もういちど
星見
「しかし、一週間とはいえ泊まらせてもらっている立場だ。何かマダラに出来ることはないか。何もないならば宿代と食事代だけでも。」
猪が焼けるのを待ちながら、四畳半の部屋に胡座をかく柱間が俺の目に訴える。
聞いた事をすぐに実践に移そうと考えるのは褒めてやろう。柱間が言うことは最もだ。部屋をひとつ占領しているのだからその分の何かを渡したいというのも当然だ。
しかし単に金で解決するのもつまらない。
どうせならこいつ自身が動いて苦労する思いをさせてみたいところだが、まあ柱間だ、何をやらせてもうまくやるのだろう。
……いや、まだうまくやれるのかどうかわからないものが残っていた。妻が作るのを見て覚えたという料理。それも、調味料や材料に乏しい俺の家の台所で、こいつがどう腕を振るうだろうか。興味がある。
見ていたとはいえ食材も調味料も調理器具も揃っていた環境と俺の家では勝手が違うだろう。試しに今夜の食事を作らせてみるか。
「マダラさま……とご友人さま、出来ました!」
襖の向こうから声をかけられて、立ち上がった。
猪を一頭丸ごと、は結構な量だ。村中の今日の食卓に猪が出ているのだろう。新鮮だからこそ食べられる部分を先に食べて、赤身なんかはある程度保存できるように干すのが決まりのようになっていた。
猪の肉は山に近くなければ手に入らない。行商が訪れた時に現金を得る貴重な機会でもある。その貴重な金を使って塩や醤油や味噌を買う。この村では調味料は貴重なもののひとつだった。
串に刺さっている猪の肉に少し塩をつまんでパラパラとかける。新鮮な肉には少しの塩だけで十分なご馳走になる。
焼き加減がいい、表面がほんの僅か、カリッと焼けているが中はほとんど生のままだ。生の肉の甘さ、鮮度がいいことがよくわかる弾力、ひとくちの大きさもちょうどいい。久々の肉がこれだと嬉しいものだ。
柱間も俺がやるのを真似て塩をかけて肉の一つに齧りつき串から外して口の中に入れた。もぐもぐとしながら次第に目の色が変わり、俺に何かを訴えようとしてやめた。食べる方に集中することにしたらしい。
最初に食事を共にした時に冷めるから早く食べろ、と言ったのを意識しているのだろうか。
だとしたら、柱間はこの家の中で相当に注意を払っているのだろう。美味いものを食べればすぐに「美味い!」と口にする奴だった。調理した側からするとそれは嬉しかろう。だが使用人はもう帰っている。
ひとつの肉を飲み込んで、ようやく柱間は喋った。
「猪とはこんなにも美味いものなのか! 美味いものは色々と食ってきたが一番に匹敵する美味さだ! 肉がこんなにも甘いものだとは知らなんだ!」
気持ちはわかる、俺も最初に猪の新鮮な肉を生で食った時には驚いた。肉を生で、というのは抵抗があったが、騙されたと思って一切れだけと口にしたそれは今までに味わったことのないものだった。
「……たまに食べるからこそいいんだ。それにこの食べ方は絞めてすぐでなければ出来ん。」
「それは、つまり貴重な機会だということだな。俺は幸運だ……焼きたての美味いうちに全て頂こう。」
美味そうに……目を輝かせながら味わう柱間の様子を見ていると、美味いものがより美味く感じる、ように思う。
……そういえば、あの広い屋敷に俺一人だけになった時、何を食べても味気なかった。イズナと共に食べていたからこそどんな食事でも美味いと感じていたのかもしれない。
日々の食事が変わる。隠居生活の中でそれが持つ意味は大きい。今日は何だろうと思いながら食卓に足を運ぶ、俺の生活の中で予測できないのは日々の食事だけだった。その食事がより美味くなるのなら、俺にとっては柱間と共に食べるだけでも価値がある。
「最後の一切れ……勿体無いが食べねばな。猪の命に感謝する……。」
目を閉じて口の中に集中しているように口を動かしながら、よくも食事でそこまで全力で喜べるものだと思う。……だが、悪い気はしない。
食べ終わった柱間は猪を見たいと言い出した。見たい気持ちもわからなくはないが、食べられる部分はもう除いた後だろう。ただ、装飾品に加工するための骨ならまだ残っているはずだ。
「生きている猪には色々虫がついている。まだダニとかが近くにいるかもしれん。見るなら遠くからにしておけ。」
寝室に戻ろうとしたら袖を引っ張られる。
「マダラは行かんのか?」
「血の臭いで場所はわかるだろう。」
「俺はマダラの客の立場だ、マダラが嫌でないなら同行して欲しい。」
