知られてはいけない(扉イズ版)
熟れた果実
つわりは終わる気配がないまま、甲斐甲斐しく世話をする扉間は、吐く時に最初は遠慮がちに置いていた背中の手をぺたりとくっつけてさするようになっていた。
俺もまた吐き終わって落ち着いた後に扉間の顔を見上げて「いつも悪い」と口にする。俺の様子を覗き込んでいた扉間の顔とぶつかるんじゃないかというくらい近い距離で、礼を告げたら上半身を起こして扉間のすぐ隣に座って時折気分が悪いふりをしながらもたれかかる。
表情にこそあまり出さないが扉間の口数は増えている。それにこいつはあのお化けから言いつけられているから本心はどうであれ俺と仲良くしなければならない。
もしかしたら演技しているのかもしれないが扉間の根底にある俺への評価は尊敬だと言っていた。あれが嘘か本当かはわからないが、その尊敬している相手との間に子が宿っている状況で今一丁前に父親ヅラをしている事を考えれば演技だけではないと判断してもいいだろう。
ただ最近どうもおかしい。停戦しているからだろうか。恐らく千手のアルファの奴らが抑制剤を飲んでいない。千手柱間ですら。飲んでいるのは扉間だけのようだ。
いくら停戦中でも気を抜きすぎじゃないだろうか。それともオメガがこの敷地内に来る事はない確信があるのだろうか。でも同じ屋敷の中で部屋が遠いとはいえ千手柱間が抑制剤を飲んでいないのは迷惑だ。厠に向かう廊下にそのフェロモンが残っている。厠の中も同様に。扉間が見ているから密封空間にならずに済んでいるものの、こんなのが続くのは勘弁して欲しい。
「なんであのお化けは抑制剤飲んでないんだ。」
「……いい加減に兄者をお化けと呼ぶのはやめてくれ。」
扉間は2秒の間を置いて話し始めた。
「戦がないのであればオメガ対策も必要ない。平和になった今抑制剤を飲んでもただの無駄遣いだ。俺だけはイズナのために飲んでいるが他の者は……兄者も含めて飲んでいない。」
「ならお化けにも飲むように伝えてくれ。あいつのフェロモンは他の奴らよりも強い。部屋の外に出るとアルファの匂いがするし、あのお化けに鉢合わせようなら俺は多分立っていられなくなる。」
扉間の話には真実と誤魔化しが混じっている。
抑制剤を飲んでいるのは扉間一人だけ、これは事実だろう。ここにはアルファとベータしかいないならオメガを警戒する必要がないのも事実。
一見理にかなっているが、あの2秒には何か伏せられている事実がある。何より同じ屋敷に住む千手柱間にまで飲ませていないのは何かある。
丸薬を2つ飲んで直接千手の奴らの様子を見に行く機会を作りたい。体調が良ければ、だけど扉間が隠そうとした何かがわかるかもしれない。
「ところで、薬の材料の薬草はどうなったんだ?」
「女子供が集めたものを、研究室に置いてある。まだ体調は万全ではないのだから……」
「でも採ってきたそのままで置いといたら悪くなっちゃうよ。処理のやり方と乾燥のさせ方まで教えるから、近いうち体調がいい日にやった方がいい。」
扉間は俺を外に連れ出すことに対してあまり前向きじゃないらしい。無言のまま何やら考えている。もしかして俺がオメガなのを気にしているのだろうか。周りが抑制剤を飲んでいないアルファだらけだから。
「その日だけ丸薬を多く飲むから俺はアルファだらけの場所でもオメガのフェロモンは出さない。それ以外にも何か懸念事項があるのか?」
扉間は俺の方に目を向けた。
「体調のいい日だ。悪い日が続くようなら今回採ってある分は諦めてまた採りに行かせる。」
体調の心配をしていただけか、どれだけ心配性なんだか。……だからこそ戦場でもその場に応じた的確な対処が出来たんだろう。用心深い奴だとは知っていたけど普段からこの調子なのか、それとも戦場で養われた感覚が染み付いているのか。
そして戦場でのこいつの立ち回りを考えると、俺に対する距離は近くなっているように見えるが本当のところはわからない、油断はできない奴だ。互いに相手の行動の先を読み合う戦いを続けてきたからこそ、俺も手は抜けない。
鍛錬を続けるうちはの若者達の指導に立ちながら、次に千手を訪れるならば何日後が良いかと考えを巡らせる。千手の様子はあの岩山の上から常時見張らせているが大きな動きの報告はない。平和に過ごしているようだ。それも、停戦後の和睦を信じているのか建物の中で行われているのか、千手の奴らが修行している様子は見られない。
奴等は馬鹿なのか? であれば都合がいいが。
