赤
負荷
カカシとサスケが手を繋いで家路についていたときだった。サスケの歩みが急に遅くなる。
「サスケ?」
カカシが足を止めてサスケの目線に合わせしゃがむと、サスケは目を押さえながら脂汗をかいていた。
「サスケ、大丈夫か。俺がわかる?」
サスケの膝が折れ、地面にしゃがみ込む。
「……カシ、頭が、ぐらぐら……す…」
前のめりに、倒れ込むのをカカシが抱き止める。
……瞳力を、使いすぎたせいか……?
そのまま抱き上げ、カカシは急いで家に向かった。
サスケのベッドに寝かせるが、まだ汗をかいていて、時折苦しそうな呻き声をあげている。
そっと布団をかけ、その目にはまったままのコンタクトを外した。
熱はない。ただ、身体は震えているし脂汗も止まらない。
はじめて遭遇する現象に、ひとまず汗を拭くためのタオルと目を冷やすための氷嚢を用意する。
幸い、目に氷嚢を乗せると少し落ち着いたようだった。
汗を拭き取りながら、サスケの様子を見守る。
やはり、原因は眼だろう。
何事にも言えるが、やり過ぎればその分反動はくる。
カカシは書斎から本を漁って一冊取り出すと、眠るサスケの隣でページを捲る。
……吸血鬼の瞳は一見何でも思い通りになるようで、しかしその力を使い過ぎればいつか光を失う……そのため、吸血鬼は常に力を制御しなければ短命に終わってしまう……
光を失う……つまり、失明。
あの一回で失明までいくとは思えないが……コンタクトに頼らず、サスケが自分で眼を制御する方法を考える必要がありそうだ。
本から顔を上げて、サスケの様子を伺う。
汗はもう引き始めていて、寝息も落ち着いていた。
とりあえずは、大丈夫そうだ。
カカシは書斎からもう一冊本を持ってくる。
昔自分でまとめた、うちは一族に関する本だ。
……成人、つまり開眼したうちは一族の若者たちは大人の指導のもと、吸血鬼の歴史と一族の持つ力について教えられる。……
…成人する前に吸血鬼狩りに遭ったサスケにはその機会がなかった。
俺が教えるしかない。が、所詮俺はハーフだ。
歴史はある程度教えられるが、眼の使い方に関しては素人に毛が生えた程度の経験しかない。
……サスケに瞳力について教えられそうな適任の人物はいるが、正直なところその人物はあまり家に上げたくなかった。
サスケの様子が落ち着いたため、カカシは書斎に籠り調べ物を始める。膨大な量の書籍の中から、眼に関する記述のあるものを片っ端から開いてはメモ帳に書き写していった。
「……う……」
目がひんやりして気持ちいい……。
ここはベッド……?
確かカカシと一緒に帰る途中で……目が痛くなって……
その先が、思い出せない。
サスケは眼の上の氷嚢をどけると、視界が赤く染まっていることに驚いた。
キョロキョロとあたりを見渡すが、どこを見ても赤い。
眼が、おかしい。カカシは?
身体を起こす。頭がぐらぐらする感覚はもうない。
机の上にコンタクトが置いてあるのを見つけて、眼に装着すると、視界は幾分かマシになった。
サスケは自室から出て、隣にあるカカシの書斎をそっと覗き込む。
カカシは扉が開いたことにも気づかないくらい調べ物に集中している様子で、声をかけるのは躊躇われた。
でも、この眼の異変は伝えなければいけない。
「カカシ」
サスケが呼びかけると、カカシはパッと振り向いた。
「もう平気なのか? サスケ」
「平気……だけど、眼がおかしいんだ。視界が赤くて。コンタクトつけると少しいいんだけど。」
視界が……赤い。
カカシは机のメモを漁り始める。
「……あった。」
……力を使いすぎると、一時的に視界が赤く染まり物が見えづらくなる事がある。安静にする事で一日以内に元に戻る……
サスケに向き戻る。
「サスケお前、やっぱり眼を使いすぎたんだ。今日はベッドでゆっくり休んでな。じきに赤いのはよくなる。夕食も運んできてやるから。」
カカシはサスケの背中を押して部屋まで連れていく。
――じきに赤いのはよくなる
カカシがそう言うなら、きっとそうなんだろう。
サスケは少し安心して、カカシの言う通り部屋で休むことにした。
