折れたこころ

1,474 View

全年齢,長編,原作軸,完結済み,カカサス小説シリアス,平和IF

笑顔

 本物のカカシが寝室に戻ってきて影分身は姿を消した。
 カカシはベッドに上がるとサスケのすぐ隣に横になってサスケの手を握る。
「このまま寝られそう?」
 久しぶりのベッドの感触は心地よかった。
「大丈夫、寝られそう。」
「そっか。」
 カカシはサスケの頭を撫でる。
「何かあったら遠慮なく俺を起こすんだよ。」
「わかってる。……おやすみ。」
「おやすみ、サスケ。」
 サスケは手を握られたまま目を閉じた。
 次に目が覚めた時にまたどんな状態で起きるのかわからない。今日調子が良かったからと言って明日もそうとは限らないのがこのうつ病という病気だ。
 ただ、日増しに出来ることは増えているから順調に回復する方へは動いているんだと思う。
 サスケが規則正しい呼吸になったのを見届けてからカカシも目を閉じた。
 
 ピピピピッというアラームの音で目が覚めて、時計に手を伸ばしてアラームを切る。
 目の前にいるサスケはもう起きていて、目を細めて「おはよう、カカシ」と声に出す。どうやら調子は悪くないようだ。安心してカカシも「おはよ、サスケ」と頭を撫でる。
「眠りの方はどうだった?」
「四時くらいまではぐっすり眠れた。その後はウトウトしたり……で、六時くらいにはしっかり目が覚めた。」
 アラームは七時にセットしてある。ということは、一時間ずっとひとりで?
「一時間、何して過ごしてたの? 起こせばよかったのに。」
「あんたの顔見てた。あんたもずっと俺のこと見ててくれたんだろ。だからしっかり寝て欲しかった。」
 どうやらサスケに心配をかけていたらしい。疲れが顔に出ていたんだろうか? いや、そんなことはないはずだ。でも、自分以外のことに目が向くようになったのは喜ばしい変化だった。
「朝ごはん、どうする?」
「昨日の夜と同じやつがいい。おかかの小さいおにぎり。」
「ん、了解。ご飯炊くからちょっと時間かかるよ。」
 握っていた手を放して印を組むと、影分身が一人ベッドサイドに現れる。
「じゃ、準備してくるから待ってて」
 そう言うと、影分身のカカシは寝室から出ていった。
 本体のカカシはまたサスケの手を握る。
「今日は、座って食べれそうな気がする。手もずっと握ってなくても大丈夫だ。」
 サスケが身をよじって腕に力を込めて上半身を起こす。
 多少つらそうではあるが、座った状態を維持できそうだった。カカシはサスケの背に枕を挟む。
「ご飯炊けて、おにぎり作れるまで四十分くらいかかるけど、大丈夫そう?」
「ああ、やってみる。……大丈夫だ、無理はしない。」
「よし、じゃあちょっと、頑張ってみような。」
 カカシはベッドから降りてクローゼットを開けると、寝間着からいつものインナーに着替えていく。ベストを着てから影分身をもう二人出すと、それぞれ部屋から出ていった。それを見守ってから、またベストを脱ぐ。
「ナルトと、サクラのところに行かせたのか?」
「うん、二人とも任務と演習しっかりやってるよ。あ、そうそう。二人から手紙預かってるんだった。……今、読んでみる?」
 サスケに悪影響がないように事前に内容はチェック済みだ。今のサスケなら読ませても大丈夫だろう。
 ベストのポケットに入っている手紙を取り出して、サスケに渡す。
「ナルト……あいつ、手紙なんか書くんだな。」
 そう言いながら封筒の封を切る。
 二つに折りたたまれた手紙を見ると、「病気なんかに負けんなよ!」とでっかく一言だけ書いてある。ナルトらしいな、と思わずサスケの顔がほころぶ。
 サクラからの手紙も見ると、便せんにびっしりと二人の演習や任務の様子だったりサクラの心情が綴られていて、最後に「いつまででも待ってるから、しっかり治して戻ってきてね!」と書かれていた。
「カカシ、俺の病気のことは……」
「治るのに最低でも何週間かかかる、とだけ言ってある。病名までは伝えてないよ。」
 それを聞いてサスケはほっとした様子だった。二人には弱っているところを見せたくないんだろう。
 目覚まし時計の隣に手紙を置くと、ふぅ、と息を吐いた。
「きついか? 横になる?」
「……ああ、そうする。長い時間は、まだ難しそうだ。」
「でも、十分くらいだけど、座れたね。また出来ることが増えたじゃない。」
「明日は、三十分を目指す。その次の日は、ベッドサイドに腰かけられるようになりたい。」
「……目標持つのは良いことだけど、調子が悪くなったらその分落ちちゃうから、ほどほどにね?」
 サスケがごそ、と横になって布団をかぶる。
「そう……だったな。ずっとこうでは、ないんだったな。」
「うん、無理はしないで、出来ることを少しずつ増やしていこう。」
 サスケの表情に、不安の色がにじむ。
 大丈夫か、と言いかけて、口を閉じた。こういうときは「大丈夫か」とは言ってはいけないんだった。大丈夫と訊かれたら、大丈夫じゃなくても思わず大丈夫と答えてしまうものらしい。
「……不安?」
「自分で……自分をコントロールできなくなるのが、不安だ。」
 ――忍者たるべき者、常に自己を律して任務にあたるべし――
 アカデミーで口酸っぱく言われてきた言葉。
 でも今のサスケは忍者である前に、病人だ。
「俺もいる、いざとなったら薬もある。……大丈夫だ。何とかなるよ。」
 もう一度サスケの頭を撫でてから手を握る。サスケは安心したように目を閉じた。眠った……のだろうか。呼吸は規則正しく、脈拍も高くはない。座るのはそれなりに負担が大きかったらしい。寝かせておいてあげよう。
 カカシはサスケの手を握りながらベッドの上に座り、おにぎりが出来上がるのを待った。
 
