知られてはいけない(扉イズ版)
静かな対立
無事に千手の屋敷までイズナを連れ帰ることが出来た。途中から抵抗を諦めて大人しく従う事にしたようだ。最後まで抵抗を続けるかと思ったが、俺のフェロモンのせいなのか四肢はぐったりとしている。
あのオメガの忍が放つ発情期のフェロモンの濃度は確かに俺の足を鈍らせた。だが対イズナ戦において俺だけは常に二倍量の抑制剤を飲んでいる。すぐ横に発情期のオメガがいても我を失うような事はない。呼吸器と循環器は影響を受けているが、それでも逃げ出した本物のイズナを見分けて捕らえるのは、……全力を出せば容易い。
しかし千手の屋敷にはオメガ用の抑制剤はなかった。商人から買うしかない。戦の翌日には必ず商人が現れて様々なものを売りに来る。その中に、オメガの抑制剤もあるはずだ。
イズナの身体を確かめて、懐にあの丸薬が入った小袋を見つけた。これがあれば明日までは誤魔化せるだろう。
袖を捲って傷を確かめる。濡らしたガーゼで血を拭き取りぱっくりと開いた傷はまだ血が出ていてそれなりに深かった。傷薬を塗ったガーゼを当てて包帯で巻いて縛ると袖を元に戻す。支えを失った腕はまたパタリと畳に落ちた。
しかしイズナを捕虜にした事を公にするのは俺だけの判断では出来なかった。それだけ重要な相手だ。ひとまずは俺の部屋に匿う事にした。しかしオメガのフェロモンに当てられて俺自身からアルファのそれが出ているのだろう。それがイズナに影響しているのは目に見えて分かった。
今はもう兄者と俺しか住んでいないこの屋敷は集落の端にあり、俺の部屋は屋敷の中でも奥の方にある。
平常時のオメガのフェロモンであれば最悪ここに置いておけば勘付かれることは無い。捕虜達がいるのは集落の反対側で集団部屋になっている。そっちに入れたら千手だけでなくうちはの捕虜もイズナに手をかけるだろう。
消化器系の異常があるのは間違いない、あの日からの期間を考えればその症状は妊娠によるものの可能性が高い。つまりイズナの中に俺との子がいる可能性がある。兄者の弁ではそれを産ませて和平の架け橋として利用するという話だったが、こうしてイズナを捕らえた事でマダラがどう動くのかは想像出来ない。
素直に応じるのか逆になるのか。
……ともかく兄者が帰るまでは、この部屋の中で見張っておかなければ……他の者に見つかっては厄介だし、こいつが千手の中心地で暴れても面倒だ。
「……抵抗はやめたのか。」
イズナの反応はない。
一人攫われて何を考えているのか……自害されるのが一番都合が悪いのは確かだ、マダラが逆上するのは目に見えている。
懐に隠してあった薬を目の前に置いた。
「この丸薬は抑制剤で間違いないな? いくつ飲めばそのフェロモンを抑えられる。」
半開きだった口が閉じた。言わないつもりなのか。それはここで抑制剤を飲む事を拒否しているのと変わらない。……それではだめだ。いくら妊娠している可能性があるとはいえ、その目論見が外れていた場合またあの強烈な発情期のフェロモンを撒き散らす事になる。
……サンプルは6個ある。成分を調べれば同じものを作れるだろう。それを毎日飲ませればいい。何とかなる。
『また同じ状況になったら、お前はイズナを抱け。』
この状況で兄者の言葉を思い出すとは皮肉だ、一族の者がいつ戦から戻ってくるかもわからない中で抱くことなどできない。それに抱く、という表現は少なからず互いに好意を寄せている相手に対して使う言葉だ。イズナは俺をそんな目では見ないし俺もイズナをそういう意味で好くことはない。『犯す』という言葉こそが適当だ。
「……俺をどうするつもりだ……。」
ようやく口を開いたがその言葉は弱々しかった。俺のフェロモンのせいなのか、それとも憎き敵に捕えられた絶望からなのか。
「兄者の意見を聞くまではここで大人しくしてもらう。」
千手の棲家まで連れて来られて、他の捕虜と一緒くたになるのかと思いきや俺の待遇はどうやら特殊らしい。フェロモンを撒き散らすアルファがずっと近くにいるせいで身体がそれを求めているのを感じる。ただ発情期のように意識まで奪われるほどではなかった。こうして考えることはできる。妊娠してしまった以上、この先一年弱は発情期も来ないだろう。
