知られてはいけない(扉イズ版)
カウントダウン
前回の訪問から1ヶ月、そろそろ出向いてまた様子を見に行くかと腰を上げた。
若者たちの鍛錬は順調で戦力もだいぶ心強くなった。ここにイズナが戻れば士気は更に高まるだろう。
当然だが千手に対して憎みこそすれ手を取り合おうなどと考えているものはほとんどいない。戦がない事自体は喜んでいるが千手に対する根深い憎しみは消えることはないだろう。特に扉間、あいつの手により死んだ者は多い。奴が死ねば溜飲を下げる者もいるかもしれないが、柱間も弟が死ねば流石に気がつくだろう。
憎しみの連鎖は止めることなどできないと。
突然俺が訪問することにも千手の奴等は慣れたらしい。食うにも困っていた千手が鍛錬や修行をしている様子が見られないのは柱間がお花畑なためだろうか……と思ったが、中央の大きな建物の中で組み手をしている音がした。今までは見られなかったが……何か千手に変化があったのだろうか。
いつもより少し遅れて柱間が出迎えに来た。
「よく来てくれた! 話したい事が山のようにある!」
……ということは、何かあったな。
「ではお前の部屋で聞くとしよう。」
玄関を上り柱間がその戸を開くと既に中に扉間とイズナが待っていた。それも、今まではそう言う様子は見せてこなかったが手を握り寄り添うように座っている。
……この理由を慎重に確認した方が良さそうだな。
「随分と仲が良さそうだが……その様子では以前柱間が言っていた事が実現するかもしれんな。」
「義兄さんは何と……?」
『にいさん』という言葉に一瞬俺のことかと思ったが、文脈的に柱間のことだろう。……こいつらの中では既に夫婦の仲で、その兄である柱間は義兄にあたる……という理屈か。
「停戦が明けると同時に祝言を挙げるかもしれんと以前聞いている。その時は信じ難かったが……。」
「そうぞ、マダラ! イズナはまだ祝言こそ挙げておらんが扉間の妻同然だ。だから俺もまたイズナの兄同然、マダラとも兄弟というわけだ!」
……腹の中で怒りと苛立ちが渦巻くのを感じながら「随分気が早いな」とお茶に手を伸ばす。
「今は安定期だろう、体調もよく赤子の胎動も感じる頃だ。赤子の成長は"順調か?"」
イズナは幸せそうに目を細めて笑った。
「"順調すぎて怖いくらいだ。"愛する人と共に子を育む幸せを今噛み締めてるよ。義兄さんもよくしてくれている。」
「そうそう、うちはに赴いた後色々考えてイズナから助言をもらってな! 俺の今までのやり方は強引が過ぎたと反省したんぞ。それで一族の者たちから忌憚のない意見を聞こうと、意見箱なるものを設置した! 一族の者たちが何を考え何に悩み困っているのか、どんな要望を持っているのか……今まで目を向けてこなかった分辛辣な言葉が混じることもあるが、千手一族もマダラのように一族としてまとまろうとしておる!」
相変わらず自らペラペラと喋ってくれる。しかし成程、あの組み手をしていた者達は自らの希望で、ということか。……しかし武器を使わないのは軍事費にかける現金が心許ないのだろう。
半年間遊んでいた千手に戦力を増強してきた俺たちうちはが負ける要素があるとしたら、イズナの堕胎が思いの外上手くいかなかった場合ぐらいだ。
「兄さんは油断するなと言ったけど扉間も義兄さんも俺を家族として迎え入れて大切にしてくれている。"心配はなさそうだよ。"早くこの子を産んで真の家族になりたいと思ってる。」
「そうか、それほど大切にされているか。ただ"安定期だからと気を抜くな。"妊娠中は何が起こるかわからんからな。……まあ、扉間と夫婦として仲睦まじいようだからあまり心配はしていない。"赤子もお前達の愛情を受けて愛情豊かに育つだろう。"」
「その通りだマダラ! この二人は真の愛を育んでおる……赤子もまた産まれたら愛に溢れた父と母の元で元気に育つだろう! 俺はその時が楽しみでならん。ただ気掛かりなのはうちは一族が和睦に賛成してくれるかどうかだ……。」
「約束の日が来たらイズナがうちはに戻り、一族を説得してくれる。……イズナの言葉ならば耳を傾けるという者も多いだろう。俺達はそれに望みをかけている。」
「マダラから見てどうだ、イズナが約束通りにうちはに戻り、平和の尊さを訴えれば民のこころを打つと思うか。」
