闇に咲く

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カカサス,全年齢,中編,原作軸,完結済み,小説シリアス,ほのぼの

紫陽花

 第四演習場には一株だけ、紫陽花が植わっていた。
 今か今かと咲くのを待っていたら、ナルトが演習中にクナイでひと枝切ってしまい。
 そしてそのひと枝は、今サスケの家の窓際で、水の入ったコップに挿されていた。
 その日は夕方に任務が終わったため、演習はなかった。
 いつもの集合場所で翌日の任務について説明を受けたあと、四人はそれぞれの家路に向かう。
 いつもなら、そうだった。
 けれど今日は、カカシがサスケの肩にぽんと手を置く。
「咲いたよ、第四演習場。」
 紫陽花を気に留めて見つめていたサスケに気がついていたんだろう。
「今から見に行く?」
 いつもの笑顔でくい、と右手の親指を北に向ける。
「……見に行く。」
 サスケは先導を切るカカシについて歩き出した。
 北にある第四演習場に向けて。
 
 もうだいぶ日が高くなっていて、夕方の五時過ぎでもまだ太陽は地平線に沈んではいなかった。
 オレンジ色の光に照らされながら、何か会話をするでもなく、二人で歩いていく。
 サスケの部屋の紫陽花はまだ咲く気配はなかった。
 手折ってしまったものだから、もしかしたら咲くことはないのかもしれない。
 黙り込んだまま歩き続けて第四演習場に着くと、そこには確かに満開に花を咲かせる紫陽花がぽつんと佇んでいた。
「紫陽花、好きなの?」
 カカシの隣で紫陽花を見つめるサスケに、声がかかる。
 好き、……というわけでもない。
 ただ、一株だけ場違いに植わっているその紫陽花が、少しだけ自分と重なっただけだった。
 
 俺は復讐者で、殺さなければいけない奴がいて、……でも周りの下忍は呑気にしょぼい任務ばかりに精を出していて、そんな生活に満足していて……。
 俺は違う。あいつらとは相容れない。アカデミー時代から抱えてきた孤独が、この一株だけの紫陽花と重なったのだ。
 
 返ってこない返事に、お構いなしでカカシは続ける。
「紫陽花って、毒があるらしいね。」
 よく紫陽花の葉にカタツムリが這っている絵を見かけるけど、本当は毒があるからカタツムリも近寄らないらしいよ。
「でも、綺麗だよね。」
 独り言のように呟くカカシに、サスケはやっぱり何も言わない。
 
 ……毒、毒か。
 他の奴らにとっては、もしかしたら俺も毒みたいなものなのかもしれない。
 俺がなぜ復讐者なのか、誰も理解しない。だから誰も近付かない。
 擦り寄ってくるのは見た目だけで好意を寄せるうるさい女子達ぐらいで、サスケのことを本当に理解しようとする奴なんか誰もいない。
「……ちょっと似てるよね、サスケに。」
 サスケがはじめてカカシの顔を見る。
 陽が落ちかけていて、紫陽花を見下ろすその顔は陰になっていてよく見えない。
「どこが。」
 思わず問うてしまった。
 もしかしたらカカシにはサスケのことが理解できるのかもしれない。
 そんな淡い期待が言葉に乗ってしまった。
「お前さ、自分がひとりぼっちだと思ってるだろ。」
 ドキリと胸が拍動する。
「折れた枝を持ち帰ったのは、折れてもなお花を咲かせる強い姿が見たかったからじゃない?」
 ……サスケは答えられなかった。カカシは全部お見通しなんだ。サスケの思いをちゃんとわかっていて、それで花が咲いたのを教えてくれたのだ。
「でもさ、今は俺も隣にいるだろ。」
 サスケを見つめ理解しようとしてくれる人。
 サスケの孤独を埋めようとしてくれる人。
 サスケは紫陽花に目を向ける。
 陽が落ちていくその暗い景色の中で、紫陽花の隣に小さな紫色の花が咲いているのに気がつく。
 紫陽花と同じ、紫色の花。
 それはあまりに小さくて、普段なら気がつかなかったかもしれない。
 紫陽花の影でひっそりと咲くその花は、紫華鬘。
 この花も確か、毒があったはずだ。
 カカシの目にもこの小さな花は映っているんだろうか。
「お前はひとりじゃないよ。」
 まるで紫陽花に話しかけているかのように、カカシは紫陽花を見つめながら言う。
 サスケは言葉に詰まって何も言えなかった。
 本当に?
 わかってくれるのか?
 この紫華鬘の花のように、隣にいてくれるのか?
 
 夜の帳が下りていく。
 木々に包まれた第四演習場には月の光が届かず、ただただ闇が深くなるばかりだった。
 サスケの手に、カカシの大きな手が触れて、包み込むようにその手を握る。
「さ、帰ろうか。」
 きっといつもの笑顔なのであろう、その表情は闇の中でもうあまりわからなかった。
「あの折れた枝も、きっと花を咲かせるよ。そしたら教えてね。俺も見たいから。」
 咲くかどうかもわからないのに、サスケは頷く。
「……わかった。」
 カカシは折れた紫陽花に何を投影しているんだろう。
 あの時死にたくないと逃げ出したサスケ自身なのか、それともカカシの中の何かなのか。
 
 毒を抱えるふたつの花は、もう暗闇の中で見えなくなっていた。
 カカシとサスケは手を握ったまま、第四演習場を後にする。
 木々の間から差し込む月の光が、道端に咲く花を照らし始め、来たる夏に向けてその存在を主張していた。
 カカシの手から伝わる体温が、サスケの手を温める。
 ……俺たちには、光が当たらなくてもいい。
 ただ孤独を埋め合いながら、隣にいるだけで。それだけでいい。
 サスケはカカシの手をぎゅっと握り返した。
 それがサスケの声にならない、カカシへの応えだった。

孤独

 父親は任務遂行よりも仲間の命を優先した結果、里中から非難を浴びて、結果自殺した。俺をひとり残して。
 
 母親は記憶に残っていない幼少時にはもう亡くなっていて、俺は長らく父親と二人で生活してきた。
 俺にとって父親は英雄だった。里のみんなにとってもそうだった。自分もそんな父親の血を受け継いでいることが誇らしかった。
 そんな父親が、自刃して目の前で死んでいった。
 