「弓の持ち方はもう少し手を上に、弦は矢を飛ばしたい方向へまっすぐ。前腕を矢の一部だと思え。肘から一緒に引くんだ。狙いを定める時はここを見ろ、そうだ。きちんと構えていればその先に矢が飛ぶ。」
うちはも千手も戦に出る忍の半分はまだ成人していない若者だ。指導できる大人の数が少なすぎる。若者の中でも写輪眼を開眼しているのは7割ほど。
という状況では俺が自ら指導しなければ強くする事はできない。しばらくは戦はない。若い者が死なないように訓練するいい機会だ。イズナが不在でも戦えるようにめぼしい者に戦略の基本から全て叩き込んでいる。
全て俺の多重影分身で。
訓練に集中できる機会など滅多にない。戦力を増強する好機だった。
イズナが戻ってきて胎の中のものを片付けて落ち着いたら、……千手を潰す。
それまでは油断させておかなければならない。和睦に至るに違いないと信じさせるのが肝要だ。柱間はともかく他の千手にも、出来れば扉間にも。
扉間が懸念事項だが……柱間の話を聞く限りでは甲斐甲斐しくイズナの世話をしているようだった。あの日もそういえば奴は洗面器を持っていたな。
……イズナが扉間をうまく利用しながら懐柔しているのであれば、半年という期間はちょうど良い。
さて……そうなると次にいつ千手の奴等に顔を見せに行くか。
財政事情を考えると痛いがイズナが少しでも楽に過ごせるようにするためならやむを得ない。兄者にも抑制剤を飲んで貰うしかない。
その部屋の前で襖に手をかけると背後から「なんぞ」と声がした。部屋の外にいたらしい兄者は時折こうして戯れで気配を消して背後から突然声をかけて俺を驚かそうとする。この俺がチャクラも気配も一切感じなかったのだから俺は兄者には永遠に敵わないだろう。何よりも兄者は千手の血継限界を色濃く持っている。
「兄者に渡したいものがある。これを……イズナのために兄者も引き続き飲み続けてくれ。アルファのフェロモンが屋敷の中にあるとイズナが困る。」
振り返りながら兄者に薬を手渡した。しかし兄者は何が問題なのかわかっていないようだった。
「知っての通りイズナはオメガだ。うちはの丸薬でオメガのフェロモンが出ないようにしているが、屋外はともかく屋内はフェロモンが留まりやすい。イズナはそのフェロモンの影響を受けてしまう。」
「影響を受けるとどうなるのだ。」
「……オメガのフェロモンが強く出てしまう、つまりはイズナが薬を多く飲まなければならなくなる。しかしうちはで作られているあの薬には数に限りがある。アルファ用の抑制剤なら手に入りやすいがイズナの薬はそういうわけにはいかない。加えて……」
兄者が俺の口に人差し指を押し付ける。
「わかったわかった、飲めば良いのだな? しかし扉間、お前はちゃんと俺の言いつけ通りにイズナとの距離を縮めておるようだの。そこまで気を遣えばイズナも悪くは思うまい。良いことぞ。」
機嫌良さそうに部屋に入っていく兄者を見送ってほっとする。兄者は全く俺の話を聞かない時とすんなり聞く時がある。どんなに理屈を説明しても折れないときは全く折れない。こんな事だからイズナからも同情されるのだろう。
ただ、大変ではあるが兄者の言い分は最終的に合っていることが多い。「なんとなく」だの「そう思った」だの理解し難い理由で強引に推し進めて結果それが最良だった、という前例が多いのだから兄者の野生の嗅覚のようなものは馬鹿にできない。
あの偽の戦の日も「勘」だけでマダラの策略に対抗して見せている。だからどんな突拍子のないことを言い出しても皆黙って聞く他ない。
扱いが難しいが兄者のような人間を扱おうとすることがそもそも間違っている。……が、他の者を極力振り回さないようにやりたい放題やらせるわけにもいかない。
良くも悪くも兄者のことをよく理解している俺が千手の民との間の緩衝材のような役割を担うのは当然だ。
……早くイズナを安心させてやらなければ。それが俺がイズナにしてやれる、数少ないうちのひとつなのだから。
「イズナが兄者のことを"おばけ"と呼ぶ理由はよく分かる。深く理解できる。しかし俺の兄だ。もう少し他の言い方はないか。」
疲れた顔で帰ってきたかと思いきや一体何を言い出すんだこいつ。千手柱間を"お化け"以外の言葉で表せとはまた難しいことを言うな。
「なら怪獣、閻魔、台風、……んー、あとは……。」
あのお化けを形容する言葉、と言われると悩むな。お化けとしか思えないけど。
「ならば台風で良い……。その兄者だが、明日から抑制剤を飲むだろうから今晩だけ我慢してくれ。」
