折れたこころ

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全年齢,長編,原作軸,完結済み,カカサス小説シリアス,平和IF

二週間

 ぎゅっと抱きしめる手の温かさではっと目が覚めた。でもまだぼーっとする。頭がうまくはたらかない。俺はまたカカシの上で眠っていた。
「あ」
 声が出る。声を出せる。それが溜まらなくて、また声を出す。
「カカシ」
 カカシは背中に回していた手を頭に乗せる。
「気分はどう?」
 頭を撫でる手が心地いい。気分……どうなんだろう。わからない。まだ頭の中は濃い霧に包まれているような感じがして、自分が何を考えているのか、それとも何も考えられないのか、気分がいいのか、悪いのか、普通なのか、全くわからない。
「わからない……けど」
「けど?」
「カカシの手が、心地いい」
 カカシはほっとしたように笑って、「そっか」と言いながら頭をわしゃわしゃと撫でた。
「もうすぐ十一時半だけど、お昼にする?」
 話し声を聞きつけて、影分身のカカシも寝室に入ってくる。
「サスケ、調子はどうだ?」
「そういうのは俺が聞いてるからお前はいーの。」
「だって気になるじゃない」
「何回も聞かれるサスケの気にもなってみろ」
「それもそうか……そうだサスケ、お昼食べられるか?」
「それも今俺が聞いたところだから」
 二人のカカシのやりとりを眺めていたら、なんだかおかしな気分になってくる。影分身って、本当にカカシが二人になるんだな。そして二人とも第一声で俺のことを気にかけてくれてくれた。眠る前の記憶がぼんやりていてあまり思い出せないけど、声が出なくなって、頭の中にまた死ね死ねと声が響いていて、苦しくて、死にたいくらいつらかったのは覚えている。だから余計にカカシは心配しているんだろう。
「で、どうなの、サスケ。食べられそう? ジュースにしておく?」
 手を握る。グー、パー、動く。掴める。
「……食べてみる。おにぎりがいい。」
 影分身のカカシがほっとした顔をした。
「今作ったところだから、まだ温かいよ。食べよっか。」
 そしてサイドテーブルの上にある丼と水を手に取ると、寝室の扉を開けたまま出ていった。きっとすぐにおにぎりと薬を持って戻ってくるんだろう。ぼーっとしてはたらかない頭でも、そのくらいは考えることができた。自分の気持ちや気分は……やっぱりわからない。考えようとすると頭の中が真っ白になって、何も思い浮かばない。この状態は、良いのだろうか、悪いのだろうか。
「……ぼやっとして、なんも、わかんね……。」
 カカシはまたサスケの頭をなでる。
「それはね、頓服で飲んだ薬がまだ効いてるからだと思うよ。お昼食べて、もう一度休んだら、目が覚めたころには……どうなってるか、わからないけど。でもサスケが目を覚ましたら、必ず俺が起きるか、影分身がついてるから。だから大丈夫。」
 大丈夫。カカシが言うなら、きっとそうなんだろう。でも胸がドキドキする。この感覚は何だろう。……不安? そうだ、カカシは薬を飲む前、握る手が弱くなって。起こそうと思っても声が出なくて。カカシは起きなくて。それで俺は。
「もう二度とサスケをひとりにしないよ。約束だ。」
 カカシはサスケの頭をなでながら力強く話しかける。
 それを聞いて、胸のドキドキがおさまっていく。もう、あんなことにはならない。いつでもカカシがついていてくれる。手を握ってくれる。抱きしめてくれる。
「約束、だからな、カカシがいないと、俺……」
「ああ、約束だ。どんなに元気そうにしていても、必ず見守ってるから。」
 そこに、お盆を片手に持った影分身が戻ってきた。サイドテーブルにお盆を置くと、その上には湯気が立っている丼と小さいおにぎりが五個載った皿、そしてストローの刺さった水と薬、野菜ジュースのパック。
「さ、みんなで食べようか?」
 影分身のカカシはベッドの脇に腰を下ろして、丼を手に取る。
「あれ、それ俺のじゃ……」
「俺の愛情のこもった飯を残す奴に食わせるもんはないよ」
「後でゆっくり味わおうと思ってたのに」
「食事は出来立てを食べるのが作った人に対する礼儀ってもんでしょ」
「もうちょっと状況を見て臨機応変に対応できないの?」
 また始まったふたりのカカシのやりとりに、思わずサスケの口元がほころぶ。それを見た影分身の方が、ニコッと笑って「笑えたね、サスケ」と声をかけた。
「え、俺……?」
「そう、サスケ。」
 サスケは自分のほっぺたを触る。笑ってた? 本当に? なら、今の状態は……少なくとも悪くはない、ってことか。
 
