運命なんて
認識
新生活が始まった。
1LDKの部屋は案外居心地が良く、朝目が覚めた時に隣に誰かがいるというのも悪くなかった。
柱間も朝シャワーを浴びる派だと言う。まあそれだけ髪が長ければそうだよな、と思いながら交代で浴室に入る。
どうせ恋人みたいな甘い生活を期待してたんだろ、と思っていたが出勤前の柱間は淡々と支度をして新聞を読みながらコーヒーを飲み、そして先に出かけるというごく普通のサラリーマンの朝で、仕事は本当に真面目にやっているんだな、と感じた。
10分後に家を出て預かった合鍵で扉を閉める。駅まで徒歩7分、電車に揺られて15分、柱間の家は職場から近く、思いの外早く着いて、柱間はいつもこんな時間から働いているのかと考えながらパソコンを立ち上げる。
起動画面を見ながら、ずっと柱間のことを考えていた自分に気がついて、同居して最初の朝だからこんなもんだろうとソフトを立ち上げる。
パラパラと出勤してくる他の建築士が今日は早いんですね、と口を揃えた。適当に濁して納品予定日に向けて全員で図面を確認する。チェックの目は多いに越したことはない。
昼休みになって柱間が顔を覗かせ、二人でランチの店を探す。このゼネコンの男が俺と個人的に親しいのだと周りも認識し始めたらしかった。この店はカルボナーラがうまくてな、この店はガパオライスがいいぞと勧める柱間の気に入っているという店に入った。洋食屋で今日のランチはハンバーグとコールスローサラダらしい。仕事の話をしながら昼食を食べた後、何となくあの公園の方向を見て、いや何を考えている、と職場に戻ろうとする手を柱間が掴んでいた。
視線はさっきオレが見ていた方向で、照れたように少し頬を染める柱間を見て「帰ってからだ」と柱間にも自分にも言い聞かせる。
ならこの間少しの時間をどう過ごすか、柱間は手を引いて別の公園に誘いベンチに隣り合って腰掛けた。
「家に帰ってもマダラがいるというのに悪かった。」
さっきの事を恥じているのだろうか。柱間は他に誰もいない事を確認して俺の手を握った。
「……何だよ。」
「せめてマダラの体温を感じたい。」
手を繋ぐだけで落ち着くものなら放っておこう。誰かに見られていない内は。
手を繋いでみて、柱間の言葉が何となくわかる気がする。面積としてはごく小さいが柱間の手から確かに体温が伝わってくる。だからどう、というわけではないが嫌ではない。
時間になって手を離し、別の道を通ってそれぞれ仕事場に戻った。
仕事上で柱間と関わることはほぼない。確認作業をメインに印刷した図面を隅々まで確認して次の人に渡す。全員のオーケーがとれたら次の図面に。その作業中偶然右の建築士と手が重なって、互いに手を引っ込めてすみませんと頭を下げる。
何かが頭をよぎったような気がしたが気のせいだろうと仕事を進めた。
退勤していつもの電車に乗ろうとして、ああ違うんだったとホームを変える。柱間は既に帰っているだろうか。
スーパーに立ち寄ってからマンションのオートロックを解除して部屋の前に立ち、鍵穴に鍵を差し込もうとしてこの鍵にも何かキーホルダーを付けるかと考える。俺の家の鍵とよく似たディンプルキー、柱間の家だとわかりやすい印になるようなキーホルダーは何が良いかと思考を巡らせながら開けた室内は暗かった。
残業だろうか。
LINEで『帰る時間がわかったら連絡しろ』と送って明かりをつけ、夕食の下ごしらえを始めた。
しかし19時を過ぎても連絡もない。
何かトラブルでもあったのか、もしくは飲み会にでも誘われたのか。どちらにしても普通連絡ぐらいよこすだろう。どういうつもりだ。
持ってきた本のページをめくりながら既読のつかないスマホを見ては苛々して胸がモヤモヤする。
ようやく連絡が来たのは20時過ぎだった。
42分割の鬱陶しいメッセージを要約するとこうだ。
『すまない、遅くなってしまった。残業もしたんだが交通事故に巻き込まれた。あ、怪我はないぞ! あと20分で帰るから待っていてくれんか』
巻き込まれた、という事は目撃か何かしたのか。ともかくようやく帰ってくる。ほっとして料理の仕上げに入った。着く頃に出来上がるだろう。
……時間が遅いから今日はしないんだろうな。
玄関の鍵がガチャガチャと鳴って扉が開くと走って来たのか息を切らせた柱間が入って来た。
「すまないマダラ!」
文句のひとつでも、と思ったがスーツがボロボロになっている。
交通事故に巻き込まれたというのは被害者なのか?
