赤
抑えられない
カカシとサスケは病院の待合室にいた。
緊張するサスケの手を、カカシが優しく握る。
「うちはさん、どうぞ」
看護師が診察室から顔を出した。
サスケはふう、と息を吐くと立ち上がり、呼ばれた部屋に入って行く。
診察室には色々な機械が置いてあった。
「まず、コンタクトを外してこちらに置いてください」
看護師が小さなトレイを差し出す。
サスケはコンタクトを外してトレイの上に載せた。
本来の赤い瞳が露わになる。
パソコン画面を見ていた初老の医師がサスケに向き合うと、少し驚いたような顔をした。この医師も眼は赤い。吸血鬼だ。
「名前と、歳を教えてくれるかな」
医師が問いかけると、サスケは「うちはサスケ、十二歳です」と答える。
「十二歳……十二歳でここまで……」
医師は独り言のように呟くと、「まず、眼の検査から始めよう」と機械の中の一つを指差した。
二つの覗き穴がある、小さめの機械だ。
サスケが機械の前に移動すると、その前にある椅子に腰掛けるよう指示される。
座ると、椅子の高さが調整され、ちょうど目の前に覗き穴がある位置にされた。
「覗き込んで、何でもいいからその中に見える人物に暗示をかけてみて。出来るだけ全力を出して。」
全力……と言われても、今まで意図して眼の力を使ったことがないサスケは戸惑う。
後ろからカカシが「強く願うだけで大丈夫だよ」と声をかけてくれたから、サスケは(スクワット百回やれ! )と強く思いながらその人物を見つめた。
「ふむ……では次、右眼の方ね。同じようにやってごらん。」
同じように覗き込む。
機械の横からは、何かグラフのようなぐにゃぐにゃと曲がった線が記録された紙が少しずつ出てきている。
「先生」
カカシが口を開いた。
「この子は興奮すると力が強くなる傾向があります。
もう一度測ってもらってもいいですか?」
サスケはカカシの方を振り向いた。
「サスケ、ナルト君の姿を見た時のことを思い出してまた覗いてみてごらん。」
サスケは頷き、あの時のことを思い出す。
(……ナルトを、解放しろっ )
機械の描く線が激しく揺れる。
医師がそのグラフを見て、「これは……」と呟いた。
「検査は、ここまでにしようか。深呼吸して落ち着いたら、診察椅子の方に戻ろう。」
興奮ではぁ、はぁ、と肩で息をするサスケの肩に、カカシがぽんと手を置く。
「ごめんね、辛いこと思い出させちゃって。深呼吸、出来る?」
サスケは頷き、すぅっと息を吸う。
大丈夫、ナルトはもう、カカシのおかげで普通の生活ができるんだ。
はぁっと息を吐く。
ドキドキしていた胸が落ち着いてくる。
もう一度深呼吸をしてから、診察椅子の方に移った。
「まず……一回目のグラフから。結論から言うと、サスケ君は素の状態で、両眼とも6レベル相当の力を持っている。……で、二回目のグラフの方は……9レベル相当。正直、ここまで高いレベルの人は滅多にいないし、十二歳の子としては多分他にいない。」
「レベル……数字で言われてもよくわかんねえ……」
コンタクトの度数で言えば、素の状態で七度、興奮した状態だと……十度、くらいかな。」
シスイの予想をも上回る結果に、カカシは内心驚いていた。普段サスケが眼を使う機会がないからか、そこまで力が強いとは思っていなかった。
「……で、どちらの度数に合わせた方がいいのか……だけど。感情のコントロールの仕方はまだ学んでいないんだね?」
「これから、学ぶ予定ではあります……」
「それは最優先でした方がいい。きちんと学んだ後なら、七度のコンタクトで当面は大丈夫だよ。」
「当面……」
「基本的に、二十歳までは成長に従って眼の力も強くなる。だから定期的に強さを測って、度数を調整する必要がある。ただ十二歳でこの程度の力だと……二十歳になる頃には、素でも10を超えるようになるかもしれない。そうなると、レンズも特注で作る必要がある。」
「コントロールが出来ない今は、十度をつけた方がいいのか?」
「それなんだけど……大は小を兼ねる、というわけにはいかないんだ。10度を普段使いすると眼が疲れてしまう。疲労が溜まりすぎると、……いずれ失明する。だから、十度を処方するのは……コントロールが出来ないとしても、ちょっと難しい。」
「じゃあ、やっぱり感情のコントロール……」
「うん、そうだね。しばらくはなるべく静かに冷静に過ごしなさい。興奮することがないように刺激になりそうなことはしない方がいいし、目に入らないようにした方がいい。」
