闇に咲く

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全年齢,中編,原作軸,完結済み,カカサス小説シリアス,ほのぼの

孤独

 父親は任務遂行よりも仲間の命を優先した結果、里中から非難を浴びて、結果自殺した。俺をひとり残して。
 
 母親は記憶に残っていない幼少時にはもう亡くなっていて、俺は長らく父親と二人で生活してきた。
 俺にとって父親は英雄だった。里のみんなにとってもそうだった。自分もそんな父親の血を受け継いでいることが誇らしかった。
 そんな父親が、自刃して目の前で死んでいった。
 
 たった一人の仲間の命よりも、任務の遂行を優先していれば他の仲間を窮地に立たせることもなかっただろう。非難を浴びて当然だ。すでに中忍として分隊長を務めていた俺はそう思っていた。
 そして父親は勝手に、遺書も残さず、一人で死んでいった。そんな身勝手な父親を、俺は軽蔑した。
 
 俺は父親と同じ轍は踏まない。
 忍として持つべきものは、任務遂行のための冷静な判断力だ。父親はその判断を誤った。いくら大戦で大活躍した英雄だったとしても、ひとたび判断を誤れば全てを失う。たった一回のミスさえ許されない。それが忍の世界なんだ。俺はそれを間近で見届けた。
 だから、俺は父親と同じ轍は踏まない。
 父親を失った悲しみなんかより、俺をひとり残して勝手に死んでいった身勝手さへの恨みの方が強かった。
 
 俺は、ひとりで生きていってやる。
 父親なんか必要ない。寂しくなんかない。自慢じゃないけど、俺は強い。だからひとりでだってやっていける。
 一時は父親を英雄視していた国中の人が、掌を返すように父親を非難するのを見て、この世に信じていいものなんか何もないんだと思い知った。
 俺がもっと強くなれば良い。俺が判断を間違わなければ良い。信じられるのは、自分だけだ。
 そう鼓舞しながら、心の奥底では、もう誰にも頼れない不安と心細さ、そんな境遇に陥れた父親と世の中への恨みを感じていた。
 ただそれも、俺の心が強くなれば良いだけの話だ。
 俺なら大丈夫。俺ならやれる。
 心を律することも忍には必要だ。
 心の奥底に燻る感情を封じ込めて、押さえつけて、ずっと見ないふりをして、死地に赴いては命のやり取りをする日々を続けてきた。
「カカシは女遊びが好きらしい」
 そんな噂が自分の耳にも入ってくるようになり、カカシは苦笑する。
 評判が立つということは、大方いつか抱いた誰かが触れ回っているんだろう。
 大戦が終わって平和が訪れたとき、俺に残されていたのはオビトが遺してくれた左眼と「コピー忍者」の異名だけだった。
 気持ちの拠り所になるのは肌と肌が触れ合っている瞬間だけ。でも特定の相手をつくろうとは思わなかった。……誰かを大切にしたところで、いつ突然いなくなるのかわからない。オビトも、リンも、ミナトも、そして父親も、皆突然この世から去っていった。もう、そんな経験は懲り懲りだった。
 そうして一夜限りの関係を持ち続けるうちに、女遊びが好きというという不名誉な評判が広がっていったんだろう。
「コピー忍者」
「写輪眼のカカシ」
 そう呼ばれるたびにこの写輪眼を託してくれたオビトのことを思い出す。
 父親と同じ轍は踏まない、誰も信用しない、信じられるのは自分の力だけ。そう固く誓った俺の信念を曲げたのはオビトだった。
 仲間、仲間、仲間、口を開けばすぐ仲間と口にするオビトに最初はうんざりしていたのに、いざオビトを失ったとき、俺の胸にはポッカリと穴が空いた感覚があって、ああ、俺にとってもオビトは大切な存在だったんだ。オビトだけでなく、ミナトもリンも、大切な仲間なんだと気づかされた。
 
