もういちど
知識と技術
朝起きるなり、柱間は笑顔で礼を口にした。
「昨晩は素晴らしい景色をありがとう、夢中になって見てしまった!」
まだ目が完全に覚めてもいないのにその大声は耳に響く。騒がしい……が、まあいい。早く慣れておいた方がいいだろう。
「……それはお前が幸運なだけだ。たまたま猪が獲れたのも、たまたま天気が良かったのもお前の運が引き寄せたものだ。」
賭け事は弱いが柱間は昔から強運だ。それが当たり前で本人はわからないかもしれないが、こんな幸運が続くことなど稀にしかない。
「俺も昨夜の星見は久々に雲ひとつない空を見られた。柱間の幸運にあやかれた。」
「……そうか、ならばこの先もマダラとこの幸運を分け合いながら暮らしたいものだ。」
この先も、と言った柱間の顔を見る。だが夢を見ている顔ではなかった。俺が答えを出している事をわかっているのだろうか。
「ああ、すまない。深い意味はない。まだマダラの試験が終わっていないのも承知している。ふと浮かんだだけだ。ついそれを口にしてしまった。」
脳と口が繋がっているのは相変わらずか。深い意味はないと言うなら言及は避けよう。馬鹿みたいに夢を見ているわけではなく地続きの現実の先が浮かんだだけだろう。
「今日こそは何も用事はないが、図面を書くと言ったのは進んでいるのか。」
「いや、それがまだなかなか。とりあえず俺の部屋はこうしたい! とだけは考えてある。具体的な図面にはまだ起こしておらん。」
「なら今日はそれを作るか。丸いちゃぶ台あっただろう。俺の寝室に運んでおけ。」
心なしか浮き足立っているいるように見える柱間があのごちゃごちゃの中からちゃぶ台を取り出そうと周りのごちゃごちゃを避けているのを見て、少しかかりそうだなと洗面所に向かった。
鏡に映る自分の顔はいつもと変わらない無表情だがどこかいつもと違うような気がする。
写真など撮れないから昨日の顔を思い出すしかないが、ひとつひとつのパーツは普段と変わりない……ように見えるが全体を見るとやはり何かが昨日までと違う。
その原因は予想がつく、柱間だろう。
ただどういう方向に変化したのかはよくわからない。使用人に聞いてみるか。……いや、微細な変化だ。何となく違和感がある程度の。
冷たい水で顔を洗って、タオルで拭き取った。
「これが俺の部屋ぞ、6畳でな、窓がこっちだろう、両側に押し入れで、入り口の横のここに箪笥を置きたくてな。」
「……俺の寝室よりも広くするとはなかなか肝が据わっているじゃねえか。それも押し入れを2つとはどれだけこの部屋に物を置くつもりだ。」
「む、マダラはもう一室を物置にしておるではないか。ふたつ部屋が欲しいとまでは言っとらんぞ。その代わり少し広くしたいだけで。」
「……窓は南向きか西向きどちらがいい。」
「どちらでも構わんが、そうなると増築する場所はマダラの寝室の隣か、廊下の奥か?」
「いや、居間……今あてがっている部屋の隣でもいい。」
「いざ作るときに職人に意見を聞こう。この部屋は確か太い柱があったな? 構造的にはこちらに部屋を作った方が今の造りを大きく変える事なく作れると思うが……。」
「生活する空間はなるべく区切りたい。俺は寝る場所はこちらに固める方が好みだ。柱の位置が気になるならここにもう一本柱を立てればいいだろう。」
「簡単そうに言うがそれでは大掛かりな建て替えになるぞ。柱を増やすならば増築するここだな。工事は何日もかかるだろう、その間雨が降ったらこの辺りが水浸しになるぞ。」
「職人もそのくらい心得ているだろう。対策はしっかりするだろうよ。」
あれこれと話をしたり今の家の構造を分析したりしながらいつの間にか昼になっていた。
結論としては俺の部屋の隣に作るのがいいだろう、という話で図面を作ることになった。
昼食後、食べ終えた食器を台所に戻し、それを見届けた柱間は図面の続きを書こうと部屋に足を向けた。その背中に向けて言う。
「そういえばお前の石、受け止めたぞ。」
置いた食器に水を出して浸す。歩むのをやめた柱間は動く気配がない。よく聞こえなかっただろうか。それはそれで構わない。約束した日に改めて言ってやろう。
特別なことも特別な言葉も日常と現実の上にある。仰々しい告白や決意を込めた一言で言い表すつもりはなかった。だから共に住むならば柱間にもその意図を理解して変わらぬ日常がこのようにして続いていくのだと静かに噛み締めて貰った方がいい。