 たった一人の仲間の命よりも、任務の遂行を優先していれば他の仲間を窮地に立たせることもなかっただろう。非難を浴びて当然だ。すでに中忍として分隊長を務めていた俺はそう思っていた。
 そして父親は勝手に、遺書も残さず、一人で死んでいった。そんな身勝手な父親を、俺は軽蔑した。
 
 俺は父親と同じ轍は踏まない。
 忍として持つべきものは、任務遂行のための冷静な判断力だ。父親はその判断を誤った。いくら大戦で大活躍した英雄だったとしても、ひとたび判断を誤れば全てを失う。たった一回のミスさえ許されない。それが忍の世界なんだ。俺はそれを間近で見届けた。
 だから、俺は父親と同じ轍は踏まない。
 父親を失った悲しみなんかより、俺をひとり残して勝手に死んでいった身勝手さへの恨みの方が強かった。
 
 俺は、ひとりで生きていってやる。
 父親なんか必要ない。寂しくなんかない。自慢じゃないけど、俺は強い。だからひとりでだってやっていける。
 一時は父親を英雄視していた国中の人が、掌を返すように父親を非難するのを見て、この世に信じていいものなんか何もないんだと思い知った。
 俺がもっと強くなれば良い。俺が判断を間違わなければ良い。信じられるのは、自分だけだ。
 そう鼓舞しながら、心の奥底では、もう誰にも頼れない不安と心細さ、そんな境遇に陥れた父親と世の中への恨みを感じていた。
 ただそれも、俺の心が強くなれば良いだけの話だ。
 俺なら大丈夫。俺ならやれる。
 心を律することも忍には必要だ。
 心の奥底に燻る感情を封じ込めて、押さえつけて、ずっと見ないふりをして、死地に赴いては命のやり取りをする日々を続けてきた。
「カカシは女遊びが好きらしい」
 そんな噂が自分の耳にも入ってくるようになり、カカシは苦笑する。
 評判が立つということは、大方いつか抱いた誰かが触れ回っているんだろう。
 大戦が終わって平和が訪れたとき、俺に残されていたのはオビトが遺してくれた左眼と「コピー忍者」の異名だけだった。
 気持ちの拠り所になるのは肌と肌が触れ合っている瞬間だけ。でも特定の相手をつくろうとは思わなかった。……誰かを大切にしたところで、いつ突然いなくなるのかわからない。オビトも、リンも、ミナトも、そして父親も、皆突然この世から去っていった。もう、そんな経験は懲り懲りだった。
 そうして一夜限りの関係を持ち続けるうちに、女遊びが好きというという不名誉な評判が広がっていったんだろう。
「コピー忍者」
「写輪眼のカカシ」
 そう呼ばれるたびにこの写輪眼を託してくれたオビトのことを思い出す。
 父親と同じ轍は踏まない、誰も信用しない、信じられるのは自分の力だけ。そう固く誓った俺の信念を曲げたのはオビトだった。
 仲間、仲間、仲間、口を開けばすぐ仲間と口にするオビトに最初はうんざりしていたのに、いざオビトを失ったとき、俺の胸にはポッカリと穴が空いた感覚があって、ああ、俺にとってもオビトは大切な存在だったんだ。オビトだけでなく、ミナトもリンも、大切な仲間なんだと気づかされた。
 
 オビトの死によって、俺が今まで信じてきたことは蜃気楼のように揺らいでいった。
 自分以外信用しない。ただ俺が強くあれば良い。俺が判断を間違わなければ良い。仲間なんてのは、ただの手駒だ。
 そんな俺の在り方が一八〇度変わっていった。
 もう仲間を失いたくない。何よりも仲間の命を優先する。何があっても守る。……そんな俺はまるで、かつての父親のようだった。
 
 仲間の命を優先した父親は、本当は正しい判断をしたのかもしれない。里中から非難される中で、俺だけは「あんたは間違ってない」と味方になっていれば命を落とすことはなかったかもしれない。
 失ってから後悔したって遅い。そんなことはわかっているのに、慰霊碑に刻まれたばかりのオビトの名前を指でなぞっては、俺はどうするべきだったんだと自問自答する。
 あの時、オビトがリンを助けようとするのは、分かりきっていたはずだ。
 あの時、任務の続行ではなくリンを助けるための作戦を練っていれば全員助かったんじゃないのか。
 俺の判断ミスによって、結果オビトを死なせてしまったんじゃないのか。
 あの時、俺がオビトのように、仲間を大切にする気持ちを持っていれば、違う未来があったんじゃないのか。
 ……皆死んでしまった今、そんなことを考えても、もう、何もかも遅いのに。
 
 大戦後里に平和が訪れると、父親は再び英雄視されるようになった。世間の掌はあっという間にひっくり返る。父親を追いつめ自刃させたのはお前らだというのに。
 他人への不信感、怒り、絶望が再び燻り始める。
 新人下忍の担当をすることになったのはそんな折だった。
 ただ、俺が上司として守り導き育ててやろうと思える下忍はなかなかおらず、部下不在のまま何年も経っていった。
 三代目から直接任された今回の下忍もどうせクズばかりだろう。火影になると宣言した成績ドベの九尾の人柱力、復讐心を隠そうともしない独りよがりなうちはのガキ、恋愛で頭がいっぱいのお花畑。
 そんなバカの寄せ集めみたいな三人の中で、ペナルティを受けたナルトに真っ先に弁当を差し出したのは意外なことに独りよがりだと思っていたうちはのガキだった。
 ……なんだ、復讐のことしか考えていないのかと思ったら、……ちゃんと、仲間のことを考えられる奴じゃないか。
 思わず笑みがこぼれた。
 やっと見つけた。
 仲間を大切にできる奴を。俺の新しい仲間を。
 今度こそ、誰も死なせない。判断を誤らない。何があっても俺が必ず守る。
 ……オビト、お前が託してくれたこの眼で。お前が貫いた信念で。
 
