折れたこころ

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全年齢,長編,原作軸,完結済み,カカサス小説シリアス,平和IF

退院

 カカシにおぶられながらサスケはカカシのマンションに帰ってきた。カカシがサスケをベッドの上に降ろすと、サスケはベッドの端に座る。
「もう座れるの?」
 飲んだ薬の筋弛緩作用は処方された下剤のおかげでだいぶ抜けてきているようだった。
「少しなら、多分大丈夫だ」
「じゃあ、このまま少し話をするけど、疲れたら横になってね。」
 カカシがサスケの目線に合わせて腰を下ろす。
「何があったのか、まず教えてくれ。」
「わかった。まずサスケが目を覚ましたとき、ひどく調子が悪かった。何をしても落ち着けなくて、過呼吸にもなっていた。それで、俺が薬を飲むかとサスケに聞いたら、サスケはベッドを飛び出してリビングに向かった。」
「それでテーブルの上の薬を飲んだのか。」
「そう。残ってた七錠全部口に入れた。吐かせようとしたけど駄目だった。だから病院に連れて行った。」
「……七錠全部?」
「きっと、たくさん飲めば楽になれるって思ったんだろうな。よっぽどつらかったんだろう。テーブルに置きっぱなしにしていた俺も悪かった。」
「たったの七錠で、三日間起きなかったのか、俺は。」
「それだけ、強い薬なんだよ。お医者さんからも、薬剤師さんからも飲みすぎないように言われてたからね。だからベッドのサイドテーブルにはいつも一錠しか置いてなかった。」
「カカシが渡してくれるのを待てないくらい、取り乱してたのか、俺。」
「俺ばっかりに頼らず、自分で何とかしようと思ったのかもしれない。今となってはわからないけど。」
「……ごめんは禁止、だったな。」
「うん、禁止。それに俺の責任でもある。サスケは悪くないよ。それで、だ。今のサスケの状態について話すよ。」
 サスケはベッドサイドに置いてあったノートと鉛筆を手に取った。
「サスケは今、どんどん身体が動かせるようになってきてる。これは良いことだ。この調子で出来ることを増やしていって、元の生活に戻るのが目標だ。」
「ああ、それはわかる。」
「でも、調子が良くて身体が動くのは良いことだけど、調子が悪くてももう身体を動かせる。するとどんなことが起こるか。」
「……薬を、たくさん飲んだ。」
「そう、悪い方向に行動してしまう可能性がある。まだまだ認知の歪みもはたらいているから『こうするしかない』と思い込んで衝動的になりやすい。俺の家に来る前は手首を切ったり足を殴ったりしただろ。そういうことをまたするかもしれない。」
 サスケは包帯の巻かれた手首を見る。また切りたい衝動がきたときに、身体が動く今なら切ることができる。カカシに頼ると決めたけど、身体が動くようになってからは出来るだけ自分のことは自分でしようと思っているところもある。そういう考えが悪い方にはたらく可能性が、あるということか。
「それで、どうしたらいいか、ここからは対策の話だ。まずサスケの身体を傷つける可能性のあるものは全てサスケの手の届かないところに置いた。クナイも包丁も薬も全部。これで物理的にサスケが自分を傷つけることは自分を殴ったり外に飛び出したりすること以外は出来ない。」
「殴ったり外に飛び出す以外……。」
「で、寝室だけでなく色んな所に俺の影分身を配置しておく。衝動的に何かしようとしてもどこかにいる俺が対応する。だからサスケ、俺を頼ってくれ。頼む。殴りたくなったら俺を殴れ。薬が飲みたかったら言えばすぐに出す。俺を頼ってくれ。自分一人だけで何かを決めたり判断するんじゃなくて、俺に相談してくれ。俺が一緒に考える。何とかする。」
「一緒に……。」
「今までと同じだ。今までもそうしてきただろ。身体は元気になっていても、まだこころは不安定だ。一緒に治そう。一緒に考えよう。一緒に何とかしよう。今の状態はまだ、サスケ一人の判断で行動するのは危険だ。」
「……それは入院して、身に染みてわかった。でも、また衝動的に何かするかもしれないんだよな?」
「ああ、でもサスケが取り乱したときは俺が何とかする。それ以外のときだ。少しでも調子が悪いと思ったらまず俺に言ってくれ。ノートに書いて自分だけで対処しようとするんじゃなくて、そのノートを俺にも見せてくれ。今どう思ってるのか、どうしたいのか。」
 サスケはノートの表紙に大きく「カカシに伝える」「カカシに見せる」と書いて丸で囲む。
「……何でも、カカシに言う。それを守る。約束する。」
「うん、サスケがするべきなのは、それだけだ。それだけでいい。」
 サスケは、カカシの目を見て頷いた。そして、少しだけ目を伏せる。
「正直……今少し、落ち込んでる。まだ全然治ってないんだなって。」
「でも、ちゃんと少しずつ良くなってるよ。大丈夫。必ず治るから。」
 カカシの大きな手がサスケの頭を撫でる。サスケはそれだけで何だか安心する。無駄にこの三週間過ごしてきたわけじゃない、カカシがいてくれたから、ここまで回復してきてる。一人だけだったらきっと、落ちていく一方だった。カカシが声をかけてくれたから。俺の様子に気付いてくれたから。俺を見ていてくれたから。気にかけてくれたから。
 アカデミーを卒業するまでは、そういう風にサスケを見てくれる人は誰もいなかった。
 さすがうちはの生き残りだ、他の子とは違う、……優秀だから、面倒を見なくても、大丈夫。
 ……ナルトは何かしでかす度にイルカ先生が気にかけて、叱って、一緒に尻拭いをして、……そういう存在がいるナルトが少しだけ羨ましかった。最初はひとりでブランコを揺らすあいつを見て、ああ、俺と同じなのかなと思ったけど、結局ナルトはひとりぼっちじゃなかった。本当に孤独なのは、俺だけだ。そう思い続けていた。
 でも今は、カカシがいる。いてくれる。必要としてくれる。そしてナルトとサクラも……俺を待っていてくれている。
 俺ももう、ひとりぼっちじゃない。カカシを頼って良いんだ。カカシに甘えて良いんだ。そう、感じさせてくれるカカシの大きな手は、心地よかった。
「……悪い、ちょっと横になる。少し疲れた。」
「謝ることじゃないよ、無理させたね。」
 サスケはベッドに上がってごろ、と横になる。
 カカシはその上に布団をかけて、またベッドサイドに腰を下ろした。
「少し眠りな。退院したばっかできっと疲れてるから。」
 言われた通りに目を閉じると、サスケはすっと眠りに落ちていった。
 落ち着いた、規則正しい呼吸を確認すると、カカシは影分身を三人作って家中に散らせる。洗面所につながるトイレ前の廊下。玄関前のリビング。キッチン。そして寝室でサスケを見守る本体。それぞれが常に最悪の事態を想定して眠りに入ったサスケが起きるのを待った。
 
