もういちど
猪
「しかし、一週間とはいえ泊まらせてもらっている立場だ。何かマダラに出来ることはないか。何もないならば宿代と食事代だけでも。」
猪が焼けるのを待ちながら、四畳半の部屋に胡座をかく柱間が俺の目に訴える。
聞いた事をすぐに実践に移そうと考えるのは褒めてやろう。柱間が言うことは最もだ。部屋をひとつ占領しているのだからその分の何かを渡したいというのも当然だ。
しかし単に金で解決するのもつまらない。
どうせならこいつ自身が動いて苦労する思いをさせてみたいところだが、まあ柱間だ、何をやらせてもうまくやるのだろう。
……いや、まだうまくやれるのかどうかわからないものが残っていた。妻が作るのを見て覚えたという料理。それも、調味料や材料に乏しい俺の家の台所で、こいつがどう腕を振るうだろうか。興味がある。
見ていたとはいえ食材も調味料も調理器具も揃っていた環境と俺の家では勝手が違うだろう。試しに今夜の食事を作らせてみるか。
「マダラさま……とご友人さま、出来ました!」
襖の向こうから声をかけられて、立ち上がった。
猪を一頭丸ごと、は結構な量だ。村中の今日の食卓に猪が出ているのだろう。新鮮だからこそ食べられる部分を先に食べて、赤身なんかはある程度保存できるように干すのが決まりのようになっていた。
猪の肉は山に近くなければ手に入らない。行商が訪れた時に現金を得る貴重な機会でもある。その貴重な金を使って塩や醤油や味噌を買う。この村では調味料は貴重なもののひとつだった。
串に刺さっている猪の肉に少し塩をつまんでパラパラとかける。新鮮な肉には少しの塩だけで十分なご馳走になる。
焼き加減がいい、表面がほんの僅か、カリッと焼けているが中はほとんど生のままだ。生の肉の甘さ、鮮度がいいことがよくわかる弾力、ひとくちの大きさもちょうどいい。久々の肉がこれだと嬉しいものだ。
柱間も俺がやるのを真似て塩をかけて肉の一つに齧りつき串から外して口の中に入れた。もぐもぐとしながら次第に目の色が変わり、俺に何かを訴えようとしてやめた。食べる方に集中することにしたらしい。
最初に食事を共にした時に冷めるから早く食べろ、と言ったのを意識しているのだろうか。
だとしたら、柱間はこの家の中で相当に注意を払っているのだろう。美味いものを食べればすぐに「美味い!」と口にする奴だった。調理した側からするとそれは嬉しかろう。だが使用人はもう帰っている。
ひとつの肉を飲み込んで、ようやく柱間は喋った。
「猪とはこんなにも美味いものなのか! 美味いものは色々と食ってきたが一番に匹敵する美味さだ! 肉がこんなにも甘いものだとは知らなんだ!」
気持ちはわかる、俺も最初に猪の新鮮な肉を生で食った時には驚いた。肉を生で、というのは抵抗があったが、騙されたと思って一切れだけと口にしたそれは今までに味わったことのないものだった。
「……たまに食べるからこそいいんだ。それにこの食べ方は絞めてすぐでなければ出来ん。」
「それは、つまり貴重な機会だということだな。俺は幸運だ……焼きたての美味いうちに全て頂こう。」
美味そうに……目を輝かせながら味わう柱間の様子を見ていると、美味いものがより美味く感じる、ように思う。
……そういえば、あの広い屋敷に俺一人だけになった時、何を食べても味気なかった。イズナと共に食べていたからこそどんな食事でも美味いと感じていたのかもしれない。
日々の食事が変わる。隠居生活の中でそれが持つ意味は大きい。今日は何だろうと思いながら食卓に足を運ぶ、俺の生活の中で予測できないのは日々の食事だけだった。その食事がより美味くなるのなら、俺にとっては柱間と共に食べるだけでも価値がある。
「最後の一切れ……勿体無いが食べねばな。猪の命に感謝する……。」
目を閉じて口の中に集中しているように口を動かしながら、よくも食事でそこまで全力で喜べるものだと思う。……だが、悪い気はしない。
食べ終わった柱間は猪を見たいと言い出した。見たい気持ちもわからなくはないが、食べられる部分はもう除いた後だろう。ただ、装飾品に加工するための骨ならまだ残っているはずだ。