しかし扉間を戦地に向かわせないための策が必要だった。一番手っ取り早いのは俺がオメガである事を利用する事だ。だがそれは扉間だけでなく他の千手の奴等からも襲われるリスクがある。とはいえ、堕胎のための薬を飲めなくなった今、胎の中の子を生きて産まれないようにするにはフェロモンに狂ったアルファに子宮をガンガン突かせるか腹を殴る以外にない。他の千手がどうとかよりも一刻も早くこの胎の中のものを排出させる方が優先度は高い。
「……そのフェロモン……あんたも欲情してんだろ。」
目が見えないせいで、相手の様子がわからない。チャクラと気配でそこにいる事しか。
「我慢してんのか? やるならさっさとやれよ。」
扉間を戦地に向かわせない為には何でもやってやる。情婦のようになっても構わない。どんな屈辱も受け入れてやる。
「見えてるんだろ、俺のが勃ってんのも。……中もとろとろに濡れているせいで下履きまで……。」
だが気配は動かない。これだけのフェロモンを出しながら、息ひとつ乱れていない。薬が切れるまでは俺自身のフェロモンは出ない。フェロモンでどうにかできないのなら懐柔するしかない。
「それは俺を誘っているつもりか。」
ようやく出てきた言葉はこれが俺の策だと見破っているようだった。
「俺は千手の中では誰よりもイズナのことを知っている。誇り高きうちはの戦士が言う台詞とは思えん。」
「その誇り高き戦士をあんたは捕虜にした。自分の立場は弁えている。眼を使ってどうこうするつもりもない。お前らの捕虜になってやるという話だ。オメガの捕虜として好きなように扱えよ。」
「それがどういう意味かわかって口にしているのか。」
「俺をやったあんたが一番よく理解してるんじゃないのか。……俺はオメガだ。あんたらの捕虜になった。どう扱われるかはもう覚悟した。……ただ、ひとつだけ願いを言うならばそう扱うのは俺に勝ったあんただけにして欲しい。しかし捕虜に発言権などない事も理解している。好きにしろ、が結論だ。」
「……言ったはずだ、兄者の意見を聞くまでは大人しくしてもらうと。それとも俺に慰められたいのか、その身体。……理性が残っているお前の口からそんな言葉が出て来るなどと思っていない。目的は何だ。」
こいつも、理性がはたらいている内は簡単には誘いに乗らないようだ。それもそうだろう、俺が見てきたこいつは合理的で無駄がない、状況判断にも長けていて分析も得意でありながら戦力としても脅威。
やはりこいつはどうにかして縫い止めなければ。
「……目的などない……やる気がないのならそのフェロモンをどうにかしろ。あの日の感覚が蘇って俺の身体はあんたにやられる事ばかり夢想している。……俺の身にもなれ。アルファが、……あんたが欲しくてたまらないんだ。やる気がないなら早く抑制剤を飲めよ……。」
遠くから音が聞こえてきた。鎧がぶつかり合う音……千手の軍か。千手柱間も一緒に来るのだろう。この状況に対してどう判断するのかは分からないが、兄さんに何度も和睦を呼びかけている奴だ。俺の事もその為に利用するのだろう。
ドタバタと玄関から音がして兄者が帰ってきたのがわかった。イズナを拘束はしていないがこの様子であれば逃げたりはしないだろう。
「兄者と話をする。ここでそのまま待っていろ。」
立ち上がろうとしてふらつきを感じる。あのオメガのフェロモンの影響はいつまでこの身に残るのか、抑制剤を飲まないのはこの身で実験をするためでもあった。
廊下で出会した兄者は俺の手首を掴み兄者の部屋まで連れて行く。その道すがら「イズナはどうなっている」と問われ、「この屋敷にいる」とだけ答えた。
兄者の部屋の襖を閉めて、兄者が鎧を脱ぐのを待ってから腰掛ける。
「様子はどうだ。」
「ひとつめ、消化器系が悪い様子だ。妊娠の可能性は十分にある。ふたつめ、本人は捕虜と認識の上で大人しくしている。今後の待遇を相談したい。」
「妊娠……それは、産ませるべきだ。可能であればだが、扉間。イズナとの関係を良くしてくれ。産まれるまでの9ヶ月ほどの間に勝者と捕虜ではなく対等に愛し合う関係に変えられるか。」
兄者は時折真面目な顔をしてとんでもない事を言い出す。敵同士から勝者敗者の関係になり、その次は愛し合え、とは一足飛びどころか十足は飛ばなければならない。
