闇に咲く

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全年齢,中編,原作軸,完結済み,カカサス小説シリアス,ほのぼの

距離

 サスケの家に行ってから、カカシは心なしがサスケとの距離が近付いたような気がしていた。
 早朝にマンツーマンの修行をしているからだろうか。
 それとも「約束」をしたからだろうか。
 任務に出向くとき、いつも一番後ろを歩いていたサスケが、最近は先導するカカシの少し後ろを歩くようになっていた。
 お互いに手を伸ばせば届く距離だ。
 その隣に、サスケに想いを寄せるサクラがいて、さらにその隣にナルトが歩く。
 一番後ろを歩いていたサスケが二人の隣に並ぶことで、会話も増えて七班の雰囲気はずいぶん良くなった。
 はたから見たらただの仲のいい三人組が俺に続いて歩いているだけだろう。
 でもカカシはサスケのその小さな変化が嬉しかった。
 カカシは口布の下でこっそり微笑む。
 
 サスケとの朝の修行は主に実践演習だった。
 サスケは俺を殺すつもりで全力で向かってくる。カカシが最初にそうしなさいと言ったからだ。蹴りのコンビネーション、火遁、分身、クナイ、手裏剣術、そして覚えたばかりの写輪眼の幻術を駆使してあらゆる方向から飛んでくる攻撃をかわしたりいなしたりしながら、時にはカカシからも攻撃を仕掛ける。
 サスケの攻撃はさすが、と思えるものだった。これだけの実力があれば中認試験は易々と突破できるだろう。ただ、決定的に欠けるものがあった。サスケは相手を殺すための技を持っていない。いくら手裏剣を投げようがそれが致命傷となることはない。体術で追い込んだとしてもその後命を奪うにはクナイを心臓に突き刺すくらいしか方法はないだろう。
 チャクラの練り方は徐々に上達していったが、カカシはこの朝の修行だけでは限界があると感じ始めていた。
 
 時間になり、サスケは木の幹を背に預け、竹筒の水筒の水を一口含む。
 カカシは肩で息をするサスケに、「明日からは実践演習は終わりだ。代わりに、お前に俺の技を教える。」と告げた。
 サスケは水筒を手に眼を見開き、口に含んでいた水を飲み込む。
 サスケもまた、朝の修行だけでは限界があると感じ始めていたところだった。
「新しい技を覚えるにあたって、ここでは障害物が多すぎる。今後は火影岩の上にある広場を使う。」
「どんな技だ」
「波の国で見せたことがあったかな? 一対一の場面で敵を確実に仕留めるための技だ。名前は雷切……または千鳥と呼ばれている。」
 確実に仕留めるための技。
 欲しかったものが目の前にぶら下げられて、掴まないわけにはいかない。
「わかった。あの崖の上だな。」
「ああ、あとサスケ。こないだの約束だけど、今日都合つくか?」
「俺は大丈夫だ。」
「なら、今日はうちに泊まれ。朝、一緒に崖の上まで行こう。」
 サスケが頷く。
 カカシはいつもの笑顔で、「じゃ、また後でな」とその場から姿を消した。
 
「えーっ! また猫の捜索!?」
 任務内容を読み上げると、ナルトが不満の声を出す。
 猫の捜索任務はこれで四回目、それも全部同じ猫だ。さすがにある程度行動範囲や動きのパターンが予測できるくらいにはなっていた。
「まあ、そう言うな。捜索任務は観察力、感知力、行動予測を鍛えられる。どんな任務でもしっかりやれば得られるものはあるよ。」
「そーかぁ? でも猫だぞ、猫。」
 ナルトはなおも不満そうだ。
 サスケがそんなナルトの肩に手を置き、「早く片付けちまおうぜ」と声をかける。サクラもそれに同調した。
 ナルトは仕方なく、腕まくりする。
「んで、最後の目撃情報はどこだってばよ、カカシ先生」
 捜索任務はたったの三十分で終わった。
 行動範囲とパターンさえ覚えていればあっという間だ。
 暴れる猫に腕をひっかかれながらナルトは飼い主に猫を引き渡す。
 集合時間が朝の十時で、カカシがきたのは十一時、説明を聞いて現地に移動し、任務を開始したのは十一時半。
 そして任務が終わったのが十二時。ちょうどお昼時だ。
「じゃ、弁当食べたら午後は演習でもするか。」
 カカシは三人を先導して第四演習場に向かう。
 すると、その途中、カカシの頭上で鷹が旋回し始めた。
 カカシは「あらら、今からか……」と呟いて三人に向き直る。
「すまんな、火影様から呼び出しだ。午後は自由演習に変更ね。」
 そしてふっと姿を消した。
 
 夕方になり、演習を終えたサスケはカカシから預かったメモを見ながら街中を歩いていた。辺りは屋台が多く賑やかだ。その喧騒から少し歩いた先の角を曲がると、目的のマンションが見えてくる。
 四〇五号室。
 階段を登っていくと、背後から声がかかる。
「サスケ、先に来てたか。」
 振り返ると、買い物袋を両手にぶら下げたカカシがいた。
「随分買ったんだな」
 両手の買い物袋を見ながら言うと、カカシは「普段は自炊、しないからさ。調味料とか買ってたらいつの間にかこんなだよ。」と笑った。
 