「生きている猪には色々虫がついている。まだダニとかが近くにいるかもしれん。見るなら遠くからにしておけ。」
寝室に戻ろうとしたら袖を引っ張られる。
「マダラは行かんのか?」
「血の臭いで場所はわかるだろう。」
「俺はマダラの客の立場だ、マダラが嫌でないなら同行して欲しい。」
俺が嫌でないなら……と、柱間は確かに口にした。考えながら言葉を選ぶような器用さは、少なくとも俺が知っている柱間は持っていない。街からの帰り道の時と同じように、俺に対する気遣いを自然にやっている。
妻子の存在が柱間を変えたのだろうか。何にしても、柱間は変わっている。それは間違いなさそうだった。
「あまり長居はせんぞ。」
寝室に向かおうとしていた足を、玄関に向けた。
吊り下げられた猪は思っていたよりは原型が残っていた。毛皮がきれいに剥がされて別の場所に干されている。
少しずつ解体していくのを遠くから見ていたら、隣の柱間は手と手を合わせていた。亡き者に対するそれと同じなのだろうか。それとも食べたことによる感謝なのか。
「猪は畑を荒らす。特に長期間保存ができる根菜をやられると村にとって痛い。だから駆除しなければならない。肉や骨、毛皮は副産物だ。」
「だが命を頂いた事に変わりはない。あの猪の命と引き換えに皆その肉を食べ、村の者は金と交換し、……命を引き継いでいる。ただの死ではなく、その身の全てを託しているようなものだ。……俺も死ぬならばただ死ぬのではなくそのようにこの身を誰かに託したい。」
……ここで残りの人生を過ごすつもりなら、それは俺に向けた言葉なのだろうか。それとも何も考えていないのだろうか。
夢ともとれる言葉だが、夢を語るのはやめると言ったはずだ。
「……お前の肉は筋肉質でさぞ固いだろうな。人肉を食うなどという話も聞いたこともない。現実的ではない。」
「俺の身体は特殊だ、死期を悟ったら里に帰り扉間に後のことを任せる。あいつならば俺の身体をすべてうまく利用してくれるだろう。」
「死期、か。そんなもの、わかるものなのか。」
「なってみんと、わからんな。」
これは夢ではないと、柱間の言葉を聞いて思った。夢ならば何が何でも叶えたいと考えるのが柱間だがこの話はもっと抽象的な望みだ。
「俺は叶えてやれんぞ。」
「言ってみただけだ、本気にせんでいい。現実的ではないのもわかっている。」
猪の残骸を見て満足したのか、家の方に足を向ける。その後ろをついて歩き、途中使用人が住む家を訪ねて今夜の食事は材料だけ置いていってくれればいいと言付けた。
夢ではなく現実を見ると言った、柱間の決意が少しだけ見えたように思う。現実は儚いものだと言ったあの言葉に込められた思いを。
「だがこの生活は食事以外の楽しみはなさそうに見えるが、マダラが望んでいたのはこういう生活だった、ということなのか?」
「……隠居とはそういうものだ。生活に刺激が欲しいならば悪いことは言わない、里に戻れ。」
「あ、いや……そういう意図ではない。マダラの考えをもっと知っておきたいだけぞ。……俺が知ろうとしなかったからマダラは里を去った。やり直すためにマダラのことを知るのは俺にとっては大事なことだ。」
……柱間は、こういう静かな生活は性に合わないはずだ。俺が知っている柱間ならば。それでも俺と共にいたいという思いの方が強いのであれば、それは執着と変わらないんじゃないか。
痩せ我慢してでも、という心意気は立派だがそんなもの長く続くわけがない。それも期限までに見極めが必要だろう。いくら共にいたいとて柱間がそのために何かを我慢するのは俺が望む形ではない。
友であることも、恋心も捨ててただ共に暮らす。それが出来ないなら生殺しのような状態を続けるよりも、すべて灰にして消し去った方が柱間のためだ。
「……隠居はお前にはまだ早いんじゃないのか? 子もまだ成人していないのだろう。普通はそういうものも全部終わらせてから隠居するものだ。そして見ての通り、隠居というものはつまらん生活だ。」