 昼過ぎに眠りについたサスケが目覚めたのは夕方だった。ちょうどキッチンにいる影分身が食事の用意をしている時だ。なんだかいい匂いがするな、と目を開けると、ベッドサイドのカカシが「おはよう、気分は?」と笑いかける。
「腹、減った。あと、トイレ行きたい。気分は……悪くない。」
「ん、じゃあまずはトイレだね。」
 サスケがベッドから足を下ろす。立てるだろうか。足にぐっと力を入れるが、ぐらっとふらついたのをカカシが支えた。
「大丈夫だ、一緒に行こう。」
「ああ、頼む。」
 カカシがサスケの背中に手を回し、脇を支えながらゆっくりとトイレに向かって歩く。トイレの前には影分身がいて、「調子、大丈夫そうだね」と言いながらニコッと笑った。
 トイレから出てキッチンの方を見ると、また影分身がいて何か料理を作っている。
 サスケが見ているのに気がつくと、「今日はどこで食べる?」と笑いかけた。
 ダイニングテーブルの方を見ると、玄関の前で腰を下ろしてイチャパラを読んでいる影分身が目に入る。目が合うと、笑いながら手を振った。
 色んなところに配置するとは聞いていたけど、本当に、色んな所に、カカシがいる……。
「……今日は、ベッドで、座って食べる。」
 キッチンの影分身に向けて言うと、「ん、りょーかい」と答えながら炊飯器の蓋を開けた。
 寝室に戻ると、ベッドに腰を下ろしてからカカシに聞く。
「なあ、ずっといるのか? あの影分身。チャクラとか、疲れとか、大丈夫なのか?」
「気にしなくてもいいよ、って言っても気になるだろうけど、影分身自体はそんなにチャクラを消費しないし、サスケが寝てるときはちゃんと身体を休めてるから大丈夫だ。そこは安心して。」
 とは言ったものの、半分はサスケのためについた嘘だった。サスケが寝ている時も身体は休ませているがずっと起きている。当然疲れはじわじわと溜まっていく。しかし、それよりも過酷な任務なんて今までにいくらでもあった。その時と比べればじっと見張っているくらい楽なものだ。
「なら、いいけど……。」
 コンコン、と寝室の扉がノックされる。カカシが扉を開けると、どうやらさっきのキッチンの影分身らしい。いくつかお皿が乗ったお盆を受け取ると、カカシは扉をそのままにしてサイドテーブルの上にお盆を置く。
「豚の角煮と、野菜炒め。食べれそう?」
「ああ、大丈夫だ。いただきます。」
 手を合わせてから箸を手に取る。おにぎりではなくお茶碗に入ったご飯を食べるのは久しぶりだった。
 サスケが食べ始めたのを見て、カカシは開いたままの扉に向かって「食べれるみたいだから俺にもちょうだーい」と声をかけると、またキッチンから影分身がやってきてカカシにお盆を渡し、サスケの方を伺う。
「うまいでしょ? 三時間煮込んだからさ。おかわり欲しかったら呼んでね。」
 そしてさっと戻っていった。どうやら、持ち場が決まっていてそこからは離れないようにしているらしい。
「うん、我ながら美味そうだ。いただきます。」
 カカシも箸を持って野菜炒めを食べ始める。他の影分身も食事をとるんだろうか? と思いながら角煮を口に含むと、ほろほろっとくずれて肉の旨味が濃縮されていて美味しい。ご飯も進む。
 
