私はわたしを救えるか
私が福祉の仕事に出会ったのは偶然だった。派遣切りに遭い、次の仕事を紹介してもらったその先が、福祉の事務の仕事だった。
福祉、というと真っ先に浮かぶのは介護。けれど私が出会ったのは、「低所得者福祉」という、福祉の中でもニッチな分野だ。事務だけだったのが、相談も受けるようになった。ちょうどリーマンショックの半年後くらいのタイミングで、仕事を失い困窮した人が次々に相談に訪れた。
その中でも深刻なのが、派遣切りににより家と仕事を同時に失った人々。
自分でなんとかしようと雇用保険を受給しながらネットカフェや車中生活を続けてきて、お金が尽きる寸前になって窓口に相談に来る。それ以外にも、タクシー会社に就いて最初の数ヶ月は給与保証もあったけど、うまく稼ぐことができず、給料を前借りしながらなんとか生活してきて、そして限界が訪れて辞める人。
誰もが「誰にも頼らずに自分で何とかしよう」とする。どうにもならなくなって福祉の戸を叩く。
そんな人たちに、利用できる支援がないか探して窓口を案内して、時に生活保護係と連携して、時に「法外援護」と呼ばれる、募金を原資としたごく少額の貸付や非常食を渡してその日を凌いでもらう。
けれど、全員を支援に繋ぐことは出来なかった。
相談に訪れなくなった人、繋げられる支援がなかった人、単なる相談では解決できない課題がある人、借金が多すぎる人。
私は福祉だけに留まらず、消費生活センターや財務局、ハローワークに無料低額診療所、金融公庫……色々な支援を調べた。
それでも今思えば「所詮制度側」の立場だ。事務所の窓口に座って相談に応えることはできても、実際にシェルターを見に行ったことなんてないしハローワークに足を運んだこともない。
だから余計にできる支援に限界があった。
そして皮肉なことに、四年が経って、私はその職から離れた。
その四年の間に、私は車の免許をとった。
そしてFPを持っているだけで何の福祉の資格もなく相談を受け続けていた私は、もっと福祉のことを知りたいと、社会福祉士の通信課程で学び、社会福祉士の資格をとった。社会福祉士の勉強は、今まで私がしてきたことのおさらいのようで、間違っていなかったんだなと少しだけ自信にもなった。同時に職業訓練を利用して介護福祉士の資格もとった。職業訓練で学べば学費がタダ、なだけでなく、学んでいる二年間は雇用保険を受給できる。誰かを支援するために調べたことが自分の役に立つなんて、因果なものだ。
スマホが鳴る。名古屋の支援団体の人からだった。
『二十一歳の子がいる母子ふたり、九州から来たようだけど手持ちが三千円で、今夜泊まる場所がありません。繋いでもいいでしょうか。』
何故九州から名古屋に?
いや、九州や沖縄から愛知に来る人は多い、けどほとんどが男性。理由は、愛知には仕事があるから。でもこのケースは母子……。
『お話お聞きしますので、お願いします。』
少しして、「j」という名前の友達登録が増えた。
『支援団体から紹介されました。』
まずは現状の確認を。
『ご連絡ありがとうございます、お困りの内容を教えて頂けますか?』
『手持ちが三千円しかなく、今夜寝る場所がないです』
お子さんが十八歳未満なら母子福祉施設の線があったが、九州から愛知に来た理由は何だ。
『今どちらにいますか? 帰る場所がなくなった事情を伺ってもいいですか?』
緊急を要する、もうすぐ夕方。二人で一緒に入居可能な、一時保護施設……こういうのは基本単身者が対象で、入れる所が……ない。……母子の支援に繋げられたら……!
『九州で生活保護を受けていましたが、愛知に来ました。』
理由は何だ。夫の暴力なら女性支援に繋げるのに、愛知に来た理由がわからない。それも、元は生活保護を受けていた……ケースワーカーに無断で?
匿名だし、元々の市区町村もわからないのに照会は出来ない。
『九州のケースワーカーさんは、このことはご存知でしょうか?』
九州のケースワーカーが転宅指導を出してくれたら、転居費が出る、ただ普通の賃貸入居は二週間は見てもらわないといけない。その二週間、どうする……調べろ、考えろ……!