 オビトの死によって、俺が今まで信じてきたことは蜃気楼のように揺らいでいった。
 自分以外信用しない。ただ俺が強くあれば良い。俺が判断を間違わなければ良い。仲間なんてのは、ただの手駒だ。
 そんな俺の在り方が一八〇度変わっていった。
 もう仲間を失いたくない。何よりも仲間の命を優先する。何があっても守る。……そんな俺はまるで、かつての父親のようだった。
 
 仲間の命を優先した父親は、本当は正しい判断をしたのかもしれない。里中から非難される中で、俺だけは「あんたは間違ってない」と味方になっていれば命を落とすことはなかったかもしれない。
 失ってから後悔したって遅い。そんなことはわかっているのに、慰霊碑に刻まれたばかりのオビトの名前を指でなぞっては、俺はどうするべきだったんだと自問自答する。
 あの時、オビトがリンを助けようとするのは、分かりきっていたはずだ。
 あの時、任務の続行ではなくリンを助けるための作戦を練っていれば全員助かったんじゃないのか。
 俺の判断ミスによって、結果オビトを死なせてしまったんじゃないのか。
 あの時、俺がオビトのように、仲間を大切にする気持ちを持っていれば、違う未来があったんじゃないのか。
 ……皆死んでしまった今、そんなことを考えても、もう、何もかも遅いのに。
 
 大戦後里に平和が訪れると、父親は再び英雄視されるようになった。世間の掌はあっという間にひっくり返る。父親を追いつめ自刃させたのはお前らだというのに。
 他人への不信感、怒り、絶望が再び燻り始める。
 新人下忍の担当をすることになったのはそんな折だった。
 ただ、俺が上司として守り導き育ててやろうと思える下忍はなかなかおらず、部下不在のまま何年も経っていった。
 三代目から直接任された今回の下忍もどうせクズばかりだろう。火影になると宣言した成績ドベの九尾の人柱力、復讐心を隠そうともしない独りよがりなうちはのガキ、恋愛で頭がいっぱいのお花畑。
 そんなバカの寄せ集めみたいな三人の中で、ペナルティを受けたナルトに真っ先に弁当を差し出したのは意外なことに独りよがりだと思っていたうちはのガキだった。
 ……なんだ、復讐のことしか考えていないのかと思ったら、……ちゃんと、仲間のことを考えられる奴じゃないか。
 思わず笑みがこぼれた。
 やっと見つけた。
 仲間を大切にできる奴を。俺の新しい仲間を。
 今度こそ、誰も死なせない。判断を誤らない。何があっても俺が必ず守る。
 ……オビト、お前が託してくれたこの眼で。お前が貫いた信念で。
 
 そう、心に誓ったはずなのに、俺はまた判断を誤った。
 波の国の戦いで、サスケはナルトを庇って死んでしまった。まるで俺を庇って岩の下敷きになったオビトのように。
 結果的には息を吹き返したものの、それはたまたま敵が甘かっただけのことだ。
 再不斬が現れ、任務の難易度が格段に上がったとわかった瞬間に、任務を中断して里に帰るべきだった。
 サスケたちの実力に見合わない手強い敵がいるとわかった時点で、俺がしっかりと判断を下すべきだった。
 そうしていれば、サスケが殺されることはなかったはずだ。
 網膜に焼きついた「死」が頭から離れない。父親を、仲間を失ったときの深い絶望感と、喪失感が蘇る。
 もう、絶対に失いたくない。失わせない。
 ……なぁ、サスケ。
 お前イタチを殺すんだろ。
 復讐を遂げて一族の復興を目指すんだろ。
 なのになんでナルトを庇ったんだ。なんで命を投げ打ってまで守ろうとしたんだ。
 なぁ、サスケ。
 お前はもう、絶対に死なせない。……必ず、俺が守るから。
 
 任務が終わり、報告書を出しに行こうとする俺のジャケットの裾をサスケが掴んだ。
「花、咲いた。」
 手折れた紫陽花に花がついたら、一緒に見ようといういつかの約束。
 俺は報告書を後回しにしてサスケの方を向く。
「今から、一緒に見に行っていい?」
「ああ、かまわない」
 サスケは両手をズボンのポケットに突っ込み、先導を切って歩き出した。
 俺はその後を静かについていく。
 あのときと逆だな、と思いながら、口には出さなかった。
 