医師がカカシに目を向ける。
「保護者の方……ですね? 環境調整をお願いします。もし興奮するようなことが起きたら、布か何かで眼を封じて静かな部屋で寝かせてあげてください。」
「……わかりました。」
「今回は七度を処方するけど、月に一回は通院して眼の負荷と疲労を計るように。いいね?」
サスケが頷く。カカシも「わかりました。」と答えた。
「今日の診察はここまでです。院内処方だから受付でコンタクトを受け取ったらすぐに装着すること。」
「……わかった。」
「じゃあ、また一ヶ月後にね。」
カカシとサスケは医師に頭を下げて診察室を出た。
待合室の椅子に腰を落ち着けると、サスケがカカシに尋ねる。
「カカシは、レベル? で言うとどのくらいなんだ?」
「……俺はレベル4だよ。眼の負担になるからコンタクトはつけてないけど。」
「レベル6って、どのくらいの強さなんだ?」
「統計だと、成人の吸血鬼の平均レベルは5だね。まだ測る機械がなかった時代の伝説レベルの吸血鬼……うちはマダラという人物は、レベル20はあったんじゃないかって言われてる。お前はそのうちはマダラの子孫だ。うちは一族は一般平均と比べると1.5くらい平均レベルが高い。つまり……うちは一族の成人の平均くらいの力を、サスケはすでに持ってるってことになる。」
「なあ、カカシ……、俺はもう、カカシの血を飲まない方が、良いのか? もう、……することは、出来ないのか?」
「飲ませてあげたいよ。けど、そうだな……。眼に布を巻き付けて、目隠しをした状態でないと、難しいな。」
「目隠しでも何でもする。カカシと……出来ないなんて嫌だ」
「……ま、色々試してみよう。大丈夫、何とかするさ。」
サスケはほっと胸を撫で下ろす。
カカシが大丈夫って言うなら、きっと大丈夫だ。
「うちはサスケさん」
受付から名前を呼ばれる。
カカシが立ち上がって、お金を払いコンタクトケースを受け取ると、サスケの元に戻ってくる。
「……今日から、起きてる時はこれを着ける。いいね。」
「わかってる。」
サスケがケースを受け取ると、蓋を外して中のコンタクトを装着する。
「基本的には、家で静かに過ごす分には何も気にしなくて大丈夫。お客さんが来た時は、意識して眼を使わないように気をつける。あと、感情のコントロール、ね。何を言われても、されても、冷静に受け流せるように。」
「わかった。……カカシの言う通りにする。」
「じゃ、帰ろうか。」
サスケはコンタクトケースをポケットに入れて、カカシと一緒に立ち上がった。
サスケがベッドに入って休むと、カカシは書斎で頭を抱える。
今日の検査結果は公安にも回るだろう。危険な存在として監視が強化されるか……保護という名目で連れ去られるか……嫌な予想ばかり浮かぶ。こんなに幼くして力が強い逸材を、奴らが野放しにしておくとはとても思えなかった。明日から来る家庭教師もこうなってしまうと不安材料だ。
最初こそうちはの子どもを手に入れられてラッキーだと思ったが、サスケの力はカカシの想定以上だった。
サスケを渡さないためにも、毎日血は飲ませなければいけない。サスケをもっと依存させて俺から離れられないようにしておかないと。血を切らせてサスケの依存が解けたときに、サスケ自身が兄や家族のもとに行きたいと考えてしまったら今までの努力が水の泡だ。
「目隠し、目隠し、か」
血を飲めば必ず興奮状態になるだろう。サスケの眼を見ないためには、やっぱり眼を塞ぐのが一番簡単な方法だ。
明日とりあえず試してみて、血を飲んでから何分興奮状態が継続するのか、その状態で感情のコントロールは出来そうなのか、またはセックスすることで落ち着くのか、ともかくサンプルを集める必要がある。
日誌に一通り書き終えると、パタンと閉じて引き出しにしまった。
「サスケ、朝だよ」
カカシの声で、サスケは目を覚ます。
ゆっくり開く赤い瞳。
「おはよう」
カカシがサスケの頭を撫でると、サスケは嬉しそうに目を細めた。
「おはよう、カカシ」
上半身を起こす。ハッとして、ベッドから降りて机の上にあるコンタクトを手に取った。
「眼を使おうとしなければ、そんなに神経質にならなくても大丈夫だよ。」
黒い瞳になったサスケが、カカシを振り返る。
「俺が、着けていたいんだ。着けていた方が安心するから。」
感情のコントロールを意識しているらしい。良い傾向だ。
「その調子で、一緒に頑張ろうな」
もう一度サスケの頭を撫でる。
