赤
公安とイタチ
うちはイタチは若くして開眼しており、その力は一族の誰よりも強かった。
一六歳になったときそのイタチの元にやってきたのが当時の公安の吸血鬼部隊隊長だ。
彼はイタチに公安に入らないかと打診してきた。
吸血鬼部隊にはうちは一族出身の者も多くいる。
「世の中を良くするために我々は存在する。」
この言葉に正義感の強いイタチの心は揺さぶられ、両親に相談した上で部隊に入ることを決めた。そうして最年少の隊員となった。が、ごく限られた身内こそ知っているものの自分が公安の人間であることは他言してはいけないというルールがあり、イタチが公安の名の下に動くのは任務が下るときに飛んでくるカラスを見たときだけで、それ以外は家族と平穏に過ごしていた。
任務内容は護衛、偵察、監視、暗殺、と何でもありだ。
どの任務もイタチにとっては容易いものだった。
平和のために働くという正義感の発露場所でもあり、自分の力をを必要としてくれる公安という組織に徐々に愛着が湧いていき、イタチは公安のために力を尽くした。そして一七歳という若さで第五分隊隊長の座まで上り詰める。
イタチは公安という組織に全幅の信頼を置いていたし、そんな公安で力を発揮できることが誇らしかった。
そんな中で起きたのが、吸血鬼狩り事件だ。
頭上で周りながら飛ぶカラスを見て、機を見計らって公安が一網打尽にするのだろう、と思っていた。しかし救援は来ず、最愛の弟が真っ先に連れ去られ、イタチはやむを得ず目を閉じて両手を上げた。
一族内にいた他の公安メンバーも恐らく同じことを考えただろう。
「何故上はこの事態を放置するのか」と。
イタチがマフィアの中心人物と思われる人間の前で眼を覆われて拘束されている時、
「弟を無事に取り戻したければ、大人しく俺の手足として働け」
と言われ、イタチは頷いた。
イタチが投入されるのは主にマフィア同士の抗争だった。その眼が解放される都度カラスが現れ、イタチに指示を出す。……公安はこちらの動きをしっかり把握している。今マフィアの手足となっているのは公安にとって狙い通りの展開で、人身売買の闇ルートを特定し一網打尽にするのが目的だった。イタチはマフィアの組織内でスパイ活動に専念することが今の役割だと悟り任務に専念する。
当然人身売買ルートは簡単には見つからなかったが、二年かけて続けた調査で遂に全てのルートを突き止めた時、様々な組織に潜んでいた部下や同胞が同時多発的にそれぞれの組織を壊滅に追い込み、そしてその下にぶら下がる闇組織の一斉摘発に動いた。
しかし、サスケが居るはずだった娼館にその姿はなく、娼館に残されていた台帳の売買記録から摘発の日の早朝にサスケがはたけカカシなる人物に買われていたことを知り、居てもたってもいられなくなってサスケの元を訪ねたのが二日前のことだった。
サスケは十二歳にしてすでに開眼しており、まだ瞳力は弱いもののこれからぐっと強くなるのを感じさせた。
このままヒトと共に暮らすには危険だと感じるほどに。
バラバラに売られていた一族は公安の保護のもと再び集まり始めていた。大人達はほとんどがその眼の力を利用されただけにとどまっていたが、女性やまだ開眼していない子どもたちは皆奴隷同然の扱いを受けており、売買記録からサスケもまた酷い扱いを受けてきたであろうことが見て取れ、調査に二年もかかってしまった自分の未熟さに悔しさが込み上げる。
また同じ悲劇を繰り返さないためには一族が公安の保護下で過ごすのが最良だと信じて疑わないイタチはサスケの保護のため力を尽くしたが、当のサスケから拒否された事に多大なショックを受けて寝込んだほどだった。
そんな中、イタチの耳に入ってきたのがサスケの暴走事件だ。イタチはやはりサスケは公安の保護下で他のうちは一族と共に暮らすのが最良だと判断し、サスケの元に向かったのは良いが、やはりサスケはイタチについていくことを拒否した。それどころか、イタチが全幅の信頼を置いている公安という組織に対して不信感すら感じているようだった。
何故だ、何故なんだサスケ……。
普段は飲まない酒をあおり、イタチはその夜はじめて酔っ払うという経験をした。
サスケのことを思うと涙が止まらない。
生まれたその瞬間から慈しみ愛してきた弟が、あんなに俺を慕っていたあの弟が、この二年の間にすっかり変わってしまった。それだけ辛い経験をしてきたのだろうと思うと居ても立っても居られない。が、また会いに行ったところで結果は同じだろう……。
いや、待て。
……あのはたけカカシとかいう半端者がサスケに何か吹き込んでいるのではないか? いやそうだそうに違いない。奴は暗殺するべきだ。そしてサスケはやはり俺の元で保護するべきだ。
イタチは酔ったまま上司に電話をかける。
「暗殺すべき人物がいる。俺の弟を保護という名目で洗脳し公安を敵視させている。放置するわけにはいかない。だから暗殺の許可をください。今夜中に殺します。」