「そうまでする必要があるのか?」
「イズナと扉間が互いに好いている関係になった上で子を産めば、マダラも認めるだろう。愛でこの戦を終わらせる。それが最良ぞ。」
あくまで兄者はそれが一番だと信じているらしい。頭が痛い。しかし長である兄者からやれと言われればやるしかない。考える事は厄介だが千手で一番強いのは兄者だ。強い者に従うのが戦の中では重要、だがこの要求は難しすぎる。あのイズナとどう接すればそんな関係になれるというのか。
「扉間、お前の部屋で生活を共にしろ。捕虜として扱うな。拘束の類は使わずにイズナが大切だと態度と言葉で示せ。頃合いを見て愛の言葉を口にしろ。それが難しければ……首を噛め。」
どうやら兄者はマダラへの執念をそのままイズナにも転用しようとしているらしい。噛むという選択肢を使ってもいいならば早めにそうすればイズナが千手の嫁になったと認識するのも早いだろう。だがなるべくそれは使いたくはない。イズナの一生を俺が縛ることになる。
「……他の者にはどう説明するつもりだ。重役にも。イズナを捕虜とした事を公表するのか。それとも隠し通すのか。」
「外野がごちゃごちゃ言うのは面倒だ、臨月までは隠し通せ。」
予想していた事と大して変わりはなかった。兄者は兄者だ。しかし愛し合うは無理だとしてもどうにかして関係を良くしていかなければならない。それはどちらかと言うと兄者の得意分野で俺の不得意分野だ。
自分の部屋に近づいたところでイズナの様子がおかしいと気づき急いで向かって襖を開けた。イズナは何事もなかったかのように座っているがあの気配は確かに何をしていた。何をしていた?
兄者に言われた通りに目の拘束を解くとそこにあった目は戦場で見るそれと同じように険しい。
「何かしていただろう、話せ。」
「何もしていない。兄者とやらの指示は何だったんだ。」
「……詳しくは言えん。ただ今後、イズナを捕らえた事は他の一族には伏せたまま俺と共にこの部屋で過ごして貰う。」
部屋の様子も変わりない。身体には見たところ異常はなさそうだが、肌のほとんどを覆っているこの服では分からない。
押し入れを開けて浴衣を一枚取り出し、イズナの前に置く。
「これに着替えろ。その服は血もついている。」
「……わかった。」
イズナは俺に背を向けてうちはの家紋が入った服を脱ぎ始めた。ズボンを脱ぐと下履きは確かに濡れているようだった。……俺のフェロモンでこうなったのか。さっと浴衣を羽織ろうとした時、腹部に異常を見つけて腕を掴んだ。無数の赤紫の痕……今さっき出来たばかりの痣。まさか、自分で殴ったのか。これを見せない為に後ろを向いた?
「……これは何だ、言え。」
「さあ、いつの間にかあったから知らないな。」
「……正直に言えと何度言えばわかる。」
「何をもって本当かどうか判断してるか知らないけど、あんたに話す義理はない。」
「お前……イズナの管理は俺の任だ。出来たばかりの痣なのは見てわかる。……殴ったのか。何のために。」
黙ったままイズナは浴衣の前を合わせてその痕を隠してしまった。
消化器の異常、妊娠、腹を殴る……もしかして、いや。イズナは下ろそうとしている?
腕を離すと帯を巻いて縛った。また俺の方を向くが、俺のフェロモンの影響を受けているのはその下半身を見たら歴然だ。さっさとやれと言ったのは本当だったのか。
「正直に話せ。イズナ、妊娠したな?」
「……まだわかんねえよ。吐き気がするだけだ。」
「あのときの、俺との子で間違いないか。」
「だったらどうする。俺は産む気はない。」
「それで腹を殴っていたのか。」
「さあ、どうだろうね。」
「俺との子なら、絶対に産ませる。」
「お断りだ。」
今はまだ胎児もほんの小さい、殴ったとて恐らく胎児にはあまり影響はない。だが大きくなってから同じ事をされては……もしかしたら堕胎してしまうかもしれない。つまりは、イズナから目を離すことが出来ないし、俺と兄者以外はイズナがここにいる事を知らない以上誰かに任せる事もできない。そもそも、イズナを抑え込めるだけの力がある者などほとんどいない。
……イズナが産むまでの間、実質ふたり軟禁状態になる、という事か。厄介な事になった。