その日の天気やら庭にある草木やらのちっぽけな事にばかり目を向けてささやかな変化に気分が揺らぐ、そんなジジイみたいな俺の生活を俺の知っている柱間ならつまらないと思うだろう。
寝室の窓から外に足を投げ出して寝転がると柱間もその隣に同じように転がった。
「いつもこうしているのか?」
「こうするときもあるな。今日は風が心地良い。」
「ではそうでないときはどう過ごしている。風が心地良ければ天井を見ながら一日過ごしているのか?」
「基本的には鍛錬をしているが、今日はそんな気分ではない。」
「鍛錬……また戦が起これば向かうつもりなのか。」
「そうしようと最初は思っていたが、……いざそうなった時にどうするかは決めかねている。このまま静かに過ごすのも悪くない。ただ、身体が衰えるのは抵抗がある。」
「……そうか。確かにこの生活は……静かだの。……実は土産に酒でも持って行こうと思っておったんだがな、あまりにマダラの手がかりが見つからず一度諦めかけて自分で飲んでしまった! 夜風も涼しければ、今日は酒が美味かっただろうな。……馬鹿なことをしてしまった。」
……一応、探すのには苦労しているのか。ここが見つからんように色々小細工はしたが、こいつなら難なく見抜いて突破してきたのだろうと思っていた。
「どのくらいかかった?」
「……あまり言いたくはないが、一年と少しかかった。最初はマダラの戦の痕を追ったが、頑なに木の葉との接触を避けてきたマダラが簡単に見つかる場所に居を構えることはないだろう、と……もしかしたら旅を続けているかもしれんし、何度も棲家を変えているかもしれんと思うと、五大国の領土でない場所をしらみつぶしに当たってみるしかなかった。」
「ほう、随分と探したんだな。」
「マダラのことは俺の人生の唯一にして最大の悔いだ。諦めかけたが、……諦めなくてよかった。が、手土産を飲んでしまったことはすまない。」
「……そんなもんなくてもいい。」
あの戦いの真相がわかっただけでも十分だ。多くは求めない。しかし一年以上探し続けるとは大した執念だ。
……それだけ悔いているのか、こいつは。俺のことを。
一年以上という時間はやり直したいという言葉に重みが乗る。唯一にして最大の悔い、ならばさぞその悔いを晴らしたいだろう。こうして俺を見つけ出したのだから尚のこと。
それを思えばこれからの日々がいかに退屈であろうと、柱間は構わないと考えるかもしれない。やり直せるのであれば何でも受け入れるつもりがあるだろう。
「せっかくだ、今夜は星見でもするか。木の葉では見えんかった星もここでは見える。天にはこれほどに星があったのかと驚くぞ。」
「それはぜひ見たいな、旅すがら天など見上げる余裕もなかった……。里では見えないここだけの空を、マダラと共にこの目に焼き付けたい。」
……柱間は、俺が却下を出したときのことをきちんと踏まえている。望みは叶うはずだという夢は見ていない。きちんと現実を見ながら言葉を選んでいる。
この場所で星見など、この機会が最後かもしれないという言い方。
柱間は変わった、のか、変わろうとしているのか。やり直したい、そのために。一心に。
「だが、その前に夕食を作ってもらう。料理を振る舞いたいのだろう。材料は用意させる。作ってみろ。」
柱間は起き上がった。
「今日の夕食か、わかった。台所を見にいってもいいか。材料は何がある?」
「夕方に持ってくるだろう、何が来るかは知らん。来てから考えろ。台所は好きに使え。」
「……わかった、うまいものを作ると約束する! 台所、見せてもらうぞ。」
起き上がって、立ち去っていった。
あまりに何もなくて驚くことだろうか。
ただ幸い商人から調味料を買ったばかりだ。何かしら作ることはできるだろう。
……猪の肉はうちまで回ってくるだろうか。
使用人に食材の用意も全て任せている。自分の兄弟を大切にしろとも言い含めている。食べ盛りが4人食べることを考えると、客もいる俺のところまでは肉は回って来んかもしれん。
肉でないなら魚だろう。
煮付けは食べた。川魚の調理など焼くか煮るか揚げるしかないが、さて、何が出てくるか……楽しみだ。