……こいつらの頭の中に和睦以外の選択肢はなさそうだな。イズナが説得することも疑っていない。……計算通りに事は進んでいる。イズナさえしっかりとしていれば計画通りに千手は滅ぼすことが出来る。
「……そうか、責任重大だな、イズナ。"その役割は果たせそうか。"」
「もちろん、"愛情とは何たるかを広く知らしめたい。しっかりと役目は果たす"つもりだ。」
「……そうか。妊娠している身だ、無理はしないように。」
「イズナが味方になってくれておる、これほど心強い味方はおらん。出来ることならマダラを泊めて夜通し語りたいが、うちはの者達がどう思うかわからん……。マダラ、イズナが戻るまでうちはを頼む。」
「……当然だ、俺は長だからな。イズナの元気そうな顔を見れて安心した。次に会うのは約束の日になるだろう。俺が迎えに来るが、それでいいな?」
「そうだの……俺が出向いてはまた……マダラがこちらに来て、イズナを連れ帰ってくれ。その後のことはくれぐれも頼む。」
イズナに視線を向けると目を細めた。伝えたい事は伝わったと思っていいだろうか。
「ああ……俺たちに任せて千手は沙汰を待っていればいい。」
……今日兄さんから受け取った言葉。
安定しているとて気を抜くな。
愛情を受けて愛情豊かに育つ。
この愛情は扉間からの、と受けて良さそうだ。であればこの意味は……扉間からの愛情に対して俺が影響を受けていないか、という確認。
……身体の反応はすっかり慣れて心拍も体温も操作する必要がないくらいだ。……すっかり慣れて。それは戦場で見えたときに同じ身体の反応が起きかねないという事だ。……とはいえ軽微な体温と心拍の上昇に過ぎない。気掛かりがあるとするならフェロモンが漏れ出る事……これは本当にホルモンバランスのせいだろうか。扉間の本の知識だ、ホルモンバランスは確かに変化しているのだろう。だからといって薬で抑えられないほどフェロモンが漏れることなんてあるだろうか。
オメガがフェロモンを出すときはアルファのフェロモンを感じたとき、発情期、そして薬を飲んでいないか、効果が切れたとき。……全て当てはまらない。それ以外に見逃している何かがある……?
仮にそうだとしたら、それを確かめないといけない。
将棋の盤面はかれこれ12時間ほど動かないままだ。俺が長考しているから。
扉間もまた盤面をじっと見ている。
何十手先まで考えても打破できない。扉間と共に将棋をやり過ぎて互いの手が透けるように見えるようになっていた。そして今、次の手をどうするかによっては何十手先で俺が負けるのが確実な状況。どう駒を動かしてもやはり数十手先に負けが見える。扉間もそれをわかっているのだろう。俺がどんな打開策を考えるか興味深そうに見ている。
「……だめだ、妙案が浮かばない。」
「そういう時は負けを認めればいいものを……イズナは負けず嫌いだな。」
「いや、ちょっと頭を休ませる。そうすれば次の手が浮かぶかもしれない。」
ググッと背筋を伸ばすと、扉間が手招きをする。俺は扉間のすぐ前に座って、背中を扉間に預けた。
「肩が凝っている、少しほぐしてやるから……」
「こうしてる方が心地いい。」
「血流が悪くなるのは子どもに良くない。」
「相変わらず旦那さまは心配性だなぁ……。」
もたれかかっていたのを戻すと、肩をぐりぐりと指圧し始めた。随分凝っているようだ。凝りが解されて気持ちいい。
「……ところでさ、ホルモンバランスが崩れると何でフェロモンが出るんだ?」
硬い部分を指の腹でぐりぐりと解される。
「いや、今は安定期だ。妊娠するとホルモンバランスは確かに崩れるようだが、今は落ち着いているはず。何故フェロモンが強くなるのかは……単純に俺と愛を育んでいるからだろう。」
愛を育むとフェロモンが強くなる……? そんな話、聞いたことがない。それにこいつと愛など育んではいない。……フェロモンは基本的には発情……つまり交配して孕むために出るもののはずだ。すでに妊娠しているのに発情するためのフェロモンが出るわけがない。
「愛でフェロモンが強くなるのなら、部屋中俺のフェロモンで溢れてるよ。多分その説は間違いだ。……あ、そこ気持ちいい……。」
