もういちど
言葉の重さ
悔いがなくなったのか、柱間は宣言通りにただの同居人としてまた変わらない生活が始まった。
ただ予め言われていたとはいえ、際中に柱間が口にした愛しているという言葉、あの言葉に込められた熱が気分を盛り上げるための言葉だと理解はしているがそれにしては不可解だった。気分を盛り上げるためならば、挿れる前に言うものではないのか?
ただその後の様子を見るに俺に対して想いを寄せているとは思えない。本当にただの同居人として生活を共にしている。手を重ねることもなく必要以上に近づくこともなく。
だから本当に俺を満足させられなかった、という一点だけが最後の心残りだったのだろう。
だろう、というのも俺は柱間ではない。もしかしたら秘めて外に出さないようにしているだけかもしれない。だから断言はできないが、少なくともまぐわいで俺は満足して、それを確認して柱間も満足したのは間違いない。
ただ副作用のようにあの夜のまぐわいの快感と充足感を忘れようにも忘れ難く、自慰をする日は増えた。
あの中で感じた感覚は自分では再現ができないが、だからと言って柱間の寝室に行くことはもうない。
あいつには妻子がいて、最後の悔いも晴らしたのだから柱間には俺とまぐわう理由はもうない。
そこに俺の方からもう一度、と言ったところで困らせるだけだろう。
「おお、蟻の行列ぞ、マダラ。」
「そんなもん珍しくもないだろう……。」
地面をじっと見つめる柱間が、少し大きい石を手に持って置く。そしてまたじっと見つめる。
「こんなにも小さいが、立派なものだ。隊列を崩されてもすぐに新しい道を作って先に行く仲間を追い始める。」
蟻の行列を隊列と呼ぶのはお前ぐらいのものだろうよ。こいつらは死んだバッタとかを食いちぎって巣の中の雌や赤子の食べ物として運んでいるだけだ。
「このように困難に見舞われてもすぐに体制を立て直すところ、見習いたいものだ。」
「……そんな些細な物すら学びの対象と出来るのは柱間の良いところではあるが。」
その話を聞いて、こいつは木の葉に戻るのだなと思った。隠居生活もじきに終わりを告げるのだろう。
「……まあ、お前が来て俺もこの暮らしが少し楽しかった。いつか終わるのは残念だが、お前にはお前のいるべき場所がある。」
柱間は蟻の行列からこちらに顔を向けた。
「……何が言いたいのだ、マダラ。」
「お前の悔いは全て晴らしたのだろう、お前の部屋は残しておく。木の葉に戻りたければいつでも……」
「そんなことは考えておらんぞ。」
ごく真面目な顔でこちらを見る。帰らないつもりなのか? 妻子を置いたまま?
「たったの数ヶ月では足らん。とても足らん。やり直すとはそんなに簡単なものだとは考えていない。ようやくマダラの隣にいる資格を得られたばかりだ。後悔を全て上塗りするまでは少なくとも、ここを離れるつもりはない。」
柱間の後悔は……そんなにも多いのか。そういえば一年以上かけてここを探し当てたんだったな。
ならば一年程はいるのかもしれない。秋の味覚もまだ食わせていなかった。
「では里や妻子はそれまで放っておくのか。どれもお前の大切なものだろう。」
「里よりも妻子よりも、マダラとやり直すことの方が今の俺には大きい。マダラが思っておる以上に俺には悔いが多いんぞ。」
「そうか、……なら、存分に悔いを晴らしていけ。」
……木の葉隠れの里創設者、初代火影が、ささやかな診療所をやりながら村人の一人として生活していると知られたら、こいつはもう村人でいることは出来ないだろう。俺もまた同じだ。数多の戦争を片付けて回った分、俺に憎しみを持つ者は多くいる。誰か一人にでも気づかれたらこの村でただの変わり者として暮らすことは出来なくなる。
「今日の魚は脂が乗っていたの、秋の魚は実に美味い!」
こういう些細なことで喜び憂うささやかな生活は、いつ終わりが来るかわからない。だからこそ柱間も噛み締めるように一日一日を共に大切に暮らしているのだろう。
「しかしお前は悔いを晴らせただろうが、俺は散々だ。あんな快感を味わされて放り出されるとは……。こんな事になるなら断れば良かった。」