「コンタクトも外しておきな。つけっぱなしもよくない。」
「わかった。」
サスケはコンタクトをケースに戻すと、ベッドに横になった。
……赤い。どこもかしこも。
でも、じきよくなる。大丈夫だ。
布団を被り、傍にある氷嚢を眼の上に乗せた。
カカシはひと通り本を読み終えて、大量のメモを手に一階に降りると、ダイニングテーブルにメモを広げていた。
すぐ失明する、ということはなさそうだった。あれは戦時下投入された吸血鬼部隊がほぼ一日中眼を使い続けた事で起きた現象だった。
サスケが暴走したのはほんの数秒だ。
頭を整理しながらメモを並べる。
と、そこに玄関のチャイムが鳴った。
……誰だこの大事なときに。
来訪者はドンドンと扉をたたき始める。
それも無視していたら、ガチャガチャと何やら音がして、玄関の扉が開いた。
「サスケ! サスケどこにいる‼」
現れたのは、サスケの兄のうちはイタチだ。
うわ、出たよ……めんどくさいのが……
カカシは露骨に嫌な顔をする。
「勝手に玄関の鍵開けるの、やめてくれます?」
話しかけるが、当のうちはイタチには聞こえなかったのか、敢えて無視したのか、視線すらカカシに向けない。
「サスケ! 兄さんがきたぞ! どこにいる!」
イタチはお構いなしにズカズカと室内に入ってキョロキョロとサスケの姿を探す。
「……靴、脱いでくれません?」
カカシが強めに話しかけるが、やはりイタチはカカシの言葉をまるっと無視する。
「どこだ、サスケどこにいる! 無事なのか!?」
土足のまま家のあちこちの扉を開いては舌打ちをするイタチ。
……舌打ちしたいのは俺の方だよ……。
カカシはなるべく関わりたくないと思いながらも、これ以上家を荒らされてはたまったものではないので、サスケを探すイタチの目の前にずい、と立ちはだかった。
「イタチさん? まず靴を脱いでくれません?」
イタチはサングラスの奥でカカシを睨む。
「邪魔だどけ半端者」
「靴をちゃんと脱いでくれたらサスケのところに案内しますけど?」
「………………………」
イタチは靴を脱がず、代わりに使い捨てのシューズカバーを靴に取り付ける。
「これで文句はないな? 早くしろ。」
カカシの言うことに従うつもりはさらさらないらしい。
「そもそも、まだ一週間経ってませんよね?」
「サスケの緊急事態に、この俺が駆けつけないわけがないだろう、御託はいいから早く案内しろ!」
カカシは深くため息をつき、階段を登っていく。
「言っときますけど、サスケは安静が必要な状態なんで、うるさくしないでくださいよ。」
「何っ……!? サスケに何があった‼」
「…今、俺、静かにしてくださいって言いましたよね?」
「グッ……サスケ……やはりあのとき無理矢理にでも連れて帰っていれば………」
「ともかく、静かにしてくださいよ。本当に。」
階段を登り終わり、サスケの部屋のある西の角の部屋に足を向ける。と、イタチはカカシの肩をドンと押してズイとカカシの前に出て早足で角の部屋に向かう。
……とことんイラつく奴だな……。
カカシが沸々と湧き上がる怒りを堪えていると、イタチはサスケの部屋の扉を勢いよく開けた。
「サスケ‼」
「だから静かにしてくださいと言ってるでしょ……‼」
いい加減堪忍袋の尾が切れそうなカカシを無視してイタチは室内にズカズカ入っていく。
眠っていたサスケは扉が開く音に驚いて、更にイタチの声にも驚き、氷嚢を外して入り口に眼を向ける。
「兄さん……!?」
「サスケ、サスケ大丈夫か。話は聞いたぞ。力が暴走したらしいな? 眼は大丈夫か?」
イタチがサスケの瞼を無理やり開いてその赤い瞳を覗き込む。
サスケはイタチの後ろで腕を組むカカシに気がつき、カカシに戸惑いの表情を向けた。
「兄さん……大丈夫だって。休めば良くなるってカカシが言って」
「どこか悪いのか!?」
「……イタチさん、静かにして」
「兄さんに言ってみなさい診てやるから‼」
カカシが頭を抱える。
サスケも戸惑いを隠せなかった。
「ちょっと視界が赤く見えるだけだよ、兄さん。心配ないってカカシが」