「マダラ、……もし聞き間違えていてはならん。もう一度言ってくれんか。」
「……三度目はないぞ。お前の石は俺に届いた。」
柱間は、静かに「そうか」と呟いた。少し震えている声で。大袈裟に喜ぶこともなく。意図は伝わったと思って良さそうだ。
「少し出かける。好きに過ごせ。」
玄関の下駄を履いて外に出る。今日もいい天気だ。ここのところ晴れ続きだが、このまま晴ればかりでは井戸が枯れかねない。作物の育ちにも影響する。人にとっては晴れの方が過ごしやすいが、雨も降ってくれなければ……色々と不都合もある。
家を建てた職人の爺さんの家に向かう。普段は山の麓で薪を作っている。家よりも大きな薪小屋に積まれた薪を見ると、これをこさえたのが70過ぎの爺さんとはとても思えない。しかしこの薪はしっかりと乾いていてよく燃える。こういう腕の持ち主がいるだけで暮らしぶりはかなり変わる。
家の中にいる可能性は低いが、一応戸を叩き呼んでみた。
「マダラだ、頼みたいことがあって来た。」
やはり家の中には気配がない。山に出ているのだろう。仕方ない、探すか。
村人たちの通り道となっている山道をぐねぐねと曲がりながら歩く。あの爺さんが居るとしたら椎茸の菌床の辺りだろうか。……そういえば柱間は茸が好きだったか、苗床を見たら喜びそうだ。
太い丸太がそこかしこにある場所に着く。爺さんはやはりそこにいた。俺がきた来たのを見て表情も変えずに言う。
「仕事か?」
挨拶もないのは相変わらずだが話が早い。
「家の増築と、その部屋に置く箪笥を作ってもらいたい。」
山を降りながら、増築する場所と部屋の仕様を話す。建ててから何年かしか経っていないからその時の設計図がまだ頭の中にあるのだろう。
「少しだが一仕事だな。箪笥に関しては弟子に任せて構わんか。」
「……使えるものさえ作ってくれれば誰が作っても構わないが、いつの間に弟子を取ったんだ。」
「俺もそろそろ歳だからな、育てねえと皆が困るだろう。じきに来る頃だ。」
大きな薪小屋の屋根が見えて、誰か男が声を張った。
「マダラさん、仕事ですかー?」
何だか頼りない声だが……聞き覚えがある。
「あんなに若いのでいいのか?」
「若い方が吸収は早い。……おめぇに仕事だ! 金貰う分以上にしっかり作れ!」
狼狽える若い男は、うちの使用人の一番下の弟だった。
「久しいな、今いくつになった。」
「数えで16です! 何を作ればいいですか?」
「早いものだな、もう青年か。うちに客が来ているのは知っているだろう。そいつがこのまま住むことになった。整理整頓というのが苦手なようでな、箪笥と……押し入れを整理できるような物を作ってくれたらありがたい。」
「箪笥ですね! 何段ぐらいにしましょう? ごく一般的な物で構いませんか?」
「そうだな、出来れば桐が良いがこの辺りにはないだろう。材木選びも任せる。いいか?」
初仕事なのだろうか、緊張しながらも張り切っている様子がよくわかる。いい練習の機会になれたらいいが。
「おやっさん! ちと現場見に行って良いですか?」
「あー、その箪笥を置く部屋はこれから俺が作る。実際に使う奴の話よく聞いて来い!」
「承知です!」
物作りの心得はもう教え込まれているようだ。技術力を上げて行って貰わなければな。あの薪も椎茸も、無くなってしまっては困る。
道すがら、柱間との関係を聞かれて「腐れ縁の同居人」と答えたが、ピンと来ていないようだった。設計図を書くちゃぶ台のある部屋の窓を開けると、紙に向かっていた柱間が顔を上げた。
「あいつだ。」
「はじめまして! 箪笥を作らせて貰います! ええと、何とお呼びしたらいいですか?」
柱間はあまりに若くて驚いたのか、あまりに展開が早くてなのか、呆然としながら「柱間でいい」と答える。
「では柱間様! どのような箪笥がいいか尋ねに来ました、大きさは……」
話を続ける男に向けて手のひらを見せる。
「すまん、その呼び方はやめてくれ。……"柱間さん"で頼む。」
……ああ、そうか。里でずっと柱間様と呼ばれていたのが気にかかるのか。
