もういちど
若者
家に戻ると職人の爺さんが訪れていた。俺に会いに来ていたのだろう。
「すまない、野暮用で抜けていた。増築の件、一応設計図……ではないが、こうしたいというものを書いている。」
窓から部屋に上がって紙をいくつか持ち、爺さんに見せる。
「新しい住人が増える関係で、寝室を増やしたい。物の整理が不得手な奴で、部屋の両側を物置にしたい……というのが要望だ。」
爺さんはいくつかの増築案を眺めて、ふむと頷く。
「この部屋の隣に作るのが良いだろう。これ以上人が増える事はないと思っていいな?」
「人は増えないが、もしかしたらもう一室必要になるかもしれん。薬を保管するための部屋……というより物置のようなものになるが、これは別棟でも構わない。明日また詰めて伝える。」
「覚えておく。この図を見ると、隣り合う寝室の窓側に縁側が書かれているがこれも作るか?」
……あいついつの間にこんなものを……。しかし縁側か、繋がっているのはどうかと思うがあって困るものではないな。
「作るとしたら屋根をもっと伸ばさなければならんだろう。大掛かりになるようならなくても構わない。」
「誰に物言ってる、この村の家はすべてこの俺が建てたんだ。」
50年以上家を建ててきた爺さんだ、安心して任せるとするか。
「田んぼで人手がないと思うが、俺ともう一人も何か出来ることがあれば手伝わせて貰う。金は惜しまん、いい部屋を作ってくれ。」
「任せておけ、請けるからには100年持つ家にする。」
増築の金は柱間に全額出させるとするか。それなりに持ってきていると言っていたし、俺を見つけたらそのまま転がり込むつもりでいたくらいだ。
次は使用人の給金の話だが……弟の薬代だけでは済まなさそうだ。俺は感染性の肺炎と見た。であれば本人には去痰剤に咳止めと抗生剤、他の3人も念のため抗生剤を一週間、と考えるとかなり金がかかる。
箪笥を作らせるとは言え、箪笥代が全てなくなりかねない。薬の原価に街までの往復、診察と考えると、今まで村に立ち寄った医者はかなりの金額を要求していたと聞く。そこを柱間がどうバランスを取るか。
4人分の薬、となると高いからいらないと言うかもしれない。ただ発症したらもっと金が必要になる。……まあ、このあたりは柱間に任せよう。
しかし給金は住む者が二人になったからニ倍、という単純な話でもない。食料代は二倍でいいだろう、家事代としていくら渡すのが妥当か……。高すぎても低すぎても駄目だ。三人交えて話をした方が良さそうだ。
爺さんが帰っていくのを確認して寝室に座る。柱間はどれだけ薬を買い込んでくるだろうか。
この村で重篤な感染症や怪我人が出た事はない。肺炎の爺さんも寿命だったと受け止められていた。戦と違って手足を失うような怪我も余程ないだろう。川遊びする年の子も今はもういないし山も人が入る道はそれなりにきちんとした道になっているから安全に登れる。急な崖もない。薬の出番はほとんどないように思えるが、村の者とあまり深く接してこなかったから知らなかっただけかもしれない。
やり直したいと言う柱間に共に住んでいいとは言ったがあいつはここでどう過ごすのだろうか。
里での役割から抜け出してもまた自分の役割を作ろうとしているように見える。何かを担っていなければ落ち着かない性分なんだろうか。
庭を眺めながら、そういえばあの紫陽花はそろそろ蕾が綻んできただろうかと考える。
紫陽花の花弁に見えるところは実は花弁ではなく萼で花の部分はその中央のほんのわずかな部分だとどこかで聞いた。花弁ではなく萼が土の酸化度に応じて色づき丸く形作る。植物学上は萼だとしても見た目が花弁のようならば花と言ってしまって良い気がするが、植物に詳しい者からするとその違いは重要らしい。
下らんな。
だがそういう下らん事に心血を注ぐ事自体は悪いとは思わない。それだけ植物を愛しているという事なんだろう。実際どうであれあれを花弁と認識して紫陽花の花は綺麗だと論じるのも、いやあれは花弁ではないから紫陽花の花は実際はまるで目立たないほんの小さなもので綺麗とは形容できないと論じるのも、どちらも間違いではない。注目する点の違いだけだ。