俺が嫌でないなら……と、柱間は確かに口にした。考えながら言葉を選ぶような器用さは、少なくとも俺が知っている柱間は持っていない。街からの帰り道の時と同じように、俺に対する気遣いを自然にやっている。
妻子の存在が柱間を変えたのだろうか。何にしても、柱間は変わっている。それは間違いなさそうだった。
「あまり長居はせんぞ。」
寝室に向かおうとしていた足を、玄関に向けた。
吊り下げられた猪は思っていたよりは原型が残っていた。毛皮がきれいに剥がされて別の場所に干されている。
少しずつ解体していくのを遠くから見ていたら、隣の柱間は手と手を合わせていた。亡き者に対するそれと同じなのだろうか。それとも食べたことによる感謝なのか。
「猪は畑を荒らす。特に長期間保存ができる根菜をやられると村にとって痛い。だから駆除しなければならない。肉や骨、毛皮は副産物だ。」
「だが命を頂いた事に変わりはない。あの猪の命と引き換えに皆その肉を食べ、村の者は金と交換し、……命を引き継いでいる。ただの死ではなく、その身の全てを託しているようなものだ。……俺も死ぬならばただ死ぬのではなくそのようにこの身を誰かに託したい。」
……ここで残りの人生を過ごすつもりなら、それは俺に向けた言葉なのだろうか。それとも何も考えていないのだろうか。
夢ともとれる言葉だが、夢を語るのはやめると言ったはずだ。
「……お前の肉は筋肉質でさぞ固いだろうな。人肉を食うなどという話も聞いたこともない。現実的ではない。」
「俺の身体は特殊だ、死期を悟ったら里に帰り扉間に後のことを任せる。あいつならば俺の身体をすべてうまく利用してくれるだろう。」
「死期、か。そんなもの、わかるものなのか。」
「なってみんと、わからんな。」
これは夢ではないと、柱間の言葉を聞いて思った。夢ならば何が何でも叶えたいと考えるのが柱間だがこの話はもっと抽象的な望みだ。
「俺は叶えてやれんぞ。」
「言ってみただけだ、本気にせんでいい。現実的ではないのもわかっている。」
猪の残骸を見て満足したのか、家の方に足を向ける。その後ろをついて歩き、途中使用人が住む家を訪ねて今夜の食事は材料だけ置いていってくれればいいと言付けた。
夢ではなく現実を見ると言った、柱間の決意が少しだけ見えたように思う。現実は儚いものだと言ったあの言葉に込められた思いを。
「だがこの生活は食事以外の楽しみはなさそうに見えるが、マダラが望んでいたのはこういう生活だった、ということなのか?」
「……隠居とはそういうものだ。生活に刺激が欲しいならば悪いことは言わない、里に戻れ。」
「あ、いや……そういう意図ではない。マダラの考えをもっと知っておきたいだけぞ。……俺が知ろうとしなかったからマダラは里を去った。やり直すためにマダラのことを知るのは俺にとっては大事なことだ。」
……柱間は、こういう静かな生活は性に合わないはずだ。俺が知っている柱間ならば。それでも俺と共にいたいという思いの方が強いのであれば、それは執着と変わらないんじゃないか。
痩せ我慢してでも、という心意気は立派だがそんなもの長く続くわけがない。それも期限までに見極めが必要だろう。いくら共にいたいとて柱間がそのために何かを我慢するのは俺が望む形ではない。
友であることも、恋心も捨ててただ共に暮らす。それが出来ないなら生殺しのような状態を続けるよりも、すべて灰にして消し去った方が柱間のためだ。
「……隠居はお前にはまだ早いんじゃないのか? 子もまだ成人していないのだろう。普通はそういうものも全部終わらせてから隠居するものだ。そして見ての通り、隠居というものはつまらん生活だ。」
その日の天気やら庭にある草木やらのちっぽけな事にばかり目を向けてささやかな変化に気分が揺らぐ、そんなジジイみたいな俺の生活を俺の知っている柱間ならつまらないと思うだろう。
寝室の窓から外に足を投げ出して寝転がると柱間もその隣に同じように転がった。
「いつもこうしているのか?」
「こうするときもあるな。今日は風が心地良い。」
「ではそうでないときはどう過ごしている。風が心地良ければ天井を見ながら一日過ごしているのか?」
「基本的には鍛錬をしているが、今日はそんな気分ではない。」
「鍛錬……また戦が起これば向かうつもりなのか。」
「そうしようと最初は思っていたが、……いざそうなった時にどうするかは決めかねている。このまま静かに過ごすのも悪くない。ただ、身体が衰えるのは抵抗がある。」