思ったことは素直に伝える。それもまた柱間との生活では重要だ。俺たちは互いに理解しようという努力を怠った。互いを慮る事をして来なかった。だから大きな悔いが残ったまま何年も誤解し続けていた。
「なんぞ、それならいつでもしてやるのに。」
「だが断る、あれに慣れてしまってはお前がいなくなった時に余計に困る。それとしてやるという言い方が気に入らん。」
「俺がいなくなるなど考えなくて良い、ここでの生活も気に入っておるし、何よりもマダラが隣にいる。……言い方は、悪かった……こういう場合はどう返すのが適当だっただろうか。」
「自分で考えろ阿呆。お前に嫁入りした妻の苦労が目に浮かぶようだ。」
「はは、妻からは叱られてばかりだった。だが、俺に対して容赦なく物を言ってくれる妻で良かったと思う。あれが嫁に来てくれておらんかったら、マダラとの今の生活もない。」
爺さんから許可を得て山に入った。あの太い丸太には分厚い椎茸が所狭しと生えていて、柱間は目を輝かせながら物色する。
茸の良し悪しなどわからない俺はそれを見守った。柱間が採ってきた椎茸は丸々とした物ではなく傘が開き切った物ばかりだった。
「……これが良いやつなのか?」
「良いものは村の者達が食べた方がいい。俺はこの傘の開いたものでも十分ぞ。」
遠慮しているのだろうか、柱間なりに考えた結果だろうか。
「上の方にもよくわからん茸が生えているぞ。食えるかどうかわからんから俺は採った事はないが。」
「おお、それは見てみたい!」
「……毒茸かどうかはしっかり見極めろよ。しかしそんなに茸が好きなのか。」
「茸は好きだが、マダラとこうして採って、料理を振る舞うのが楽しみなんぞ!」
柱間は圧倒的な力を持ちながらそれを和睦のために秘めていたと俺は思っていた。
実際には一か八かの力で、俺たちは同時に力尽きていた。
それでも柱間が立ち続けたのは、うちはと千手が手を取り合うためで、その夢の実現のために俺の言葉を聞き死のうと覚悟した。
そうまで成し遂げたい柱間の夢のために、俺は柱間のその手を止めた。
敗者だと思い続けた。何もかも勝ち負けでしか考えていなかった。自分で自分の首を絞めていた。
だから柱間の言葉も行動も何もかも、本気で受け止めて来なかった。
この村に住みはじめてから、あの記憶とは距離を置くようにした。惨めなだけだった。ただ静かに過ごしたいと、隠居を決め込んだ。
柱間がここに辿り着かなければ、あの記憶はずっと苦しさの象徴であり続けただろう。
柱間がやり直す事はできないかと言ってきたときに、無理だと決め込んだ。ただの同居人で構わないとまで言われて、それでもただの執着だろうと思った。
柱間は変わっていたしこの村に来てからも変わろうとし続けた。自分が、ではなく相手はどうか、を考えるようになっていた。
柱間のそれは執念ではなく覚悟だった。それを知ってからやり直したいという言葉の重みが変わった。その覚悟の隣に俺はいなければならない。
柱間は変わった、だが俺はどうだろうか。
変わろうと努力はしていない。柱間の石を受け取るばかりで俺から石を投げる事はなかった。
俺もまたやり直したいのであれば、俺も過去をきちんと見つめ直して、柱間に投げ返さなければならない。
柱間とは一方的な関係ではなく、話し合いながら誤解をほどきながら、本当はこうだったと、こうありたかったのだとこの手の中の石を投げ返さなければ。
「茸は炊き込みご飯がやはり良い……網焼きにして少し醤油を垂らすのもまたいい。明日はどんな茸料理がいいかのー。」
「お前の手料理は月一度までだと言っただろう、使用人の仕事を奪うな。」
「料理の注文はしても構わんだろう?」
「……山を間近に住んでいる者がどう調理するかを見るのもいいものだ、好きなのはわかるが少し堪えろ。」
「そうか! 山の者ならではの料理もまた楽しみだな、マダラの助言に従おう。明日が楽しみだ!」
「俺は茸よりも魚の方が楽しみだ。」
「どちらも秋の味覚だのー……。」
食べたばかりなのに口に涎が溢れているらしい、ごくりと唾を飲み込みながら次の食事に思いを馳せている。
ここでの生活の娯楽は日々の食事くらいのものだ。静かに同意して色づく木々を見ながら紅葉はもう少し先かと考える。