木の葉隠れの里においては、俺は後者の考えで柱間は前者の考えだった。
勝ち負けよりも平和な里を共に築けた事に注目した柱間と勝ち負けにこだわり続けた俺と。見ているところが違った。それだけだった。
柱間は今、俺を花弁と見るだろうか。萼と見るだろうか。
使用人が夕食を作ろう、というところで柱間は帰ってきたらしい。あの家に立ち寄り、薬を飲ませて、何やら紙袋を抱えて帰ってきた。どうせ中身はすべて薬なのだろう。
「夕食に間に合うかどうかと思ったが、間に合ったようだ!」
晴々とした顔であてがった部屋に紙袋を置き、調理の下拵えをする使用人の隣に立つ。
「もう大丈夫だ、あの弟の薬は買ってきた。ただ、一週間毎朝飲む必要がある。管理は出来るか。」
深々と頭を下げる若い男。その肩に手を添える柱間。
「……ただ、あまり……お金がなく、一週間分もとは……。」
「なんの、箪笥代でチャラだ! あれもお前の弟だと聞いた。その代わり頑丈な箪笥を作るように言ってくれ。あと作って欲しいものが増えた。薬棚が欲しい。明日改めて頼む予定だ。」
……一週間飲むならば抗生剤だろう。細菌性の肺炎だ。……他の兄弟には飲ませないつもりだろうか。まあ、一週間分の薬というだけでこの者は金の心配をしているのだから……全員にというのは現実的ではないが。
「今日の夕食も楽しみだ! しかしさすがに街までの往復、足が疲れたな。俺は少し休ませて貰う。出来たら教えてくれ。」
にこやかに笑いながら自室に戻ろうとする柱間の手首を掴んで俺の寝室まで引っ張った。
「な、なんぞ? 何か言ってくれ。」
襖を閉めてちゃぶ台の上に散らかった紙を避ける。
「薬はいくらだったんだ。」
「箪笥代よりは安いぞ? 抗生剤と去痰剤に咳止めだ。行き来の脚代と、軽い診察。であれば箪笥と同じくらいかと……思ったが、何か間違っていたか。」
「……箪笥ひとつの値段をいくらだと読んだ。」
「どのような出来栄えかによるから今の時点では何とも言えんが……安くて5万円、高くて10万円というところか。」
「金細工などはない、質実剛健たるものが出来上がるだろう。見習いとはいえ教えているのはベテランの爺さんだ。生半可な出来栄えでは良しとしない。」
「……それは……箪笥とチャラ、では不平等と言いたいのか。」
「爺さんだがあの職人はなかなかの手腕だ。出来上がる箪笥を見てから価値を測れ。その上で薬代とお前の知識の代償と見合うか改めて考えろ。それに箪笥が出来上がればあの者の処女作になる。はじめて作り、はじめて手にする己の金になる。それがどれだけ特別な意味を持つのか、わかるか。」
「つまり俺は金に関しては心配するなと言いたかったが、それは俺の考えの押し付けであったと……いうことか。」
「あの者がその特別な金を何に使うのかまで縛っては駄目だ。まあ、十中八九薬代に、となるだろう。だがあの者が兄弟のためにそれを選択する自由までは奪ってはならん。初仕事というのはそれだけ特別だ。」
柱間はすっかり落ち込んだ顔に変わってしまった。しかしこいつに悪気がないのもわかっている。悪気がないから厄介なところもあるが、共に暮らすと決めた以上はこうしてひとつずつ教えなければならない。
「ただお前が来たことで職人が弟子に教える機会ができた。今までは見守るしかできなかった病も対応できるようになる。柱間の存在はきちんと価値がある。失敗と思わず改めて伝え直せばいい。言ってこい。」
頷いた柱間はすぐに立ち上がって部屋から出て行った。どのように言うかはわからんしどれだけ言いたいことが伝わったかもまたわからん。
……家具は一生物の財産だ。初期の肺炎の薬一人分ではとても見合わない。恐らく柱間は自分で新しく家具を買うということはした事がない。すでに家にあった家具を使ってきただろうし、妻にしても嫁入り道具として持参しているだろう。何せ千手の当主の嫁に入るならば相手もそれなりの家柄のはずだ。
この家を建てるときも職人の様子を見てなるほどこの技術には価値があると知った程だ。腕のある職人が手がけるものほど価値がある。