 おにぎりと卵焼きを持った影分身がやってきたのは三十分後だった。
 まだ眠っているサスケに目配せして、口元に人差し指を当てる。
 影分身はそれを見て頷くと、本体が脱いだ寝間着を持って静かに寝室を出ていった。報告書も書かなければいけないし、掃除や洗濯もある。やらなければいけないことは多い。
 カカシは静かにサスケを見守りながら、握る手に力を込める。
 早く、元気になって欲しい。
 だけど焦らせるようなことは言ってはいけない。
 ゆっくり、少しずつでいい。
 そうは思っても、やっぱり今の弱っているサスケを見るのはつらい。
 俺のせいで。俺の判断が甘かったから。そう、思わずにはいられない。けれどそれを伝えても、きっとサスケは自分が弱いから、と考えてしまうだろう。だから口に出してはいけない。ただサスケが回復するまでしっかりケアをすること。俺にできるのはそれだけだ。
 サスケの前髪をサラッとなでると、「ん……」と身じろいだ。起こしてしまっただろうか? と思ったが、サスケはまだ夢の中にいるようだった。数日前までは身じろぐことすらせず死んだように眠り続けていたんだ、それを思えば、今のサスケはしっかり良くなっていっている。俺が焦っちゃだめだ。俺がしっかりしないと。
 報告書を書き上げた影分身が寝室に入ってきた。カカシはその内容を確認して、影分身に向かって頷く。向かわせるのは火影の執務室。この一週間の動向と医師の話をまとめてある。
 うちは一族の唯一の生き残りであるサスケは里にとって重要な存在だった。イタチがうちは一族のほぼ全員を殺した動機が明らかではない以上、再度イタチが現れ、今度は里の忍者を相手にしないとも限らない。そこで写輪眼を持つ俺とサスケの果たすべき役割は大きい。つまり、サスケは個人的な事情でイタチを殺すための力をつけようとしているが、里にとってもサスケに対する期待値は高いのだ。だから里にとって今のサスケの状態は決して好ましいものではなかった。
 最初の報告書を読んだ三代目は、多少時間がかかっても完全に回復するまでサポートするようにカカシに下命した。そんなこと言われなくてもカカシはサスケが元のサスケに戻るまでケアに徹するつもりだったが、三代目から直々に命じられた意味は大きい。すなわちサスケの回復は、カカシが最優先すべき任務になったのだ。
 メンタルケアやうつ病のケアに関する本を山ほど買って影分身に読ませてインプットしたものの、動けない時期に出来ることは見守ることだけだった。どの本にも共通して書かれているのは、傾聴と共感。この二つだ。
「サスケ……」
 カカシが呟くと、サスケがうっすらと目を開ける。
「あ、悪い。起こしちゃったか?」
「いや……大丈夫だ、起きる。」
 サスケはサイドテーブルにおにぎりと卵焼きがあるのを見ると、また身をよじって身体を起こした。
「皿、取ってくれ」
 カカシがサスケの目の前に皿を置くと、小さいおにぎりに手を伸ばしてラップを外し、二口に分けて食べる。
「……自分で食べれると、うまく感じるんだな。」
「味、わかるか?」
「ああ、……おいしい。」
 おにぎりをひとつ食べた後、卵焼きに刺さった爪楊枝に手を伸ばす。
 おにぎりより小さいそれを一口で食べると、もうひとつの卵焼きに爪楊枝を差した。
