私はわたしを救えるか
窓口にいた時は、ここまで困っている人にできることがお金の貸付しかないことにもどかしさを感じていた。住まいと仕事を失った人に対しては特にそう。当面の生活費十万円、高額な入居初期費用二十〜三十万円、生活が再建できるまでの生活費月十万円。運良く三ヶ月で仕事が見つかったとしても、その後に五十万円の返済が待っている。
そして多くの人が滞納して、慢性滞納者となって、今度はお金を払えと督促をしなければいけなくなる。
フリーランスとして低所得者やホームレスの方の支援に入り始めてからも、緊急連絡先や入社時の身元保証はサービスとして展開ができた。けど四年で切られる期間従業員の人たちに対して、私ができることはちっぽけだった。入社身元保証を続けていると、四年前に保証人となった人が、再び別の会社での身元保証を依頼してくることがある。つまりは、非正規で仕事を転々と渡り歩いている人だ。
愛知県は有効求人倍率は高い方、でも数字だけでは見えない実態がある。それが大手製造業に関連する期間従業員。
このサイクルの中にいられるのはある程度の年齢までで、その年齢を超えた時にその人たちは窮することになる。
緊急連絡先サービスでできるのは審査を通しやすくするだけで、住まいの確保自体は自力でやってもらう必要があるしお金もたくさんかかる。
渡された鍵を、女の子はどうしたらいいのかわからなかった。教えられたアパートの二階、鍵穴に鍵を刺して回す。覗いてみたその部屋は、雑多に洗濯物が積まれていて、台所に食器はない。
こんなプライベートな場所に入ってもいいのだろうか。でもあの人がいいと言ったんだからいいんだろう。
でも手の中の鍵を、この先どうしたらいいのかまではわからなかった。
きちんと先を見据えて貯蓄をする人ばかりじゃない。そして車中泊生活が始まったりする。
そういう人を助ける制度はちゃんとある。シェルターが受け皿になっていて、その後は生活保護を受けながら自立を目指すことができる。
でも用意された制度に乗ることが出来ない人たちに対しては、公的機関や制度だけではどうすることもできない。
そんな折に不動産エージェントというものを知った。自分で物件を探して、申込まで行う業務委託の仲介会社の営業職。
不動産仲介の仕組みもわかった。仲介手数料と広告費が収入の柱、だけどこの会社では仲介手数料をエージェントである私が自由に設定できる。
初期費用で困っていた人も、制度の受け皿に乗れない人も、もしかしたら何とかできるかもしれない。
もちろん最初はうまくはいかなかった。審査に通すにはその人の正確な情報が必要だ。けど事情を持っている人ほどそれらは最初からは明かされない。
審査に通らなかった時にはじめて借金の滞納歴がわかることもある。ただ、そこで立ち止まらないために「借金の滞納歴があっても通る保証会社」を選んで提案できるように保証会社についても調べた。
でも入居できた、がゴールじゃない。そこから新しい生活を軌道に乗せなければ意味がない。
フリマアプリで家電を探す手伝いをしたり、中古店で服を探す手伝いをしたり。
着の身着のまま放り出された人は、本当に何も持っていない。だから入居はゴールじゃなくてスタート地点に立つための助走地点。
そして生活が落ち着いて、新しい仕事を探せる状態になってから、私は介入の手を止める。
私にできるのは、あくまでお手伝いまで。福祉の制度を利用しながら新しい住まいを探し、自走できるまでの間の支援。
だけど不動産エージェントになってから、私ができるお手伝いはずいぶん増えた。
シャワーも、洗濯機も、ありがたいけど使わせてもらうばかりでは悪い。でも、女の子がお礼として返せるものはひとつしかなかった。
夜になって、その人が帰ってくるのを待った。
女の子がいたことに驚いて、でもその人は夕食の心配をした。食べに行こうと言われて、お金がないと断る。
奢るからと、近くの飲食店に入った。注文してから料理が来るまでの間に、一目惚れで、放っておけなかったと言われた。
女の子は、その言葉を簡単に信じることはできなかった。
目崎さんのトークルームを開く。
以前送ったメッセージは既読になっていた。見てくれている、それだけでも十分なんだけど……最後に送ったメッセージから一ヶ月経っていた。
『お久しぶりです。体調の方はいかがでしょうか。回復されましたら、また教えて頂けますと幸いです。』
気にかけていることが伝わってくれたらそれで良い。ただ、返事が返ってこないのは……心配ではある。しかし今どこにいるのか、目崎さんの方から申告がない限りは、お見舞いにも行けない。どこの支援施設にいるのかはわかっている、けどそれ以上踏み込むのは個人情報保護的に、支援施設の人を困らせることになる。
連携はする、けど本人の尊厳も守る。本人が希望しない支援はしない。
お節介な私でも、このルールはきちんと守っている。