 そう、心に誓ったはずなのに、俺はまた判断を誤った。
 波の国の戦いで、サスケはナルトを庇って死んでしまった。まるで俺を庇って岩の下敷きになったオビトのように。
 結果的には息を吹き返したものの、それはたまたま敵が甘かっただけのことだ。
 再不斬が現れ、任務の難易度が格段に上がったとわかった瞬間に、任務を中断して里に帰るべきだった。
 サスケたちの実力に見合わない手強い敵がいるとわかった時点で、俺がしっかりと判断を下すべきだった。
 そうしていれば、サスケが殺されることはなかったはずだ。
 網膜に焼きついた「死」が頭から離れない。父親を、仲間を失ったときの深い絶望感と、喪失感が蘇る。
 もう、絶対に失いたくない。失わせない。
 ……なぁ、サスケ。
 お前イタチを殺すんだろ。
 復讐を遂げて一族の復興を目指すんだろ。
 なのになんでナルトを庇ったんだ。なんで命を投げ打ってまで守ろうとしたんだ。
 なぁ、サスケ。
 お前はもう、絶対に死なせない。……必ず、俺が守るから。
 
 任務が終わり、報告書を出しに行こうとする俺のジャケットの裾をサスケが掴んだ。
「花、咲いた。」
 手折れた紫陽花に花がついたら、一緒に見ようといういつかの約束。
 俺は報告書を後回しにしてサスケの方を向く。
「今から、一緒に見に行っていい?」
「ああ、かまわない」
 サスケは両手をズボンのポケットに突っ込み、先導を切って歩き出した。
 俺はその後を静かについていく。
 あのときと逆だな、と思いながら、口には出さなかった。
 
 サスケの家に上がると、「こっちだ」とサスケが部屋にひとつしかない出窓に向かっていく。
 そこには小さな花をつけた紫陽花が確かにあった。
「ちゃんと、咲いたね」
 サスケは黙ったまま花を見つめる。
 その横顔は、いつもと変わらない涼しげな表情だ。
「……いつか、言おうと思ってたんだけどさ。」
 返事は期待しないまま、話しかける。
「波の国で、……俺はお前らを守るって約束したのに、守ってやれなくてごめんな。」
 サスケの横顔が悔しそうに歪んだ。
「……あんたのせいじゃねえよ。……。」
 きっと、自分が弱いせいだと、サスケは思ってる。
 かつての俺でもそう思っただろう。
 でも違う、サスケはあの頃の俺とは違って、仲間思いで、本当は優しい、そして強い子だ。
「この紫陽花みたいに、サスケはちゃんと綺麗な花を咲かせられるよ。お前は強いし、強くなる。俺がいる。俺がサスケをもっと強くする。」
 サスケが振り向いて俺の顔を見る。
「修行、つけてくれるのか」
 俺はいつものように優しく笑ってみせた。
「……頼れるものは頼れ。使えるものは使え。その代わり、ひとつだけ覚えておいてほしい。」
「……なにを」
「サスケに何があっても、俺だけはサスケの味方だってこと。お前はもうひとりじゃない。」
「………」
 サスケは口を開きかけ、視線を左に向けた後、また口をつぐんだ。
 
 俺とサスケが違うことはわかってる。
 それでも、これだけは言葉にして伝えたかった。
 ……ただの俺のエゴだ。
 出窓に置かれたサスケの手の上に、俺は自分の手を重ねる。
 俺は失敗してばかりの人生だった。
 だから大切な人は皆逝ってしまった。
 そして孤独に堕ちていった。
 一族という大切な人たちをすでに失っているサスケに、これ以上俺と同じ思いをさせたくない。
 復讐という孤独な闇の中を歩くサスケと共にありたかった。
 サスケは俺の手を退けることもなく、そのまま紫陽花の花を見つめ続けた。
「……晩飯、食ってくか?」
 沈黙を破ったのはサスケだった。
 意外な申し出に、少し驚きつつ、嬉しさがこみ上げる。
「いいの?」
「簡単なものしか出せねえけど」
 俺に心を許してくれた……のかどうかはわからないけど。
 それでもサスケからのその提案は嬉しかった。
「何でもいいよ、サスケが作ってくれるのなら」
「そうか」
 サスケが出窓からスッと離れて台所に向かう。
 米を研ぐ音、水を入れて、炊飯器のスイッチを入れる。
 冷蔵庫から何やら野菜を取り出して、まな板を取り出し、ザク、ザク、と切っていく。
 手持ち無沙汰な俺は部屋に置いてあるちゃぶ台の横に座ってサスケが料理をしているのを見守った。
 手際の良さを見るに、毎日自炊しているんだろう。
 そういえば、俺も実家にいた頃は自炊してたな。
 父親がいつも同じような肉野菜炒めばかり作るから、俺はレシピ本を買っていろんな料理を作ってみせて、あんたもたまには肉野菜炒め以外のもの作れよなんて言ったりして。
 ……父親亡き後は、自分一人のためだけにわざわざ料理を作るのが面倒になって、惣菜や弁当を適当に買ってくるばかりになった。誰かに食べてもらうための料理は好きだった。美味しいよ、と笑顔になるのを見るのが好きだった。
 一人で作って食べても、味気なくてまずいだけだった。
 それから、俺は料理をすることはなくなった。
 
 ポケットに入っていた本のページをめくりながら待っていると、サスケも調理がひと段落したみたいで、あとはご飯が炊けるのを待つだけになる。
「言っておくが、味は保証しないからな」
 サスケはちゃぶ台を挟んで俺の向かいに座ると、忍術書に手を伸ばした。
「人に振る舞うの、はじめてだったりする?」
「そうだな、家に人を上げるのもはじめてだ。」
 ……それだけ心を許してくれてるんだと、受け取ってもいいんだろうか?
 フ、と思わず口角が上がる。
 サスケの「はじめて」をふたつも貰えるなんて、嬉しいもんだな。
 お互いしばらく静かに本を読んでいたら、炊飯器がピーッピーッと音を鳴らした。
 サスケが立ち上がって、コンロに火をつけ、炊飯器の蓋を開けるとしゃもじでご飯をふかす。
 米の炊ける匂いを嗅ぐなんていつぶりだろうか。
 心なしかわくわくしながら待っていると、小松菜のおひたしと、アジの味醂干し、味噌汁、そして白いご飯が並べられる。
 最後に箸を置いて、サスケはまたちゃぶ台を挟んで俺の向かいに座った。
「いただきます」
「いただきます。おいしそう。」
 口布を下げて味噌汁に手を伸ばす。少しだけ箸で混ぜたあと、一口口に含む。鰹出汁と白味噌、そして具は……イチョウ切りのナスとネギ。
「サスケって、俺の好きなもの知ってたっけ?」
 同じく味噌汁に口をつけていたサスケが「知らねえよ」と答える。
「俺、ナスの味噌汁大好きなの。嬉しい。美味しいよ。」
 作り物でない笑顔を向けると、サスケはお椀を持ったまま俺の顔を見て固まっていた。
「……どうしたの?」
「いや……」
 お椀を置いて、まじまじと見つめられる。
「あんた、そんな顔してたんだな。」
 ああ、そういうことか。
「……さすがに食べる時は外すよ?」
「いいのか? 俺に見せて。あんた秘密主義っぽいから誰にも素顔見せない奴なんだと思ってた。」
 ご飯茶碗を片手に、アジの骨を箸で取り除く。
「まあ……サスケだし。別に、いいかな。」
 ふかふかのご飯にアジを載せて口に運ぶと、味醂干しの甘い味付けがご飯によく合った。
「うん、おいしい。」
「まあ、外しようがない無難な献立だし。」
 確かにそうだけど、サスケの手料理を一緒に食べている今のこの状況が、何だか嬉しくてくすぐったい。
「ねえ、今度は俺んち来ない? 今日のお礼がしたい。俺も何か振る舞うよ。」
「カカシの家に?」
「そう、俺んちに。何なら泊まっていきな。」
「……いいのか?」
「いいよ? 今日のお礼。」
 サスケは小松菜に箸を伸ばす。
「あんたがいいのなら……」
「ん、決まりね」
 心なしか、サスケは嬉しそうに見えた。
 俺も楽しみが増えて、思わずこぼれる笑顔に、サスケがつられてフ、と笑う。
「何笑ってんだよ。あったかい内に食べろ。」
「いやさ、楽しみだなぁと思って。ごめんね。食べる食べる。」
 ああ、なんかいいな、こういうの。
 