深夜に珍しくイタチからの電話を受けた上司こと、うちはシスイは頭を抱えた。
「……イタチ、暗殺というものはそんなに簡単に許可が下りるものではない。仮にお前の言う通りお前の弟を洗脳していたとしても、それだけでは現行法では罪に問うことは出来ん。明らかに公安の活動の妨害をしているなら話は別だが、監視からの報告にもそういった類のものはない。あの二人は普通に平穏に生活しているだけだ。」
「……しかし! 俺の弟が洗脳されているんです‼ どうすればいいと言うんですか! 弟は洗脳がまだ弱いうちに早急に保護するべきです‼」
「……イタチ、憶測で物を言うのはやめなさい。……もしかして飲んでいるのか……?」
「確かに飲んではいますが俺は冷静です。」
「……悪い事は言わないから今日はもう大人しく寝ろ。この電話も聞かなかったことにしてやるから……」
「何故ですか……うっ、うっ、サスケ……」
シスイは静かに受話器を置いた。
瞳力が秀でて強く能力も高い冷静沈着なあのイタチがこんな電話をかけてくるほど動揺していることに驚いてもいる。それほど弟のことを溺愛しているのだろう……が、上司としてはイタチがそんな状態になってしまう存在がいることに危機感を感じずにはいられなかった。
とはいえ、報告書によればはたけカカシは吸血鬼専門の研究者で、その著作物は公安でも参照されているくらい正確で鋭い分析力も併せ持っている。
ハーフとはいえ、そんな人物であれば吸血鬼の子どもを保護させるには適任だろう。
事実、二人はこの短い期間にすでに信頼関係を築いており、うまくやっている様子だ。サスケ本人が希望しない限り引き離す理由はない。
……イタチがあんな状態になるのを放置することもできないが……。
「洗脳、……洗脳、か……」
可能性として考えられるのはひとつだけあった。はたけカカシが自らの血をうちはサスケに飲ませている可能性だ。
ただ、洗脳させるほど飲ませ続けられるとも思えなかった。相手が子どもとはいえ、洗脳できるほどの血を与えれば当然貧血状態になり、はたけカカシ自身の身体が持たないはずだ。それに飲ませたところで一般に知られる催淫作用や依存の効果は一時的で、毎日飲ませでもしない限りその効果は持続しないであろうし、そんなに血を与え続ければ下手すれば体内の血が不足して自らの命にも関わってくる。
吸血鬼の研究者がわざわざそんなリスクを冒してまでサスケを洗脳するメリットも思いつかない。
「この線は、薄いな。」
やはりあの二人の関係は信頼関係に基づくものだと考えた方が自然だ。
……それをイタチに伝えるとまた動揺して何を言い出すかわからないが……。
「……ふむ、なかなかに悩ましいな。」
シスイはイタチが落ち着くまでは任務からは外すことにした。あいつもきっと疲れが出ているんだろう。……冷静な判断ができない部下は必要ない。
弟に固執し続けるようであれば、場合によっては完全に任を解くことも視野に入れなければならない。
優秀な部下を失うのは痛手だが、サスケの存在によってあれだけ取り乱すようでは信頼して任務を任せる事はできないのが本音だった。
カーテンの隙間から朝日がイタチを照らす。
ハッと目を覚ますと、そこはリビングの床だった。ついでに、寝ゲロを吐いた形跡もある。頭もズキズキ痛いし気分が悪い。どうやら飲みすぎたようだ。
いつになく重い身体を起こすと、その朝日が差し込む窓にカラスが止まっている。
「……任務か?」
カラスの脚に取り付けられた紙を取り中身を読むと、イタチは手の震えが止まらなくなった。
「一ヶ月の休暇、だと……!?」
ならサスケは誰が迎えに行くんだ!
説得できるのは兄であるこの俺以外適任者はいないはずだ…‼
紙をグシャ、と握りつぶし、受話器をとる。電話をかけた相手はこの通達を出した上司だった。
「どう言うことですか、あの通達は!」
「どうもこうもない。お前は今疲れている。大人しく休んでいろ。」
無情にも切られる電話。
「何故……こんなことに………」
イタチは項垂れながら寝ゲロの掃除を始めた。
「……なぁ、あんたいつも人間の血飲んでるけど、飲まなくても生きてく分には問題ないんだろ?」
サスケがパック詰めされた血を飲むカカシに尋ねる。
一晩寝たら視界はすっかり元に戻っていた。
「ん~? だって美味しいじゃん。ま、嗜好品だよ。タバコとかお酒と一緒。」
……そんなもんなのか?
でも、確かに兄さんの血は美味しいし、カカシの首筋から直接飲む血も甘美な味がして何度でも飲みたくなる。
「でもそれ確か、高いんだろ。闇市でしか売ってないって前……」
「俺は何もしてなくても印税収入が入ってくるからなぁ。血が飲めると思えばそんなに高いとも思わないよ?」
「ふーん……」
サスケはペットボトルの中の血を飲み干して、テーブルに置いた。
今日もこのあと筋トレだ。それが終わったら……きっと、今日も。
期待に心が躍る。
「よし、じゃあ始めるか、サスケ。」
「……おう」
二人は着替えて、準備運動を始めた。