知られてはいけない(扉イズ版)
約束の日
目が覚めて一番に感じたのは、ついにこの日が来た、という覚悟だった。
兄者は早朝に目覚めたらしく屋敷の中で落ち着かない様子だった。3人で食事をとりながら「しばらくはこの食卓も囲めなくなるの」と笑顔で言う。……兄者が嘘をつくなど珍しい。
イズナに最初に来ていた服を着せようと思ったが、大きくなった腹で着る事は叶わなかった。締め付けるのは子供にも良くない。いつも着せている俺の浴衣の中でも紺色のものを選んでイズナがそれに袖を通すのを見守った。雇った飛脚が千手の敷地に入る。用意させていた酒樽の乗った車を引かせるための者だ。それから間も無く、マダラは一人でやってきた。いつもと変わらない様子で。兄者もマダラを出迎える。
「ついにこの日が来たな、約束は違えん。戦は断る。イズナと共に……頼んだ。」
その肩に手を置いてから、屋敷の中にいたイズナ……民の目に触れるから変化した姿だが……が一歩一歩ゆっくりとマダラに歩み寄る。
その手と手を取って、イズナは少しだけ振り返って笑顔を見せ、そして三人とも千手の敷地から出ていった。
「……静かだったな、兄者。」
「あまり目立っても困る、あれでいい。」
三人のチャクラが感じられなくなってから、俺は部屋に戻った。イズナの匂いが残る部屋の中に。
ふと将棋盤が目に入った。2週間前散々長考して結局そのままだった盤上の駒がひとつだけ動いている。
将棋盤の前に座った。この手は……。
もう相手はいないが、戻ってきたときには続きをやろう。そのために俺も次の手を考えなければ。
イズナは将棋が好きだった。勝ったり負けたりしながら、珍しくこの勝負は負けがほぼ確定しているのに食いついていた。動いていた駒は桂馬。ここに動かす事を何度も考えて手詰まりだったはずなのに何故イズナは桂馬を。俺が思い付かないような策でも考えたのだろうか。それともこれで投了だと言う意味だろうか。
その桂馬に何らかの意味が残されているような気がして先の手を考え続けた。
うちはの集落には皆が俺を出迎えて待っていてくれた。腹を誤魔化すために少し変化は使っていたけど、心なしがたくましくなっている皆に安心して「ただいま」と告げる。飛脚が引いてきた車はそのまま置いて帰るように指示した。兄さんの手に引かれながら、久しぶりの我が家に足を踏み入れる。
懐かしい……半年は長かった。
玄関の戸を閉めて変化を解いた俺は兄さんに目配せをした。
「準備はもう?」
「いつでも出来る。」
台所に一番近い部屋にその用意はされていた。布団の上に敷かれた水を弾く布、台所に用意されているお湯。
「……切るんだね。」
「薬よりも回復が早いと判断した。安心しろ、慣れている者を用意している。」
大きくなった腹に手を添える。その添えた手に向けて腹の中の子がぐに、と腹の皮を押した。
こいつも運命を悟って俺にさよならを告げたのだろうか。浴衣を脱ぎ去って、用意された布団の上に座った。
「麻酔薬だ、飲んでおけ。」
差し出された水と一緒に粉薬を飲み下す。すぐに意識がぼんやりとし始めて、布団に背をつけた。
意識が鮮明に戻る頃にはこの腹はぺたんこになっている事だろう……兄さんに任せておけば安心だ。
顔の上に乗せられた布、お腹で何かが行われていることしかわからない。腹を切って子宮の筋肉も切り、あれを取り除くのだろう。扉間が愛したあの子どもを。
……ひとついいことを考えた。
戦で扉間を動揺させるために取り出した物を容器に入れて保管しておこう。子供はどうしたと問われたときに見せつけてやったらあいつはどんな顔をするだろうか。それとも戦場ではやはり冷静を保つのだろうか。
どれだけ横になっていたかわからない。「終わりました」という言葉は聞こえた。
「見事な腕前だ、これであれば傷もすぐに塞がるだろう。」
……兄さんがそう言うのなら間違いない……。
顔の布が取り払われて少しずつ意識が鮮明になっていくと共に、腹に痛みが走る。
「イズナ、痛み止めを飲んでおけ。」
口の中に入れられた薬を飲み込んだ。
ゆっくりと起き上がろうとして痛みに眉を寄せる。腹の下の方が横に切られていて、その痕は糸で縫われていた。忌々しい大きな腹はもうなくなっている。
「兄さん、中身はどこにある。」
