには「必ず行く」とだけ届いていて、オプションのことは何も書かれていない。
……とはいえ、そのオプションも実質フェラだけのようなものだ。きっと先週と同じようにキスとフェラだけして終わるだろう。
スマホを鞄にしまい、サスケは勉強に集中し始めた。
窓の外は暗くなっていた。時計を見ると十八時四十五分を示している。約束の時間は十九時だ。
少し早いか、と思いつつ、勉強道具を鞄に入れ、代わりにスマホを取り出す。通知は何も来ていない。
コンビニを出るとすぐ噴水が見えてくる。カカシはさすがにまだ来ていないようだった。
サスケはトークルームを眺めながら待つ。
カカシが来たのはその少し後だった。
学校で見たのとは違う服を着ている。一度家に帰って着替えたんだろう。
片手を上げて「待ったか?」と尋ねるカカシに、「俺も今来たところだ」と伝えた。
カカシはサスケの手をとるといつか来たファミレスに入っていく。
「腹、減ったろ。とりあえず何か食べとこ。」
と言いながらタブレットでメニューを見始めた。
そんなことよりも。
「今日の予定は?」
サスケは気になっていたことを尋ねる
カカシはメニューに目を落としながら「まずデート二時間。他は後で考える。」と答えた。
(ひとまず、二万円か。)
サスケは紙の方のメニューを眺めて、無難そうなハンバーグ定食を頼むことにした。
「いつもはどんなデートしてたの?」
注文した料理が届くのを待っていると、カカシが頬杖をつきながら話しかける。
「どんなって……手繋いで公園散歩したり、ドライブ行ったり。でもほとんどはすぐラブホに入ってた。」
「へぇ……手繋いだんだ」
カカシの目が細くなる。
「まあ、デート、だしな。」
「一緒に飯食うのは俺がはじめて?」
「そうだな。」
「ふぅん……」
なんだか意味ありげな返事だ。言いたいことがあるなら言えばいいのに。まあ、聞いたところで興味はないけど。
と、そこに配膳ロボットがやってきて、サスケのハンバーグ定食とカカシのスパゲッティナポリタンが運ばれてきた。
それぞれ受け取ると、黙って食べ始める。
お互い、プライベートではあまり喋るタイプではない。それに食事中のお喋りはあまり上品ではない。
サスケは静かに食べ終えると、フォークを置いて紙ナプキンで口元を拭いた。
……こんなデートでも、楽しいのだろうか?
まあ、俺は金さえもらえれば何だっていいが。
カカシはサスケが食べ終えたのを見届けると、伝票を手に立ち上がった。サスケもそれに続く。
三十分。……食事に要した時間だ。残りの一時間三十分は何をするんだろう。カカシに目を向けると、サスケに向けて手を差し出している。
手を繋ごう、ということか?
サスケが黙ってその手をとると、カカシは恋人繋ぎに変えてから、「公園、行こっか」と駅裏にある公園に足を向ける。
……なんとなく読めた。俺が過去に別の男としたデートを再現したいらしい。
恋人繋ぎのまま公園に着くと、サスケは「こっちだ」とカカシの手を引いて、ベンチに腰掛けた。
「……カカシはこんなんでいいのか? 一時間一万円だぞ。」
「うん、いいよ。サスケの思い出に上書きしたいだけだから。」
……またよくわからないことを言う。
「……あと一時間は、どうするんだ。まさか、ドライブか?」
「いや、ドライブはこの前したし、ホテル行くよ。」
「……そうか。」
じゃあ、この後はいつもの流れか。
と、サスケが考えたところでカカシがまた口を開く。
「……あのさ、デートって二時間までしかダメなの?」
「別に、決めてるわけじゃねえけど。」
「例えば、一晩中とか。」
サスケが思わずカカシの目を見る。
一晩?
十九時から朝七時までとして、十二時間……つまり、十二万円?
……こいつ、そんな金、持ってるのか……?
「金曜だし、金さえもらえるなら構わねえけど。でもオプション以外のことは……」
「わかってる。しないよ。」
「なら、一晩も何するんだよ」
「ハハ、何しようか。」
カカシは笑ってはぐらかす。一晩中というのも、例えば、の話だ。きっと気まぐれに聞いてみただけなんだろう。
「じゃ……ホテル、行こっか。」
カカシはいつもの笑顔をサスケに向ける。
サスケはこくりと頷いて、二人で恋人繋ぎのまま、公園のベンチを後にした。
入ったホテルの部屋は、何とも簡素なところだった。
まあ、やるとしてもフェラだけだ。シャワーや風呂に入る必要もないし、ベッドさえあれば事足りる。
サスケはベッドに腰掛けると、カカシに「今日は何をするんだ」と尋ねた。
カカシはジャケットを脱ぎながら、「キスとハグ」とだけ答える。
……それだけ?
「で、デート時間やっぱり四時間に延ばす。いい?」
サスケが頷くと、カカシはベッドの上に乗って掛け布団を捲り、枕に頭を沈めた。
「サスケ、おいで」
「……今日のあんた、なんか変だぞ」
言いながらカカシの隣の枕に頭を置くと、カカシは布団を掛け直す。
カカシがすぐ隣で、サスケの方を向いて横になっている。サスケもカカシの方を向くと、すぐ目の前にカカシの顔。
キスをするのかと思ったら、カカシは布団の中でサスケを抱き締める。
「……?」
ああ、これハグか。
サスケが理解すると、カカシに近づいてハグしやすいように体を密着させる。
「俺の腕に頭のせて」
言われた通りにすると、カカシの腕枕で、カカシにぎゅっと抱きしめられる形になった。
このままの体勢だと、キスはできない。
カカシは何を考えてるんだ?