 どんどん食べ進めるサスケを見て、カカシはほっとしていた。
 退院する時に医者から「退院できる、イコール動けるようになる、ではない」と聞いていたが、この調子で薬の影響が消えていけばすぐにまたテーブルで食事をとることが出来そうだった。
 出来ることが増えるのはリスクもあるが、基本的には喜ばしいことだ。しっかりとケアをしていけば、一進一退は繰り返すだろうが、少しずつ、少しずつ回復していくはずだ。そう、俺がちゃんとサスケを見ていれば。
 食べ終えて手を合わせるサスケに、カカシは笑いかける。
「美味しかった?」
「ああ、美味しかった。キッチンのカカシにも言っておいてくれ。」
「ご飯がおいしく食べられるのは、良いことだよね。良いことがあったら?」
「……喜ぶ?」
「そう、スマイル!」
 笑顔なんて、言われて作れるものじゃない。でも嬉しそうなカカシの顔を見ていると、自然に口角が上がった。カカシが喜ぶと、俺も嬉しい。なんて、恥ずかしくて言えないけど。
 
 その日の清拭は、サスケが出来るところは自分で拭いた。手の届かない背中だけカカシが手伝う。
「シャワー、浴びたいな。」
「じゃ、もっと元気にならなきゃね。でも、」
「無理はしない。わかってる。出来ない日もある。」
「うんうん、その調子。」
 また調子が悪くなるのは嫌だ。あの最悪な気分はもう味わいたくない。でも、そういう病気だ。そうなっても、受け入れるしかない。ノートもあるし、カカシもいる。一緒にいてくれる。
 トイレに行って、寝る前の薬を飲んで、カカシと一緒に布団に入る。カカシは黙って俺の手を握る。大丈夫、ずっとそばにいる。そう、言っているかのように。
 でも本当は、ぎゅっと抱きしめて欲しかった。不安だった。眠る前はいつも不安だ。次に目が覚めた時、自分がどうなっているかわからないから。
 ……不安。
 この気持ちも、カカシに伝えた方が良いんだろうか。
 何でも言うと約束した。一緒に治そうと言ってくれた。
 ……寝るのが怖いなんて、幼子みたいで恥ずかしいし、情けない。
 けど、きっと伝えた方が良い。
「カカシ。」
「ん?」
「抱きしめて、欲しい。」
「どうしたの、調子悪くなってきた?」
 カカシが背中に手を回した。
「不安、なんだ。夜、寝るときはいつも。」
 その胸に、サスケを抱き寄せる。
「……そうだよな、不安にもなるよな。」
 カカシの胸の鼓動が聞こえる。温かい。……安心する。
「寝るまででいいから、このまま……。」
「わかった、……夜寝るときは、抱きしめて離さない。大丈夫だよ、……おやすみ。」
「……ありがとう、……。」
 
 サスケが眠ってからも、カカシはずっとサスケを抱きしめ続けた。カカシも不安だった。朝サスケが、どんな状態で起きるのか。だからサスケが目を覚ますまで、ずっと抱きしめ続けた。