赤
襲来
カカシの白濁液を掻き出してから、手持ち無沙汰になったサスケは寝室に戻りカカシの寝顔を見ていた。
(頭を整理しよう……)
カカシの血を飲むと身体がおかしくなる。
あの抗い難い感覚は今も胸の中で疼いて忘れられない。
それに、はじめて射精した。
それと、眼が赤くなった。
俺が赤い眼でカカシを見るとカカシは疲れる。
赤い眼には特別な力がある。
カカシは吸血鬼やうちは一族のことに詳しい。
……カカシがなんで俺を身請けしたのかは、まだわからない。
カカシの命令に逆らうと返品される。
カカシと呼び捨てにすること、敬語を使わないこと、カカシが飲めと言ったら血を飲むこと……つまり、飲めと言われたらまたさっきみたいな……セックス? をするってことだ。
「………」
思い出すと、恥ずかしくなってくる。
なんて声出してんだ俺。
何であんなに……気持ち、良かったんだろう。
(あとは……えーと……)
いい加減この恥ずかしい服を脱ぎたい。
真っ白なシャツや半ズボンはいわばラッピングだ。
贈り主に届けばビリビリに破いて捨てるのが普通だろう。
(でも他の服はないし、カカシが命令するまでは脱げない。)
……カチ、カチ、カチ、
目覚まし時計の針が動く音が響く。
寝息も立てずピクリとも動かないカカシを見ていると少し不安になった。
生きてる……よな?
足をつん、とつついてみると、「んん……」と言いながら寝返りを打つ。
よかった、生きてる。
……ん? よかった?
よかった、のか?
カカシが死ねば、俺は自由の身だ。
でも、そうすると血を飲む相手がいなくなる。それは困る。
やっぱり生きてる方がいい。
生きてる方が………父さんや兄さんは、生きてるんだろうか。
俺みたいに売られたりしてるんだろうか。
酷い目に遭ってないだろうか。
サスケの胸がギュッと痛む。
吸血鬼狩りが真っ先にターゲットにしたのは、幼い子どもだった。
うちは一族が子どもを大切にしているのを逆手に取ったのだ。
その中に俺も含まれていて……。
兄さんも、父さんも、母さんも、俺が傷つくくらいならと、両手を挙げた。
俺のせいで、みんな捕まった……。
「……兄さん……」
ぽつりと呟く。
のを、カカシは聞いていた。
「……なに、ホームシック?」
のそりと起き上がり、あくびをする。
開いているのは左の赤い目だけだ。
「……会いたいんだね」
「……ぇ、」
「伝わるのよ、その目から『会いたい、会いたい』ってさ。」
「……あ…」
「でもこのままじゃ俺がもたないから、サスケ、俺の書斎においで。」
ベッドから降りて、乱れた着物のままカカシは寝室を出て二階に上がっていく。サスケも後をついていくと、段ボールや本がたくさん積まれた雑多な部屋に入った。
「んー、確かこの辺に……」
段ボールの山をかき分けてこれもちがう、それも違う、と何かを探している。
「サスケも手伝え、親指くらいの大きさのケース。」
カカシが親指をぐっと出す。
どこから探したら良いのかわからなかったが、ふとカカシの足元を見るとそれらしきものが転がっていた。
「カカシ、それじゃないのか?」
着物をつい、と引っ張り指を指すと、カカシが「ああ、これこれ」と拾い上げる。
ケースの蓋を開けると、中には二対の、黒いガラスのようなものが液体の中に入っていた。
「サスケ、目開けて」
カカシはそのガラスを指の先に置いて、サスケの目に入れようとする。
咄嗟に目を閉じると、今度はもう片方の指で無理矢理瞼を開かれる。
「っなに……!」
目が少し冷やっとしたかと思うと、少しの違和感の後、そのガラスはサスケの目に収まった。
「もう片方も」
また無理矢理瞼を開けられ、それを入れられる。
「カカシ、これ何だ? 何入れたんだ?」
目に入った異物感は一瞬でなくなり、スッと馴染んでいく。パチパチと瞬きをしていると、カカシはようやく右目を開けた。
「コンタクトレンズっていってね、目が赤いのを隠すことができるの。瞳力も弱くなる。俺が外していいって言うまでそのままでいてね。」