「半端者の言うことなど信用できん今すぐ病院に行こう吸血鬼専門の病院だ公安の管理下の病院でもある兄さんがついてるから大丈夫ださあ行こう」
言いながらサスケを抱き抱えようとするイタチの腕を、カカシが掴んだ。
「イタチさん? ちょっといい加減にしてもらえます? 」
カカシは顔こそ笑っているがその声色は明らかにブチ切れている。
イタチは舌打ちをすると「触るな半端者!」とカカシの腕を振り払おうとするが、堪忍袋の尾が切れたカカシがそう易々と腕を離すわけがない。
「お言葉ですけどイタチさん、病院に行ったところで何もできることはありませんよ。今サスケに必要なのは安静です。その邪魔をしないで貰えます?」
「半端者の分際で吸血鬼の何がわかる……‼ 今サスケに必要なのはこの俺だ‼」
「だーかーら、静かにしてくださいと、何度も、言ってますよね、俺」
カカシが日頃から鍛えている握力で握り潰さんばかりにイタチの腕を握りしめる。イタチは顔を歪めるが、腐っても公安の吸血鬼だ。サングラス越しにカカシをキッと睨みつける。
睨み合う二人を交互に見ながら、サスケが弱々しく声を上げた。
「……兄さん、うるさい……。それに俺は公安の病院なんか行きたくない……。」
イタチがハッとしてサスケを見ると、サスケは明らかに迷惑そうな顔をしていた。
「サ、サスケ……そうだな、勝手に話を進めようとして悪かった。でもな、吸血鬼は吸血鬼専門の病院にかかったほうがいい。眼に異常があるなら尚更だ。な、だから一緒に行こう。」
「……嫌だ。公安の病院なんか行きたくない。心配してくれるのは嬉しいけど、休めば良くなるんだから大袈裟にしないでよ。」
「……と、サスケは言ってますけど?」
イタチの腕をギチギチに握りながら、カカシが間に入る。
「っ……‼」
イタチは悔しそうに顔を歪め、カカシを睨みつけた後、サスケに再び話しかける。
「いいかサスケ、この半端者の言うことを真に受けるな。吸血鬼のことは吸血鬼が一番よくわかってる。」
「……兄さん、カカシは吸血鬼の専門家だ。吸血鬼よりも吸血鬼のことに詳しいんだ。だから大丈夫……」
「兄さんよりも、この半端者を信じると言っているのかサスケ……!」
「ともかく俺は大丈夫だから。何かあったら外にいる見張りの人に言うから。だから今日は帰ってよ。」
「……ッサスケ……‼」
どうやらイタチはサスケの言葉は響くらしい。帰ってよと言われたことがよほどショックだったようだ。
イタチは天を仰いだかと思うと、再びサスケに向き合い、その両肩を掴む。
「……っ約束だぞ、何かあったらすぐに言うんだぞ、すぐに兄さんが駆けつけるからな。わかったな、サスケ。」
「わかったってば……」
カカシが腕を離すとイタチはスッと立ち上がり、名残惜しそうにサスケを見つめる。
「約束だからな……!」
そして静かにサスケの部屋から出ていった。
カカシとサスケはその後ろ姿を見守り、扉が静かに閉められると、二人で深くため息をついた。
「……サスケの兄さん、いつもあんななの?」
「いやいつもは……ちょっと過保護だけど、普通に優しい兄さん、だと、思う……。」
「……疲れたろ、休みな。」
「ああ、ちょっと、疲れた。」サスケはゴソゴソと布団に潜り込み、眼の上に氷嚢を置く。
「夕食、できたら持ってくるね。」
「わかった。ありがとう。」
カカシも立ち上がると、静かにサスケの部屋を出た。
階段を降りるとそこは土足で踏み荒らされたフローリング。
「………」
また腹が立ってきた。
カカシは掃除道具入れからモップを取り出すと、水につけてしっかりと絞り、足跡をきれいに掃除していく。
……サスケの眼のことを一番わかっていそうなのは同じ一族のイタチだけど、やっぱりあいつはこの家に入れたくないな……。
ひと通り綺麗にした後、開きっぱなしの玄関を閉めようとすると、扉の外側の鍵穴に針金が刺さったままだった。
勝手に入ってこれたのは、この針金で鍵を開けたからなのだろう。
……とことん非常識な奴だな……。
カカシは針金を引っこ抜くと、燃えないゴミの袋に放り投げ、夕食の準備を始めた。