「今夜までならまあ……我慢するよ。しかし妊娠していてもこの身体は……フェロモンには弱いんだな。なんで俺はオメガに生まれてしまったのか……。」
机に肘をついて頬杖をつきながら、目を伏せる。
いつ戦になるかわからない状況下でうちはも全員常に抑制剤は飲んでいた。だからアルファのフェロモンに触れる機会なんて発情期が来るまでなかった。
薬があるとはいえ副作用もある。それに俺がアルファだったらきっと扉間にも勝っていた。
情けをかけられて生き延びた挙句こいつとの子を孕んでいる上にお化けからも脅されているのが現実。
発情期さえ来なければ……俺がオメガでなければ。
「薬さえ飲めば問題ない、気苦労をかけてすまないな。」
いつからだろうか、こいつが俺の言葉や演技に疑念を抱く様子が見られなくなったのは。
「気苦労かかってるのは扉間の方だろ、兄があんなお化け……台風で、その上妊娠したオメガの面倒まで見なきゃいけないんだから。」
扉間に肩を。両肩を掴まれて真正面を向かされる。
「イズナがオメガであのとき妊娠したからこそ、停戦が実現して和睦を結べる可能性が増した。イズナとその子どもは間違いなく千手とうちはの架け橋になるはずだ。……イズナがオメガでなければ殺し合いが続いていた。」
それは千手にとって都合がいい話なだけだ。綺麗事を言っているが俺を拉致してこの部屋に監禁して俺を人質として扱っておいて何が架け橋だ。
だがそんな考えは見せてはいけない。
「オメガであろうがアルファであろうが、イズナはイズナだ。強く誇り高いうちはの……。」
「それはもう聞き飽きたよ。……まあ、でも俺のことを一番理解しているのは扉間かもしれないな。」
「いや……まだまだ理解が足りない。もっとイズナのことを知りたいと思っている。」
「子供の父親として? 随分と殊勝な心掛けだね。」
「……あまり茶化すな。」
肩に置かれていた手を引き寄せて俺は扉間の胸に顔を埋める形になった。……この状況は……。
「子供も大事だがイズナも大事だ。俺の行動から感じていなかったか。」
「嘘を見破ることに長けているというのは自分もまた嘘をつくのに長けているということだろ。俺が扉間を簡単に信用すると思っているのか。」
「イズナに対しては俺はあまり嘘をついていない。と言ってもイズナからしたら疑わしいのだろう。そう思われていても致し方ない。」
「……なら扉間が今から言うことは信じてやるから言ってみろよ。」
心拍は正常、体温も変化なし、発汗も異常はない、呼吸も安定。
「叶うならばイズナともっと多くの時間を過ごしたい。子を産んだ後も。」
……体温がわずかに上昇。
俺はふっと小さく笑う。
「まるで告白だな。」
「……意図が伝わったようだな。」
「それなら……返事は保留にしておく。」
扉間の胸の中でごつごつとした厚い手に抱き締められながら、こころの中では笑っていた。
予定よりも随分と早く落ちたな、扉間。
……お前をもっと深いところまで堕としてやるよ。
夜、布団を二組出そうとした扉間に声をかけた。
「俺は一組でも構わない。」
扉間は手を止める。
「……それは、イズナが俺と布団を共にしたい、という意味か。」
「さあね、分析は得意なんだろ。」
何度も扉間に言ってきたこの言葉は、暗に肯定という意味だと覚えさせてきた。
「……俺の都合のいいように解釈させて貰う。」
告白めいたことを言いつつ、こいつはお化け……台風のようにストレートに感情を出すタイプではない。だからこそ態度と言葉の選び方を分析し続けた。そして今、いつもなら真贋を確かめようとするところを「自分の都合のいいように解釈する」とはじめて口にした。
少しずつ距離を詰めて身体を任せて扉間だけに自我を見せているように見せかけてきた成果が急速に加速している。脳がそのモードに入った扉間は冷静に客観的に状況を分析をしようとしても色眼鏡をかけた風景しか見えなくなる。
それも全て俺を油断させるための演技だとしたら天晴れだ。けど残念だけど俺はここに来てから油断など一度もしていない。俺の言葉と行動の全てが観察と分析による状況判断と演技とまでは思うまい。
一組しか出されなかった布団に潜り込むと扉間も同じ布団に入って手を伸ばし俺を抱きしめる。
心拍数と体温を上げてみせれば扉間はそれを自分の都合のいいように判断する。
……あと5ヶ月半、まだまだ猶予はある。
扉間、あんたは絶望したことが何回ある? 味わわせてやるよ、俺達うちはが味わい続けてきた絶望の味を。
あんたが愛した人間を躊躇なく殺せるかどうか、特等席で見届けてやる。