大きな容器の中にそいつはいた。小さいがちゃんと人間の形をしている。湯に浸けられているらしい。興味深く見ていたら口がパクパクと動いた。
「……生きてるのか?」
「一応そのようだな。じきに死ぬだろう。」
こいつが俺の胎の中にいて蹴ったり暴れたりしていたのか。小さいくせにチャクラも持っていて胎の中で感じていたそれと同じだった。
「……死んだら何かに入れてこのまま保存しておいてくれ。」
「ああ、……それもいいな。」
腹を切った医者からここ数日の注意点を聞かされて、一ヶ月は少なくとも腹筋を使うような運動は避けるよう言われた。やはりすぐに復帰というわけにはいかないらしい。
痛み止めが効いてきて、医者に言われた通りに数日は自分の部屋で休むことにした。
厠に行くときだけは少し苦労したが兄さんの言う通り綺麗に切ってくれたらしく、言わば深い裂傷を負った状態なのに意外と動けるものだなと思う。
『イズナ、無理をするな。』
そういやあいつはとんでもない心配性だったな。こんな状態の俺を見たなら歩くことすら許さず抱きかかえていただろう。家に帰ってまで思い出すとは、あいつの声を聞き慣れ過ぎていたようだ。
凹んだ腹を見ると何とも言えない感情が湧きあがるのを感じる。胎児とはいえ小さい赤子だった。取り出されてもなお生きようとしていた。ずっと腹の中にいたそいつはもういない。清々しいはずなのにどこかぽっかりと穴が空いているような気持ちになるのはきっとホルモンバランスが乱れているせいだろう。
柔らかく笑うあいつの顔を思い出して、あの顔がどんな絶望に変わるのか楽しみでならなかった。
「イズナは少し療養に入る。半年間の監禁ですっかり体力が落ちてしまっているようだ。皆はこれまで同様に訓練を欠かさないよう励め。」
この言葉にどよめきが起き、そして顔を見合わせ、千手への憎しみを再確認した一族の者はそれぞれの修行の場に戻って行った。
一ヶ月の療養は長いが無理をして傷が開いてもいけない。焦りは禁物だ。しかしイズナが取り出した赤子を気にかけていたのが引っかかる。
敵の子とはいえ自らの腹の中で成長していた存在だ、思うところもあるだろう。しかし死んだらそのまま保管して欲しいという言葉に安心した。扉間にそれを見せて動揺を誘おうという考えに違いない。
しかし何ヶ月も扉間を騙しながら密接な関係下にいたのも気がかりだった。変な情が湧いていなければいいが。
三日が過ぎて、集落を見て回る事もできるようになった。著しく腕が良くなっている者が多く、半年の間に兄さんがしっかりと指導していたことがよくわかる。
「随分反応が良くなった、相当努力したのだろう。」
「この距離で正確に的を射止めるとは大したものだ、よく頑張っているな。」
一人一人に声をかけて回りながら、全員が兄さんの指導のおかげだと口を揃える。
兄さんはこうして人心を、支持を得ているのだからどっかの台風とは随分な違いだ。
あんな奴が理想とする和睦など信用できない。平和はうちはが作る。千手を殲滅することによって。
堕胎してから一ヶ月後にはまた発情期が来始めるらしい。厄介な身体だけど対策していくしかない。幸いにもしばらくは戦はない、はずだ。うちはで身体を戻している間に発情期が来てくれれば対策もしやすいんだけど、まあそんな思い通りにはいかないだろう。
刻一刻と時間は過ぎて、体力をつけるための軽い柔軟と運動から始めて身体を慣らし、少しずつ負荷をかけて筋力を戻していく。半年間で失ったものは大きかった。ただでさえ俺はオメガだ、普通よりも何倍も鍛錬に励まなければ……アルファの扉間には勝てない。
兄さんから助言をもらいながら、一族の皆も、俺も、戦の日に向けて準備を重ねていった。
発情期は来なかった。
いつ来るかわからない。
丸薬を3つ飲んでいてもあいつに勝てるように。
全力を出せるように。
柔軟、筋肉、敏捷性、印を組む速さ、チャクラを練る速さ、戦に必要な全てを体に刻みんでいく。
「イズナ、焦る必要はない。あいつらにも半年くらいは何も出来ず待つという事を経験させてやろう。」
……半年あれば、身体は完璧に仕上げられる。
イズナとマダラからの沙汰を待ち続けて何ヶ月経っただろう。そろそろ臨月のはずだがイズナは無事なんだろうか。いや、無事でなければ沙汰が来るはずだ。子供を産んでから本格的に説得を始めるのかもしれない。