 二人で食べて、一緒に並んで洗い物をして。
 最後にもう一度紫陽花を眺めてから、俺は玄関で靴を履く。
「じゃ、また明日ね」
「明日は集合時間に遅れるなよ」
「ま、なるべく努力はするよ」
「……おい」
「冗談。ちゃんと時間通りに行くって。今日はありがとね。」
「……ん」
 玄関の扉が閉まってから、俺は静かに慰霊碑の方へ歩き出した。
 
 ……俺は、サスケの孤独を埋めてやれただろうか。
 埋めてやれるだろうか。
 サスケはそんな俺を、受け入れてくれるだろうか。
 ……なあ、オビト。お前はどう思う? 俺はうまくやれているだろうか?
 左眼を覆う額当てに手を触れる。
 今日は、お前に話したいことがたくさんあるんだ。
 臆病な俺の、くだらない話を聞いてくれるか。聞いて、笑ってくれるか。……。
 
 季節の移り変わりを知らせる生温かい風が髪を揺らす。
 中忍選抜試験の時期が、もうすぐそこまで迫っていた。

距離

 サスケの家に行ってから、カカシは心なしがサスケとの距離が近付いたような気がしていた。
 早朝にマンツーマンの修行をしているからだろうか。
 それとも「約束」をしたからだろうか。
 任務に出向くとき、いつも一番後ろを歩いていたサスケが、最近は先導するカカシの少し後ろを歩くようになっていた。
 お互いに手を伸ばせば届く距離だ。
 その隣に、サスケに想いを寄せるサクラがいて、さらにその隣にナルトが歩く。
 一番後ろを歩いていたサスケが二人の隣に並ぶことで、会話も増えて七班の雰囲気はずいぶん良くなった。
 はたから見たらただの仲のいい三人組が俺に続いて歩いているだけだろう。
 でもカカシはサスケのその小さな変化が嬉しかった。
 カカシは口布の下でこっそり微笑む。
 
 サスケとの朝の修行は主に実践演習だった。
 サスケは俺を殺すつもりで全力で向かってくる。カカシが最初にそうしなさいと言ったからだ。蹴りのコンビネーション、火遁、分身、クナイ、手裏剣術、そして覚えたばかりの写輪眼の幻術を駆使してあらゆる方向から飛んでくる攻撃をかわしたりいなしたりしながら、時にはカカシからも攻撃を仕掛ける。
 サスケの攻撃はさすが、と思えるものだった。これだけの実力があれば中認試験は易々と突破できるだろう。ただ、決定的に欠けるものがあった。サスケは相手を殺すための技を持っていない。いくら手裏剣を投げようがそれが致命傷となることはない。体術で追い込んだとしてもその後命を奪うにはクナイを心臓に突き刺すくらいしか方法はないだろう。
 チャクラの練り方は徐々に上達していったが、カカシはこの朝の修行だけでは限界があると感じ始めていた。
 
 時間になり、サスケは木の幹を背に預け、竹筒の水筒の水を一口含む。
 カカシは肩で息をするサスケに、「明日からは実践演習は終わりだ。代わりに、お前に俺の技を教える。」と告げた。
 サスケは水筒を手に眼を見開き、口に含んでいた水を飲み込む。
 サスケもまた、朝の修行だけでは限界があると感じ始めていたところだった。
「新しい技を覚えるにあたって、ここでは障害物が多すぎる。今後は火影岩の上にある広場を使う。」
「どんな技だ」
「波の国で見せたことがあったかな? 一対一の場面で敵を確実に仕留めるための技だ。名前は雷切……または千鳥と呼ばれている。」
 確実に仕留めるための技。
 欲しかったものが目の前にぶら下げられて、掴まないわけにはいかない。
「わかった。あの崖の上だな。」
「ああ、あとサスケ。こないだの約束だけど、今日都合つくか?」
「俺は大丈夫だ。」
「なら、今日はうちに泊まれ。朝、一緒に崖の上まで行こう。」
 サスケが頷く。
 カカシはいつもの笑顔で、「じゃ、また後でな」とその場から姿を消した。
 