『女性相談の番号をご案内しますので、母子寮に入れないか一度ご相談いただけますでしょうか。』
お子さんは二十一歳……稼働年齢だ。なのに保護を受けている。九州から来たくらいだ、大学は通っていない……つまり世帯分離もない。
二十一歳で働いていないって、もしかして。
『女性相談に掛けましたが、だめみたいです。』
……ということは、夫のDVでもない。理由がわからない。
『そうでしたか……。ところで、お子さんはおひとりで生活することは可能でしょうか? もしそれであれば、世帯分離してお母様とお子様、それぞれ別の部屋になりますが、入れる施設があるかもしれません。』
このメッセージでお子さんに障害があるとわかれば、二人別々になるかもしれないけど、居住支援に入れる道が見える。
だが返事はなかなか来ない。
三十分くらい経って、支援団体の方からメッセージが入った。世帯分離で、それぞれ一時避難出来る場所が確保できたらしい。
――しばらくは、大丈夫だ。ただ生活保護……九州から出てきた理由、転宅指導が出るか、出ないなら愛知で一から申請、許可までの二週間で部屋探し。
『同じ施設で、部屋は別ですが、住む所が確保できました。』
『良かったです! まずは安心しました。この先の話ですが、生活保護の関係、九州から愛知に転居が認められるか、愛知で一から申請になるか、こちらの確認をお願いできますでしょうか?』
不明確な点が多すぎて、今の時点では賃貸住宅探しは無理だ。結局お子さんの障害の有無もわからなかった。
……匿名のまま、だ。まだ私は信用されていない。連絡を待つしかない。
しかし、jさんからの連絡は、その後来なかった。
三日に一度、いかがですかと連絡しても、……だめだ。反応がない。既読は、……つくのに。
支援センターの方で何か動きがあったり事情がわかれば連絡が来るはずだ、けどその連絡もない。ということは、多分支援センターの人も対応に難航している。
困っている人、というのはどこからどう見てもその人に非がなく純粋に困っている、という人ばかりじゃない。
支援を受けたいと相談に来て、賃貸住宅を確保して、三ヶ月も経たずに消えてしまう人も一定数いる。
仲介の立場としてはそういう人の支援はきつい。管理会社との信頼関係もある。ただ目の前の困っている人をそういう人だと決めつけることもできない。
だから私達は横の繋がりを維持しながら連携して対応して、怪しい話が出た時にはそれも共有しながら何がベターなのかを探る。
制度の中で、窓口で待っているだけじゃこの肌感覚はわからない。九州からわざわざ愛知に来た理由が明かされなかったのは「単純に困っている」だけでない事情が裏側に見える。九州から出てこなければ、こうして困ることにはならなかったのだから。
ただ、それだけで支援するに値しない人とすることは出来ない。もしかしたらものすごくセンシティブな問題を抱えているかもしれないから、また支援を求められたときには全力で頭を振り絞ってベターを考える。
今は連絡を待つ、それだけだ。
別の人からメッセージが入った。女性で、四十代の目崎さん。今まさに生活保護が下りて、いくつか物件を提案してこの週末にでも内見に、という段階。
ただ、その連絡は思わしくなかった。目崎さんは、うつ病を抱えている。
『最近調子が悪く、内見は来週でもいいでしょうか。』
『もちろん大丈夫ですよ、この週末はゆっくり心身を休めてくださいね。』
……ストレートにシェルターに入って、保護が下りて、家を探して、引っ越しをする。そんなケースは珍しいほどだ。
そして精神疾患を抱えている人は、賃貸のオーナーが嫌がる傾向にある。だから提案できる物件も限られる。その物件も、来週にはもう埋まっているかもしれない。そうなると探し直しになる。
生活保護の人の入居支援で重要になるのは、「何故生活保護に至ったのか」これはかなりの確率で確認される。精神疾患がここで露呈すると、入居申込さえ断られる。病気のことを黙ったまま審査に通れと願うか、明確に確認されたら、ここはダメだと諦めるかの二択。
福祉の支援にも地域性がある。
家を失った人を支援する民間団体が、それぞれの地域で、その地域で使える制度と、制度だけでは救えない隙間を支援している。
同じ愛知県でも、ある市にあるNPOは独自に「すぐ入居可能」な物件を提供する「大家さん」をものすごい数確保していて、住まいに困っている人を即日繋いでいる。NPOの代表が長い年月をかけて、地域のアパートのオーナーさんに協力を取りつけてきた成果だ。
一朝一夕ではこんな仕組みはとても作れない。必要なのはこういう支援の仕事を続けていくという覚悟。誰も取りこぼさないという覚悟。そしてそのために必要なことは何か、自分にできることは何かを探る作業。実るかどうかわからない地道なことを積み重ねていく持久力。
そう、福祉の仕事には、持久力が求められる。信頼関係は一朝一夕では築けない。
だからこそ、待つしかない。そして助けを求められた時には、全力で何とかする。
待つしかない、という意味では窓口に座っていた時と変わらないのかもしれない。ただ、今の私には支援団体との横のつながりと機動力がある。定時になったら終わる仕事じゃない。むしろ夜になってから動くことも多い。今、このとき困っている人に、手が届くように。
……泣きながら、飛び降りるための建物を探して歩いていた。でも田舎には、そんなに高い建物はない。せいぜい四階。夜の街は、誰も女の子を気にかけない。交番の前だけは、昼以外は通らなかった。
涙を拭って、駅前のネットカフェに戻って、スマホで出会い系サイトを見続ける。十七歳はなんとか条例に引っかかるとかで、十八歳だと嘘をついた。
『ホ別3、ゴムあり、二十時に中田駅で、青の軽です』
……良かった、もうすぐ生理だから……その期間の分も稼いでおかないと……。
毎日毎日違う男の人の車に乗ってホテルに向かう。
痩せこけていた女の子は男からしたらスタイルがいい、らしかった。若くて痩せている自分の身体は金になる。それにセックス自体も嫌いではない。肌が、触れ合うから。
いかにしてマシな客を探すかに心血を注いで、セックスをして、時々ネットのオフ会に参加して、そしてネットカフェに帰っていく。大きな荷物を背負って。
ネットカフェの人はきっとわかってる。家出少女か何かだろうと。その当時は身分証を求められることもなかった。
性に逸脱した女の子は、ネットのオフ会で出会った男に身体を提供して、一晩泊めてもらうことを新しく覚えた。そうしているうちに女の子の事は、オフ会に参加する男の間で噂になる。どうでもいいと思っていた。男はそういう生き物。若い女とやれるなら多少のことは気にしない。その男を利用して生き延びていく。何のために生きているのかわからないまま。