意図を図りかねていると、「しばらく、このままでいて」と声が降ってくる。
「俺は構わないが、カカシはそれでいいのか?」
「うん、いいよ。」
よくわからないまま、カカシの腕の中で時が来るのをじっと待つ。
……あたたかい。カカシのゆっくりとした呼吸が、すぐ近くで聞こえる。今日は勃ってない。本当に、フェラはしないらしい。
目を閉じると、微かにカカシの心臓の拍動を感じる。
何なんだろう、今のこの状況は。
……心地いい、と思ってしまった自分がいる。そんな自分が、恥ずかしかった。カカシは俺の時間を買っているだけで……たまたま今日は、こういう気分なだけだろう。
来週には、いつも通りの変態教師に戻っているはずだ。
単なる気まぐれに、心を惑わされてどうする。
何十分経っただろうか。
サスケがカカシを見上げると、カカシは目を閉じて……眠っている、ようだった。
「………は?」
思わず声が漏れる。
寝てる? ハグしたまま? このまま四時間過ごすつもりか? キスは? いや、金さえもらえるなら、別に俺はいい、けど……。
「カカシ、おい」
思わず、声をかける。
目を覚ます気配はない。
「カカシ!」
うっすらと目を開けた。
「……時間?」
「いや、まだ時間ではない、けど」
「ならもうちょっとこのままでいて。……。」
また眠りに落ちていく。
意味がわからない。
カカシは時々こういう意味がわからないことをする。
レイプしたかと思えば、恋人みたいに優しくしたり、本番強要しようとしたかと思えば、拉致された俺を助けに来たり。
そして今日は想い出の上書き? それに俺を抱き枕のようにして眠りはじめた。
一体何を考えてるんだ。
サスケには全くわからなかった。
カカシの腕に抱かれたまま、ひたすら時間だけが過ぎていく。ついにはスマホにかけていたアラームが鳴るまで、カカシは起きなかった。
「カカシ、時間だ。起きろ!」
サスケが強めに声をかけると、カカシは目を覚ました。抱きしめられていた腕が外れて、やっと自由に動けるようになる。
「サスケ」
大きく伸びをしていると、カカシから声がかかった。
「おはようのキスして」
サスケは少し考えてから、カカシの唇に自分のそれを合わせる。
このままディープキスをするのかと思ったら、肩に手を置かれて「もういいよ」と離された。
「……四時間と、ハグとキス、四万五千円。」
サスケが手を差し出すと、カカシは財布から五万円取り出して、「お釣りはいいよ」と渡そうとする。
が、サスケはもうそれは嫌だった。鞄から財布を出すと、五千円をカカシに押し付ける。
「そういうのは、もうなしだ。わかったか。」
カカシは押し付けられた五千円を受け取って、「ハハ、悪かった」と財布にしまった。
「……あんた、頭でも打ったのか。今日ずっとおかしいぞ。」
鞄に財布をしまいながら、カカシをチラと見る。
「ん~、そう? ま、たまにはこういう気分の時もあるよ?」
カカシはジャケットを羽織りながら、サスケに向けてにこ、と笑いかける。
「わかんねえ奴……」
独り言のつもりでつぶやいた言葉に、カカシは
「……本当にわかんない?」
と尋ねた。
その顔は妙に真剣で、サスケはドキッとする。
「……わかんねえよ。」
サスケも真面目に答えると、カカシはサスケに近づいて、唇に触れるだけのキスをした。
「本当にわかんないの? 俺がサスケのことを好きだってことが」
「………え? ……は?」
「だからサスケを独り占めしたいし、サスケのこと知りたいし、もっとサスケと一緒にいたい。もちろんエッチなこともしたいけど、サスケが嫌なことだったらしたくない。わかんない? わかんなかった?」
「ちょっ、と、待て、待て。理解が追いつかない。俺を好き? あんたが?」
「……追いつかなくていいよ。わかんないままでもいい。これからも今まで通りでいい。他の男と会わずに、金曜日に俺を呼んでくれれば、それだけでいいよ。」
カカシがまたにこ、と笑いかける。
「さ、帰ろ。送ってくよ。」
カカシはサスケに手を差し出す。
サスケはどんな顔をしたらいいのかわからなかった。
カカシに何て返せばいいのかわからなかった。
ただ、パズルのピースがハマったかのように、カカシの不可解な行動の理由がわかったような気がした。
おずおずとカカシの手をとると、カカシはまた恋人繋ぎにして一緒に部屋を出る。
カカシの言葉がサスケの頭の中でぐるぐると回っていた。
好き、好き? 俺を? なのに、わからなくていいって?
………今日、フェラしなかったのは、もしかして、先週俺が好きじゃないって言ったから? 俺の…ため?
なのに、今まで通りでいいって、どうして。俺が、カカシをただの金蔓だって、言ったからか?
なのに、俺のことが、好き、……?
「……わかんねえ、やっぱりわかんねえよ……」
「うん、わかんなくていいよ。だからサスケは今まで通りでいい。」
頭にポン、と手をのせられる。
……なんだか、たまらない気持ちになってくる。このままわからないままで、本当にいいのか? カカシはそれでいいのか? 俺はそれでいいのか?
気がついたら、目の前に自分のアパートがあった。
ぐるぐる考えているうちに、着いてしまった。
「またね、サスケ。鍵はちゃんとしめなさいよ。」
そのいつもの笑顔が、痛々しく見えるのは気のせいだろうか。
「……また、学校で」
サスケはそれだけ言って、外階段を上がっていく。
カカシはそれを見届けると、自宅の方向に歩き始めた。