しかしこれだけ服がボロボロで怪我がないとはどんな道理だ。
「本当に怪我はないのか。」
「ああ、医者のお墨付きだ! 交差点を渡っていたら右折車が追突して来てな、何メートルか吹っ飛ばされたがこの通りピンピンしとるぞ。」
「待て何メートルも吹っ飛ばされるような事故で無傷? お前の身体はどうなっているんだ。」
「昔から身体は頑丈でな! だが車の方はがっつり凹んでおった。自業自得だが。ほれ。」
スマホの画面にはフロントガラスにヒビが入ってボンネットはひしゃげフロント全体が大きく凹んでいる軽自動車が写っていた。
車がこうなのに本人は無傷? ……そんなことあり得るのか……まあ、柱間ならあり得るのかもしれないが……。
「……無事で何よりだが、これからは仕事終わった時点で一度連絡をよこせ。どれだけ俺が……」
「ん、まさか心配してくれたのか?」
「……連絡がなくて苛々していたんだ! せっかく晩飯も用意していたのにこんな時間まで……!」
「用意……してくれていたのか!? ありがとうマダラ! 早く食べたい、何を作ったんだ?」
「その前に着替えろ、用意する。」
柱間は「これはもう着れんかのー」と言いながらジャケットを脱ぐ。スラックスも破れているが本当に擦り傷すらなさそうだ。どうなっているんだこいつ。
「何が好みかわからんかったが、以前キノコがどうとか言っていたから炊き込みご飯だ。あとは焼き魚と小松菜のおひたしに、香の物はカブの浅漬け。皿は適当に使ったぞ。」
コンビニ弁当ばかりと言いつつ、最初は一応自炊する気があったのか一通りの調理器具や皿、カトラリーも揃っていた。しかしこの柱間が料理するところは想像が難しい。
部屋着に着替えた柱間はダイニングテーブルにつくと目を輝かせた。
「こんなに品数を作るのは大変だったろう、待っていてくれてありがとう!」
無邪気な笑顔を見ていると悪い気はしない。ご飯をよそって置くと、俺が席に着くのを待って手を合わせた。
時間は20時半、食べて片付けをして21時過ぎ。……やっぱり今日はなしだな。
「頂きます。」
がつがつと食べる柱間を見ながら、ペット飼うとこういう感じだろうなと思う。柱間は紛れもなく人間だが、どうにも犬みたいなところがある。全部綺麗に食べたらよしよしと頭を撫でてやりたくなるような。
「あんまり早食いするな、行儀が悪い。」
「マダラは随分食事の場で行儀を気にするの。熱いうちに食べたい俺の気持ちもわかってくれ!」
……まあ、作りたてを食べてほしいのはそれはそうだが。行儀……親が厳しかったせいなのか、それが当たり前だと思っていたが、柱間の言うことも一理ある。
正しい世界とは何だ。
自分には外見的な魅力はないと、バーカウンターに座りながら考えてきた。身体にも、顔にも、性的な魅力がないから誰も声をかけてこなかったと。
だからこそ声がかかれば誰であれ身体を委ねるつもりでいた。こんな俺に価値があると感じて声をかけてくれるのなら誰でも構わないと。
その関心の目だけでオレの空虚は満たされる筈が、最初に声をかけて来たのは柱間だった。俺の横顔が美しいと、容姿に言及されたのは初めてだった。俺には魅力などないという常識を柱間は壊していく。
箸で骨を取り除こうとしていた魚の頭と尻尾を掴んで口元に寄せる。その背中側を直接かじりついた。
『行儀が悪い、もっと綺麗に骨を取りなさい』
……知るか、食事は熱いうちに食った方が美味いに決まってる。ちまちま骨を取り除いていては冷めるだろ。
柱間の方が、正しかった。
かじりついたところから魚の油がじわりと溢れて身と一緒に口に入れると焼き魚の味が今までと全然違う。
親は絶対に正しいとどこかで感じていた価値観が崩れていく。もちろん綺麗に食べられるに越した事はない。でも美味しく食べるのと行儀よく食べるのはイコールではなかった。
魚を置いてティッシュで手を拭き、箸を手に取る。
大学の学食でも茶碗に口をつけてかき込む食べ方を見ては行儀が悪いと軽蔑していた。でもきっとその方がそいつにとっては美味しい食べ方だったのだろう。魚の味が口から逃げないうちに――ご飯を大きくすくって口に入れた。