「えーっ! また猫の捜索!?」
 任務内容を読み上げると、ナルトが不満の声を出す。
 猫の捜索任務はこれで四回目、それも全部同じ猫だ。さすがにある程度行動範囲や動きのパターンが予測できるくらいにはなっていた。
「まあ、そう言うな。捜索任務は観察力、感知力、行動予測を鍛えられる。どんな任務でもしっかりやれば得られるものはあるよ。」
「そーかぁ? でも猫だぞ、猫。」
 ナルトはなおも不満そうだ。
 サスケがそんなナルトの肩に手を置き、「早く片付けちまおうぜ」と声をかける。サクラもそれに同調した。
 ナルトは仕方なく、腕まくりする。
「んで、最後の目撃情報はどこだってばよ、カカシ先生」
 捜索任務はたったの三十分で終わった。
 行動範囲とパターンさえ覚えていればあっという間だ。
 暴れる猫に腕をひっかかれながらナルトは飼い主に猫を引き渡す。
 集合時間が朝の十時で、カカシがきたのは十一時、説明を聞いて現地に移動し、任務を開始したのは十一時半。
 そして任務が終わったのが十二時。ちょうどお昼時だ。
「じゃ、弁当食べたら午後は演習でもするか。」
 カカシは三人を先導して第四演習場に向かう。
 すると、その途中、カカシの頭上で鷹が旋回し始めた。
 カカシは「あらら、今からか……」と呟いて三人に向き直る。
「すまんな、火影様から呼び出しだ。午後は自由演習に変更ね。」
 そしてふっと姿を消した。
 
 夕方になり、演習を終えたサスケはカカシから預かったメモを見ながら街中を歩いていた。辺りは屋台が多く賑やかだ。その喧騒から少し歩いた先の角を曲がると、目的のマンションが見えてくる。
 四〇五号室。
 階段を登っていくと、背後から声がかかる。
「サスケ、先に来てたか。」
 振り返ると、買い物袋を両手にぶら下げたカカシがいた。
「随分買ったんだな」
 両手の買い物袋を見ながら言うと、カカシは「普段は自炊、しないからさ。調味料とか買ってたらいつの間にかこんなだよ。」と笑った。
 
 ポケットから出した鍵を鍵穴に差し込み回すとカチャリと音がした。カカシはドアノブに手をかけると扉を開けて、「さ、入って」とサスケに促す。
 カカシは玄関で靴を脱ぐとさっそくキッチンに向かっていった。
 サスケはカカシが脱ぎ散らかした靴を揃えると、自分も靴を脱いで揃える。
 1LDKの部屋は南向きに大きな窓があり、キッチンの前にダイニングテーブル、テレビの前に二人がけのソファがあった。どちらに腰を下ろすか考えていると「ちょっと時間かかるから、ソファでくつろいでていいよ」と声がかかる。
「わかった」
 サスケはバックパックを下ろして傍に置いた。ソファに腰を下ろし、忍術書を取り出すと、少しずつ読み進めていく。
 カカシは横目でその様子を見てから、材料の下ごしらえに入った。
 
 持参した忍術書を読み終えると、サスケはキッチンに立つカカシの様子を伺う。
 その気配に気がついたカカシが「もうすぐできるよ」と言うのでサスケはダイニングテーブルに向かった。
 カカシがフライパンを振るっているのを見ながら何を作っているんだろうとぼんやり思う。
 見たところ炊飯器はないから米ではなさそうだ。
 フライパンの中身を平たい大きな皿に移すと、カカシはそれをそのままテーブルに置いた。取り皿とフォーク、スプーンも用意される。
「先、食べてて。もうひとつ作るから。」
 目の前にあるのはスパゲティ……確か、カルボナーラ。
 フォークを使って少し取り皿に移すと、「いただきます」と手を合わせて口に運ぶ。
 とろりと乳化した卵がパスタに絡んで、ベーコンの塩味が静かに主張しており、ブラックペッパーの香りが鼻を抜ける。
「……うまい。」
 お世辞ではなく素直な感想だった。とても普段自炊しているとは思えないが、よくある「カルボナーラの素」とかを使った形跡もなく、カカシがいちから作ったものなんだろう。
 取り皿があっという間に空になり、サスケがまた大皿にフォークを伸ばすと、カカシはまた別の大皿を手にダイニングテーブルにやってきた。
 カルボナーラの隣に置かれたのは、赤い……恐らくトマトソースが絡んだスパゲティ。
「フレッシュトマトのアラビアータ。トマト、好きでしょ。多分気に入るよ。」
 カカシはもう一枚ずつ取り皿を用意して、席に着いた。
「いただきます」
 カカシがカルボナーラを取り皿によそい、スプーンの上でクルクル巻いて口に入れる。
「うん、久々だから心配だったけど、上手く作れたね。火加減間違うと卵がモロモロになっちゃうからさ。」
「難しいのか?」
「慣れれば簡単だよ。教えようか?」
「……いや、いい。」
 サスケは取り皿のカルボナーラをあっという間に平らげると、新しく用意された取り皿にアラビアータを盛り付ける。
 カカシの真似をしてスプーンの上でクルクルと巻いてから口に運ぶと、ほのかに残るトマトのみずみずしさに唐辛子がアクセントになっていて、ニンニクの旨味と香りが食欲をそそる。
「……うまい。本当に自炊してないのか?」
「昔取った杵柄ってやつ。以前はよく料理してたからね。食べさせる相手がいなくなってからは作ってないけど、案外覚えてるもんだな。」
 ……昔は一緒に食べる相手がいたのか。
 ……家族? それとも、……恋人?
 アラビアータを口に運びながらカカシを見る。口布を外している姿を見るのは二回目だけど、やっぱり物珍しい。
 アラビアータを平らげたサスケがもう一度カルボナーラにフォークを伸ばす。
「……気に入ってくれた?」
「ああ、どっちもうまい。」
 二人前のスパゲティは、あっという間になくなった。
「足りた? もう一品あった方が良かったかな」
 カカシがテーブルの上の皿を片付けながらサスケに話しかける。サスケもそれを手伝って、取り皿とフォーク、スプーンをシンクに運ぶ。
「いや、十分だ。おいしかった。また………」
 また作ってくれ、と言いかけて、自分でなんだそれ、と突っ込む。今日振舞ってくれたのは俺の粗末な飯のお礼なんだから、次なんてないのに。
「……また食べたいくらい、うまかった。ごちそうさまでした。」
「そう? よかった。次はまた別の作るから、楽しみにしといてよ。」
 ……え?
「次は」と聞こえた気がしたが、気のせいか?
「……次、って?」
 キッチンに並んで立ち、洗い物に取り掛かりながら尋ねる。
「……ん? 次は次だよ。」
 ……また来てもいい、ってことか……?
 カカシはフライパンを洗って火にかける。
 随分年季の入ったフライパンだった。以前使っていたものだろうか。その割には錆もなく、綺麗な状態だった。
 フライパンの中で水滴が震え踊り始める。
 サスケは視線を洗い物に戻し、洗った皿を水で流していった。
 片付けが終わると、カカシが「シャワー浴びてきな」と洗面所にサスケを誘導する。
「洗濯物は洗濯機に入れといてね。明日中には乾かせると思うから。」
 それだけ言うと、洗面所から出ていった。
 持ってきたバックパックから着替えを取り出し、バスタオルの場所を確認すると、サスケは浴室に入っていく。
 その気配を見届けて、カカシはしまったな、とひとり反省していた。
 何も考えず「次は」……なんて言ってしまった。
 サスケはどう思っただろうか?
 苦笑いしてしまった。これじゃまるでもっとサスケに会いたいみたいじゃないか。
 いくら今、特別に朝の修行に付き合ってるからって、俺の技を教えようとしているからって、確かに大切で守りたい相手ではあるけれど、それは七班全員にも言えることだ。
 なんでサスケだけそんな特別扱いしてしまうんだろう。
 紫陽花を一緒に見たから?
 食事を一緒に食べたから?
 昔の俺と重なるから?
 サスケの孤独を埋めてやりたいから?
 ……何考えてるんだか。俺のエゴ丸出しじゃないか。
 