「……そうか。確かにこの生活は……静かだの。……実は土産に酒でも持って行こうと思っておったんだがな、あまりにマダラの手がかりが見つからず一度諦めかけて自分で飲んでしまった! 夜風も涼しければ、今日は酒が美味かっただろうな。……馬鹿なことをしてしまった。」
……一応、探すのには苦労しているのか。ここが見つからんように色々小細工はしたが、こいつなら難なく見抜いて突破してきたのだろうと思っていた。
「どのくらいかかった?」
「……あまり言いたくはないが、一年と少しかかった。最初はマダラの戦の痕を追ったが、頑なに木の葉との接触を避けてきたマダラが簡単に見つかる場所に居を構えることはないだろう、と……もしかしたら旅を続けているかもしれんし、何度も棲家を変えているかもしれんと思うと、五大国の領土でない場所をしらみつぶしに当たってみるしかなかった。」
「ほう、随分と探したんだな。」
「マダラのことは俺の人生の唯一にして最大の悔いだ。諦めかけたが、……諦めなくてよかった。が、手土産を飲んでしまったことはすまない。」
「……そんなもんなくてもいい。」
あの戦いの真相がわかっただけでも十分だ。多くは求めない。しかし一年以上探し続けるとは大した執念だ。
……それだけ悔いているのか、こいつは。俺のことを。
一年以上という時間はやり直したいという言葉に重みが乗る。唯一にして最大の悔い、ならばさぞその悔いを晴らしたいだろう。こうして俺を見つけ出したのだから尚のこと。
それを思えばこれからの日々がいかに退屈であろうと、柱間は構わないと考えるかもしれない。やり直せるのであれば何でも受け入れるつもりがあるだろう。
「せっかくだ、今夜は星見でもするか。木の葉では見えんかった星もここでは見える。天にはこれほどに星があったのかと驚くぞ。」
「それはぜひ見たいな、旅すがら天など見上げる余裕もなかった……。里では見えないここだけの空を、マダラと共にこの目に焼き付けたい。」
……柱間は、俺が却下を出したときのことをきちんと踏まえている。望みは叶うはずだという夢は見ていない。きちんと現実を見ながら言葉を選んでいる。
この場所で星見など、この機会が最後かもしれないという言い方。
柱間は変わった、のか、変わろうとしているのか。やり直したい、そのために。一心に。
「だが、その前に夕食を作ってもらう。料理を振る舞いたいのだろう。材料は用意させる。作ってみろ。」
柱間は起き上がった。
「今日の夕食か、わかった。台所を見にいってもいいか。材料は何がある?」
「夕方に持ってくるだろう、何が来るかは知らん。来てから考えろ。台所は好きに使え。」
「……わかった、うまいものを作ると約束する! 台所、見せてもらうぞ。」
起き上がって、立ち去っていった。
あまりに何もなくて驚くことだろうか。
ただ幸い商人から調味料を買ったばかりだ。何かしら作ることはできるだろう。
……猪の肉はうちまで回ってくるだろうか。
使用人に食材の用意も全て任せている。自分の兄弟を大切にしろとも言い含めている。食べ盛りが4人食べることを考えると、客もいる俺のところまでは肉は回って来んかもしれん。
肉でないなら魚だろう。
煮付けは食べた。 畳に背を預けて初夏の日差しを遮る屋根を見つめながら時折吹く強い風が服を揺らす。井草の匂い、風が運ぶ葉の匂い、珍しくカラッと晴れた乾いた空気。……心地良い。
そんなささやかな幸せを感じながら、戻って来ない柱間のことが少し頭をよぎり、きっと脳を振り絞って何が作れるのか考えているのだろう、と思うとその様子が浮かんでくる。
「……」
……楽しみ、か。この感覚は。山に顔を出す筍を見ながらいつ掘り出すと1番美味いだろうか、と考えながら、どいつを掘り出そうか見て回っている時と同じような感覚。あれは春だけの特別な馳走だ。
柱間の作る料理が美味ければ、たまに作らせてみようか。美味いものはたまにしか食べないから良い。
使用人の料理に不満があるわけではない。きちんと美味いものを出してくる。ただ材料も調味料も限られている中ではどうしても似た献立の繰り返しになる。それが悪いとは言わない。これがこの村での生活だ。もっとでかい魚が良ければ自分で獲りに行けば良い。それをしないのは、与えるだけではなく与えられる立場を崩したくないからだった。