 ふたりのカカシはその様子を見て、胸を撫で下ろしていた。このコントじみたやりとりはサスケの反応をうかがうためのものだった。無表情のまま視線も動かさなければ調子は良くない。ぼーっと眺めているだけなら薬の影響がまだ強く残っている。少しでも笑顔が見られたら調子は悪くない。前回頓服を飲んだ時もそうだったが、薬を飲んだ後は調子がよくなるんだろうか。たまたまが二回続いただけだろうか。それについては、もう少し観察が必要だ。
 影分身がおにぎりを手に取りサスケに渡そうとすると、サスケは野菜ジュースを指さした。
「ジュース、飲みたい。」
「おにぎりはきつそう?」
「いや、喉が乾いて……それにおにぎりばっかりだと栄養が偏るだろ。」
「ん、りょーかい。」
 野菜ジュースのパックに付属のストローを差してサスケに手渡すと、サスケはそれを口元まで持っていって少しずつ飲んでいく。ゆっくりではない、少しずつだ。口に含んでから嚥下するまではスムーズだった。ここにも快調の兆しが見て取れる。
 冷静に、五感を使って観察して、そのときやるべきことをする。それが今俺がすべきこと。サスケの体調の変化に一喜一憂しない。一緒に喜んで見せても、こころは冷静なままでいること。
 サスケは野菜ジュースを飲み終えると、空になったパックを影分身に手渡して、ついでにおにぎりをひとつ手に取る。口元に寄せて、ラップを開くと、二回に分けて食べた。咀嚼はゆっくりだがしっかりよく噛んで食べている。大丈夫だ、問題ない。サスケは手元に残ったラップを影分身に手渡す。
「もうひとつ、食べる?」
「具は何がある?」
「おかかと、梅昆布、ツナマヨ。」
「じゃあ……梅昆布。」
 影分身はおにぎりをひとつ選び取ってサスケに渡した。
 影分身は丼を口に運びながら食べる様子を、本体はサスケの心拍や呼吸を観察しながら見守る。サスケはおにぎりを三つ食べて、「もういい」と言葉にして、薬を飲むと、くたっとカカシの上で力を抜いた。
「疲れた? ゆっくり休みな。寝てもいいよ。」
 まだ少しぼんやりとしているサスケは、小さく「ああ……」と答えたきり、動かなくなった。次第に規則正しくなる呼吸、落ち着いた胸の鼓動。眠りに入ったらしい。
 影分身は食事の後片付けをして家事を済ませると、ベッドの横に座ってサスケの様子を見守る。
 カカシ本体は少しでも眠っておいた方が良い。影分身に「寝てる間のことは頼んだよ」と伝えて、目を閉じた。
 
 その後サスケは調子が悪くなったり、良くなったりを繰り返した。調子が良ければ座って食事をとることもできるようになったし、立ち上がってトイレに行こうとすることもできたが、トイレはまだカカシが付き添ってやらないと難しそうだった。調子が悪くなるとやはり横になったままで動けない。動けないながらも、食事は自分で食べられるようになっていた。少しずつ出来ることが増えていく。喜ばしい変化だった。確実に回復に向けて前に進めている。ゆっくりでいい、焦らなくてもいい、大丈夫、俺がついてるから。カカシは本体と影分身を使い分けながら二十四時間サスケを見守り、サスケが目を覚ますたびに声をかけて手を握る。頓服の出番はなくなっていた。調子が悪くても、早期に発見して対処すればサスケは落ち着いた。それでも、調子が悪いときは希死念慮があるようだった。
 