はい、とケースを渡される。
「ああ、そうだ。ついでに……」
カカシがまた段ボールの山を掻き分け始める。
「確か下の方なんだよなぁ……」
今度は何だろう、と見ていると、「うちは」と書かれた段ボールが出てくる。
「うん、これこれ。」
封もしていない段ボールの蓋を開けると、その奥をゴソゴソと探り、お目当てのものが見つかるとサスケに放り投げる。
それは、集落に住んでいた時のサスケの服だった。
「え? これ……? なんであんたが?」
「ん~、うちは一族の悲劇……吸血鬼狩りのことね、それって吸血鬼にとっては結構ショッキングな出来事だったのよ。エリート集団だったうちはが何故、ってね。で、俺も研究者の端くれだから、何度か取材に入って。その成果の一部。集落に残された子どもの服。絵面としてはもってこいでしょ。」
カカシが指で四角を作る。ファインダーを覗くように。
「記念にいくつか持って帰ったんだけど、役に立つ日が来るとはね。」
サスケが服を持って呆然とする。
「その服着てるより着慣れた服の方がいいでしょ?」
「それは……そうだけど……」
「次、サスケの部屋行くから、おいで」
服を握りしめて、またカカシの後をついていく。カカシが書斎の隣の部屋の扉を開けると、中は埃っぽい六畳ほどの洋室だった。ベッドとクローゼット、それに机と椅子が備えられている。
「掃除は手の空いた時に自分でやってね。そのかわり好きに使って良いから。掃除道具は一階のトイレの右の扉。」
そう言いながらカカシが部屋の中に入り、窓を開けると、ザァッと少し暖かい初夏の風が入ってきた。
「ここが、俺の、部屋……」
「そ。お前の部屋。」
檻の中で生活していたサスケにはもったいないくらい上等な部屋だった。
「なんであんたは……俺にこんなにしてくれるんだ? 何が目的だ? 俺の役目は何だ?」
カカシは苦笑する。
「ま、それはおいおい」
またかわされた。
本音がわからないと不安になる。
何がトリガーになって返品されるかわからない。
「ひとつだけ言っとくと、俺はもうちょっと肉付きの良い方が好みだから、今日から三食しっかり食べて血も飲んで筋トレもしようね。」
……これはきっと命令だ。
「わかった」
サスケは素直に頷いた。
(あー、従順すぎてつまんない)
カカシは内心苛ついていた。せっかく血統書付きのうちはの子どもを手に入れたのに、まるで奴隷のようで。
(躾が過ぎるのも考えものだ)
どうすればサスケの奴隷モードを解除できるのか、考えあぐねていた。
食事も与えた。血も与えた。部屋も与えた。もう君は奴隷じゃないと暗に伝えているのがなかなか伝わらない。
(……ま、その内慣れてくる……か。)
昼食は何にしようか考えながら、サスケの背中を押す。
「昼までまだ時間があるから、それまで自由にしてな。俺は書斎にいるから用があったらノックしてね。」
何か言いたげなサスケを尻目に、カカシはさっさと隣の部屋に入って行った。
さて、編集から急かされてる小説の続きでも書くか。
山のような資料をめくりながら、カカシは執筆に没頭し始める。
自由。
吸血鬼狩りに遭ってから2年、そんなものは一度もなかった。
何をしたらいいかわからない。
(とりあえず……掃除、するか……)
心地良い風が入ってくるベランダに出ると、布団を干すのにちょうどいい柵がある。
掛け布団を運んで柵にひっかけ、ポンポンと叩くとぶわっと埃が舞った。
サスケはそれを丁寧に端から端まで叩いて埃を払った。
案外、掃除で時間を潰せるかもしれない。
ひと通り叩き終わると、あとは初夏の風に任せて、一階のトイレの右の扉を開ける。
掃除機。はたき。ほうき。ちりとり。雑巾。
これだけあれば十分だろう。
いや、掃除機は隣のカカシの邪魔になるかもしれない。
はたきと雑巾を持って扉を閉め、トイレの反対隣にあった洗面所で雑巾を濡らし、固く絞ると、サスケはまた二階の部屋に戻って行った。