好きだという言葉も、愛しているという言葉も、本心じゃなくたって言える。女の子はそれを知っていた。その人の真意はわからない。わからないけど、この合鍵はいつでも返せる。だから前の男とは状況は違う。
その人にお礼としていつものように身体を差し出すつもりでいた。でもその人は女の子に手を出さなかった。
唯一持っていた返す方法を、求められていないことに女の子は戸惑った。
はじめて会ったその数時間後に見ず知らずの自分に自分の家の合鍵を渡した、その人が何を考えているのかわからなかった。
物件を探しながら、「生活保護可」と書いてなくても、実際には生活保護でも受け入れてくれる物件が多いことがわかってからは、条件に合うところは物件確認しつつ生活保護の可否も確認するようになった。
生活保護に至った理由が真っ当であれば、問題ないと判断されることが多い。逆に言えば、なぜ生活保護受給になったのかというストーリーを作れないような、情報が揃っていない人の場合、提案が難しかったりする。
つまるところ、どうやって私を信用して状況を教えてくれる関係性まで持っていくのかが、この仕事においては比重が大きい。
見ず知らずの他人にセンシティブな過去を話すのをためらうのは当たり前だ。そういう人が駅前の不動産屋に行っても審査で落ちる可能性が高い。
情報を引き出すのではなく、情報を話してくれるような関係作り、そのためには相手のペースに合わせて待つこと。
上から引っ張り上げるんじゃなくて、少しの間隣を歩いても良いですかと尋ねて、判断材料を用意して、意思決定を支援する。それが……あるべき支援の形だと思う。
その人は、女の子に好きだと、大切だと言った。
そんなふうに大切にされるような人間じゃない、だって男に身体売ってる。汚いことしてる。そんなわたしに大切にされる価値なんてない。
だけどその人は、その言葉を口にするのをやめなかった。
他の男のようにただ欲望の捌け口として利用したいだけなら、あの出会った日に家に連れ帰っていただろう。
その方が、むしろわかりやすかった。
なのにその人の行動や言葉は、受け取った鍵と同じように、どうしたらいいのかわからなかった。
パソコンを睨みながら物件を探す私の横を、ととと、と女の子が歩く。現実にいる訳じゃない。彼女は私のインナーチャイルド。
絵がうまく描けたらしい。お絵かき帳を手に持って、こちらの様子を伺っている。
私はキーボードから手を離して、女の子に向き直った。
「見せてくれるの?」
はにかみながら、女の子はお絵かき帳を開く。何を描いたのかはわからないけど、いろんな色が使われていてきれいだった。
「見せてくれてありがとう、色使いがすごくきれい」
頭を撫でると、女の子の姿は消えた。
見て欲しい。
認めて欲しい。
そんな幼いわたしの気持ちを、今の私なら見てあげられる。認めてあげられる。
本当は親に認められたかったんだよね、わかる。
でも大丈夫、私はちゃんと、あなたのこと見続けるから。
パソコンに向き直って、物件検索に戻った。
過去の傷が完全に癒えるなんてことはない、きっと私は一生十七歳のわたしと一緒に生きていく。
あのときはつらかったよね。
あのときはこわかったよね。
そうやって声をかけながら、彼女は少しずつ自分の気持ちを吐き出し始める。
自分には価値なんてないと思ってた。
男に売ったことではじめて価値があるって思った。
それって、間違いだった?
わたし、間違ったことしていた?
今なら向き合って伝えられる。
価値がどうとかはわかんないけどさ、何も間違えてないよ。
あなたがいなければ、今の私はないから。
だから何も間違ってない。
大丈夫、もう泣いてもいいんだよ。
そういうふうに、あのとき誰かに言われたとしても、きっとわたしは素直に受け取ることはなかった。
この人はわたしを利用する人なのか、利用できる人なのか。そういう物差しで人を見ていたから。
例え私が声をかけても、既読もつかず別の街へ消えてしまうだろう。
そういう意味では、私は十七歳のわたしを救うことは絶対にできない。
福祉の知識がどれだけあっても、あなたを助けたいとどれだけ思っても、……届かない人には届かないって、散々思い知らされたから。
だからせめて、私は誰に何と言われようと、過去の自分を否定せずにこれからも生きていく。
そして目の前にいる困っている人もまた、否定せずに、話を聞いて、どうにかならないか頭を回転させる。
救いたい、じゃないんだ。どうにかしたい。ずっとそう。困っている人をどうにかしたい。それだけで、この仕事やってる。
あんまりお金になんないのは痛いけど、これからもそういう気持ち抱えて生きてくんだと思う。
十七歳のわたしも、救われたい、なんて思っちゃいなかったよね。どうにかしたい、それだけだった。
そこは変わんないもんだね。
でもあなたのおかげで、今の私がある。救われてるのは実は私の方なんだ。
あなたがいたから、今、私はここにいる。