 サスケが浴室から出てくる音が聞こえる。
 カカシはイチャパラを取り出すと、ソファに座りながらページを捲り始めた。
 しばしのち、サスケが首にタオルを掛けたまま出てくる。
「空いたぞ。あんたも入れよ。」
 サスケは髪を乾かしながらカカシの隣に座る。
 その仕草に、少しドキッとした。
「……じゃ、行ってくる。」
 カカシはイチャパラをローテーブルの上に置いて立ち上がると、ベストを脱いでハンガーラックにかけて洗面所に消えていく。
 サスケはそれを見送って、二冊目の忍術書を取り出した。
 
(……次、次が、あるのか)
 忍術書をぼんやり眺めながらサスケは考える。
 カカシは何を思ってそんなことを言ったんだろう。
 俺がまた食べたいくらいだと言ったからだろうか。
 
 部屋に人を上げたのも、料理を振る舞ったのも、おいしいと言いながら食べるところを見たのも、はじめてだった。そして他人の家に上がって手料理を食べるのも、これからカカシの家に泊まるのも、はじめてだ。
 カカシとの距離が急に近づいた気がして、なんだか落ち着かない。
 ここ最近、慣れないことをしているせいで感覚がおかしくなっているのかもしれない。
 忍術書のページを捲る。
 お互いに家に上がって、飯食って、泊まっていくなんて、……まるで特別な存在かのようだ。カカシはただの上司で、ただの先生なのに。
 そう、思ったところで一緒に満開の紫陽花を見た時に握られた手の温かさを思い出す。
 いつになく真剣に言われた、「お前はもうひとりじゃない」という言葉を思い出す。
 少なくとも、サスケにとってカカシは数少ない信用できる大人の一人だった。そう、所詮何人かいるうちの一人。
 それなのに、なんでこんなにカカシのことばかり考えてしまうんだろう。
 カカシの言葉に甘えて、頼ってもいいんだろうか。
 強くなるためだったら何だって踏み台にするつもりだった。もちろんカカシもだ。利用できるだけ利用して、必要なくなったら切り捨てようとまで思っていた。
 カカシもそれはわかっていたはずだ。
 なのに、カカシは使えるものは使えと、頼れるものは頼れと言った。
 ……素直に頼っても、いいのだろうか。
 
 洗面所からカカシが音も立てず出てくる。
「……家の中でくらい、気配消すのやめろよ」
「ん、まあ癖みたいなものだから。」
 カカシはおもむろにテレビのリモコンを手にテレビのスイッチを入れる。ざっとザッピングしたところで、「面白そうな番組ないね」とスイッチを切った。
 時間は二十時。
「明日朝、早いから、もう寝ようか。」
 サスケは頷いて立ち上がる。
 寝室のドアを開けると、そこにはシングルベッドとサイドテーブル、そして部屋の隅にちょっとしたデスクがあり、その上には何やらたくさんの紙が積まれていた。
「デスクワーク嫌いだから、溜めちゃってさ。ま、気にしないで。」
 カカシがベッドに上がって布団を捲ると、その隣にぽん、ぽん、と手を置く。
「一緒のベッドで……寝るのか?」
「うん、他に布団ないし。……嫌?」
「別に、いいけど……。」
 サスケもベッドに上がり、……カカシの反対を向いて、目を閉じた。いつもの煎餅布団と違って、スプリングが効いていて、ふわふわの羽毛布団をかけられると心地いい。
 カカシは、サスケの後ろ姿にそっと近づき、腕を回した。
「……んだよ……」
「……もう二度と失いたくない。」
「……は?」
「だから、お前をもっと強くする。俺自身も強くなる。」
「……寝ぼけてるのか?」
「ハハ……ごめんね。おやすみ。」
「……おやすみ」
 カカシは電気のスイッチを消した。