カカシがふと時計を見ると、針は十二時半を差していた。
(やば、熱中しすぎた)
書斎の扉を開けて隣の部屋の様子を伺うと、サスケも掃除に熱中しているようだったのでそのまま一階に降りていく。
冷蔵庫を開けるが、卵とチーズしか入っていない。
午後は買い出しかな、と考えながら、ボウルに卵を割り入れていき、菜箸でかき混ぜた。
一方サスケは天井の埃を落としてクローゼットと机をピカピカに磨き、一息ついていた。
黒くなった雑巾を手にまた洗面所に行こうとすると、台所からジュウ、と何かを焼く音が聞こえてくる。
(飯……、作ってくれてるのか……? )
洗面所まで早足で行って、雑巾をきれいに洗い、また固く絞ると、掃除道具入れに戻しに行く。
そこにちょうどカカシの声がかかった。
「サスケ? もうすぐできるから、座って待ってな」
「わかった」
気持ち大きめに返事をすると、もう一度洗面所に行って手を洗い、ダイニングテーブルに向かう。
(俺の、席)
ここにいて良いんだよ、と言われているようだった。
でもただ居るだけというわけにはいかない。
大金を叩いて俺を買ったカカシの期待に応えられるようにしなければ。
座って待っていると、すぐにカカシがオムレツの載った皿を両手に持って、テーブルの上に置いた。
「ん、自分の席は覚えたね。」
次いで、スプーンが皿の手前に置かれる。
「いただきます」
カカシが手を合わせ、サスケに目配せする。
サスケも手を合わせて、控えめに「いただきます」と言うと、カカシが一口食べるのを待ってから、自分も食べはじめた。
オムレツに載ったケチャップは「サスケ」と書いてあった。
それが何だかおかしくて、口角が上がりかけたが、慌てて顔の筋肉を律する。
「……おいしい」
「だろ? 卵料理はシンプルなのが一番いいと思うよ。持論だけど。」
朝とは違って一口ずつ噛みしめるように食べるサスケを見ながら、カカシもゆっくりとスプーンを進めた。
ピンポン
不意に鳴るチャイムに、二人で玄関を見る。
昼時に来訪者なんて珍しい。
居留守使おうかな。
と考えていると、もう一度チャイムが鳴る。
カカシは仕方なくスプーンを置き、玄関に向かうと、その入り口にはサングラスにスーツを身につけ、長い髪を後ろで縛った男がアタッシュケースを右手に立っていた。
「はたけカカシさん……ですね?」
面倒臭そうな予感がする。
「そうですけど、どなた?」
サングラス越しでもビリビリと威圧感を感じる。
(こいつ……吸血鬼だな)
「失礼、公安の者です。」
ああ、やっぱり面倒臭い用件だ。
「……公安さんが、何の用で?」
「あなた、今朝吸血鬼の子を買ったでしょう。」
「それが何か? 悪いことは何もしてませんよ?」
「吸血鬼は保護の対象になっています。公安で預かりますから、今すぐここに連れて来てください。」
一方的な物言いに、カカシはカチンとくる。
「じゃあ、俺も保護の対象です?」
カカシは髪をかきあげ、左目の赤眼をあらわにした。
『帰れ』
「本物」にはあまり通用しないとわかっているが、カカシはその瞳力を全力で使う。
しかし男もサングラスを外して胸ポケットに入れ、両眼の赤眼でカカシを威圧した。
『子どもを寄越せ』
睨み合いが続いたが、そこにやって来たのはサスケだった。
「カカ……にい、さん……!?」
「サスケ‼」
男が膝を曲げてサスケを迎え入れようとする。
サスケもその腕の中に飛び込みたかったが……カカシをチラと見て、足を止める。
「はーん、兄さん、ってことはうちはイタチさん……ですか。」
イタチがカカシを睨む。
「何故俺の名を知っている。」
「何故って……公安さんなら事前に調べてると思いますけど、俺吸血鬼の専門家なんで。」
相変わらずその両眼は『サスケを寄越せ』と強い圧をかけている。
睨み合う二人を見て、サスケが間に入る。
「兄さん、やめてくれ! カカシはちゃんと飯も、部屋も用意してくれて、血も飲ませてくれたんだ! カカシは何も悪いことはしてない!」