柱間は紅葉を見たことがあるだろうか。葉が色づく木は木の葉の近くにはあまりなかったはずだ。
山が燃えるような朱に染まるのを見て驚くだろうか、それとも一年を超える旅の中で既に見たことがあるだろうか。
はじめてを目にする柱間の隣に立っていたいといつからか思うようになっていた。すぐ隣に柱間がいて笑う暮らしがこの先もずっと続くのであれば、少しずつ俺からも石を投げることができるだろう。
受け取るばかりではなく、俺からも柱間に渡したい。
柱間は何も考えずに石を受け取るだろう。どんな石が飛んできても。
しかし布団に入るとどうしても思い出す。行為そのものもそうだが、あの柱間の言葉は気分を上げるために言ったものと思えなかった。その時は本気だったのかもしれない。あるいはずっと秘めているだけかもしれない。
……よくわからないのであれば早々に解消するべきだ。忘れかけていた。やり直すとは、互いの思い違いや誤解を解くことから始めなければならないのに。
布団から起き上がって、縁側から柱間の部屋をノックする。奥から「ちょい、待ち」と声が聞こえて何やらゴソゴソしてから障子が開いた。
「すまん、何の用だった?」
顔だけ覗かせた柱間はどうやら何かしていた最中だったらしい、部屋の中が乱れていた。
「いや、俺こそ悪かった。邪魔したようだな。用事は今でなくてもいい。」
「気になるではないか、今言ってくれ。」
「いや……お前がまぐわいのときに口にしたことは本当に便宜上言っただけなのか、そうでないのか確認したかっただけだ。」
ぽちゃ、ぽちゃ、と石が歩く。
柱間はその石を拾い上げる。
「……嘘や誤魔化しはもうしないと決めた。だが口を開かない選択までは消しておらん。口にすることで変わってしまう何かがあるのなら俺は……答えない。」
「お前が変えたくないものとは何だ。」
「今のマダラとの生活だ。」
「……それなら心配しなくていい、聞かせろ。」
そう言っても柱間には迷いがあるようだった。そんな態度はもう答えを言っているようなものだ。ただそれでも柱間の口から聞くまでは待つ事にした。言葉を選びながら、柱間が口を開く。
「思ってもいない事は口にしない……。俺が言った言葉がマダラを不快にさせたならば謝る。マダラにはその気はないと、理解している。」
ぽちゃ、ぽちゃ、と石が戻ってくる。
「では本心か。」
「……この話はもうこれで終わりにしてくれ。妻子もある立場で言うべきことではなかったし思うことすら良いことではない、と、理解している……きちんと。」
それが答えか、……しかしそれを知って俺はどうしたかった。
「ひとつだけ言っておく。不快だとは思っていないしどうでもいいとも思っていない。……邪魔して悪かった。」
縁側を通って自分の部屋に戻る。
柱間は今の生活を続けたいと取れる発言をした。俺も今の生活を変えたい訳ではない。ただまた誤解とすれ違いをするのは望まないだけだが、柱間の気持ちを知った上で俺は何をするべきだろうか。
あの日俺を好きだと言った柱間。妻子もいない立場だったあいつは俺を愛した。あの日の問いかけに俺はきちんと答えていなかった。
今の俺はあいつからの問いにどう答える。
立場は変わった、柱間には妻がいる。それはわかっている。それでも俺の純粋な答えを出すとしたら、「俺もそう」なのか「俺は違う」なのか。
答えはシンプルな筈だったのに柱間のあの言葉が気になっている自分がいる。何故気になるのかを考えれば感情はもう答えを出している。ただ理性は本当にそうなのかと問い続ける。そうやって考え込み思い悩む時間こそが答えだとわかっているのに否定したがる自分がいる。
何故否定したいのか……それもわかっている。柱間には妻子がある。柱間は妻を蔑ろにする人間ではない。だから俺が答えを出したとしても「そうか」で終わる話だ。互いに想っていたところで、この現実はひっくり返る事はない。
でも柱間の気持ちを俺が知るだけでは対等とは言えないだろう。伝えるだけでも伝えるべきだ。柱間が自分ばかり想いを募らせていると考えているとしたら、それは誤解になる。
やり直そうとしているのにまた同じことを繰り返すわけには、いかない。