金を出すときは出す。力仕事が必要ならば手を貸す。困りごとには助言もする。その代わりに普段の生活では、受け取る事に徹している。俺がただのマダラだから成立しているこの村での立場。そこに柱間が加わるとどうなるだろうか。
柱間は色んな事を手伝わせてくれと言って回るかもしれない。畑を耕すのも、田植えをするのも、カラスを追い払うのも。それが良い事だと信じて与え続けようとするかもしれない。
だがそれはこの村での生き方とは異なる。
それを己の目で見て理解出来るかどうか見守るのもひとつ。……他人に目を向けるようになった。その対象が俺だけでなければきちんと気がつくだろう。
お互い様で持ちつ持たれつという生活の価値を。
足を放り出している窓の方に、使用人はやってきた。
「猪は、少しですが持って来れそうです。ただ、二人には少ないので魚もあったほうがいいですか。」
起き上がって、その顔を見る。長男、という顔つき。守らなければならない者がいる目。
「……そうだな、釣ってきてくれたら助かる。久々に蓮根が食いたい。それと山菜も欲しいな。あるか。」
「あります。蓮根に魚だと、南蛮漬けが良さそうですね。小麦も先月買ったばかりなので。山菜は……山を見て決めますね。」
「小麦は粉にしておいてやってくれ。あいつも同じように考えるだろう。」
「あのお客様が作るんですか? マダラさまにもそんな友人がいたんですね。」
「……あれと友人だったのは昔の話だ。だが今どんな関係と言われても答えに悩む。それで村の者には友と紹介した。」
「昔……にしては、今も仲は良さそうに見えます。」
「……腐れ縁だ。」
柱間は、山菜を食べたことはあるだろうか。料理したことはあるだろうか。山でしか採れない、日持ちもあまりしないものが多い。はじめて目にするとしたら、さぞ調理法に悩むことだろう。悩んだ末に何が出てくるか。
完全に楽しみに変わっていた。
猪も少しある。少しというのもまたいい。主菜に添えるには心許ない。ではどのような形で出てくるか。
また畳の上に寝転んだ。
昼の猪も美味かった。過ごしやすい気候。どうなるかわからん柱間の手料理。……今日は良き日だ。明日はどうなるかわからない。この小さな喜びと小さな憂いを繰り返すだけの穏やかな日々。この中に柱間は違和感なく入ってくることが出来るのだろうか。
風を感じながら横になっていたらいつの間にか陽が傾く時間になっていた。近づいてくる足音。襖が開く音。料理の匂いと共に柱間が声をかける。
「もうすぐ米が炊ける、炊き立てを食ってくれ!」
襖を開けたまま柱間は戻っていった。
上半身を上げて膝を立てて立ち上がり、あの顔は上手く作ったという顔だなと匂いで料理を当ててみようかと考える。
南蛮漬けではなさそうだ。肉は焼いたらしい。山菜は……ワラビだろうか。米の炊ける匂いがする。
「良いタイミングぞ! 並べるから待ってくれ。」
食卓に並んだのは、あまり見かけないものだった。蓮根で挟んでいるのは……魚をすり身にしたもののようだ。座ると、汁物も出てきた。味噌汁の中にワラビが入っている。最後に、猪の肉の塊を小さめに切った唐揚げが小皿で運ばれてくる。
「米は一合で良かったか? 炊き立てだからアツアツだぞ!」
茶碗に一杯分の米がよそわれる。
俺の食べる量をしっかり見ていたらしい。
柱間は山盛りに米をよそって席についた。手を合わせてから箸を取る。味噌汁を少し混ぜて椀を口元に運ぶ。昆布を出汁に使ったか。ワラビには鰹節の方が合うだろうと思っていたが、悪くない。
猪をひとつ口に入れて食べながら米を口に運ぶ。美味いが想像通りの味だ。気になるのは魚。使用人は魚をこういう風につくねのようにすることはない。これが1番手間のかかったものだろう。2枚のレンコンに挟まったそれをかじる。……ああ、なるほど。この食感は面白い。魚自体にはあまり味をつけず、蓮根にかかっている少し甘いタレが味を引き立てている。
「振る舞いたいと言うだけのことはあるな、妻の作るものをただ見ていただけではあるまい。」
柱間の嬉しそうな顔が一層輝く。
「美味いか! それは良かった!」
柱間も同じように食べ始める。……どのようにして学んだか語るかと思ったが、良かったの一言で終わったのが意外だった。
以前は何でもかんでも脳と口が繋がっているのではというほどよく喋っていたが。……それは会話ではなかったとどこかで知ったのだろうか。
「……魚をすり潰すとは、考えたな。」
「マダラは食感を気にしておっただろう。小ぶりな魚はどうしても骨があるからの。」
……俺の好みに合わせた結果?