 サスケの家に上がると、「こっちだ」とサスケが部屋にひとつしかない出窓に向かっていく。
 そこには小さな花をつけた紫陽花が確かにあった。
「ちゃんと、咲いたね」
 サスケは黙ったまま花を見つめる。
 その横顔は、いつもと変わらない涼しげな表情だ。
「……いつか、言おうと思ってたんだけどさ。」
 返事は期待しないまま、話しかける。
「波の国で、……俺はお前らを守るって約束したのに、守ってやれなくてごめんな。」
 サスケの横顔が悔しそうに歪んだ。
「……あんたのせいじゃねえよ。……。」
 きっと、自分が弱いせいだと、サスケは思ってる。
 かつての俺でもそう思っただろう。
 でも違う、サスケはあの頃の俺とは違って、仲間思いで、本当は優しい、そして強い子だ。
「この紫陽花みたいに、サスケはちゃんと綺麗な花を咲かせられるよ。お前は強いし、強くなる。俺がいる。俺がサスケをもっと強くする。」
 サスケが振り向いて俺の顔を見る。
「修行、つけてくれるのか」
 俺はいつものように優しく笑ってみせた。
「……頼れるものは頼れ。使えるものは使え。その代わり、ひとつだけ覚えておいてほしい。」
「……なにを」
「サスケに何があっても、俺だけはサスケの味方だってこと。お前はもうひとりじゃない。」
「………」
 サスケは口を開きかけ、視線を左に向けた後、また口をつぐんだ。
 
 俺とサスケが違うことはわかってる。
 それでも、これだけは言葉にして伝えたかった。
 ……ただの俺のエゴだ。
 出窓に置かれたサスケの手の上に、俺は自分の手を重ねる。
 俺は失敗してばかりの人生だった。
 だから大切な人は皆逝ってしまった。
 そして孤独に堕ちていった。
 一族という大切な人たちをすでに失っているサスケに、これ以上俺と同じ思いをさせたくない。
 復讐という孤独な闇の中を歩くサスケと共にありたかった。
 サスケは俺の手を退けることもなく、そのまま紫陽花の花を見つめ続けた。
「……晩飯、食ってくか?」
 沈黙を破ったのはサスケだった。
 意外な申し出に、少し驚きつつ、嬉しさがこみ上げる。
「いいの?」
「簡単なものしか出せねえけど」
 俺に心を許してくれた……のかどうかはわからないけど。
 それでもサスケからのその提案は嬉しかった。
「何でもいいよ、サスケが作ってくれるのなら」
「そうか」
 サスケが出窓からスッと離れて台所に向かう。
 米を研ぐ音、水を入れて、炊飯器のスイッチを入れる。
 冷蔵庫から何やら野菜を取り出して、まな板を取り出し、ザク、ザク、と切っていく。
 手持ち無沙汰な俺は部屋に置いてあるちゃぶ台の横に座ってサスケが料理をしているのを見守った。
 手際の良さを見るに、毎日自炊しているんだろう。
 そういえば、俺も実家にいた頃は自炊してたな。
 父親がいつも同じような肉野菜炒めばかり作るから、俺はレシピ本を買っていろんな料理を作ってみせて、あんたもたまには肉野菜炒め以外のもの作れよなんて言ったりして。
 ……父親亡き後は、自分一人のためだけにわざわざ料理を作るのが面倒になって、惣菜や弁当を適当に買ってくるばかりになった。誰かに食べてもらうための料理は好きだった。美味しいよ、と笑顔になるのを見るのが好きだった。
 一人で作って食べても、味気なくてまずいだけだった。
 それから、俺は料理をすることはなくなった。
 