イタチは舌打ちをしてカカシから目を離し、サスケに目を落とすと、その目を見開いた。
「……! サスケ、その目……」
コンタクト越しでも隠しきれない瞳力。
イタチはサスケのズボンとパンツを引っ張り、中を覗き込む。
「ちょっ……! 兄さん!?」
「割礼は……していない。どういうことだ……」
口元に手を添え考え込むイタチを見て、カカシはうちは一族の成人の儀式が何なのかを悟った。
(……なるほどねぇ……お兄さんはズル剥けな訳だ。)
イタチはもう一度カカシを睨む。
「カカシさん……あなたサスケに何をした?」
「何って、サスケも言ってたでしょ。飯と部屋と服と血を与えて、大事にしてるつもりですけど?」
「血……? 誰の血を?」
「俺以外いる?」
「……っ! サスケに半端者の血を与えたのかっ!」
イタチも血族以外の血を飲んだらどうなるかは知っている。
「サスケ! 身体は大丈夫か? 辛くないか? 正直に言ってみなさい。」
「っだ、大丈夫だよ兄さん……! カカシが俺を買ってくれてから、何も辛くないからっ……!」
それを聞いたイタチは、はぁぁ……と深くため息をつく。
そして改めてサスケの目を見る。
「サスケよく聞け、この男といるより俺と一緒に公安に来た方が百倍マシな生活が出来る。俺と一緒に来るな? サスケ」
サスケはイタチから感じる『俺と一緒に来い』という圧力を感じて、咄嗟に身構え、カカシの着物の袖を掴んだ。
「兄さん……なんか怖いよ……」
「だ、そうですよ」
カカシにしがみつくサスケ。
イタチはそれを見て、無理矢理引き剥がしたらサスケに嫌われるかもしれない、と感じた。
不快な気分で胸が満ちていく。
「……っ!」
イタチはアタッシュケースをガチャガチャと開けると、その中から赤い液体が入ったペットボトルをサスケに押し付けた。
「いいかサスケ、これからは血が飲みたくなったら、これを飲みなさい。」
「えっ、な、え?」
「これは俺の血だ。この男の血より百倍安全で、サスケの身体にもいい。」
「兄さんの血?」
「足りなければ、これを全部サスケに預ける」
ずい、と出したアタッシュケースの中には、赤い液体で満ちたペットボトルがぎゅうぎゅう詰めに入っている。
「えっ? ええっ!? 兄さん、こんなに血を抜いて大丈夫なのか!?」
イタチは戸惑うサスケの肩に手を置き、サスケの目線に合わせて膝を折る。
「俺の心配はいい、サスケ。お前はどうしたら自分にとって一番いいのか考えるんだ。
昨日今日知り合ったばかりの、怪しい男といるのがいいのか、ずっと一緒に暮らしてきた俺といた方がいいのか。」
そして立ち上がり、再びカカシを睨んだ。
「カカシさん、あなたに一週間の猶予を与えます。サスケを少しでも酷い目に合わせたら……正式な令状を持って来ますからね。……サスケ、また来るから、よく考えるんだぞ。」
言いながら胸ポケットのサングラスを取り出すと、静かに装着する。
「では、一週間後。」
足音を立てず去っていくイタチを、サスケは呆然と見ていた。
それを塞ぐように玄関の扉を閉めると、カカシがはあぁぁ、としゃがみ込む。
「つ、かれた……一族で一二を争うほど瞳力が強いってのは本当だったな……」
「だ、大丈夫……か? カカシ……」
「……ちょっと無理。ちょっと休む。」
よろよろとダイニングテーブルに向かい、椅子に座ると、カカシは食べかけのオムレツをよけて机に突っ伏した。
「嵐のような人だな、サスケの兄さんは……」
残された大量のペットボトルとカカシを交互に見て、サスケはどうしたらいいのかわからなくなっていた。
(兄さんと暮らすか、カカシと暮らすか……。)
それは、兄さんと暮らす方が良いに決まってる。
決まってる、けれど、心にほんの少しの迷いがあった。
(俺を買ってくれたカカシに、俺はまだ何も出来てない)
それに……
(カカシの血を飲んだ時の、あの感覚が、忘れられない……)