 玄関のチャイムが鳴る。
 影分身を向かわせると、そこには白衣の医師の姿。あれからもう一週間か。
 医師をダイニングテーブルに案内すると、さっそく医師が口を開く。
「どうですか、サスケ君の様子は。」
「一回サスケの調子が悪いときに俺が寝てしまっていて……目が覚めた時はひどくなっていて何をしても落ち着かず、頓服を飲みたいと言われたので、飲ませました。その後は影分身を使った二十四時間の見守りを再開しています。それからは、調子が良かったり悪かったり。ただ、順調に出来ることは増えてきました。回復に向かっているんだろうと俺は考えています。」
 医師はふむ、と頷く。
「抗うつ薬が効いているみたいですね。こちらの処方は継続していきましょう。調子が悪いときはどうですか。希死念慮はまだありそうですか。」
「調子が悪いときはやっぱりあるみたいです。頓服を飲むほどではないようですが。」
「わかりました。ではサスケ君と少しお話したいんですが、良いですか?」
「今寝ているんですけど……」
「起きられそうなら起きてもらって問診します。難しそうなら、仕方がないですが。」
 医師と影分身は立ち上がると、寝室の扉を開けた。
 ベッドに横になっていたサスケは、目を覚ましていた。
「いつ起きたの?」
「チャイムの音で目が覚めた。」
「そっか。お医者さんが来たから、診察してもらいな?」
「ああ、わかった。」
 影分身に次いで白衣姿の医師が寝室に入ってくる。横になっていたサスケは身体を起こしてベッドの上に座った。医師はベッドサイドにしゃがんでサスケの目線に合わせる。
「どうだったかな、この一週間。」
「良かったり悪かったり……悪いときは、やっぱり動けなくなります。頭の中の声も大きくなって……」
「どんな声が聞こえる?」
「お前なんか死ぬべきだとか、生きてる価値がないとか……」
「それが聞こえるときは、どう感じる?」
「やっぱり俺は死んだ方がいいのか、とか、でもこれは病気の声だから気にしちゃいけない、とか、カカシが生きていて欲しいと言ってくれたことを反復して、声に言われるがまま死のう、と思うことは減りましたが、……でも声がなかなかやまないとやっぱり、死にたくなります。」
「そっか、死にたい気持ちにはなっちゃうんだね。」
「けど、最近はそれもだんだん減ってきました。……調子のいい日が、増えたような気がします。」
「今も調子は悪くはなさそうだね?」
「はい。調子が良ければ、座ったり、カカシに手伝ってもらってトイレに行けたり……できてます。」
「理由もないのにつらいとか、不安だとか、声が聞こえなくてもとにかく死にたいとか、そういうことはあるかな。」
「調子が悪いと、つらいとか死にたいとかはあります。カカシがいてくれるから、不安はそんなには感じません。」
「不安な感じはあまりないんだね? でも理由もなくつらいとか死にたいとか感じちゃうのはつらいね。」
 医師はサスケの目を見て穏やかな笑顔を見せた。
「ありがとう、もう楽にしていいよ。起こしちゃって悪かったね。じゃあ、あとはカカシ先生とお話しするね。お大事にしてください。」
 立ち上がって、影分身と一緒に寝室を出ていく。静かに扉が閉まると、サスケはふぅ、と息を吐いた。
「お医者さんと話すのはやっぱりきつい?」
「いや……前回よりはだいぶマシだった。今調子がいいからかな。大丈夫。」
 サスケは隣に座るカカシにもたれかかる。
「無理して座ってないでいいんだよ?」
「こうしていたいんだ。……だめか?」
「疲れない程度にね。」
 カカシはサスケの背中に手を回して、右肩を抱いた。
 
 ダイニングテーブルでは、再び影分身と医師が話をしていた。
「不安感が軽減しているので精神安定剤は半錠に減らしましょう。その代わり、カカシ先生はしっかりサスケくんを見てあげてくださいね。頓服はまだ残っていると思うので、念のためお守り代わりにそのまま持っていていただいて大丈夫です。」
「わかりました。」
「それと、出来たらですがそろそろ概日リズムをつけられるようになった方が良いですね。夜しっかり深い睡眠をとって、朝は必ず一旦起きるように。寝る前の睡眠導入剤に加えて、作用が七~八時間くらい続く睡眠薬を足します。」
「日中はなるべく起こしておいた方が良いんですか?」
「……まだそこまでは大丈夫です。夜しっかり眠ることと、朝必ず覚醒すること、今はこれだけを意識してください。あと今後気をつけた方が良いのが身体の倦怠感はあまりないのにこころの調子が悪い、という状態です。そうなると……」
「自殺リスク、ですか。」
「そうです。その状態になるとリスクが非常に高まります。くれぐれも目を離さないように。必要なら頓服も使ってください。」
「……気をつけます。ありがとうございます。」
 医師はいつものようにその場で処方箋を書くと、鞄に入れた。
「薬はまた薬剤師に届けさせます。では、今日はこれで。」
 立ち上がって玄関に向かう医師の後に影分身も続く。
「火影様への報告書はこちらで書きますので、カカシ先生は日常の様子だけ報告を上げて頂ければ結構です。……お大事にしてください。」
 影分身は靴を履いて玄関から出ていく医師に頭を下げた。
 自殺リスク。……大丈夫だ。二十四時間の見守りを継続していけば、その予兆は掴めるはずだ。
 今度こそ、死なせたりなんかしない。絶対に。
 握りしめるこぶしに力が入る。
 俺はもう、誰も死なせない。もちろん、サスケも。