 ポケットに入っていた本のページをめくりながら待っていると、サスケも調理がひと段落したみたいで、あとはご飯が炊けるのを待つだけになる。
「言っておくが、味は保証しないからな」
 サスケはちゃぶ台を挟んで俺の向かいに座ると、忍術書に手を伸ばした。
「人に振る舞うの、はじめてだったりする?」
「そうだな、家に人を上げるのもはじめてだ。」
 ……それだけ心を許してくれてるんだと、受け取ってもいいんだろうか?
 フ、と思わず口角が上がる。
 サスケの「はじめて」をふたつも貰えるなんて、嬉しいもんだな。
 お互いしばらく静かに本を読んでいたら、炊飯器がピーッピーッと音を鳴らした。
 サスケが立ち上がって、コンロに火をつけ、炊飯器の蓋を開けるとしゃもじでご飯をふかす。
 米の炊ける匂いを嗅ぐなんていつぶりだろうか。
 心なしかわくわくしながら待っていると、小松菜のおひたしと、アジの味醂干し、味噌汁、そして白いご飯が並べられる。
 最後に箸を置いて、サスケはまたちゃぶ台を挟んで俺の向かいに座った。
「いただきます」
「いただきます。おいしそう。」
 口布を下げて味噌汁に手を伸ばす。少しだけ箸で混ぜたあと、一口口に含む。鰹出汁と白味噌、そして具は……イチョウ切りのナスとネギ。
「サスケって、俺の好きなもの知ってたっけ?」
 同じく味噌汁に口をつけていたサスケが「知らねえよ」と答える。
「俺、ナスの味噌汁大好きなの。嬉しい。美味しいよ。」
 作り物でない笑顔を向けると、サスケはお椀を持ったまま俺の顔を見て固まっていた。
「……どうしたの?」
「いや……」
 お椀を置いて、まじまじと見つめられる。
「あんた、そんな顔してたんだな。」
 ああ、そういうことか。
「……さすがに食べる時は外すよ?」
「いいのか? 俺に見せて。あんた秘密主義っぽいから誰にも素顔見せない奴なんだと思ってた。」
 ご飯茶碗を片手に、アジの骨を箸で取り除く。
「まあ……サスケだし。別に、いいかな。」
 ふかふかのご飯にアジを載せて口に運ぶと、味醂干しの甘い味付けがご飯によく合った。
「うん、おいしい。」
「まあ、外しようがない無難な献立だし。」
 確かにそうだけど、サスケの手料理を一緒に食べている今のこの状況が、何だか嬉しくてくすぐったい。
「ねえ、今度は俺んち来ない? 今日のお礼がしたい。俺も何か振る舞うよ。」
「カカシの家に?」
「そう、俺んちに。何なら泊まっていきな。」
「……いいのか?」
「いいよ? 今日のお礼。」
 サスケは小松菜に箸を伸ばす。
「あんたがいいのなら……」
「ん、決まりね」
 心なしか、サスケは嬉しそうに見えた。
 俺も楽しみが増えて、思わずこぼれる笑顔に、サスケがつられてフ、と笑う。
「何笑ってんだよ。あったかい内に食べろ。」
「いやさ、楽しみだなぁと思って。ごめんね。食べる食べる。」
 ああ、なんかいいな、こういうの。
 
 二人で食べて、一緒に並んで洗い物をして。
 最後にもう一度紫陽花を眺めてから、俺は玄関で靴を履く。
「じゃ、また明日ね」
「明日は集合時間に遅れるなよ」
「ま、なるべく努力はするよ」
「……おい」
「冗談。ちゃんと時間通りに行くって。今日はありがとね。」
「……ん」
 玄関の扉が閉まってから、俺は静かに慰霊碑の方へ歩き出した。
 
 ……俺は、サスケの孤独を埋めてやれただろうか。
 埋めてやれるだろうか。
 サスケはそんな俺を、受け入れてくれるだろうか。
 ……なあ、オビト。お前はどう思う? 俺はうまくやれているだろうか?
 左眼を覆う額当てに手を触れる。
 今日は、お前に話したいことがたくさんあるんだ。
 臆病な俺の、くだらない話を聞いてくれるか。聞いて、笑ってくれるか。……。
 
 季節の移り変わりを知らせる生温かい風が髪を揺らす。
 中忍選抜試験の時期が、もうすぐそこまで迫っていた。

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