もっと強く

 朝起きると目の前にカカシの顔があってびっくりする。
 そうか、そういえばカカシの家に泊まりに来たんだった。
 時間を見ると朝の五時だ。カカシは朝早いと言っていたけど何時に起きるんだろうか。
 サスケはそろっとベッドから降りて洗面所に向かう。顔を洗ってタオルで拭き終えると、いつの間にか背後にカカシがやってきていた。
「だから、家の中でくらい気配消すのやめろよ。」
「はは……癖みたいなもんだから。」
 カカシに洗面台を譲ると、カカシも顔を洗い始めた。
 サスケは寝室に置いてあるバックパックから服を出して着替え始める。今日から新しい修行。嫌でも胸が高まる。
 寝室を出るとカカシはキッチンに立っていた。
「朝食用意してるから座って待ってな。」
 サスケは昨日言われた「次」ってこういうことか、と思いながらダイニングテーブルについた。
 オーブントースターがチン! と音を鳴らす。カカシは皿を二枚用意してトースターからこんがり焼けた食パンを取り出し、バターを載せた。そのまま皿を置いてコンロの前に移動し、フライパンに卵液を流し込む。フライパンがジュウ、と音を立てた。どうやらスクランブルエッグらしい。
 しばしのち、カカシはトーストとスクランブルエッグの載った皿をテーブルに運んできた。トーストの上のバターはすっかり溶けて表面にじわっと広がっている。カカシは最後に冷蔵庫から牛乳を取り出すと、ふたつのコップと一緒にテーブルの上に載せた。
「ん、じゃ、食べよっか。」
 カカシの言葉を待って、サスケは手を合わせる。
「いただきます。」
 コップに牛乳を注ぎ込んで一口飲んでからスクランブルエッグの皿に手を伸ばす。スプーンですくって食べると、ふわふわで味わい深く普通に卵を炒めただけではないらしいことが分かった。
「これうまい、どうやって作ったんだ?」
「牛乳とかマヨネーズとか……ま、色々入ってる。俺の秘伝レシピ。」
 ふぅん、と言いながらトーストを手に取りかじると、バターのいい香りが鼻腔に抜けていく。
 がつがつ食べるサスケを見ながら、カカシはふっと笑った。
「あんたやっぱり料理上手だよな。」
 後片付けを手伝いながら隣で皿を洗うカカシに話しかける。
「昔はちゃんと自炊してたからねぇ。」
 洗った皿をサスケに渡すと、サスケはタオルで皿の水分をふき取っていく。
「夕食もまた食べにおいで」
 そう言われて、思わずカカシの顔を見た。カカシはサスケに目線を向けて「どうした?」と言う。
「いや、良いのか? もう二回もご馳走になってるから……」
「朝飯はご馳走には入らないよ。」
 ニコッと笑いかけて、最後の皿を洗い終えた。サスケがその皿を拭くと、カカシは食器棚に皿とコップを入れていく。
 ……いよいよ、新しい修行だ。
「準備してくる」
 寝室に向かうサスケに、カカシが声をかける。
「忍具とかは何もいらないよ、身ひとつで大丈夫。」
「わかった。」
 サスケはアームカバーをつけて、足にバンテージを巻いていった。
 
 崖の上ではまずカカシが技の見本を見せて、それができるようになるために必要なステップを説明する。
 まずは雷の性質変化を覚えることからだ。当然だが簡単にはいかなかった。最初に火遁の術を父さんに披露した時のことを思い出す。最初は散々だったが、あのときだって練習を重ねてできるようになったんだ。今回もできるはずだ。
 
 もっと、強く。
 
 ふたりの頭によぎっていたのはうちはイタチの存在だった。
 サスケの復讐の相手。
 あいつは強い。――強すぎる。
 雷切だけではなく、瞳術もしっかりと使いこなせるようにならなければいけない。
 せっかく強力な技を身に着けても、見切られたら意味がない。サスケがいずれイタチに勝つために、教えてやりたいことは山ほどあった。
 
 夕方にはサスケはチャクラが切れて肩で息をしていた。性質変化は結局まだできていない。
 クタクタに疲れているサスケと一緒にカカシの家に戻ると、カカシはサスケに声をかけた。
「乾燥機の中に昨日の服入ってるから、シャワー浴びておいで。」
 汗でドロドロになっているサスケは素直に頷いて洗面所に向かう。乾燥機の中にはサスケの服とバスタオルが入っていた。それを取り出してから汚れた服を脱いでいった。
 シャワーから上がり、リビングに出ると、カカシがキッチンで料理している姿を見つける。カカシはサスケが来たことにすぐ気が付いた。
「疲れてるでしょ、夕食食べてから帰りな。」
 そう言いながら、料理を続ける。
「二日連続は悪ぃよ。」
「いいの、俺が食べてほしいの。」
 そう言われてしまうと、何も言えない。
 サスケは寝室のバックパックに汚れた服を詰め込んで、リビングのソファ横まで持ってくると、忍術書の続きを読み始めた。しばらくすると、お米が炊ける良い匂いが漂ってくる。ピー、ピー、と音を立てたのは多分炊飯器だろう。
 カカシはミトンで炊飯ジャーからお釜ごとご飯を取り出すと、また何やらコンロの前でフライパンを振っったあと、オーブンレンジの扉を開ける。中に入れてタイマーを回すと、サスケの隣にやってきた。
「あと十分くらい待っててね。」
「わかった。」
 カカシもイチャパラを取り出してページをめくる。
「それ、何回読んでんだ?」
「数十回。何回読んでも面白い。」
「……飽きないのか?」
「飽きないねぇ。」
「ふぅん……。」
 すぐ隣に座りながら、お互いにそれぞれの本に目を滑らせる。ふたりとも、すぐ隣に人がいるのに気にならない。気を遣わない。なんだか心地いい空間だった。
 オーブンレンジがチン、と音を立ててカカシが立ち上がり、サスケも忍術書をしまってダイニングテーブルに向かう。
 テーブルにスプーンが並べられて、ミトンを手にカカシが持ってきたのはキツネ色に焼けたチーズが上に載っている……これは何だろう。
「鮭ときのこのクリームドリア。熱いから気をつけてね。」
 ドリア? 食べたことがない。
 サスケは手を合わせて「いただきます」と言うと、スプーンを持ってドリアの器に触れようとする。
「あ、だめだめ、熱いから。やけどするよ。」
 カカシに制されて、手を引っ込めた。スプーンですくうと、ベシャメルソースの絡んだごはんに、ほぐされた鮭としめじ、そしてチーズが層になっている。ふうっ、ふぅっと冷ましてから口に入れる。
 ソースの絡んだごはんにブラックペッパーがアクセントになっていて、鮭ときのこはバター焼きだろうか。これもごはんとよく合う。チーズはとろっとしていて味に深みを出していた。
「……うまい。」
「ほんと? よかった。」
「あんた今すぐ忍者廃業しても洋食屋で食っていけるぞ。」
「廃業しないし洋食屋もやんないよ。」
「現役引退したら考えといた方がいいぜ、そのくらい美味しいから。」
「ん~……だって洋食屋だとずっと厨房でしょ? 俺はおいしそうに食べてるところが見たいし。」
「そうなのか?」
「うん、だからサスケに食べさせるだけで満足。」
 あっという間にドリアを平らげて、器をつん、と触る。暖かいけど持てないほどではない。
 器をシンクまで運んで洗い、タオルで拭くと、サスケはソファの横にあるバックパックを背負った。
「カカシ、ありがとう。飯もうまかったし、修行も。明日からも頼む。」
「いいよ、気にしなくて。明日六時に集合ね。おやすみ。」
「わかった。おやすみ。」
 靴を履いて、玄関の扉を開けると、サスケは家路についた。