「……やっぱり、母さんのと同じ味だ……。」
「俺の、親父から教わったレシピだよ。醤油と、白だしと、砂糖が少し入ってる。」
「白だし……そうか。自分では同じ味が作れなかった。そうか、白だしか。」
 ふたつ目のおにぎりを手に取って、また二口に分けて食べた後、卵焼きを口に入れる。その爪楊枝を、皿の上に置いた。
「もう、いい。ありがとう、カカシ。」
 皿をサイドテーブルに戻すと、サスケはまたもぞ、と動いて横になる。
「薬は、横になったままでもいいか?」
「うん、じゅうぶん頑張ったよ。自分で食べれたもんな。薬はまたストロー使って飲もう。」
 報告書を持たせた影分身はまだ外に出かけている。もう一人影分身を作るか、と思ったが、印を組もうとするとサスケが
「薬取りに行くだけだろ。その間くらいなら、大丈夫だ。」
 と寝室の扉に目を向けた。
「本当に、大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ。待てる。」
 一瞬でもサスケをひとりにはしたくなかったが、そのサスケが大丈夫だと言うんだから、きっと大丈夫なんだろう。
 カカシはベッドから降りて立ち上がり、寝室の扉に手をかけた。
「すぐ戻ってくるからね。」
 そう言って、寝室の扉を開けたままキッチンへ向かう。
 コップに水を半分くらい入れて、朝食後と書かれた薬袋を持ち、ストローをコップに差して寝室に戻る。サスケはベッドにもぐりこんだまま、カカシが戻ってくるのを見つめていた。
「まず、薬ね。」
 袋を破って手を伸ばしたサスケの手の上に錠剤を乗せる。
 サスケはそれをゆっくりと口に運んで、その中に入れた。
「はい、水」
 コップをサスケの口元に近づける。ストローの先端を持って口の中に入れ、ごく、ごく、と水を飲み込んだ。
「……飲めた。」
「うん、飲めたね。」
 カカシがサスケの頭をなでると、くすぐったそうに片目を閉じる。
「ひとりでご飯食べれて、薬も飲めた。150点だ。」
「なんだよそれ、100点満点じゃないのか。」
「うん、100点満点だけど、150点。」
 クスっと笑った。サスケの、笑顔。いつぶりに見るだろうか。思い起こしてみたら、波の国から帰ってきてからサスケが笑顔を見せることはなかった気がする。
 カカシもにこっと笑った。
「久しぶりに、笑ったな。サスケ。」
「そう……だったか?」
「ああ、久しぶりに見た。嬉しいよ。サスケが笑うことができて。……本当に、嬉しい。」
 サスケが布団を深くかぶり、口元を隠す。
「……恥ずかしいから、あんま見るな。」
「なんで? もっと見ていたい。」
「……ちゃんと、治ったら見せてやる。今はまだ……まだ全然だめだ。」
「でも昨日よりまた出来ることが増えたじゃない。俺は嬉しい。サスケは嬉しくないの?」
「嬉しい、けど……。」
「なら笑いなよ。笑っても良いんだよ。嬉しかったら、笑っていいんだ。」
「なんだ、それ。」
 サスケの目が細くなる。きっとその口元は、緩んでる。
 カカシはそれが嬉しかった。
「座ったからちょっと疲れたろ、また休みな」
 そう言いながらサスケの頭を撫でて、布団の中の手を握る。
 すると、サスケは少しだけ握り返してきた。その手の感触が、嬉しかった。