入れる服の量と、例えばこの村で婚礼があった時の服も用意した方がいいだろうか、逆に訃報があった時の服は、と相談し始めた二人を置いて、家の反対側でいつも洗濯をしている使用人の方に向かう。
「あれ、マダラさまが来るなんて珍しいですね。」
大きな桶に水と石鹸を混ぜた液を入れて服を浸す使用人に、柱間が今後住み着くことになったと話して、昼過ぎに給金の件で改めて訪問すると伝えた。
「あの方のことは何とお呼びしたら良いでしょうか?」
「名は柱間だが、様を嫌がる。"柱間さん"あたりにしてくれ。……俺のことも今後は"マダラさん"で良い。ところで、一番下の弟はずいぶんデカくなったな。他の二人も元気か。」
水に浸した服を揉み洗いし始める。表情が曇った。
「二番目の弟が、最近肺の病になったようで……ずっと咳き込んでいるんです。薬を買いに行きたいと思いつつ、いくらあれば足りるのか……街までも距離があってどうしようかと……。」
……様子を見る理由が増えたな。
街……多分柱間がまた買いに行くだろう。ただ、増築部分の完成を待っては病が進む。
単に咳だけなら良いが、ずっとというのは気にかかる。細菌によるものならば薬を飲まなければ良くはならない。しょっちゅう咳き込んでいるのならどんどん体力が減っていく。
「いつ頃からだ、飯は食えているのか。」
細菌が原因ならば他の兄弟にも感染りかねない。早めに対処した方がいい。
「ここ4日程です。食事は食べれていますが、ずっと臥していて……。」
4日なら……そろそろ他の兄弟にも感染る頃合いだ。薬は多いに越したことはない。しかしどう手配するか。
田植えの時期だ、丸一日人手を貰うのは難しい。俺が動くのが一番簡単だが、この者は代償を払わなければならないと考える。薬代もある。適任なのは、
「マダラ、そんなところにおったか。」
ひょこっと顔を出したこいつ、柱間だ。
「柱間、お前今後この者と、その弟の世話になるだろう。街まで少し使いっ走りに行けんか。」
「……なんぞ困りごとか? 勿論行けるが、何を買ってきたらいい。」
「薬だ、買いに行く前に診てやってくれ。お前なら何の薬が必要か分かるだろう。」
「……病か、任せてくれ。得意分野だ。案内を頼む。」
使用人に目配せする。祈るように頷いた。……箪笥代と交換になるかもしれんな。
兄弟四人が住む家に向かう。途中田植えをする人々を横切りながら、咳き込む音が聞こえる平屋の戸を叩いた。
「入るぞ!」
勝手知ったるわけではないが以前にも来たことがある。咳き込む音の方に向かうと、9畳ほどの大きな部屋の端で臥している者を見つけた。柱間が早足で近づき膝をつく。
「熱……もあるな。咳はいつからだ。少し胸元を開くぞ。」
胸に耳を当てて音を聞いているらしい。
「軽い咳が、ケホッ、ケホッ、……4日前で、熱はその次の日、ケホッ、……で、止まらなく、ケホッ」
「熱は上がっているか、ずっとこのままか。」
「……上がって、ケホッ」
「わかった、薬を手配しよう。水は飲めるな? 大丈夫だ、しっかりと治る。」
頷いたその頭を撫でて、柱間は立ち上がった。
村から街に続く道に出る。急足ならば夜には帰るだろう。だが柱間ならもっと早く行って戻ることが出来る。しかしそれは禁じ手だ。
「わかっているだろうが、普通の急ぎ方でいい。急ぎたい気持ちはわかるが、普通に行って帰ってこい。」
「……心得ておる。この村には薬も十分にないのだな。」
「十分に……というより、ないの方が適当だ。感冒薬程度なら持っている者もいるが、あれは見たところ肺炎の初期のようだ。」
「マダラ、この村での俺の身の置き方……薬に詳しい者としても良いだろうか。いちいち街に行くのではなく、ある程度のことはすぐ対応出来るように色々用意したい。」
「だがそれを対価なしにやるのは駄目だ。お前の薬と薬の知識の価値の分、何かと交換しろ。それならば良い。薬の価値は……この村では高い。」
「……道すがら考える。では、行ってくる。」
駆け足で街に向かう後ろ姿を見送り、去年同じように肺を悪くして亡くなった老人を思い出す。
病に罹れば運が悪ければ死に至る、そういうものだとこの村では認識している。特に老人は体力もあまりない。街までは気軽に行ける距離でもない。
その中で柱間の存在は有り難がられるだろう。しかし与えるばかりになっても駄目だ。
その線引きを、あいつはどのようにするのか。