「俺も一緒に頑張るから。」
サスケは嬉しそうに笑う。
(カカシがいる。俺は一人じゃない。)
「ごはん、食べよっか。行こう。」
差し出された手をとる。カカシのその大きな手が、サスケは好きだった。
「カカシ、好きだ。」
「ん、俺も好きだよ。……絶対に、お前を離さない。」
サスケの胸がジンとする。
「俺絶対に離れない。離れたくない。何があってもカカシから離れない。」
「……サスケの家族が迎えに来ても?」
サスケが頷き、カカシは内心ほっとする。
依存心はどんどん高まっている。この大事なタイミングだからこそ、血を飲ませるのをやめるわけにはいかない。
ダイニングテーブルに着くと、用意してあった食パンをトースターに入れてスイッチを押す。
「サスケはバター?」
「ああ、俺甘いのはダメなんだ。」
「へぇ、はじめて聞いた。」
カカシがバターの入った木箱を取り出す。
「俺も今日はバターにしようかな。」
マグカップにスプーン一杯の黒い粉を入れると、電気ポットからお湯を注ぐ。
珈琲の香ばしい香りと、トーストの焼ける柔らかな香りが混ざっていく。
サスケの目の前のコップには牛乳が注がれた。
トースターからチン、と音がしてトーストが飛び出す。
カカシはそのパンを手に取ってバターを塗ると、サスケの目の前の皿に載せた。続けて、もう一枚のトーストにもバターを塗って自分の目の前の皿に置く。
「さ、あったかいうちに食べよ。」
「いただきます」
「いただきます」
焼きたてのトーストを手に取って齧る。こんな風にシンプルなのが一番おいしい気がする。
卓上のトマトスライスにフォークを伸ばして、口に運んだ。……よく冷えていておいしい。
「俺、トマト好き。」
「それもはじめて聞いたな。……サスケのこと、もっと知りたい。」
「俺のこと?」
「吸血鬼狩りの前のこととか、家族のこととか、その後どう過ごしてきたのかとか……つらいことなら、無理に聞こうとは思わないけど。」
「……部屋で、落ち着いてるときでもいいか?」
「もちろん、いいよ」
「眼、隠して話す方が、いいかもしれない。」
「……そっか。わかった。」
食べ終わった皿を洗いながら、カカシから
「今日のトレーニングどうする?」
と聞かれる。
「……やる。」
「ん、いい返事だね。」
カカシがニコ、と笑いかける。
……その、ひとつひとつの動作に、言葉に、サスケはドキドキする。
もっとその声を聞いていたい、笑いかけてほしい、頭を撫でてほしい、そして……そして早く、もっと、カカシと一緒に、なりたい。
血を飲んでもいないのにそう思ってしまうくらい、本当に俺はカカシが好きなんだと思う。
もちろん、カカシの血も好きだ、毎日飲みたい。さっきもカカシは人間の血を飲んでいた、ということは、今日も俺に飲ませてくれるはずだ。
いやでも期待してしまう。
胸が高鳴ってしまう。
……深呼吸、しなきゃ。冷静に、ならないと。
高鳴る胸を押さえて、深く深呼吸する。
けどダメだ、カカシを好きな気持ちが止められない。
こんなんで感情のコントロールなんて、出来るんだろうか。俺に出来るんだろうか。
その様子を横目で見ていたカカシが、皿を洗う手を止めて手を拭き、サスケの頭にぽんと手を置く。
「何でも一人で頑張ろうとしないでいいんだよ。」
サスケがカカシを見上げる。
「カカシ……俺、どうしよう、カカシを好きな気持ちが、抑えられない。冷静に、なれない……っ」
「……俺はね、サスケがそう思ってくれてるのが嬉しいよ。まだコントロールの練習はやり始めたばっかだろ。最初から全部うまくいくわけじゃないよ。それに、その気持ちは俺は抑えて欲しくない。俺のこと、ずっと好きでいてほしい。」
「でも、そしたら、眼が……」
「単に好きだって思うだけなら、大丈夫だよ。『カカシにも俺を好きになってほしい』と思うんだったら、それは抑えた方がいい。けど、そんな風に思わなくても、俺はサスケのことが好きだから。だから大丈夫。」
カカシへの気持ちは、抑えなくていい……? 本当に?
この気持ちの高鳴りは、このままでもいい?
カカシがしゃがんでサスケを抱き締める。
「大丈夫、俺がいる。俺もサスケのことが大好きだから、大丈夫だ。」
……ああ、好きだ。好きだ。この気持ちはもう止められない。
サスケもカカシの背中に手を回し、ぎゅっと力を込める。
「カカシ、好きだ、好きだ。」
「うん、俺も好きだよ。」
キッチンで、二人はしばらく抱きしめ合った。