正しさとは何だ。
答えはきっとひとつではない。
食事のとり方ひとつとっても、無数の答えがきっとある。
可能性は、いくらでも。
食事を終えて後片付けが終わったのはやはり21時半だった。柱間が落ち着かない様子だがこいつが落ち着いてるのは仕事の時くらいだからまあ放置しておこう。本を読むオレの隣に座って表紙を覗きページを見る。肩が触れ合う距離だが邪魔をしにきたわけではないらしい。
と思ったのは最初の5分程度だった。
その手がさわっと太ももを撫でながら徐々に中心に向かう。その触り方にオレも反応しそうになる。
「おい、今日はもう時間ないだろ。」
「まだ寝るまで時間はあるぞ。」
「お前のセックスは長い。」
「短くもっ、できる!」
本に落としていた目を柱間に向けると、その顔はもう欲情していた。その視線に胸が脈打つ。俺を求めるその目はどうしようもなく俺の空虚を満たしてしまう。
「せっかく一緒に住んでおるわけで……オレは毎日でもマダラを愛したい……。」
「……本当に、短くできるんだろうな。」
ベッドの上、くちづけようとする柱間の顔に手を押し付ける。
「口は駄目だと言っただろ」
「……なぜそんなにこだわるのだ、愛はわからんと言いながら……っ」
理屈は自分でもわからないから説明もできない。守らなければいけないと本能的に感じたその本能を信用しているだけで。
「今日は諸々全部すっ飛ばしてすぐに挿れろ。」
「嫌だそんなのは俺の流儀に反する、指だけでも……」
そんなことを言い合いながら腰を動かして互いのそれを擦り合わせているんだからどんどん興奮は高まっていく。
宣言通りに入ってきた指に思わず息を吐いて、その指の動きに神経を集中させる。
「っは、あ、っきもち、い……っ」
それがすなわちもっとしろという合図だと柱間は捉えたらしい。脇の下に舌をそわせながらぐり、ぐり、とそこばかり刺激し始めてその度に漏れる声を「可愛い」と言う。
こんないい歳した男のどこが可愛いなどと形容できるのか。柱間がおかしいのだと思い続けてきたがおかしいのはもしかしたら俺の方じゃないかという疑念が昨日から頭から離れない。
少なくとも柱間は俺が知らない愛を知っていてセックスの事を「愛する」と表現しているのだからこと愛に関しては多分柱間の方が正確に把握している。多分。
何歳で性別が何であろうと愛の対象のする事は愛しく可愛いと感じる、のかもしれない。
愛とは何なんだ。
満足したのか準備が整ったのか指が抜けていって柱間は俺の膝を押しながらゆっくりとそれを沈めていく。
ゾクゾクしながらこれさえあれば他の何もいらないのにと柱間の顔を見たら苦しそうに眉を歪めていた。柱間も本当はガンガン腰を振りたいだろうに、最初に挿れるときはゆっくりと奥まで納める。……何故か。多分だが、俺が苦しくないように。
「はや、く、奥まで……っ」
「……っマダラ」
小さく出入りを繰り返しながら少しずつ奥に入っていくそれがぐんっと一気に奥を突いた。それからは激しい律動に変わって何度も名前を呼ばれながら、何度も好きだと言われながらその激情の中に埋もれていく。
空虚が満たされるだけでなくそこに入っている何かが溢れ出る。何が空虚を埋めていたのかもわからないのに何が溢れ出ているのかなんてわかるわけがない。ただ確信を持って言えるのは、それがひどく心地いい事だけだった。
「……ちゃんと短くしたぞ。」
「それでも……45分かかってんじゃねえか……。」
「もっと短くしろと!?」
「突っ込んで腰振って終わりなら30分もかからんだろ」
「そんなセックスは……オレはやらん。ちゃんと愛したい。」
「……愛、ねえ……。」
散々柱間から愛していると言われても、理解したい気持ちはあるのにやはりわからない。
人を愛するという感覚が、愛されるという感覚がどういうものなのか。
柱間はそれでも俺を愛し続けるのだろうか。
挫けたり諦めたりはしないのだろうか。
いくら愛していると言っても、何も返さない俺を。