 ポケットから出した鍵を鍵穴に差し込み回すとカチャリと音がした。カカシはドアノブに手をかけると扉を開けて、「さ、入って」とサスケに促す。
 カカシは玄関で靴を脱ぐとさっそくキッチンに向かっていった。
 サスケはカカシが脱ぎ散らかした靴を揃えると、自分も靴を脱いで揃える。
 1LDKの部屋は南向きに大きな窓があり、キッチンの前にダイニングテーブル、テレビの前に二人がけのソファがあった。どちらに腰を下ろすか考えていると「ちょっと時間かかるから、ソファでくつろいでていいよ」と声がかかる。
「わかった」
 サスケはバックパックを下ろして傍に置いた。ソファに腰を下ろし、忍術書を取り出すと、少しずつ読み進めていく。
 カカシは横目でその様子を見てから、材料の下ごしらえに入った。
 
 持参した忍術書を読み終えると、サスケはキッチンに立つカカシの様子を伺う。
 その気配に気がついたカカシが「もうすぐできるよ」と言うのでサスケはダイニングテーブルに向かった。
 カカシがフライパンを振るっているのを見ながら何を作っているんだろうとぼんやり思う。
 見たところ炊飯器はないから米ではなさそうだ。
 フライパンの中身を平たい大きな皿に移すと、カカシはそれをそのままテーブルに置いた。取り皿とフォーク、スプーンも用意される。
「先、食べてて。もうひとつ作るから。」
 目の前にあるのはスパゲティ……確か、カルボナーラ。
 フォークを使って少し取り皿に移すと、「いただきます」と手を合わせて口に運ぶ。
 とろりと乳化した卵がパスタに絡んで、ベーコンの塩味が静かに主張しており、ブラックペッパーの香りが鼻を抜ける。
「……うまい。」
 お世辞ではなく素直な感想だった。とても普段自炊しているとは思えないが、よくある「カルボナーラの素」とかを使った形跡もなく、カカシがいちから作ったものなんだろう。
 取り皿があっという間に空になり、サスケがまた大皿にフォークを伸ばすと、カカシはまた別の大皿を手にダイニングテーブルにやってきた。
 カルボナーラの隣に置かれたのは、赤い……恐らくトマトソースが絡んだスパゲティ。
「フレッシュトマトのアラビアータ。トマト、好きでしょ。多分気に入るよ。」
 カカシはもう一枚ずつ取り皿を用意して、席に着いた。
「いただきます」
 カカシがカルボナーラを取り皿によそい、スプーンの上でクルクル巻いて口に入れる。
「うん、久々だから心配だったけど、上手く作れたね。火加減間違うと卵がモロモロになっちゃうからさ。」
「難しいのか?」
「慣れれば簡単だよ。教えようか?」
「……いや、いい。」
 サスケは取り皿のカルボナーラをあっという間に平らげると、新しく用意された取り皿にアラビアータを盛り付ける。
 カカシの真似をしてスプーンの上でクルクルと巻いてから口に運ぶと、ほのかに残るトマトのみずみずしさに唐辛子がアクセントになっていて、ニンニクの旨味と香りが食欲をそそる。
「……うまい。本当に自炊してないのか?」
「昔取った杵柄ってやつ。以前はよく料理してたからね。食べさせる相手がいなくなってからは作ってないけど、案外覚えてるもんだな。」
 ……昔は一緒に食べる相手がいたのか。
 ……家族? それとも、……恋人?
 アラビアータを口に運びながらカカシを見る。口布を外している姿を見るのは二回目だけど、やっぱり物珍しい。
 アラビアータを平らげたサスケがもう一度カルボナーラにフォークを伸ばす。
「……気に入ってくれた?」
「ああ、どっちもうまい。」
 二人前のスパゲティは、あっという間になくなった。
「足りた? もう一品あった方が良かったかな」
 カカシがテーブルの上の皿を片付けながらサスケに話しかける。サスケもそれを手伝って、取り皿とフォーク、スプーンをシンクに運ぶ。
「いや、十分だ。おいしかった。また………」
 また作ってくれ、と言いかけて、自分でなんだそれ、と突っ込む。今日振舞ってくれたのは俺の粗末な飯のお礼なんだから、次なんてないのに。
「……また食べたいくらい、うまかった。ごちそうさまでした。」
「そう? よかった。次はまた別の作るから、楽しみにしといてよ。」
 ……え?
「次は」と聞こえた気がしたが、気のせいか?
「……次、って?」
 キッチンに並んで立ち、洗い物に取り掛かりながら尋ねる。
「……ん? 次は次だよ。」
 ……また来てもいい、ってことか……?
 カカシはフライパンを洗って火にかける。
 随分年季の入ったフライパンだった。以前使っていたものだろうか。その割には錆もなく、綺麗な状態だった。
 フライパンの中で水滴が震え踊り始める。
 サスケは視線を洗い物に戻し、洗った皿を水で流していった。
 片付けが終わると、カカシが「シャワー浴びてきな」と洗面所にサスケを誘導する。
「洗濯物は洗濯機に入れといてね。明日中には乾かせると思うから。」
 それだけ言うと、洗面所から出ていった。
 持ってきたバックパックから着替えを取り出し、バスタオルの場所を確認すると、サスケは浴室に入っていく。
 その気配を見届けて、カカシはしまったな、とひとり反省していた。
 何も考えず「次は」……なんて言ってしまった。
 サスケはどう思っただろうか?
 苦笑いしてしまった。これじゃまるでもっとサスケに会いたいみたいじゃないか。
 いくら今、特別に朝の修行に付き合ってるからって、俺の技を教えようとしているからって、確かに大切で守りたい相手ではあるけれど、それは七班全員にも言えることだ。
 なんでサスケだけそんな特別扱いしてしまうんだろう。
 紫陽花を一緒に見たから?
 食事を一緒に食べたから?
 昔の俺と重なるから?
 サスケの孤独を埋めてやりたいから?
 ……何考えてるんだか。俺のエゴ丸出しじゃないか。
 