「力を入れているが、痛くないか? 余程凝っているな。……まあ、確かにイズナのフェロモンは部屋中に広がっている。だから間違いないだろう。」
「……部屋中に、俺のフェロモンが……?」
……どういう事だ。何故フェロモンが。
「俺がアルファだから顕著に感じるのかもしれんが……最近はずっとそうだ。」
何故薬で抑えられないほどのフェロモンが、部屋中に。
「イズナの愛情の証だ、それにこのくらいなら我慢出来る。心配するな。」
「でも扉間からはアルファのフェロモンを感じない。」
「最近は俺もイズナの丸薬を改良した薬を飲んでいるからな。人体実験になるには俺が適任だ。うちはの丸薬は驚くほど効く薬だな。」
その驚くほど効くはずの薬ですら俺はフェロモンを制御出来ていない、一体俺の身体に何が起きている。
俺は立ち上がった。
「……ん、もう良いのか?」
「厠に……行ってくる。」
今もまだフェロモンが出ているならば千手柱間も気づくはずだ。厠にまっすぐ向かわずに千手柱間の部屋を目指した。部屋の中の気配が動いて襖が開く。
「どうしたイズナ、何か用か。」
「義兄さん、扉間からフェロモンが出ていると聞いた。薬はちゃんと飲んでいる。本当に出ているか?」
千手柱間は眉を顰めた。
「……確かに出ておる。この部屋は屋敷の外に近い。扉間の部屋で過ごした方がいいぞ。」
それはつまり、屋敷の外に出かねない程出ていると……いうことか。
「わかった、ありがとう義兄さん。」
厠に向かいながら想定外の事態にどうするべきか考える。フェロモンが出ているのは愛情とかではない別の原因だ。それは間違いない。では原因は何だ。最近変わった事はないか。……ずっと順調に事は進んでいる。環境的な変化もない。……兄さんはこのことを予見していたのだろうか。だから気を抜くなと。どこかで俺が気を抜いていた? 確かに、うちはではいつ戦争が起こるかわからない緊張感の中にいた。今俺は扉間と柱間の信頼を取り付けて緊張感が緩んでいるのかもしれない。
……しっかりしろ、気を抜くな、油断をするな。……ただ、扉間がこのフェロモンを愛情の証だと勘違いしているのなら……その方が都合はいい。
原因はわかった。緊張感を取り戻せば恐らくフェロモンは出なくなる。けど、フェロモンが出なくなれば扉間は疑念を抱くかもしれない。……今のままでいい、大丈夫だ。
部屋に戻って、また扉間の目の前に座ってもたれかかった。
「肩こりはもういいのか。」
「俺はこうしてる方が好きなの。」
「……甘えん坊だな、俺の奥さまは。」
……言ってろ。全て計算通りに進んでいる。
うちはに帰れる日までの4週間……扉間、お前をもっと俺との愛に溺れさせてやる。
……しかし将棋で勝てないのは癪だ。盤面では嘘や誤魔化しが効かない分純粋な戦略のぶつかり合いになる。身体だけでなく頭まで鈍っているようじゃだめだ。
俺はこいつを確実に殺さなければならないのに。
「イズナのフェロモン……うちはに返すときには露見するわけにはいかんな。薬は飲んでおると言っておったが。……その日だけ薬を多く飲ませればいい、か。」
約束の日が近づくにつれ、今の状況がよく見えるようになっていくのがわかる。
うちは一族の憎しみ……あれは愛情の裏返しだ。うちはも根底には深い愛情がある。……イズナが扉間との愛を証明してくれれば。少なくとも停戦が明けてすぐに戦にはならない。マダラもそうはしないと言っていた。
……沙汰を待て、か。
いつまで待てばいいだろうか。イズナの子が無事産まれるまでだろうか。……それともうちはは千手との間の子を認めないだろうか。
最悪の想定は常にしておかねばならん。マダラやイズナがどう振る舞って何を言おうと周囲がそれを許さなければ……腹の子も、もしかしたら産まれる事はないかもしれない。
だがマダラとて長だ、そう簡単に周囲の意見に流される事はない。
イズナを手に入れて有利に立ったとかつては思っていた。しかし現実は逆だった。イズナを囲った事で恨みを買った。
俺がもっと人の心を理解できていれば……選択肢を誤っていなければ和睦の実現により近づけていたかもしれないのに。
悪手を取ってしまった。
残り4週間、俺に出来る事は何かないだろうか。