 家に帰り窓辺を見ると、紫陽花の花が気持ち色あせているように見えた。近づいて見ると、鮮やかな青紫色だった紫陽花の色がやはり少し薄くなっている。もう、見納めか……。
 少しでもきれいなうちに、押し花にしてしまおう。サスケは一番鮮やかなところを丁寧に切り取って、ちゃぶ台の上にに重ねたティッシュの中央に花を置き、更にその上にティッシュを重ねて、最後に忍術書を三冊その上に置く。
 一週間くらいしたら出来上がっているだろう。三冊の忍術書が載ったちゃぶ台を脇に寄せて、布団を敷く。明日も朝早い。シャワーもカカシの家で済ませたから、あとは寝るだけだ。
 いつものせんべい布団に横になると、修行の疲れもあってすぐに眠りに落ちていった。
 
 翌日、朝の修行の後昼過ぎにいつもの集合場所に呼び出された七班の三人は、それぞれ紙を一枚手渡された。
 中忍選抜試験に三人を推薦したのだと言うカカシ。サスケは紙切れから顔を上げてカカシを見ると、カカシはニコッと笑う。
「大丈夫、今のお前らならやれると思ってるよ。でもま、どうするかは各自よく考えな。」
 ……まずは、中忍。
 サスケはもちろん挑戦するつもりだった。ナルトも「やってやるってばよ!」と腕を振り上げる。少し不安そうな顔をしていたのはサクラだ。
「サクラ、忍者は戦うだけが能じゃない、だろ?」
 それだけ声をかけると、肩に手を置いて、その場を去った。
 
 その後サスケは第四演習場に向かった。一株だけの紫陽花はまだ花を咲かせていて、でもやはり少し色あせていた。その代わり、傍らに咲いていた紫華鬘は活き活きと茎を伸ばして紫陽花の花の隣にその花を咲かせている。
 サスケは紫華鬘の花を手に取り、ひとつ選んでクナイで茎を切ると、独特な香りのするその花を家に持ち帰った。
 
 三冊の忍術書の隣に、もうひとつ本の山ができる。一週間後からは中忍選抜試験が始まる。その前に、このふたつの花をきれいな状態で押し花にしておきたかった。
 来年、また一緒に見れるとも限らない。中忍になれれば分隊長だ、今のスリーマンセルも解散しているかもしれないし、カカシがまだ担当上忍のままなのかもわからない。それでも、俺の隣にいてくれるのだろうか。俺に力を貸してくれるのだろうか。
 カカシの言葉を信じたい反面、立場が変わってもなお俺に「お前はひとりじゃない」と言ってくれるのか、わからなかった。
 だからせめて、このふたつの花だけでも一緒に。
 サスケはまた靴を履き、鍛錬のために外に出た。
 
 第一演習場は第十班、第二演習場は第八班、第三演習場は一期先輩にあたる第三班が使っていて、結局サスケは第四演習場まで戻ってきていた。午後三時、まだ日は高い。手にチャクラを集中させて雷をイメージする。写輪眼でなくても見えるその手のチャクラには時折バチチ、と小さな火花が散っていた。
 違う、こうじゃない。稲妻だ。空を駆ける一瞬の光。地面に落ちるその鋭さ。この手のチャクラを、雷に。
 バチィッ!
 一瞬光がはじけて、手に集中していたチャクラとともに消えていった。今のは……成功、か? 左手に痛みが走る。見てみると、手の甲が少し赤い。今ので火傷したようだった。
 そんなことはお構いなく、感覚を忘れないようにもう一度手にチャクラを集中させる。……が、雷のように光が走ったのは、その一回きりだった。
 
 気が付けば陽が落ち始めている。森に囲まれた第四演習場は一足早く夕闇が迫ってきていた。
 見納めにと紫陽花に目を向けると、もう暗闇に紛れかけている。隣に咲く紫華鬘に触れてその花の形を確かめた後、もう帰ろうと振り返るとそこにはカカシがいた。
「……なんでここに?」
「なんとなく。いるかなと思って。」
 足音を立てずに近づいてきてサスケの隣に並び、あの日と同じように紫陽花に目を向ける。
「中忍になれたら……今の七班がどう変わるのか、不安じゃない?」
 カカシは相変わらず、サスケの思考を読んでいるかのように話した。
 七班だけじゃない、カカシがどういう立場になるのかが知りたい。
「少なくとも俺は、お前の師であり続けるし、一緒にお前の隣を歩き続けるよ。言ったろ、もうお前はひとりじゃないって。」
 そう言いながら差し出された手をどうするか悩んだ。
 カカシは本当に何があっても隣にいてくれるんだろうか。俺を強くしてくれるんだろうか。
「お前がどうなろうと、俺のこの気持ちは変わらない。……だから試験では、遠慮せず実力を出し切っておいで。」
 濃い夕闇の中で、カカシがサスケの手を取って握りしめる。火傷したところが痛み、思わず手がぴくっと動いた。
「ん……手の甲、火傷してる? ……もしかして、成功した?」
「ああ、一瞬だけ、それっぽいのができた。……一回だけだ。」
「凄いじゃない。じゃあ明日からは左腕もバンテージ巻こう。」
 カカシは手の甲に触れないように手をつなぐ。サスケもその手を握り返した。
 信じよう、信じてみよう。
 カカシは隣にいてくれる。俺はもうひとりじゃない。
「来年も、咲いたら一緒に見たい。その次の年も、毎年カカシと一緒に。」
「うん、そうだね。」
 紫陽花は夕闇でもう見えなくなっていた。見えないだけで紫陽花はまだそこに咲いている。紫華鬘の花と一緒に。見えなくてもいい。そこに確かにあるんだから。
 
 一週間後。
 本の山をどかしてティッシュをゆっくりとると、きれいな押し花ができていた。
 ラベルの面をはがして薄くしておいた牛乳パックの上に花と茎、そして小さな葉を並べて、ティッシュを二枚にはがして分けたうちの一枚を上から載せると、中温に設定したアイロンを押し付ける。
 紫華鬘も同じようにアイロンを押し当てて。熱が冷めてから二つとも栞の形に切り取って、上部に穴を開けて青い紐を通し、キュッと結んだ。
 出来上がった二つの栞を本棚の上に載せて、重しにしていた忍術書も本棚の中に戻していく。
 本棚の上にふたつ並ぶ栞はそのまま使われることなく、サスケは中忍選抜試験の会場へ向かった。

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カカサス,全年齢,中編,原作軸,完結済み,小説シリアス,ほのぼの