ただ料理ができるようになって作りたいばかりかと思ったら、ちゃんと好みを考えて作るとは。
「随分と変わったな、お前は。」
「俺からしたらマダラも変わった。お互い様だろう。」
……本当に、別人のように変わった。
気を遣っている部分もあるのかもしれないが、自分ではなく他人を基準にして考えるということを自然にやってのけている。
予定よりも早いが、認めてやるか。……いや、もう少し様子を見るか。
「今、どう感じている。……どう考えている。」
口の中の唐揚げを飲み込んで、視線を食卓から俺の目まで上げた。
「……こうしてマダラと食事をしている今が、尊いと感じている。」
……今、か。
この今がいつ崩れるかわからない現実だと理解しているらしい。
柱間は、夢を語るのをやめた。現実を見ると言った。現実は儚いものだと言った。もう友人の関係には戻らない覚悟を見せている。
その石は、もう俺の手に届いている。
柱間が一度決めたことは何があっても曲げない男だと、俺は知っている。
食事作りは皿を洗い終えるまでだ、と食器や調理器具をしっかりと洗って水分を拭き取り棚に戻していく。使用人もその様子を見て風呂場の方へ向かっていった。風呂場を洗って湯を溜めてくれるのだろう。
柱間は食器を全て棚にしまい目の前に座った。
「それでどうだった、俺の料理は。」
「振る舞いたいというだけの腕前だ、美味かった。」
「それは……良かった。時には……あや、何でもない。星見は風呂の後か?」
「ああ、ゆっくり見たいからな。先に風呂入ってこい。」
「……マダラは一番風呂にはこだわらんのか、それとも後の方がいい理由が何かあるのか?」
「お前は客だ、客に先に入らせるのが普通だろう。」
客、という言葉に納得したようだった。まだこの家では客の立場だ。柱間は何かを飲み込んで、支度をしてくると部屋に戻って行った。
屋根に梯子をかける。
一歩踏み出すごとに、足場をくくりつけている縄がぎしと軋む。
「とことん普通の人として過ごしておるのだな、ひと蹴りで上がれる高さをわざわざ梯子で登るとは。」
「お前もそうしてくれ。忍だと知られたら対等ではいられなくなる。」
屋根に上がると、柱間も梯子を登り始めた。
いい天気だ、雲ひとつない。星見には絶好の空。
屋根の上に寝転ぶと、視界が天で埋め尽くされる。所狭しと光るあのひとつひとつ、瞬くものは太陽のように光っているのだとどこかで聞いた。そうでないものは月のように光っているのだと。
隣に寝そべった柱間が「おお……」と声を出す。
「これは……確かにすごいな。見えておらんだけで星はこんなにもたくさんあったのか……。」
満天の星、とはよく言ったものだ。天を満たすように光る星。俺もここに住んでからはじめてこの星空を知った。
きっとここでも見切れないほどたくさんの星があって、見えないだけなんだろう。
静かに星を見る柱間が少し意外だった。童心を忘れていないならばもっとはしゃぐかと思っていたが。
「この中に好きな星はあるのか。」
……好きと言われても判断基準が難しい。ひとつひとつではなくたくさんの星があってこの空になっている。
「……敢えてあげるなら……子の星だな。ほとんど動くことがない、いつでもあの場所で力強く光っている。」
「異国ではあの星を太乙と呼ぶらしい。天の中の最上神という意味だとか。」
「そう呼ばれる理由もわかるな、あの星は特別だ。……尋ねるからにはお前にも好きな星があるのだろう。」
「俺は……天の川が好きぞ。天文学者はあれらの星々は遠く離れていると言っておったが、俺たちには川のように集まっているように見える。ひとつひとつは独立した星だが川の流れのように見える。まるで何かを示しているかのようだ。」