 サスケが浴室から出てくる音が聞こえる。
 カカシはイチャパラを取り出すと、ソファに座りながらページを捲り始めた。
 しばしのち、サスケが首にタオルを掛けたまま出てくる。
「空いたぞ。あんたも入れよ。」
 サスケは髪を乾かしながらカカシの隣に座る。
 その仕草に、少しドキッとした。
「……じゃ、行ってくる。」
 カカシはイチャパラをローテーブルの上に置いて立ち上がると、ベストを脱いでハンガーラックにかけて洗面所に消えていく。
 サスケはそれを見送って、二冊目の忍術書を取り出した。
 
(……次、次が、あるのか)
 忍術書をぼんやり眺めながらサスケは考える。
 カカシは何を思ってそんなことを言ったんだろう。
 俺がまた食べたいくらいだと言ったからだろうか。
 
 部屋に人を上げたのも、料理を振る舞ったのも、おいしいと言いながら食べるところを見たのも、はじめてだった。そして他人の家に上がって手料理を食べるのも、これからカカシの家に泊まるのも、はじめてだ。
 カカシとの距離が急に近づいた気がして、なんだか落ち着かない。
 ここ最近、慣れないことをしているせいで感覚がおかしくなっているのかもしれない。
 忍術書のページを捲る。
 お互いに家に上がって、飯食って、泊まっていくなんて、……まるで特別な存在かのようだ。カカシはただの上司で、ただの先生なのに。
 そう、思ったところで一緒に満開の紫陽花を見た時に握られた手の温かさを思い出す。
 いつになく真剣に言われた、「お前はもうひとりじゃない」という言葉を思い出す。
 少なくとも、サスケにとってカカシは数少ない信用できる大人の一人だった。そう、所詮何人かいるうちの一人。
 それなのに、なんでこんなにカカシのことばかり考えてしまうんだろう。
 カカシの言葉に甘えて、頼ってもいいんだろうか。
 強くなるためだったら何だって踏み台にするつもりだった。もちろんカカシもだ。利用できるだけ利用して、必要なくなったら切り捨てようとまで思っていた。
 カカシもそれはわかっていたはずだ。
 なのに、カカシは使えるものは使えと、頼れるものは頼れと言った。
 ……素直に頼っても、いいのだろうか。
 
 洗面所からカカシが音も立てず出てくる。
「……家の中でくらい、気配消すのやめろよ」
「ん、まあ癖みたいなものだから。」
 カカシはおもむろにテレビのリモコンを手にテレビのスイッチを入れる。ざっとザッピングしたところで、「面白そうな番組ないね」とスイッチを切った。
 時間は二十時。
「明日朝、早いから、もう寝ようか。」
 サスケは頷いて立ち上がる。
 寝室のドアを開けると、そこにはシングルベッドとサイドテーブル、そして部屋の隅にちょっとしたデスクがあり、その上には何やらたくさんの紙が積まれていた。
「デスクワーク嫌いだから、溜めちゃってさ。ま、気にしないで。」
 カカシがベッドに上がって布団を捲ると、その隣にぽん、ぽん、と手を置く。
「一緒のベッドで……寝るのか?」
「うん、他に布団ないし。……嫌?」
「別に、いいけど……。」
 サスケもベッドに上がり、……カカシの反対を向いて、目を閉じた。いつもの煎餅布団と違って、スプリングが効いていて、ふわふわの羽毛布団をかけられると心地いい。
 カカシは、サスケの後ろ姿にそっと近づき、腕を回した。
「……んだよ……」
「……もう二度と失いたくない。」
「……は?」
「だから、お前をもっと強くする。俺自身も強くなる。」
「……寝ぼけてるのか?」
「ハハ……ごめんね。おやすみ。」
「……おやすみ」
 カカシは電気のスイッチを消した。

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