そしてその職人の弟子である末の弟。はじめて人のために作る家具。はじめて自分で手にする対価。一生に一度しかないその機会を、他人が勝手に使い道を決めては駄目だ。
柱間が戻ってきて襖を閉めた。
「安心してくれ、きちんと意を汲んで話をした。薬代は割賦で良いと言い含めた。支払えるときに支払ってくれれば良いと。相談に乗ってくれ。街への往復……丸一日の人工と考えて7千円、薬代が1万円と少し、診察はどのくらいが適当だと思う。」
向いに腰を下ろしたその顔は真剣だった。
「今まで呼んだ医者は……まあ、脚代と薬代も含めてだが、5万くらいは請求している。足を見られているのか本当にこのあたりではそれが相場なのかは知らん。」
お前は俺の言葉を聞いて何が必要だと判断する。
考え込む様子を観察しながら、どう答えを出すのか試す。今の柱間なら答えに辿り着けるだろう。
「……明日、また街に行ってくる。街の医者がいくらで診察をしているのかを見に行く。」
ふっと笑った。柱間は本当に変わった。扉間あたりが見たら驚くだろう。
「……いい答えだ。だが明日出かける前に薬棚だったか? それの仕様を書いてあの者に渡してから行け。薬や診察に専用の小屋が欲しければそれもだ。この村で重篤な感染症は出ていないが……隔離する必要がある病が出たときのことも専門家として考えろ。」
柱間も笑った。
「マダラと共に隠居の身として暮らせる事が楽しみだったが、なかなか忙しいな。」
「己が蒔いた種だろう、しかと収穫するんだな。」
「……ああ、言葉には責任を持つ。ここはただ二人で住むだけではないのだな。村の中の一人として……早く慣れてみせるぞ、俺は。」
襖の向こうから、食事ができたと呼ぶ声がする。
立ち上がってふたり、台所に向かった。椎茸の出汁の匂いだ、柱間が喜びそうだな。
やるべき事を見つけた柱間の動きは早かった。爺さんも数日で設計を考えたらしく、山で木を切り倒すのを運んでくれと力仕事を任される。
一人でも持てるが、弟子と共にでかい木の幹を運んだ。その往復をして、その幹を柱と板材にするらしい。その先は二人の仕事だ。
でかい木だった、いい部屋になるだろう。縁側にもあの木を使うのだろうか。しばらくは木の匂いが楽しめそうだ。
足場がかけられていよいよ増築部分が作られていくのを柱間と共に見ながら、楽しみだと言う柱間に同意した。
寸法通りにピタリと板がはまるのを見るのは気持ちいい。時折手伝いながら、途中から田植えを終えた村人もやってきて、それからは早かった。
要望通りの押し入れが両側にあり、縁側が新設された寝室。はじめて作ったものとは思えないしっかりとした箪笥。薬棚はまだこれから作るらしいが、きっとうまく作るだろう。
「いや立派な箪笥だ! こんな若さで大したものだ。金額を聞いておらんかったが、これはどのくらい価値があるものなんだ?」
引き出しを開けたり閉めたりしながら、柱間は作った職人に尋ねる。しかしはじめてだからだろう、金額を答えるのに悩んでいるようだった。
「爺さんに聞いてこい、これの価値がどのぐらいあるのかを。」
駆けていく姿は16歳の青年だ。ただやり切った、充足した顔。あんな顔を見るのも悪くない。
「聞いてきました! その、はじめてにしてはいい出来だと、褒められまして。」
つまり値が張るんだろう。口にしてもいいものなのか迷っているようだ。初々しく可愛らしい。
「いくらだ。金ならある、言ってみろ。」
「ええと……、きゅ、きゅうまん、円です……。」
下を向いたそいつの前で屈んで顔を見た。
「いい仕事をしたじゃないか、誇れ。」
「ああ、実に良い腕だ! 今後が楽しみで仕方ない! 薬棚も頼んだぞ!」
背中をバシッと叩かれて、若者は背筋を正した。
「はいっ! 心を込めて、作ります!」
やる気に満ち溢れた顔、兄……使用人が見たらきっと頼もしく思う事だろう。柱間は部屋に戻って、簡素な封筒を若者に渡した。
「9万円、確かめてくれ。良い箪笥を作ってくれた事を改めて感謝する。」
中身を確かめて、心からの笑顔を見せるその者を見て、他人だが人の成長をこうして見るのは贅沢だと思う。
柱間はどう思っているだろうか。この格別な瞬間を。