天の川もまたここから見るとよりその存在感が強く感じる。川の流れのよう……こいつにとって川は特別なものなのだろうか。
「偶然が重なってそう見えるだけで意味などないのは知っておるが、人とは無意味なものにも意味を見出そうとする癖がある。俺もまた同じだ。」
……流れとは物理的なものだろうか。時間的なものだろうか。……柱間は天の川に何かの意味を見出しているのだろうか。
まあ、この星空を見ていればどうでも良くなる。俺たちなどちっぽけな存在だと思わせるこの満天の空を。
「……この光景には確かに酒は無用だな。星をじっくりと見るだけの事がこんなにも飽きないとは思わなんだ。」
「いいものだろう? 天気が良くて幸運だったな。雲で陰るのも悪くないが、こうして天の端から端まで見れることは滅多にない。」
「……そうか、俺はつくづく幸運だ。」
その後はお互いに何も口にすることなく、ひたすら夜空を見上げた。月明かりが強い。あの光で見えない星もあるだろう。大きく強い光のすぐそばにも多くの星がある。見えないだけで、今見えている星以外にも、きっと想像できないほど多くの星がある。
意味のないことにも意味を見出そうとする、か。
柱間はこの空から何かを見出そうとするのだろうか。
頃合いを見て起き上がった。
「俺はもう寝るが、お前は好きにしろ。ただ屋根の上では寝るなよ。」
「ああ、もう少し見ていたい。これが唯一の機会になるかもしれん。この目に焼き付けたい。」
天に視線を向けたまま答えた柱間をそのまま置いて、梯子を降りる。
いつまで見ているつもりだろうか。あいつは俺がもう答えを出したことを知らない。
いつどのタイミングで伝えるかはまだ考えていた。
約束の日に伝えるのか、明日起きて朝食をとってから伝えるのか。
ただ、柱間はまだ設計図も何も用意していないだろう。……やり直す、のであれば俺もその設計図作りに関わってもいいはずだ。何せここは俺の家だ。
部屋が増えて食事も二人分になるならば使用人に渡す金も増やさなければならない。この塩梅は案外悩まされる。高すぎても低すぎてもだめだが、使用人の方にいくらあれば足りると聞いてもあの男は遠慮して控えめな金額を口にするだろう。
家の掃除も洗濯も料理も、布団を干すのも全て任せている。本職ではなくともそれによって助かっているのは事実だ。だが相場よりも高すぎてはいけない。そしてその相場は場所によって異なる。この村の中で家事の一切を任せるに相応しい金額は、そんなに高くない。
あの弟たちは元気だろうか。最近見に行っていなかった。給料を上げる話のついでに顔を見に行くか。成長期だ、背もぐっと高くなっているかもしれない。
自分の子ではないが、関わりがある分気にはなる。今の給料できちんと食わせて服も必要なものも買えているだろうか。
……あの男の父母は出稼ぎ中戦争に巻き込まれて死んだと聞いている。その話を聞いて思わず時期と、場所を確認した。
俺が関わった戦争の可能性が高かった。
武装している者以外は斬っていないが、もしそうであれば……あの男の父母の死に、俺が関わっていたかもしれない。
可能性の域は出ない。
ただそういう形で戦争で命を落とす者がいることを、俺は知らなかった。
それであれば、あの者だけでなく、俺はもっと多くの者の大切な人を間接的に死に至らしめてきたのかもしれない。
だからどう、というわけではない。下に兄弟が多くいる事を、自分に重ねているわけでもない。償いがしたいわけでもない。
ただ見て見ぬ振りは、出来なかった。
見届けなければならないと思う。そうして死んだ者と、残された者の行く末を。
柱間の考えを借りるならば、この者たちは月明かりで見えないが確かにそこにある星そのものだ。