とはいえ、沙汰を待ち続けるのがこんなにも根気がいるものだとは。よくも兄者が耐えられるものだ。
待ちながら、時折嫌な予感が俺の頭を覆う。イズナは裏切って他のうちは一族と共に千手を襲うのではないかと。……そんなことはあり得ないはずだ。俺とイズナは確かに愛を育んできた。共に子供が産まれるのが楽しみだと語り合って、生まれてからも共にいたいと何度も話した。
杞憂に過ぎないと思いながら、……戦での癖はどうしても抜けないらしい。イズナがもし裏切ったらどうするかを考え始めてしまう。……そんなことにはならないはずだ。半年の間俺達が積み上げてきたものは、そんなに簡単には崩れない。
桂馬の動いた将棋盤をずっと見続けてきた。イズナがどんな手を打ってきてもこの手には勝てる。しかしイズナがわざと負けるための一手を出すとも思えない。この桂馬は何を示しているのか……。
自分で実験した結果、イズナが残したオメガの抑制剤は少しの改良でアルファにも効くことがわかった。薬草を集める必要があるが抑制剤そのものを買うのと比べたらかなりコストを抑えられる。とはいえ、薬草も取り過ぎれば枯渇してしまう。
俺や兄者のような戦の要となる者だけがこの丸薬を飲み、他の者は引き続き抑制剤を買って与えることになった。
停戦延長中、とはいえ戦争中だ。
大名の使者は何度も訪れたが、兄者がうまく断っているらしい。恐らくうちはの方にも相手方の使者が訪れているに違いない。それでもうちはが動かないのは、マダラとイズナが説得している最中だからだろう。
大名の使者が頻繁に来るからには俺達もいつでも戦に出られる用意はあると示しておかなければ信用を失う。
武具と抑制剤はいざという時のためにとっておき、体術と忍術を中心に訓練をする様子を見せておくことにした。
うちはからの沙汰は、イズナの出産予定日を過ぎても来る気配はなかった。
毎日鍛錬の終わりに兄さんと組み手をした。勝てるわけがないのはわかっている、けど全力で兄さんを倒すために頭をフル回転させて動きを封じ攻撃の手を休めず重要な場所は防御して距離を詰める。
チン、と音が鳴って互いに一歩下がった。
息を切らす俺の頭に手を置きながら、兄さんは静かに告げる。
「丸薬3個でその動きであれば、十分だ。」
……次に使者がやってきたら、準備は整ったと告げるのだろう。
発情期がまだ来ていないのは懸念点だけど、3つ飲んでも兄さんに認められるまで身体を作り上げることができた。
あいつの、絶望する顔を見ながらこの手で殺す。
半年の間何度も何度も考え続けたその夢想がついに現実になる。
使者が訪れるのを待ちながら、鍛錬を続けた。士気も上がっている。この戦のない期間中に身につけた力で、千手に復讐を遂げると誰もが考えているのはその目を見ればわかる。血のように赤く染まったその瞳で。
身なりのいい男がうちはの敷地に入った。そのまま俺と兄さんの住む屋敷まで来て戸を叩く。
「伝令です。この場で中を。」
兄さんは男から折り畳まれた紙を受け取って広げ、少しだけ口角を上げる。
「久々の戦だ、報酬は弾んでくれるのだろうな。」
「お約束します。勝てば三倍もお約束しましょう。」
「承った、と伝えろ。準備をする。」
使者は頭を下げて静かに立ち去った。
皆もうわかっている。今からついに千手を討つ時が来ると。
屋敷の前に集まってきた者たちに、兄さんは声を張り上げた。
「戦の準備だ! 戦法はかねてより伝えてある通り! 必ず千手を滅ぼし真の平和を手にするぞ!」
おおっ、と皆が拳を振り上げて兄さんの声に応える。
俺の役割は最前線、扉間を片付けること。それに集中すればいい。後方の指揮はもう十分に育っている。任せて構わない。扉間が前線に来なければ柱間以外の者をひたすら殺していけばいい。
千手が戦を断るようなら……直接あの集落を落としに行く。
「これが千手との最後の戦と思え! 俺たちに続け!」
武装した一族を率いて戦場へ向かう。兄さんを先頭に、俺がその斜め後ろを歩きながら隊列の乱れがないかを確認し、そして戦の場に近づくにつれ隊別に配置につく。
辿り着いた戦場には、既に柱間を筆頭とする千手の軍勢が待っていた。
